鹿静と鈴音
「直ぐに縁を切れ」
「は?」
「あのお方に気づかれる前に縁を切ろ。そして二度と其方ばかりでない、あの愚かな人間とも、関わりを持たぬ様に致せ」
「…………」
「さもなくば、其方の嫁は生き長らえぬ」
「大神様……」
鹿静はぼろぼろと臆面もなく、涙を流した。
「世話のやけるあれに長年仕えてくれた、其方への私からの恩情であるぞ……」
鹿静は全身から力を失って放心した。
涙が溢れたが止める術を知らない。
只々涙が流れ出て止まらない。
「しかしながら、如何して〝その様〟なものの気配に、気がつかぬのであろうか?私よりもはるかに早く、気がついて然るべきであるに……?」
大神様は首を傾がれた。
ちょっと呆けておる所はあるが、女に惚けてもおるが、それでも〝あの鬼女〟を見逃すのはおかしい。
おおらかとか天然では済まされぬ次元だ。
……もしや真に限界か……
大神様は唸るように呟かられた。
鹿静はずっと、あれからずっと公園で時を過ごした。
大神様のお言葉が繰り返される、幾度も幾度も繰り返される。
そして幾度となく涙を誘う。
……大神様ならお許しくださる……
あの少し変わりものだが、神々を圧倒する大いなるお力を持つ大神に、ご誕生の砌よりお仕えして来た。
恩情は他神よりも深くお持ちのお方だ。
……あのお方ならば、確かにお許しくださる……
だが、大神は厳格な神だ。
かの昔余りの厳格さに神々様より疎まれ、幽閉の憂き目にあわれた事がある大神だ。
そのお怒りは未だにお持ちだ。
……先代の遺恨が残る限り、お許しにはならない……
鹿静は同じ事を、幾度も幾度も繰り返して考えている。
……いっそ鈴音を連れて逃げようか……
考えたところで、無駄なのは知っている。
神使である鹿静は、大神様から逃れる事はできない。
神から逃れられるものなど、いるはずもない。
鹿静は重い足取りで、都内の高級マンションへ向かった。
「お帰りなさい」
ドアを開けると、何も知らない鈴音が、嬉しそうに出迎えてくれた。
そのあどけない表情に、涙が込み上げてくる。
「食事はして来たよ」
鹿静は嘘をついた。
元々食べなくても平気にできている、しかし今日はそれどころではなかった。
「話しがあるんだ」
「なに?」
益々綺麗になった鈴音を、鹿静は愛おしげに見やった。
「話しがあるんだ」
鹿静は再びそう言うと、座っているソファの隣を叩いて、美しい妻を座る様に促した。
鈴音は、素直に鹿静の隣に腰を下ろして、上目遣いに鹿静を見つめた。
「俺たち別れよう」
「え?」
「もしこのまま一緒にいたら、君は生きられない」
「何言ってんの?」
「知っている通り俺は神使だ」
「そんなのわかってるよ。大神様にも海神様にも会ってるし……」
「神様方は、穏和なご性格ではないんだ」
「罰を当てるみたいな?」
鈴音は少しおちゃらけて見せた。
鹿静の言葉を鵜呑みにしていない、訳ではない。だから不安で仕方ない。
「鈴音、落ち着いてしっかり聞いてくれ」
鹿静は一瞬間を置いた。
もはや腹を括っている。
ひたすら只ひたすら、別れずに済む方法を考え続けた。
言い訳、理屈、屁理屈を辿った所で、絶対に確実に確かに神を欺く事はできないし、逃れる事は不可能だ。
どんなに繰り言を言おうと、鈴音を生かすには、大神様の目の届く所に居させてはならない。
大神様の目に触れてはならないのだ。
だから正直に全てを話し、鈴音の記憶から全てを消しやる。
鹿静の全てを、関わる全てを、みこととの縁を……。
「お前には先祖の鬼女の〝気〟が、まだ少し残っている」
「鬼女?一体いつの時代の事よ」
鈴音が鹿静を一目で魅了した、つぶらな瞳を向ける。
愛してならないその瞳がキラキラと潤んでいて、吸い込まれそうに綺麗だ。
鹿静はそれを、決して忘れる事ができぬ程に見入った。




