十条さんと付き合ったらマグロ漁船
「一屋君、す……好きです!私と付き合ってください!」
「…………は?」
今何て言いました十条さん?
俺の耳がブッ壊れてなければ、『す……好きです!私と付き合ってください!』って言ったように聞こえたんだけど?
……いやいや、まさかね。
容姿、成績、運動神経、全てにおいて100点満点中35点の俺が、容姿、成績、運動神経、全てにおいて100点満点中500点の十条さんに告白されるなんて、絶対に有り得ないことだからな。
体育教師が毎朝シアトル系コーヒーを飲んでるくらい有り得ないことだからな(それは別にええやろ)。
ハハーン、わかったぞ。
これはあれだな、ドッキリだな。
おかしいと思ったんだよね。
下駄箱に匿名で『放課後大事な話があるので体育館裏に来てください』って、綺麗な字で書かれた手紙が入ってたから、念のため来てみたら十条さんがいるんだもん。
そんでいきなり告白だもんな。
大方あの木の裏とかに『ドッキリ大成功!』って書かれたフリップを持ってるやつがいて、「テッテレー!」って言いながら登場する手筈なんだろ?
その手にはノらないぜ!
その手には、NO・RA・NA・I・ZE!(どうした?)
「……」
「……」
「…………」
「…………」
……あれ?
テッテレー来ないな?
トイレにでも行ってるのかな?
「……一屋君」
「え!?な、何かな、十条さん」
「……返事を聞かせてもらえませんか」
「へ、返事!?」
十条さんは眼に薄っすらと涙を浮かべ、耳まで真っ赤にしながら上目遣いで俺を見つめていた。
……この雰囲気、マジなのか。
マジであの十条さんが、俺なんかのことを……。
「……一つだけ聞いてもいいかな?」
「っ!は、はい!私に答えられることでしたら、何でも聞いてください!」
「……十条さんは、俺なんかのどこが好きなの?」
「そっ!……それは」
十条さんは俯き加減で、もじもじしながら口を開いた。
「……一屋君この間、現代社会の授業で、『コングロマリット』のことを、『コングラチュレーション』って言い間違えてたじゃないですか」
「え」
な、何故ここでそんな、直近の黒歴史をほじくり返すの?
「……あれがとっても、可愛くて」
「…………は?」
可愛くて??
カッコ悪くてじゃなくて???
「『コングロマリット』を……『コングラチュレーション』って……。フフフ、授業中に急にお祝いしちゃったと思ったら、心の中がポワッて暖かくなったんです。――あの瞬間、私は恋に堕ちました」
十条さんは顔を上げて、真っ直ぐ俺の眼を見つめながら、ハッキリとそう言った。
その眼を見た瞬間、俺の心臓がドクンと大きく跳ねた。
……十条さん。
理由はアレだけど、十条さんは本気で俺のことを……。
くっ!でもダメだ!
もしも俺が十条さんと付き合ったら、俺は――。
「……ゴメン、十条さん。俺は十条さんとは付き合えないよ」
「……え」
……そう、我が校の男子生徒には、十条さんとは付き合えない確固たる理由があるのだ。
我が校にとっての十条さんは、アイドルなんて生易しいものではなく、最早信仰の対象と言っても差し支えない存在なのだ。
中でも十条さん非公認のファンクラブ、『十字軍』の狂信ぶりは筆舌に尽くし難いものがあり、十条さんに手を出そうとした男子生徒は、漏れなく借金漬けにされた上で、マグロ漁船に放り投げられるという噂が、まことしやかに囁かれている。
一介の高校生がどうやってそんなことをしてるんだよとツッコミたくなる気持ちは十二分にわかるが、事実何人も行方不明者が出ているので全然笑えない。
いつしか我が校では、十条さんは誰も触れてはならない、まさに聖域そのものになっていったのだった。
――だというのに!
恐らく裏でそんなことになっているなど、露程も思っていない十条さんは、今日こうして、俺に真正面から告白してくれたという訳だ。
そりゃできることなら俺だって十条さんと付き合いたいよ!
俺みたいな男がこんな超絶美少女と付き合えるなんて、この機を逃せば一生ないだろうからね!
……でも、マグロ漁船は……マグロ漁船だけはイヤだ……。
俺は心の中だけで血の涙を流しながら、断腸の思いで十条さんの告白を断ったのだった。
「……そうですか、わかりました」
十条さんは思いの外落ち着いた声でそう答えた。
わかってくれましたか。
十条さんなら俺なんかにこだわらずとも、他にいくらでもイイ男と付き合えるだろうから、さっさと俺なんかのことは忘れてください……(まあ、その付き合った男も、海の藻屑と消えるのかもしれないけど)。
「私に女としての魅力がないから、付き合えないと仰るんですね?」
「…………ん?」
今、何て?
「――いいでしょう。そういうことでしたら、私も一屋君に相応しい彼女になれるように、今日から全力で女を磨きます!」
「十条さん!?」
「そしていつか必ず、一屋君を振り向かせてみせますから、覚悟しておいてくださいね!」
「ちょ、ちょっと、十条さんてば!?」
さっきから何言ってるの!?
君はそれ以上女を磨かなくても、十分ステータスカンストしてるから!
「それでは一屋君、ごきげんよう!」
「ま、待ってよ十条さん!十条さあああんッ!!」
……行ってしまった。
これは厄介なことになったぞ。
あまりの出来事に俺は暫しその場で放心状態になっていたらしい。
ふと我に返った時には日も傾きかけていた。
……帰るか。
俺は校門から出ると校舎の壁沿いに、トボトボと独り家路を歩いた。
――すると。
「一屋君」
「っ!?」
どこからともなく十条さんが俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
「十条さん!?」
だが辺りを見回しても、どこにも十条さんの姿は見えない。
……幻聴だったのか?
「一屋君、ここですよ。ここ、ここ」
「っ!十条さん!」
何と十条さんは、忍者みたいに校舎の壁に保護色の布で隠れており、その布をめくって俺の前に颯爽と現れたのだった。
ぬあっ!?
「えへへー、ビックリしましたか?」
「う、うん……そりゃあね」
もしかしてここで俺が通りかかるのをずっと待ってたのかな?
……俺を好きになったキッカケといい、十条さんは意外と天然なのだろうか。
「……俺に何か用かい?」
「はい。……ねえ一屋君、今って、お腹空いてませんか?」
「え、お腹?ま、まあ、空いてるっちゃ空いてるけど」
俺も育ち盛りの男子高校生だからね。
「よかった!私、お弁当作ってきたんです。是非これ、食べてください!」
「えっ!?」
十条さんは俺の前に豪奢な重箱を差し出してその蓋を開けた。
すると中には鯛のかぶと焼きや大根の味噌田楽、栗の渋皮煮などといった、料亭の懐石料理のようなラインナップが所狭しと並んでいた。
何だこりゃ!?
とても女子高生が作れるクオリティじゃないだろ!?
「こ、これ、十条さんが作ってくれたの……?」
「はい!あの後急いで帰って、急いで作って、急いで持ってきました!」
「あ、そう……」
そんなに急いでくれたんだ……。
でも、俺と別れてから、まだ精々一時間くらいしか経ってないよね?
それなのにこれだけのものを作れるなんて、やっぱり十条さんは天才なんだな。
「凄いね十条さんは。料理も得意だったんだね」
「いいえ、実は今日、生まれて初めて料理をしました」
「はえ!?」
今、何と!?
「だから最初は上手くいかなかったんですけど、一屋君に美味しいって言ってもらいたいって思ったら、自然と力が湧いてきて、何とか間に合いました!」
「そ、そんな」
バカな。
いくら何でも、それはにわかには信じられない。
だが、ふと十条さんの白魚の様な指を見ると、そこには無数の絆創膏が痛々しく巻かれていたのだった。
十条さん……!
まさか本当に、俺なんかのためにこの短時間で料理を猛勉強してくれたのかい……!?
……おお、ゴッドよ。
このような天使をこの世に顕現させてくださったこと、心から感謝いたします。
「……じゃあ、せっかくなんでありがたくいただきます」
「はい!召し上がれ!」
ズズン
っ!
その時だった。
地響きを立てながら、校門から一人の男子生徒が出てきた。
あれは!?
十字軍の壊し屋の異名を持つ、三年の最蔵先輩!?
身長2メートル50センチ、体重150キロの超巨漢で、常に長い前髪で右眼だけを隠しているので、付いたあだ名が『サイクロプス』!
ヤバいヤバいヤバいヤバい!
サイクロプス先輩にこんな現場を見られたら、俺は明日朝一の便でマグロ漁船行きだ!
「十条さん!」
「えっ、一屋君!?」
俺は咄嗟に、校舎の壁と自分の身体で十条さんを挟み、十条さんをサイクロプス先輩から隠した。
「い、一屋君……」
「え?……アッ!」
結果、俺と十条さんは、鼻と鼻がくっついてしまいそうな程、密着してしまったのだった。
「あ、あああああッ!!ゴゴゴゴゴゴメン十条さん!!今のはワザとじゃないんだ!!」
俺は慌てて十条さんから脱兎の如く離れた。
「ううん……いいんです。一屋君の気持ちは、よくわかりましたから……」
「は?」
「結納はいつにしますか?」
「いつにもしないよッ!?」
何てポジティブなんだ君は!?
そもそもまだ、付き合ってもいないでしょ俺達は!
「――あっ!何てことでしょう!」
「今度は何だい!?」
もう何が出ても驚かないよ俺は!
「あんなところに、人里に下りてきたクマがいます!」
「人里に下りてきたクマ!?!?」
ここは千葉県の地方都市だよ十条さん!
こんな街中にクマがいる訳ないでしょ!
「クマー!!」
「ホントにいたー!?!?」
振り返ると少し離れたところに、本当にクマがいた。
クマって「クマー!!」って鳴くんだ!?
てっきりアスキーアートの中だけの設定だと思ってたよ!
「クマー!!」
「うわあああっ!?」
クマが二足歩行で、こちらに走ってきた。
怖ええええええ!!!
「うがあ!」
「クマー!?」
ガシッ
なっ!?
その時だった。
突如サイクロプス先輩が俺達の間に割って入り、クマにがっぷり四つで組み合った。
サ、サイクロプス先輩ー!!
普段は恐ろしい人だけど、こういう時は何て頼りになるんだ!
しかもちょうど十条さんは俺の陰になっていて、サイクロプス先輩からは見えていない。
俺にとっては理想的なシチュエーション!
そのままそのクマをやっつけてください、サイクロプス先輩!
――が。
「クマー!!」
「うがあ!?」
ドシンッ
っ!?
クマはサイクロプス先輩を、一本背負いで地面に叩きつけたのだった。
ぬえええええ!?
クマって一本背負いできるの!?
これ絶対中に人間入ってるだろ!?
「クマー!!」
「くっ!」
間髪入れずにクマは二足歩行のまま俺達に襲い掛かってきた。
今度こそ危ない!!
――でも、十条さんの命だけは。
「十条さん、逃げてッ!!」
「一屋君!?」
俺は両手を広げて十条さんの前に立ち、クマに向き合った。
俺なんかの命はどうなってもいい。
でもせめて、十条さんだけは守るんだ!
「クマー!!」
クマの丸太の様な前脚が俺に振り下ろされた。
……嗚呼、終わった。
思えば短い人生だった。
こんなことなら、勇気を出して十条さんの告白を受けていればよかったな……。
眼を閉じると、俺の中に次々と走馬燈が浮かび上がってきた。
ズドンッ
……ん?
ズドンッ?
何の音?
俺は恐る恐る眼を開いた。
すると――。
「ク……クマ……」
「お怪我はありませんか、一屋君?」
「なっ、十条さん!?」
十条さんの掌底が、クマの土手っ腹に深々とめり込んでいた。
「ク……マァ……」
口から泡を吹きながら、クマはその場に崩れ落ちた。
「……十条さん、君はいったい」
「これははしたないところをお見せしてしまいました。実は幼い頃から、将来愛を捧げる殿方のことをこの手でお守りできるように、柔道、空手、ボクシング、カポエラ、コマンドサンボ等、種々の格闘技を修得してきたのです」
「はあ」
十条さんのスペックがとどまることを知らない。
これは将来十条さんと結婚する男は、いろんな意味で大変だぞ……。
あっ!
マズい!
クマから助けてもらったのはありがたいけど、この現場をサイクロプス先輩に見られたら、また俺の就職先が勝手に決まってしまう!
「ん?」
と、思ったら、サイクロプス先輩は餌と間違えられたのか、無数の蟻達に巣に運ばれていくところだった。
「うがあー」
サ、サイクロプス先輩ー!!
……連れていかれてしまった。
ま、まあ、あの人ならきっと大丈夫だろう。
何にせよ、結果的にはサイクロプス先輩にバレずに済んでよかった。
「さあ一屋君、これで邪魔者はいなくなりました。今度こそ私のお弁当を食べてください」
「あ、うん」
クマはまだしも、サラッとサイクロプス先輩も邪魔者呼ばわりしている辺り、十条さんも何気にイイ性格をしているのかもしれない。
……ん?
待てよ。
さっきから何かおかしくないか?
クマが人里に下りてきたり、サイクロプス先輩が蟻に運ばれたり。
何より俺なんかが十条さんから告白されるってのが、非現実的にも程がある。
――もしかしてこれは全部。
「一屋君?どうしたんですか?」
「……十条さん」
「一屋君……一屋君……」
十条さんが俺を呼ぶ声が、次第に遠くなっていった。
そして俺は、意識が浮き上がっていくのを感じた。
「ハッ」
気が付くと俺は家のソファで寝ていた。
……夢か。
今のは全部……夢だったのか。
「どうしたんですか、あなた?」
そんな俺の顔を、妻が覗き込んできた。
「あ、ああ、何でもないよ」
俺は上半身だけを起こして妻の顔を見つめ返した。
今日もモナリザも裸足で逃げ出すくらい、俺の妻は美しい。
そうか、そういえば妻にソファで膝枕してもらってたんだったな。
あまりに心地良かったから、ついうたた寝してしまっていたらしい。
「何か良い夢でも見てらしたんですか?」
妻は天使の様に微笑みながら聞いてきた。
「……うん。君に初めて告白された時の夢を見たよ」
「まあ、それは随分と懐かしい夢ですね」
「クマー!!」
「お、もう餌の時間か。待ってろよ、今持ってきてやるから」
俺はあの日以来ペットとして飼っているクマにやるために、冷蔵庫の中から鮭を一匹取り出した。
おわり