第五話 二つの危機
「おうおう! うちの大事な一人娘に何してくれてるんだこの野郎!」
やべぇ、めっちゃ切れてるよって、そりゃそうか。家に帰ってきてみたら幼い娘が見知らぬ男に押し倒されているようにしか見えないのだから。
ただの誤解だけど、回答を誤ったら即異世界転生転生になってしまう場面。
…………笑えねぇ。
今俺は、俺の命運がかかったユイリちゃんのお母様が持つ金槌から目をそらせずにいた。
あんなの食らったら、即死だわ……ゴクリっ。
ってこんな状況でツバを飲み込むな俺! 違った意味に受け取られたらどうするんだ!
「お、落ち着いてください! そうは見えないかも知れませんがこれは誤解なんです! ね、ユイリちゃん? 君からも説明してあげて」
「ほぅ……ユイリ、本当か?」
意外と話の通じる人みたいでよかった。これならどうにか再転生せずにすむのでは?
「うん、わかった! ユイリね、お兄ちゃんにすっごいことしてもらったの。お母さんにだって出来ないすっごいことだよ!」
ユイリちゃぁぁぁーん? 包丁を研いであげたことは今はいいでしょ?
その言い方じゃ新たな誤解しか生まないよ? 俺はこのToLOVEる的な誤解を解いて欲しいのぉぉ!
「私にも出来ないすっごいことね………………貴様殺す!!」
「いやぁぁぁぁ」
男にあるまじき情けない声を上げ、俺はユイリちゃんから離れるためテーブルに上って反対側へジャンプした。もちろんユイリちゃんの料理は踏まなかったぞ。
と、そんな冷静なことを言っている場合ではない。
「オラァァァー死ねや!」
ユイリちゃんのお母様がとんでもない跳躍力でテーブルを飛び越え、そのままジャンピングスラッシュをかまして来た。
それをすんでのところでよける。
金槌が叩きつけられた台所周辺のタイルは衝撃で吹き飛び、床が見事に凹んだ。あんなの食らったら間違いなく即死。今のは運よく避けられただけだから、次はない。
くっそ、戦闘スキルにいくらか振っておけばこの迫り来る死の危機も難なく回避できたはず。キャラメイク時、酔っ払っていた自分が憎い。といったところでこんな異世界転生からの即死危機展開なんか想像できるわけないか。
「おう、次は避けんなよ? 家中の物がぶっ壊れちまうからな」
俺がぶっ壊れるのはいいのですね。
「本当に落ち着いてください! 流石にこの年齢でユイリちゃんのような幼い子に欲情するなんてありえませんから」
「あーん? それはうちのユイリがかわいくないって事か?」
「いえ、とってもかわいいと思いますよ」
何素直に答えてるんだよ俺はぁぁぁ。
「やっぱりしねぇぇぇぇ」
もうここまで来てしまったら話が通じるとは思えない。頼みの綱のユイリちゃんはなんか知らないけど楽しそうにニコニコしているだけで助けてくれそうにない。もうこれは自力で何とかするしかないぞ。
考えろ、考えるんだ。
『あったま来たぜぇ』と怒りゲージmax状態の相手を正常に戻す一手はないか?
そうだ!
インパクトがあって突拍子のないことをして呆気に取ってしまえばいい。
泣いた赤ん坊よりも大きな声を出して泣き止ますあの感じだ。
うまくいけば相手も冷静に考える時間が生まれ、怒りを鎮めてくれるはず。考える時間が六秒あれば怒りも収まっていくとどこかで読んだことあるし。
我ながら名案では?
「ユイリちゃんのお母さん!」
「あん!?」
「黙っていてすいませんでした! 実は俺たち付き合っているんです!!」
「はぁぁぁ?????」
今年30歳になるおっさんが突然のロリコン宣言。
命を繋ぐための嘘とはいえやばすぎる。
同窓会のみんなに聞かれたらもう地元にいられない。まぁその心配はないのだけど。
それはともかく。
俺の決死の大芝居にユイリちゃんのお母様は、怒りゲージが振り切れすぎたのか、はたまた狙い通り呆気に取られたのかどっちかはわからないが、とにかく攻撃の手が止んだ。
「……こいつが言っていることは本当なのか、ユイリ」
頼む! 俺の命を救ってくれ、ユイリちゃん!
顔を真っ赤にしているユイリちゃんに向かって、俺は何度も目線で合図を送る。ユイリちゃんのお母様の怒りが一旦収まれば懇切丁寧に事情を説明し、誤解を解く自信があるからだ。
「うん……実はね。ユイリ、お兄ちゃんと結婚の約束をしてたの」
ユイリちゃん俺、そこまで言ってないから!
恋に恋するお年頃こええぇぇ。
「そうか……私の知らないうちにユイリも大人になっていたんだな」
そういい終えるとユイリちゃんのお母様はキっと俺をにらみつける。鬼気迫った眼力に俺は反射的に背筋を伸ばしていた。
「お前、名前は? 私はサーニャ。『サーニャ・マクシミリアン』だ」
「お、俺はカグツチアキラです」
「アキラ、お前年齢は?」
「15? ですけど」
中身は今年で30になるおっさんですとはいえるわけがない。今はカグツチアキラ、それでいい。事情を説明したところでまた怒りを再燃させてしまうだけだ。
「家族構成は?」
「両親と兄が一人」
「次男か、よし。じゃあ、特技は? 何も出来ないやつにユイリはやれねーぞ?」
特技、特技ってゲームくらいしかないけど、そんな事言ってもこの世界の人間に通じるわけないし……って! あるじゃん! 鍛冶スキルが999も。
「鍛冶の技術には自信があります!」
「それは『どっち』のかじだ? 炊事や洗濯のことか? それとも武具を作るほうか?」
「武具を作るほうです!」
えーい、もう、なるようになれだ。ここで機嫌を損ねて撲殺されたら意味がない。
ひとまず流れに身を任せ、話し合いの場を設ける事に専念しよう。
当のユイリちゃん自身が俺との間にそんなことはなかったと知っているのだから、挽回と弁解はすぐにできる。間違いない。
「おし、それなら許してやる。私もそこまで聞き分けの悪い女じゃないからな」
ふぅー。
場に漂っていた殺気がその一言で完全に消え、思わず安堵の息が漏れた。
「わかってもらえたようでよかったで――」
「――だがな。結婚はまだ早い。ユイリはまだ九歳だ。それにお前の仕事っぷりも見てねぇ。私が認めるまではこの話は保留だ。ユイリを嫁にしたいなら私の期待に応えてみろよ? いいな?」
いえ、保留のままでいいです。
「よかったね、お兄ちゃん」
いつのまにかユイリちゃんが俺の傍にやってきていて、ぴったりと体を寄せてきていた。
大体こうなってしまったのは99%くらいカミシマが悪いのだが、残り1%くらいはユイリちゃんも悪い。もっとしっかり擁護してくれればこんなややこしいことにはなっていないだろうし。
でも、まぁ。
俺の気持ちはともかく、ユイリちゃんなんだかうれしそう。結婚云々はいきすぎだが、単純にお兄ちゃんポジが出来た事が重要なのだろう。
本質を理解しきれていない事柄でも子供が喜んでいるならそれを否定したり、拒絶するのは野暮ってものだ。子供はびっくりするくらい飽きやすいところがあるし、次の『好き』の対象が生まれるまでそう時間もかからないだろう。だから俺はユイリちゃんが飽きるまではこの嘘に付き合うことにした。
「そうだね、ユイリちゃん」
そう言って俺はユイリちゃんの頭を優しく撫でたのだった。
『マクシミリアン工房』に変な感じの空気が生まれる中、それをかき消すかのように店のドアを乱暴に叩く音が響き渡った。
俺が来た際にユイリちゃんが店を閉めたはず。閉店しているのにこの緊急を要するような打撃音にいやな予感がした。この予感は間違っていない気がする。
「サーニャ大変だ! 街に、街に魔物の群れが近づいてきているぞ!」