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ZONES  作者: モリ・トーカ
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第十三章

 その日、車の助手席に乗り込んだ中野の顔は真剣だった。一言も発することなく、ただ目の前のガレージのドアを見つめている。倉田はそんな中野をちらりと見やると、ヘッドセットを通じて林に声をかけた。


「これから出動する。通常任務通りに行動するが、状況は口頭で報告する」

『了解しました。無駄だとは思うけど、カメラは見ておくわ』


 林の声は動画の夜から幾分も疲れて聞こえた。中野も今朝打ち合わせのために林に会ったが、もともとの快活そうな女性は消えてなくなってしまっていた。林は見るからに何日もまともに眠れていないようだった。いつもはぶっきらぼうな倉田も、今朝は気を遣っていたようで、去り際に林の肩に手を乗せると、名残惜しそうにしばらくその手を離さないでいた。ガレージのドアが開き、中野すら『日常』となりそうな光景が現れる。群がるホームレスやボロボロの衣服をまとった国籍も分からないような人間たち。ガレージが開くと、ダダダダッ、という連続した音が地面の一部が削った。倉田が配備した隊員による威嚇射撃だった。どんな隊員でも死亡する可能性が出た以上、こちらも応戦せねばならない。倉田がそう言っていたのを中野は思い出す。威嚇射撃はホームレスの一人を掠め、痛みに悶えた男が地面に転がった。中野ははっと息を呑んだが、倉田はお構いなしにアクセルを踏み込んでガレージを出るとうらぶれた大通りを走り始めた。


「…人が死ぬって、どんな感じですか」


 中野は目を伏せて聞く。倉田は一瞬中野を見やると、すぐに進行方向に視線を戻してふんと鼻を鳴らした。


「すぐにわかる」


 倉田はそう言い放つと、会話は終わりだとばかりにハンドルを切ってブリーフィング通りの道を走る。中野は既にサブマシンガンを抱えていて、緊張に背筋を伸ばしていた。大通りを外れれば、何が起きるか誰にも分からない。中野は打ち合わせの内容を必死で思い出していた。


「ブロックの担当者をスクランブルするのはどうかしら」


 打ち合わせの中で、やつれた林は言った。通常、巡回任務における担当者と担当ブロックはコンピュータに登録され、オペレータ室に共有される。監視カメラが痕跡もなくジャックされる以上、コンピュータに登録することは何もかも筒抜けであると思った方が良い、というのが林の意見で、中野がどこで勤務しているのかを曖昧にしようという案だったが、倉田は「それはできない」とばっさりとそれを切り捨てた。


「中野の場所が分からなくなったとして、中野がいるかもしれない場所を担当する奴らはどうなるんだ? あの軍勢にぶち当たったら確実にどっちもやられるし、またあの動画みたいなことになる」


 動画、という単語が出ると、林はぴくりと動いてすぐに顔を覆った。倉田はそんな林を見ながら、それでも表情には何も出さずに続ける。


「俺がやる。あの状況に一番うまく対応できるのは俺だと思う」


 林は顔を覆ったまま、何も言わなかった。


「殺される前に殺すしかない」


 倉田は冷たい目でそう言い放った。その言葉を思い返して、中野はふとサブマシンガンの引き金に指をかけ、すぐに離した。自身も人を殺す日が、来るのだろうか。


 担当していたE6ブロックは静かなものだった。静かすぎて気味が悪い、と倉田がぽつりとこぼすほどだった。前回のような軍勢が現れることはなく、裏路地にはぽつりぽつりと人影があるくらいだ。中野の緊張はそれでも解けることはなく、倉田はゆっくりと慎重に車を進めていたが、途中で林が無線の先で『あっ』と小さく声を上げた。


「どうした」


 倉田が車を停めてすぐに反応すると、林はしばらく沈黙する。カチャカチャというコンピュータをいじる音が聞こえてから、林の『やっぱりそうだわ』という声が届いた。


『E6ブロックで手配中の強盗殺人犯を見つけた。名前は横田哲二、この一ヶ月で移民相手にもう三件やってるわ』

「場所は」

『すぐ近くだけど――待って、正気? 行く気なの?』


 あくまでも淡々としていた林の口調は一瞬で感情的になる。倉田はいいから場所を教えろ、と続けて聞いたが、林はバカじゃないの、と大声を上げた。


『中野くんを危険に晒す気?』

「お前はまたあの動画が見たいのか?」


 倉田は歯ぎしりをしながら低い声でがなる。無線が沈黙して、中野はサブマシンガンを抱くばかりだった。


「…通常の勤務から逸れたことをすれば中野じゃなくても誰かが死ぬのはもう分かってることだろ」


 倉田は自分の言葉を少し後悔したのか、ため息をついて柔らかい口調で諭すように言った。林はたっぷり五秒ほど沈黙してから、そうね、と小さく言って観念したように力ない声で男の居場所を伝える。倉田はそれを聞くと了解、と短く請け合って再び車を発進させ、中野にサブマシンガンを手放すように言った。


「警察らしい仕事だ。目的は強盗殺人犯の逮捕。射殺許可は下りてる」

「射殺許可」


 サブマシンガンを後部座席に戻そうとしていた中野は、突然の言葉に目を見開いて倉田を見た。倉田は林から送られてきた位置情報をナビで確認しながら、表情を変えずに車を進めている。殺さなくてもいいんじゃないですか、と中野は間抜けな声で言った。


「三人殺してるんだからな。生け捕りできないなら殺しても止めるのが市民の安全のためだろ」


 倉田は『市民の安全』のところで少しほくそ笑むと、車を路地裏に駐車してシートベルトを外し、ハンドガンの弾を確認する。中野が慌てて同じように携帯していたハンドガンの弾を授業で習った通りに確認していると、倉田はその深く青い海底のような瞳で中野を見るといいか、と低く言った。


「殺すことを躊躇うなよ」


 中野に答える時間は与えられなかった。倉田はさっさと車を降りて、ハンドガンを携行したまま中野にも降りるように指示をすると、車が通れないどころか人一人通るのもやっと、といった路地を通過して角から顔を出す。目標を視認した、とヘッドセットに伝えるが、中野には何がどうなっているのか分からなかった。


「近づきにくいな」


 倉田はそう続けて、中野と場所を入れ替わるようにして中野に角から顔を出させると、茶髪にグレーのTシャツ、ダメージジーンズ、と特徴を言う。中野の視線はしばらくきょろきょろとしていたが、ようやく話に出ている男を見つけると、見つけました、と危うく大きな声を出しそうになって自分で口を押えた。男はボロアパートの階段の影で煙草を吸っていた。


「挟み込もう。お前は合図したらここから出ろ。俺はあっちに回る」


 倉田は中野にそう伝えると、ハンドガンを持つ中野の手首をぐっと掴むと、再び低い声で言う。


「自分を攻撃するものは躊躇なく撃て。いいな」


 そしてまた中野に答える時間はないまま、倉田はさっさと来た道を戻って別の場所へと移動してしまう。中野はちらちらと男の方を見やりながら、やけに冷たいハンドガンの感触に戸惑っていた。現実感がなかった。これから自分は、人を殺すのかもしれない。


『移動した』


 白昼夢の中にいるような感覚を切り裂くように無線が鳴って、中野は危うくハンドガンを取り落としそうになった。そっと角から顔を出すと、一本先の路地から倉田も確認するように顔を出していた。とうとう始まるのだ、と思って、手汗をかきはじめた手でハンドガンを握り直す。いいか、と無線を通じて倉田が聞いたが、中野は何も準備ができていなかった。続けて『行くぞ』という音が聞こえて、中野は反射的に路地から飛び出す。何もかも、警察学校で行った演習の条件反射だった。倉田と中野は男を挟み込むと、ハンドガンの銃口を男に向けていた。


 しかし、飛び出したのは二人だけではなかった。


 金髪を前髪まで短く切りそろえた小柄な女性が、反対側の路地から同じようにハンドガンを持って現れたのだった。

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