青孤の嫁取り16
「青孤よ青孤」
土猪は物静かに、青孤を見て声をかけた。
青孤は一筋の涙を溢しかけて、土猪へ顔を向けた。
「其方の嫁は真に稀有なる女子……。いや人間であるな……」
茫然自失で、噛み締めるように言う。
その姿を青孤は、ゆっくりと身を持ち上げながら見つめた、その顔には一筋の涙が溢れ落ちた。
「青孤。遅いではないか、待ちくたびれてしまったぞ」
熊女は屈託のない笑顔を向けて言った。
「なんで?」
青孤な呆然と問いかける。
「綺麗な泉を覗き込んだら落ちてしまった。私は奥の川とかで泳いでおるから、泳ぎは得意なんだが、物凄い水流で吸い込まれてしまった。しかしだ、彼処の泉は凄いな。もがき苦しんでおると、ポンと……実にポンと私だけが行ける池に吐き出してくれた。あれが吐き出してくれなんだら息絶えていたが……」
熊女は青孤と土猪の気持ちなど分かろうはずもなく、カラカラと笑って言った。
「怪我は……怪我はしなんだのか?」
青孤は静かに歩み寄りながら言った。
「多少の怪我はした。なんせ物凄い水流だし、物凄い勢いで吐き出されたのだから……」
熊女が真剣に言っているが、青孤は全てを聞かずに熊女を抱き寄せた。
「もう駄目だと観念する所であった」
「いや……彼処の泉でなくとは……」
熊女が先を言おうとするのを、青孤は芳しい唇で押し止めた。
土猪は再び天を仰いで、後ろを向いた。
熊女は確かに少し打ち身切傷が残り、身体に痛みが残るものの、大した事もなく今生に吐き出されたようだ。
驚くべき身体としか言いようがない。
神使で尚且つ体格的に頑丈な土猪ですら、水流に呑まれれば、かなりのダメージを受けるとされているのに。
土猪は只々関心しきりである。
「私が悪かったのだ。良家の娘達があのような事を……」
「あのお嬢様方が、何かしたのかい?」
熊女は、吃驚するように言った。
「あのもの達に、落とされたのであろう?」
土猪がすかさず言った。
「はて?そんな事はないと思うが?確かにお嬢様の一人に促されて覗き込んだが、覗き込んだのは私の意思だし……足元が滑って落ちたようだっだが……。しかしあの泉は本当に凄い。クルクルと水流に呑まれたのだが、ポンと……ポンと吐き出してくれたのだ。それも私だけしか行かれぬ、ほれ例の池だ。青孤に塗った薬草が自生する……なんとありがたい。吐き出してくれねば息絶えておった」
熊女は〝落ちた〟事よりも〝こちら〟の方に関心が強い。
「熊女。あの泉は唯一其方達の住まう今生とを繋ぐ泉だ。覗けば思う所を見る事ができる、しかしながら人間が落ちれば水流に呑まれて吐き出されるのだ」
「……そうなのか?私が人間でよかった」
「そうではない。神使ならば、水流は呑み込む様な事にはならん。彼処は我らと縁を結んだ人間が、唯一縁を断ち切れる場所なのだ。故に大概の者は粉々となって吐き出される」
「へぇー」
熊女は傷跡の残る鼻頭を、掻く様に言った。
「故に彼処に行っても、二度と泉に入ってはならん」
「……青孤との縁を、断ち切る事となるのだ」
土猪が熊女に、言い聞かせる様に言った。
「ああ、分かった。二度と泉の中には入らない」
熊女は素直に頷いた。
「そうだ。今度行く時に山の花の木を、持って行っても良いだろうか?」
「此処の花の木か?」
「うん。彼処は花々で彩られとても綺麗だったが、何故か梅の木が無かった。私は雪が降っても健気に蕾をつける、梅の花が好きなのだ。梅の花は何種類かあって、香りもとてもいいし実は美味い」
「別段構わぬだろうが……。やはり如何に屈強といえども、熊女は女子であるのだなぁ。我らは花々の事などとんと気にも致さぬが」
「確かに……」
青孤は優しい笑顔を向けて頷いた。
熊女の件は、大神様の知る所となり、大きな問題となっていたが、なんせ当の熊女が元気なので、大きな罪を問われる事もなく事が収まった。
というか、大神様が関与したお陰で酷い目に遭わずに済んだ、というのは一族誰でも確信している事だ。
金孤よりもはるかに、白狐の方が恐れられている。




