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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第二十九章

 その日は曇天だった。まだガレージに留まっている車の助手席には相変わらず腕を吊った中野が座っていて、倉田は車のハンドルに顎を載せていた。十三区隊の実権は、未だ根津とその背後にいる山縣に握られたままだ。倉田がブリーフィングを仕切ることはなく、何年も昔のようにただ任務を与えられる。予想通り、倉田と中野のペアは無理難題や大きな仕事を与えられることはなく、今日も巡回任務に当てられただけだった。だからこそ恐ろしい、と倉田は思う。巡回任務ではルートが決まっているから、中野を狙う集団を効果的な場所に配置することは容易い。片腕を吊ってろくに銃も扱えなさそうな中野を守りながら、今日一日をどう生き延びるかが倉田の唯一の課題だった。隣に座る中野も、この時点ではもうかつての天真爛漫さはなくなっていた。深刻そうな顔で自身の左腕に目を落としながら、倉田のことを気にも留めていないようだった。やがてガレージが、倉田と中野の意志とは裏腹にゆっくりと開き始める。自身たちよりも前に配置された車たちが出動する中、倉田はブレーキを踏んだまま躊躇していた。すべて、首尾通りに行くだろうか。


 倉田が車を発進させ、大通りに出ても、そこにはなんの変哲もない第十三区が広がるだけだった。ガレージ前のホームレスや乞食たちも中野に目をくれているという様子はなかったし、指定されたブロックを目指して通りを走っても、なんの音沙汰もない。嵐の前の静けさだ、と倉田は思った。中野は助手席の窓から外を眺めたまま、一言も発することはない。二人とも目に見えて緊張していたが、これが『最後』になるかもしれないと思っていたのは倉田だけだった。『そのままG3ブロックへ向かってください』と倉田たちに指示を出していたのは、林ではなく新城だった。新城もまた、おぼろげながら事態を理解している上、林の代理という大きな仕事に戸惑っていた。そのせいか、新城の声は倉田の知っている間延びしたものではなく、小さく頼りないものだった。


『監視カメラで確認している限りでは人通りはありません。ですが、気をつけてください』


 新城は続けて言った。林は自分が根津の配下に入る前に、新城に必要なことをすべて言い含めていたし、監視カメラの異常については新城も目の当たりにしていたからだ。倉田は短く「了解」と覇気のない声を出したが、G3ブロックに入って五分と経たずに、状況は一変した。監視カメラはまたジャックされていて、狭い路地に軍勢が待ち構えている。急ブレーキをかけて車を停めると、背後にも同様に徒党をなした人々が道を塞いでいた。前と違うのは、倉田も中野もその状況にまったく驚かないことだ。二人とも、心のどこかでこの事態が繰り返されることは予想していた。慌てていたのは新城だけだった。


『応答してください! また何かあったんですか』

「いつものやつだ」


 甲高い声を上げる新城に、倉田は苦虫を噛み潰したような顔で返事を返す。倉田も中野も、この現状には現実味を感じられないでいた。同じことの繰り返し。逃げ延びる算段は曖昧にしかついていない。中野は倉田を見たが、その顔は怯えているわけでも驚いているわけでもなく、無感情だった。


「降りましょうか」


 中野は平坦な声で倉田に聞いたが、倉田は前方と後方を交互に確認すると、「まだいい」とだけ言う。中野はそこでようやく少し感情を取り戻したように首をひねった。「まだ」という単語が引っかかったのだ。倉田には、中野にすら明かしていない手の内がひとつだけあった。ただ、それが利用できるかどうかについては、倉田にもわからないままだった。


 瞬間、ブゥンという虫の羽音のような音が頭上から聞こえる。


 倉田と中野がフロントガラスから空を見上げると、飛んでいたのはドローンだった。それも一つではなく、複数だ。色も形も違うドローンが様々な場所から突然現れ、頭上遥か高くでそれぞれにぶつからないように飛んでいる。中野は驚いて目を見開いていたが、同様に倉田が目を見開いていたのは、勝算がついたからだった。ドローンたちは、テレビ局のものだった。ドローンだけでなく、建物の至るところからテレビカメラまでもが顔を出していた。


 そしてその様子は、林にも伝わっていた。根津の部下と仕事をしていたところに、タブレットを持った職員が飛び込んできたのだ。タブレットには現在進行形で放送されているニュース番組が写っていて、『緊急放送』という大きな赤い文字の他に、『LIVE』の文字が入っていた。それは第十三区のどこかを上空から映した映像で、十三区隊が使っている車両が前後から大量の移民の軍勢に挟まれているところだった。その中にいるのが倉田と中野である、と推測するのは林には容易なことだった。


「どういうことだ」


 根津の部下が立ち上がると、ニュース番組はライブ映像から切り替わり、林にも見覚えのあるシーンが映る。それはあの夜、オオヤマという名の男が殺された動画で、テレビという媒体の都合上、すべてはぼかされていたが、音声だけは鮮明に流されていた。バン、という生々しい拳銃の音が、オペレータ室の一室に響き渡る。


『ご覧いただいておりますのは現警察庁長官による指示で作成された動画とされており』


 動画に被せるように語るレポーターに、根津の部下は立ち上がって慌ただしく部屋を出ていった。画面が再びライブ映像に切り替わるが、今度は先程とは違う様子が映し出されている。軍勢が、統率の取れたものではなくなっていた。軍勢の中で揉め事が起きているようだ。林はそこで弾かれたように職員からタブレットを奪い取ると部屋を飛び出し、本来自身が働いているべき場所である新城の元へと急いだ。すべて、明らかにただ事ではないようだ。


『何が起きてるの』


 倉田たち耳慣れた林の声が届いたとき、倉田も中野もその問いには答えられないままだった。軍勢たちが突然、お互いに争いだしたのだ。どちらも最早倉田も中野も眼中には入っていない様子で、慌てふためいて逃げ出す者もいたし、既に流血騒ぎになっていた。倉田は思い出したようにヘッドセットを押さえ、林に向かって言った。


「わからない。突然仲間割れしだしたんだ」


 倉田の慌てた声に反応するように、今度はポケットの中の端末がブーッと振動する。倉田が即座に端末を耳に当てると、今度は『どうだい』と少しハスキーな、女性にしては中性的な声が耳に飛び込んできた。それが姉だ、と理解するのには少し時間がかかった。


AXEN(アクセン)も終わっちゃいない。信用できる面子に声をかけて、紛れ込ませておいた』


 姉である倉田サチは、勝ち誇ったように言う。彼女はテレビ局の放送室にいて、ことの成り行きをすべて見守っていた。


『繰り返しますように、臨時ニュースです。現警察庁長官が十三区隊の隊員を脅迫しているとの情報が…』


 目の前に並ぶモニターから、レポーターの震えた声が流れた。


『現在、第十三区においては暴動が起きている模様です。当局のソースによりますと、これには過激派団体〈AXEN〉が関与しており…』


 これでいい。サチはレポーターの声を聞きながら、怯える職員たちの真ん中でデスクに腰をかけると、腕を組んで頷いた。倉田と中野は山縣の追跡を逃れる。AXENは世論を味方につける。


 そして、お互いに狙うは親玉である山縣だけだ。


 サチはクスクスと笑い始めると、そのうちに大声を上げて笑っていた。

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