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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第十四章

 倉田サチが倉田幸との邂逅を避けてきたのは、自身の弱さ以外の何物でもない、とサチは思っていた。恨み憎み嫌っていたが、それは確かに殺意ではなく、時にはどうしようもない戸惑いすら含むものだった。彼の存在を確認するたびに、特別幸せではなかったが機能はしていた家族のことを思い出す。誰かから貰って来た、という粗末なゆりかごに収められた弟と、自身によく似た吊り上がった目の不健康そうな男が、時折重なった。その度に、サチは行き場のない怒りを覚えた。目つきが悪かったのは父親だっただろうか、母親だっただろうか。そのどちらでもないような気がした。


 その弟の全貌を、はじめてその眼で確認した。


 ぼさぼさと手入れの行き届いていなさそうな髪は自分のダークブロンドの髪よりも数段明るく、ただ深く青い瞳は鏡を見ているようだった。自分と同じように小柄で、自分と同じように目つきが悪かった。倉田幸は倉田サチのことを、状況が理解できていないという目で見つめていた。その隣には百八十センチを優に超えていそうな、背の高い、それでいて少しひょろりとした男が立っていた。彼のハンドガンは震えていた。三人の銃口は一人の男にしっかりと向けられていたが、三人の視線は交錯していた。倉田サチは弟の存在にしばらく茫然とした後、ハンドガンを握り直して動揺を隠すと高らかな声を上げた。


「この男をどうするつもりだ」


 横田哲二は震えていたが、誰も彼を気にすることはなかった。倉田は中野のハンドガンが震えながらも横田を捉えているのを見ると、銃口をサチに向けた。


「指名手配犯だ。お前こそ誰だ」


 AXEN(アクセン)について警察が知り得ている情報は比較的少ない、とサチは知っていた。幹部の中でも何人か顔の割れている人間はいたはずだが、サチの顔は知られていないはずだった。それもAXENが、どこかサチを気遣って守っていた結果だ。それでも、サチは目の前の弟の間抜けな質問には苛立ちを隠せなかった。


「名乗る義務はない」

「AXENか」

「どうとでも思えばいい」


 二人は似通った冷たい口調でそれだけ交わすと、同時に横田を見る。ほとんど同じように、目の前の敵は相手ではない、と感じていた。相手のことはすべてが済んでからで構わない、とも。


「横田を見つけた」


 倉田はヘッドセットに短く伝えると、ハンドガンの目標をサチから横田へと戻した。


「ついでによくわかんねえ女もいる」

『誰よ』

「知るか」


 林はといえば、今日こそまともに機能していた監視カメラで事の成り行きを見守っていた。そこまで解像度の良いカメラではなかったが、倉田と中野、横田のほかに、少女のような女性が拳銃を持って立っているのがわかった。カメラでもブロンドなのはわかったが、カメラに背を向けて立っているせいで顔立ちまでははっきりと分からなかった。顔が分からなければ、データベースとの照合もできなかった。だが、拳銃の向きからして、どうやら女性の狙いも横田であるらしかった。


「手を上げろ。横田哲二、強盗殺人の容疑で逮捕する」


 倉田が朗々とそう言うと、震え上がっていた横田は両手を上げようとしながら、背中に隠していた拳銃を取ってサチを狙う。その銃弾はサチの足元を掠め、怯んだサチが反射的に発砲した弾は横田の傍にあったポールに当たったが、状況を予想していた倉田も発砲し、それは横田の右足を掠めていった。横田は一瞬ふらついたが、執念で逃走を試みようとし、そこに二発目を撃ち込もうとしていた倉田と状況に困惑する中野の間に、横田のものではない銃弾が突き刺さった。倉田が驚いてそちらを向くと、音もなく立っていたのは『ハインリヒ』だった。


「林、カメラは」

『ジャックされていたみたい。でも今は見えるわ。周りには誰もいないはずだけど、こんなカメラもう信用できない!』


 咄嗟にヘッドセットに聞いた倉田の耳に返ってきたのは、困り果てた林の声だった。倉田は舌打ちをするとハンドガンをハインリヒに向けたが、サチはハンドガンを降ろしていた。これが例の『ハインリヒ』だ。サチは自分の心臓がうるさいくらいに高鳴っているのを感じていた。彼が父親であるはずがない、という自分と、もしかしたら、という自分が争っている中で、AXENのために交渉しなければ、という建前までもがその争いに参加しようとしていた。ハインリヒはサチを認めると、仮面のままふっと小さな笑い声を漏らした。


「これはこれは」


 ハインリヒは驚いている、という演技のような声で言った。ハンドガンを降ろし、マスクを取る。その瞬間にサチの顔が引きつった。


「久しぶりだね、サチ」




 そう告げた男は、確かに自身の父親だったのだ。




 サチはついにハンドガンを取り落とした。


「お父さん」


 サチがすがるようにそう言うと、今度は倉田が驚く番だった。首を素早く捻ってサチを見、それからハインリヒを見る。もはや中野と同等であるくらいに話が理解できなくなっていた。ハインリヒは驚く倉田を見て、倉田よりもサチよりも青い瞳で微笑んだ。


「姉弟喧嘩はよくない」

「…どういうことだ」

「幸は知らなかったんだね。彼女は君の姉だよ」


 その言葉にサチが倉田を見、倉田がサチを見る。お互いに困惑していたが、どちらも次の一手を考えられずにいた。筒抜けになっていた音声を元に、林はその様子を固唾を飲んでカメラを見守っていた。


「お父さん、聞いて。アタシ、今は移民のために戦ってんだ。あの日のお父さんみたいにひどい扱いを受けた人たちを助けたくて、それで、それで――」


 サチは幼少期に戻ったような口調で矢継ぎ早に説明を始めた。ハインリヒが片手を上げてそれを制し、サチは従順に口を閉じたものの、わなわなと震えながら父親に近づきたい衝動をこらえていた。


「私には今は仕事があってね」


 ハインリヒは落ち着いて言った。ハインリヒのハンドガンがゆっくりと上げられ、その銃口が中野に向く。状況に戸惑っていた倉田も、その動作には条件反射で自身のハンドガンをハインリヒに向けると、サチも降ろしていたハンドガンを上げて倉田を狙った。倉田はサチを睨む。


「人殺しでも父親か?」

「人殺しの弟に言われたくないね」


 サチは倉田を睨み返してそう吐き捨てると、視線だけを父親に戻した。中野はといえば、困惑しきっていたが思い切って重い腕でハンドガンを持ち上げ、ハインリヒを狙う。そうだ、自分は戦わねばならないのだ。それだけを思い出した。




 次の瞬間、息を潜めていたはずの横田が立ち上がり、ハインリヒを背後から銃撃した。




 ハインリヒが、驚いた顔で足から崩れ落ち、地面に倒れる。銃弾はハインリヒの首を貫くようにして放たれていた。サチの顔面が蒼白になり、倉田は驚きながらも背後の横田に銃口を向ける。中野の目にはすべてがスローモーションで映っていて、カメラを見ていた林までもが息を呑んでいた。


「お父さん!」


 サチが叫んでハインリヒに駆け寄るが、彼が絶命したのはどこから見ても明白であった。横田が続けて中野に二発目を発砲しようとしたが、射撃は中野のほうが早かった。ダン、という音に続いて今度は横田が倒れる。横田を狙っていた倉田が驚愕して横を見ると、汗をかいて息荒くした中野がハンドガンを取り落として震えていた。横田を撃ったのが中野だった、と分かるまでに時間がかかった。


「お父さん」


 度重なる銃声に、野次馬すら集まってきていた。そこには二つの大きな血だまりと、横田の呆けた死体、それからハインリヒの死体にすがるサチがいた。


『どうなってるの』


 林がヘッドセットの向こうで絶望の声を出す。


 その答えを知る人間は、そこには誰もいなかった。

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