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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第十五章

「ヒトマルサンロク、横田哲二の死亡を確認。同時に『ハインリヒ』と思われる男が死亡した」

『了解しました。救護班を送るわ』


 林の声は幾分か落ち着きを取り戻していた。錯乱していたのは中野とサチのほうだ。中野はその場にへたり込み、サチは父親の死体のそばでむせび泣いていた。倉田はそれらすべてをヴェールの向こうから見つめているような現実感の無さに苛まれていた。『ハインリヒ』は父親だった。サチは姉だった。何もかも信じられなかった。サチが突然顔を上げ、倉田を睨んだ。


「説明しろ」


 サチは涙声で要求する。倉田はそんなサチを眺めて確かに自身の面影を見出しながら、自分よりも大きな目に目線を逸らしてハンドガンをホルスターに戻すとこれまでのいきさつをかいつまんで話した。七年前の暴動のこと、妻を失った山縣のこと。自身に対する意趣返しのことと、中野のこと、それから中野を殺そうとする『中野殺し』のこと。サチは鼻息も荒くその話を聞いていたが、すぐに近くに取り落としていたハンドガンを手にすると、倉田に向けた。


「結局お前のせいってことか」

「あの暴動を巻き起こしたのはお前たちだろ」


 倉田は幾分か感情を露わにした声で言う。中野は腰を抜かしていたが、慌てて持っていたハンドガンを握り直してサチに向けたものの、その銃口は大きく震えていて頼りなかった。サチは中野を睨みつけ、それから倉田に目線を戻した。


 その場で再び倉田のスマートフォンが震えた。


 倉田がおもむろにそれを取り出すと、見慣れた連絡用のアプリの通知が表示されていて、倉田は血の気が引く思いだった。まただ。震える手でスマートフォンのロックを解除し、アプリを立ち上げると、添付されていたのはやはり動画ファイルだった。


『わたしにも届いてる』


 林が短くそう言ったのを合図に、倉田は意を決して動画ファイルを開くと、音量を最大限に上げて中野にも聞こえるようにした。一連の出来事に中野はハンドガンを降ろしたが、サチは涙目でそれを構えたままで、それでいて危機感の欠片もなかった。動画ファイルには警察庁のだけが映っていて、前回とは違った様子だった。


『父親が死ぬ、という気分はどんなものかな』


 明らかに合成されていると分かる音声が、朗々とその場に響いた。サチがびくっと肩を震わせてハンドガンを下げ、目を開いて倉田のスマートフォンを凝視する。それが倉田に向けられた音声なのか、自分に向けられた音声なのか、判別がつかなかった。


『倉田くんにはまだ分からないだろうが、君のお姉さんはよく理解したのではないかな。大切な人間を失うということの辛さを』


 そこでサチは立ち上がろうとしたが、逆に倉田がしゃがみ込んで地面に投げ捨てるようにスマートフォンを置いた。それでサチもようやく、忌み嫌ってきたその警察庁のロゴを目の前にして、ハンドガンを落として少し離れた場所から動画を見る。倉田の数歩背後で腰を抜かしていた中野は、ただただ音声に神経を集中させていた。


『私の敵は一人ではない。君たち姉弟は良いシンボルなのだ。七年前の暴動を起こし、そして阻止できなかった、私にとっての戦犯たち』


 林もまた、オペレータ室で神妙な面持ちでその動画を見つめていた。『ハインリヒ』が実際に倉田の父親で、さらに彼に姉がいた、という事実は、倉田と同じくらいに飲み込めていなかった。音声の主は山縣だ。あるいは、脚本は山縣が書いているはずだ。戦犯たち、といったその言葉尻には笑みが含まれていたが、神経を逆なでされる余裕もなかった。


『次は誰が死ぬだろうか。そして誰が悲しむだろうか』


 動画は楽しそうに言い、そこで音声は途切れていた。『この音声は自動で削除されます』という女性のアナウンスの後に、動画は跡形もなく消えていた。誰も何も言わなかった。サチはただただ茫然としていた。七年前の暴動に、自分も確かに関わっていた。まだ幹部ではなかったが、実行犯の主要メンバーの一人ではあった。


「これからも人が死ぬのか? アタシたちのせいで?」


 サチは沈黙を破ると、早口に倉田に聞いた。倉田はただ地面に置いたスマートフォンの画面を眺めたまま、何も言うことはなかった。遠くから救護班のサイレンが聞こえ、倉田はサチを見ると、早く逃げた方がいい、と言った。サチは目を丸くしていた。


「お前まで捕まったらこっちに利がない。これだけ持ってけ」


 倉田は地面からスマートフォンを取り上げると、それをサチの方に差し出す。サチは大いに戸惑ってからその端末を受け取ると、立ち上がってハンドガンを腰に差し込み、礼を言うべきか言わないべきか逡巡した後、目だけをしっかりと倉田に合わせてからさっさとその場を離れた。倉田はその小さな背中を最後まで目線で追いかけながら、腰を抜かしていた中野に手を差し出して引っ張り起こす。数分で辿り着いた救護班はてきぱきと二つの死体を二台の車に運び込むと、倉田と事務的な手続きを交わして来た道を戻っていった。


 山縣はといえば、一連の事件をカメラで確認していた。


 倉田サチにダメージを与えたのは確実だ。だが、まだ足りない。警察幹部が主要な事件を目視で確認するために用意されたモニタールームを後にしながら、山縣は爪を噛んでいた。こんなことで済むわけがないのだ。自室に戻ると、歳を取らなくなってしまった妻の写真が目に入る。それを取り上げて、山縣は歯ぎしりした。彼女を失った悲しみは、あんなものではなかったはずだ。だが、人質は確かに増えている。そう考えるとほくそ笑んでしまって、警察から支給されているのとは別のスマートフォンの端末で、ある男を呼び出した。この大芝居を、一人でやるわけにはいかなかった。根津清高という男は山縣の側近に近い男で、メタルフレームの眼鏡をかけた冷徹そうな男だった。彼をこの芝居に巻き込んだのは、彼もまた暴動で親族を失くした男だったからだ。彼が失くしたのは母親で、それ以前はもっと感情に満ち溢れている男だったように思う。根津は呼び出されるが早いか長官室の扉を叩くと、「入れ」という山縣の短い声を聞いてドアを少しだけ開き、その隙間から滑り込むようにして中に入った。


「首尾は」

「順調だ」


 根津はその言葉に表情は変えなかったが、どこか満足そうではあった。


「次の段階に進む」


 山縣がそう宣言すると、根津は軽く会釈をしたのか頷いたのか曖昧な動作でそれを承諾したが、山縣はそちらを見ていなかった。


中野(スケープゴート)と同時にAXENを叩く。こちらはそこまで問題もないだろう。警察としてやるべきことをやるまでの話だ」


 山縣はそこでようやく顔を上げて根津を見た。背が高くほっそりとした男で、黒髪を後ろに撫でつけ、オーダーメイドと一目で分かる高級そうなスーツに身を包んでいた。ともすれば有能な執事のような見た目だった。根津は暗黙で了解を伝えた。


「スケープゴートについては何か」

「そろそろ本気を出しても構わないだろう。だが殺すなよ。まだいたぶらねばならないからな」


 根津の質問に、山縣はふんと鼻で笑いながら答えた。そうだ、簡単に死なれても困る。いたぶっていたぶって、苦しませなければこの計画に意味はない。倉田幸も、倉田サチも、まだまだ自身が受けた苦しみに値する罰を受けていない。


「こんなものではなかった」


 山縣は独り言のように言った。


「我々の痛みは、こんなものではなかったのだ」


 そうだ。


 悪には、制裁を下さねばならないのだ。

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