第二十三章
リサと綾瀬によるハッキングが決行された夜、倉田とサチ、エミールの三人はAXENの隠れ家のひとつに集まっていた。三人の他にも、エミールが選んだマーカスという男性がいて、マーカスは隠れ家に設置された仰々しいパソコンの前に座っていた。パソコンにはスマートフォンが接続されていて、リサと綾瀬がハッキングしたデータはそのスマートフォンに送られるようになっている。さらにそのスマートフォンに送られたデータを解析し、必要に応じて作業をするのがマーカスの仕事だった。リサと綾瀬によるハッキングは功を奏したようで、スマートフォンにはダウンロード画面が表示されていた。四人とも、その様子を固唾を飲んで見守る。ダウンロードが無事終了すると、根津のスマートフォンと全く同じ画面が端末に表示され、マーカスが根津のスマートフォンをパソコンで閲覧できるようになった。サチとエミールは胸を撫で下ろしたが、倉田は微動だにしなかった。
「まずはメールとメッセージングアプリから解析していきます」
こちらを見ていたマーカスが三人に背を向け、パソコンをカタカタといじり始める。マーカスのパソコンには多数のウィンドウが表示されていて、そのどれも三人には意味を成さないものだったが、マーカスには状況が理解できているようだ。マーカスは背を向けたまま言った。
「当然ですが、直接的な言葉が使われているとは思えません。ただ」
マーカスのウィンドウに、ぱっと白い画面が開かれる。三人のいる場所からはただの白い画面にしか見えなかったが、エミールが近寄ると、それは何かしらの文書だった。堅苦しい明朝体が並び、明らかに公的文書だと思われるようなものだ。文書のタイトルは『治安維持のための提案書』となっていた。エミールに続いて倉田とサチが画面を覗き込み、四人とも内容をスキャンするように読む。内容は第十三区の犯罪率の上昇に関するデータと、それを低下させるために一部住民を買収することで警察庁の配下に置き、その移民たちを利用して犯罪を摘発していく、といったもので、倉田にはそれがすぐに第十三区の住民たちが中野を殺そうとしていた理由だというのがわかった。
「だからか」
思わず倉田は呟いて、エミールとサチ、マーカスの三人が倉田を見る。
「第十三区の人間が徒党を組んで中野を狙ってた。何がインセンティブなのかが分からなかったけど、結局金だったみたいだな」
倉田が完結に説明すると、エミールとサチは再び画面に目をやった。マーカスはさらにパソコンを操作して、別の文書を開いた。
「実際に買収された人間のリストと金額は抑えられますね」
開かれた次の文書にはただひたすらに人名と金額が並んでいて、状況は倉田の推測通りだった。リストは延々と続いており、二百名を超えるのではないかというほどだったが、それも倉田には納得がいった。エミールとサチは何名か知っている名前を見つけたようで、目を見開きながら文書を見つめていた。
「裏切り者がいるなんて」
サチが声を上げたが、倉田はふんと鼻を鳴らす。
「組織がでかけりゃでかいほどそんなもんはいくらでも出るんだよ」
倉田の言葉にサチは何か言い返そうとしたが、エミールに制止されて止めた。倉田はさらにマーカスに顔を寄せ、真剣な顔でパソコンの画面を睨む。
「動画ファイルはないか。人が一人殺された動画と、黒い画面に合成音声が乗った動画」
「ちょっと待ってくださいね」
倉田に顔を寄せられたマーカスは、少し戸惑ってから再びパソコンを操作しはじめた。また他の三人には訳も分からない画面や文字の羅列が続いて、マーカスは顔をしかめる。見つかった動画ファイルをすべて同時にウィンドウに表示し再生したが、どれも倉田の見た例の動画たちではなく、監視カメラの映像など、当たり障りのないものばかりだった。
「やっぱり残ってねえか」
「でも、完全に削除することは不可能なはずです。きっとどこかに痕跡が」
マーカスはなおもパソコンをいじり続けながら返事をする。マーカスが何をしているのか三人には検討もつかなかったが、マーカスは自分が何をしているのか、当然のごとくしっかり理解しているようだった。たっぷり数分ほど格闘してから、マーカスは「あっ」と小さな声を上げる。その声に最も早く反応したのが倉田で、倉田はマーカスの肩に手を置いてスクリーンを覗き込んだ。
「根津のスマートフォンには何もありませんでしたが、警察庁のサーバにアクセスすることはできました。端末上で動画を削除したとしても、恐らくこのサーバにはコピーが残ります。彼らがテクノロジーに明るいとは思えないから…。送信日時は分かりますか」
マーカスの言葉に、倉田はすぐに日時を伝える。嫌でも忘れることのできない日時だったので、時分にいたるまでそれらはするりと口から出て、エミールとサチが驚いたほどだった。マーカスがまたパソコンのキーボードを叩いて、該当するファイルをいくつか画面に映し出す。その中の二つこそが、倉田たちの見た動画だった。
「これだ」
倉田が短く叫び、倉田を除く三名は第十三区隊の隊員が射殺される動画を見て息を呑んだ。一番驚いていたのはサチで、サチは隊員が射殺されると口を覆って顔を背ける。どこか慣れきっていたはずの人を殺す、ということの凶悪さが、突然牙を剥いて襲ってきたような感覚だった。
「この発信源が山縣であるという証拠は?」
倉田はサチの様子に気づかないまま、マーカスに聞く。マーカスは首を振って、「そこはちゃんと考えられているようです」と答えた。
「これから改めて検証してみますが、いずれのファイルも長官本人に結びついているという証拠はさすがに出ないでしょう。動画ファイルの発信源も、ダミーアドレスのようですから」
そこで倉田はため息をつくと、早々にマーカスの元を離れて無意識のうちに頭に両手を乗せ、まるでお手上げだとも言わんばかりのポーズを取った。マーカスは引き続き真面目な顔でパソコンに向かっていたが、エミールもサチも没頭し始めるマーカスを集中させるためにそばを離れる。倉田は頭に手を置いたまま明後日の方向を向いていて、エミールとサチには一瞥もくれなかった。
「もっと確たる証拠が必要だ」
倉田は誰に言うでもなく呟く。
そしてその頃、リサと綾瀬は思いもよらない状況に驚愕していた。
ニーナが、ダイニングに根津と現れたのだ。
「ニーナ」
リサが声を上げたが、ニーナの顔はいつもの気の小さそうなものではなくなっていた。すっかり堂々として、根津の横に立っている。口元は少し吊り上がっていて、リサと綾瀬にはまるで別人のように見えていた。根津は冷たい目でリサと綾瀬をそれぞれ睨むと、二人の間に置いてあるスマートフォンに目を落とす。
「話はすべてこいつから聞いていた」
根津は感情のない声で言った。リサと綾瀬はその場で固まったまま動けず、リサは困惑していたが、綾瀬は根津のことを睨み返していた。
「そいつをいじったところで何も証拠など出るわけがない。我々がそんな簡単に証拠が残るような真似をすると思うか?」
根津は続ける。綾瀬は根津を見ていたが、リサはふと自分たちの真後ろにある扉にちらりと目をやった。その扉の先にあるのは廊下で、そこを抜ければ玄関ホールに出ることが出来るのだ。リサはそう考えると、根津を強気に睨みつける綾瀬を見てから、根津を見た。今自分の手の内にあるのは、目の前のスマートフォンともしものときのためにとエミールに持たされたハンドガンだ。ハンドガンは腿のホルスターに収まっていて、スカートに隠して分からないようにしていた。射撃経験は、ある。
「機密情報漏洩の罪だ。逮捕する」
「咲希ちゃん、逃げて!」
根津の言葉を合図に、リサは叫びながらホルスターからハンドガンを素早く抜き取ると、根津めがけて一発発砲した。綾瀬は何が起きたのか分からなかったが、リサの言葉にはっとして、手近なドアを開いて走り出す。根津も拳銃を取り出してリサに発砲し、それはリサの片腕を掠めたが、リサが怯むことはなかった。それから二発続けて撃ち、どれも根津にもニーナにも当たることはなかったが、足止めをするという意味では効果がてきめんだった。綾瀬はその間に玄関ホールを抜けて家を飛び出すと、外で煙草をふかしていたところ騒ぎに恐怖して足のすくんでいる運転手に飛びつく。
「助けて」
綾瀬は運転手を車に押しつけるようにして運転席に乗せると、自分は後部座席に乗り込んで「とにかく走って」と叫んだ。
自分は逃げ延びなくてはならない。
リサのためにも。




