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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第十六章

 AXEN(アクセン)の本部で、サチは弟である倉田からもらった端末を目の前にして腕を組んでいた。良くも悪くも表情豊かなその顔は無感情で、心ここにあらず、と言わんばかりだった。目の前で父親が射殺されたのは昨日の出来事だ。サチはその光景を頭の中で意識的にも無意識的にも繰り返し再生していた。父親が死んだ。殺された。警察庁の誰かに。そしてこれからも人は死んでいく。


 自分のせいで?


 サチはそこまで考えると、顔を覆った。目的のためなら手段は選ばなかった。誰かを守るための戦いだと、信じて疑っていなかった。父親や自分たちのような、理不尽な状況に置かれた人間を助けるために、ただただ盲目に戦ってきたのだ。


 何人殺しただろう。


 サチはふと考えて、絶望感に襲われた気がした。少なからず、自分は無実の人間も殺してきたのだ。七年前、熱意に駆られて参加したあの暴動は、何百人という何の罪もない人間を殺した。衝突しては殺し合いに発展することのある十三区隊でさえ、彼らはシンボルにすぎなかった。自身の、そしてAXENの目的を果たすために彼らは邪魔だったが、彼ら一人一人は別個の人間なのだ。邪魔をするために存在しているのではない、ただ職務を全うするために存在していたのだ。


 理不尽な死。


 サチの頭の中をそんな言葉が駆け巡った。誰かが殺される度に、親族や友人はそれを理不尽だと思うのだ。そして、今の時分と全く同じ気持ちになるのだ、と気づいて、サチは意を決して端末を手に取った。内臓されている機能を使ってしまえば足がつくと思ったので、電話帳を開いて電話番号を探した。知らない名前ばかりだったが、『中野純平』という名前だけは判別がついた。下の名前は知らなかったが、恐らく彼が渦中の『ナカノ』なのだろう。サチは番号を参照しながら、逆探知などに対応するために様々な細工の施された自身の端末からその電話番号を鳴らすと、たっぷり三十秒ほどコール音が鳴った後に、『お前か』と明らかに中野ではない声が応答した。それが自身の弟の声である、と理解するのに、そう時間はかからなかった。


「手を貸すよ」


 サチは短く言った。父親の件はまだ誰にも話していなかったから、すべてサチの独断だった。実際AXENがこの件について、集団として参加してくれるかどうかは全く分からなかったが、少なくとも自身は手を貸そうと思ったのだ。電話の向こう側では沈黙が続いていた。サチはお構いなしに話を続けた。


「簡単に言ってしまえばお父さんの仇。もっと言えば、我々はもともと警察が大嫌いなんだ。移民ばかり不当な目に遭わせて。その長はお前らの敵でもあるんだろう? じゃあ利害が一致するじゃないか」

『…組織を動かせるのか?』

「お父さんのこともナカノのことも話す気はない。ただ、長官を狙うってことを扇動することはできる」

『…わかった。人目につかないところはあるか』

「いくらでもあるけどね」


 サチは続けて十三区内のある場所を指定すると、数時間後に落ち合う予定を立て、立ち上がろうとしたところでエミールの存在に気づく。エミールはサチを心配そうに眺めながら、戸口のところに立っていた。


「…大丈夫かい」


 エミールは聞いたが、サチは答えなかった。逡巡していた。エミールのことは信頼していたし、彼がサチから聞いたことを吹聴するようにも思えなかった。サチは口を開いて、父親に会ったんだ、と小さな声で言った。


「そして殺された。警察庁の長官がバックにいるらしい」


 エミールは表情を変えずに話を聞いていたが、突如としてサチに詰め寄ると、そっとハグをしてサチの頭を撫でる。サチは突然のことに驚いたが、確かに家を失ったあの日も、こうして慰められたような気がした。そう思うと様々な記憶と感情が雪崩のように襲ってきて、サチは思わずぼろりと涙をこぼすと、そのまま延々と泣いた。


 理不尽だ、何もかも。


 そう思えば思うほどに泣けてきた。弟はどう思っているのだろうか。自身の人生を、そして運命を理不尽だと思ったことはあるのだろうか。延々と泣き続けるサチに、エミールは何も言わなかった。ただただ頭を撫でたまま、父親のようにぎゅっとサチを抱きしめたままだった。




* * *




 その日の深夜に、倉田と中野、林の三人はサチに指定された場所にいた。それぞれ形ばかりの扮装はしていて、倉田は頭から黒いパーカを被り、中野は帽子を深めに被って、林も髪をまとめ上げて帽子の中に入れると、女性であることが分からないように体の線を隠すようなだぼついた服を着ていた。それぞれマスクをしていて、指定された廃屋の椅子や机に思い思いに座っていた。帽子を目深にかぶり、倉田と同じようにパーカを被って口元を隠した小柄な影が現れたのは、それから五分もしないころだった。倉田はそこでマスクを取って、それに倣って中野と林も顔を露わにした。


「一連の事件はマスコミにも報道されてない」


 倉田は挨拶もせずにすぐに話しはじめた。サチはフードを降ろすと、手近にあった椅子を引いて手と足を組み、そこで自分が弟と全く同じ体勢を取ったことに気づく。倉田もまた、粗末な机の上に座って手と足を組んでいた。


「この件については関わった人間以外、まだ誰も知らない。山縣ほどの人間を引きずり降ろすなら世論が必要だと思う」

「証拠も必要だ。一連の事件の関連性と、山縣とかいう奴がこれに関わっているっていう証拠」


 倉田とサチは真正面から向かい合っていた。お互いがお互いの言い分には納得していた。


「報道機関と警察内部のどっちにも内通者が必要じゃないか」

「警察庁に内通者はどうしたって必要だ。報道機関はそれほど重要じゃない。どうせ検閲に引っかかって終わりだ」

「そんなもの、テレビ局でも乗っ取ればいいだろ」


 サチは平然と言う。倉田は少し驚いて、それから顔をしかめて「さすがは過激派だな」とぼやいた。


「やり方が甘いんだよ。いくらか監視カメラのデータは残ってるんじゃないのか?」

「データにアクセスできる人間が限られてるの。やっぱり警察内部の、それもかなり権力のある人間がいないと」


 監視カメラ、という言葉に林も口を挟んだ。中野はただただ場違いなような気がして口をつぐんでいたが、その間にもずっと現実感を失わないように努力していた。これは自身の問題でもあるのだ、といつもの戸惑った顔ではなく、しっかりとした表情のまま話を聞いていた。できることはしよう、と強く思い直していた。


「後にも先にも警察庁内部に通じないとダメってことか」


 サチは確認するように言って、ふむ、と少し唸る。思い当たる節はまったくなかったが、情報網だけはあった。幸い、AXENは第十三区内でのみ活動しているのではない。移民がいるのは第十三区だけではなかったので、全区を通じて横のつながりがあった。高階層区である第一区においても、使用人や労働力として雇われている移民はいたし、地位のある人間と接触する移民がいてもおかしくはない。サチはそこまで考えてから、わかった、とひとり頷いた。


「お前らにどうこうできる話じゃなさそうだ。内通者の件に関してはこっちでどうにかできないか考えてみよう」


 サチはそう言うと、話は終わりだとばかりに立ち上がり、フードを被り直してポケットからスマートフォンを取り出すと、今度はそれを倉田に渡す。


「こっちのほうが安全だから。連絡はこれで取ろう」


 倉田がそれを受け取ると、サチはパーカの前ポケットに両手を突っ込んだ。そして弟である倉田の目をまっすぐに見て、同じように深く青い瞳を合わせると、歯を食いしばって言う。


「これ以上無駄な死人を出すなよ。それがお前の仕事だ」


 サチは吐き捨てるように言うと、さっさとその場を離れていった。倉田はスマートフォンに目を落としてそれを握り直すと、ただ一言、廃屋に響かないような小声で言う。


「そんなこと、とっくに分かってる」


 そうだ。


 これ以上の死人は、何があっても防がなくてはならない。

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