異世界は、ごはんがおいしい!
聳える山の頂上近く、恐ろしく深い谷に、ひっそりと巣を作る鳥がいる。その鳥は気性が荒く、さらに卵を暖めているときは猛獣さえ近づかないほど。しかしその卵の味は至高と言ってよく、破産してでも食べて損がないと言われる──。
そんな卵を前にして、瑞穂はひょいと二つ、三つも鞄に入れた。大きな卵で、赤ん坊くらいはありそうな斑模様。背負った鞄の中でぶつかる音がしたが、鞄には藁を詰めてあるし、殻は分厚いのでそうそう割れることもなさそうだ。
ずっしり重いそれを感じながら、瑞穂は立ち上がって周囲を見た。
谷は深く、突き出した岩場に乗った巣の周りは狭い。一歩踏み外したら軽く二百メートルは滑り落ちるだろう。上を見ても崖、空は岩壁に遮られてずいぶん窮屈そうだ。地上まで軽く三十メートルはありそうだったが、もちろん岩壁に道はない。
親鳥が帰ってくるまで、もうそれほど時間の余裕はない。
瑞穂の外見はまだ二十に手が届かない少女といったふうで、この崖を降りてきたどころか険しい山を登ってきたことさえ信じられない。身軽な格好はしているけれど、親鳥が現れるまでに崖を上りきるのはとうてい不可能なように思えた。
しかし。
つま先をとんと地面に一度跳ねさせ、瑞穂は鞄のひもを握った。それから上を見上げ、ずり落ちそうになった帽子を押さえる。遠くの緑に目を細め、足を肩幅に開くとほんの少し膝を曲げ──勢いよく飛び上がった!
動作は軽い跳躍のそれにしか見えなかった。というのに、踏み込んだ地面はしっかりへこみ、彼女の身体はまっすぐ空へ向かう。岩の割れ目を軽々と抜け、さらに高さを余分にとって、雲に頬を掠めた。
「うわ」
冷たい風を感じながら、飛びすぎてしまったことに眉を寄せ、さらに正面遠くに見えたものに顔をしかめた。まだ距離は遠いものの、間違いなくこの卵の親と目が合った。
落下の風に前髪を煽られながら、帽子を押さえる。鳥のくせに目が良い、明らかに速度を上げて空気を突き刺し向かってきている。
ちょっとしたハイキングくらいの格好しかしていない今、巨鳥とはさすがに戦いたくない。
「よっと」
階段を一、二段飛ばしたような軽さで数十メートルから着地をし、瑞穂はそのまま跳ねるように地を蹴った。その一歩は豹より速い。ぐんぐんと森に分け入り、低木を飛び越える。山登りに慣れた人間でも数日かかる道のりを、図書館で本を読んでいるほうが似合いそうな色白の少女が一足飛びに駆け抜ける。乱立する木々、転がる石、草も蔓もあるというのに平地を走るような姿を、獰猛な動物さえぽかんと見送った。
鳥もとっくに瑞穂の姿を見失っている。どころか、始めから追えていなかった。それでも脇目を振らず、まっすぐまっすぐ山を降り、あっという間にふもとについた。
ここからは、あまり速いと人目を引く。瑞穂は立ち止まって、周囲を見渡した。ひと気はないけれど、遠くに民家があるので見られないとも限らない。落ち着いて、ゆっくり、そうすれば何も目立たない。
代わりに卵のことを考える。ひとつは依頼品、残りふたつは瑞穂のもの。ふたつ、どうやって食べようか。
「丸のままゆでたまごにしたら贅沢かな」
とこ、とこ、とこ。ふふふふん、と陽気な顔。
「チーズオムレツは絶対食べたいよね」
とことこ。
「ああっ、親子丼……となると良い鶏もほしい、けど、さすがにそれはカロリーオーバー? 卵二個だし、鶏も入れたら一週間の断食じゃ済まないかな。二週間? うええ、そんなに我慢できない!」
とっとっとっ。
「だったら、そうだ、プリン! プリン食べたいなあ」
とととと。
「カルボナーラもいいよねえ、本格的なのじゃなくて、日本のクリーミーなやつ!」
たたたたた。
「ああーおなかすいてきた! 四日ぶりのごはーん!」
たったったったった。
本人は一切気づかないまま、瑞穂の足はどんどん軽快になってゆく。浮かれた少女がスキップした姿、背景は恐るべき速度で過ぎ去っていった。
さて、ここで瑞穂のことを少し語っておこう。
彼女の本名は大和瑞穂。なんの変哲もない日本の女子高生だった。
それが、異世界召還なんてことをされ、特別な存在になり、ただ居るだけで役目を果たし終え──帰れなかった。詳しいことはまた別の機会に語るとして、瑞穂はその後、一度ものすごく太った。
今でこそ良く居る細身の少女だが、役目を終えた直後に今まで通り捧げられるおいしいものをパクパク食べていたら、どんどんどんどん太っていったのだ。おそらく体重計に乗ったら三桁の数字を示しただろう。
というのも、この世界の食事には独自の栄養素があったのである。その名は「魔素」。この世界の人間なら、生きてるだけで消費するもの。呼吸するだけで発散するもの。
実は瑞穂がこの世界に呼ばれたのも、その魔素を溜めて神の元に送る役目を与えられてのことだった。異世界の人間は、普通に暮らしているだけでは殆ど魔素を消費しない。したがって、役目を終えて神の元に送られなくなった魔素はすべて瑞穂の体内に留まり。
信じられないほど、急激に太っていったのだ。
そこからまたいろいろあって、「おいしいものは魔素が多い」「運動をすれば異世界人でも魔素を消費する」とわかり、味のしないものを食べながら運動に励んだ。
が、瑞穂は食べるのが好きだった。大好きだった。バイト代を食べ歩きに費やし、テレビで紹介された店はメモを取り、閲覧履歴にお取り寄せサイトが並ぶほど。
まして、この世界はごはんがおいしい。異世界と言えばごはんがまずいというのが定説だが、おいしいのだ。すべて高級な味がするわけではなく、たまにどうしても「袋のインスタント麺が食べたい!」とか「カップ焼きそば食べたい!」とか「ぷるぷる震えるプリンが食べたい!」とか言い出すような庶民舌・瑞穂の要求もだいたい満たされる天国のような異世界である。
そんな環境で、瑞穂がまずい食事を我慢し続けられるわけがない。
最近は病院食でさえおいしくなってきてるというのに、健康な瑞穂が来る日も来る日も味気ない食事。イヤになった瑞穂はキレて、好きでもなかった運動を始めた。軽食であっても、毎日三食食べると数十キロのマラソンが必要だった。その過程で運動能力が異常に発達していたことがわかったものの、すぐにそれでも我慢できなくなった。軽食じゃ足りない。どうしても、おいしいものを満足するまで食べたかったのだ。
再度キレた瑞穂は、とにかくおいしいものを、数日おきに、異常な運動量とともに食べることを決めた。これも異世界トリップ特典か、それとも体内に魔素があるからかは不明だが、数日くらい食べなくても餓えることはなかったし、一度の食事で急激に太ることもなかった。
どうせ役目も終わっていたし、激太りした瑞穂は周囲に遠巻きにされていて自由だったから、けっこう好きに動くことができた。そして、召還された神殿を出て、捧げもの以上においしいものを探しに行くことにした。
これが、二年前の話である。
二年の間で瑞穂は「美食狩り」などと呼ばれるようになった。冒険者というものに登録して、珍しい食材を採取する仕事ばかり受けている。異常な身体能力をもって依頼を受けて評判になっているが、元の場所から出てすぐ国をいくつか跨いだから、あの頃近くにいた人々が知っているのか知らない。どうせ外見が変わっただけで離れていった人々、瑞穂にはもうどうでもいい。
たどり着いたこの国は、瑞穂にとって良い環境だった。
食材の流通が多く、調味料も豊富。険しい未開拓の大地が広がり、そこには数多く高級食材が生息している。そして小さいながら馴染みの食堂があって、伝説級の食材を持ち込んでも余計な詮索をせず「腕が鳴る」とおいしい料理を作ってくれる。気楽で、ごはんがおいしい。それだけでもう瑞穂は満足することにしていた。
たったかたったか、車を追い越す軽快な足取りになっていたことにようやく気付いて、瑞穂は立ち止まった。たぶん人目にはついていないけれど、卵料理に浮かれすぎた。ひとり照れ笑いで反省して、少し考える。現在地は、冒険者組合の派出所より食堂が近い。期限はまだだし、気温は低いし、すぐに傷むものでもない。
そこまで考えて、にっこり笑う。先に、腹ごしらえしちゃおう。
決めてしまったら後は早い。瑞穂はあっという間に山を越え、ついでに手みやげがてら少し珍しい香草や木の実を採集し。彼女の前ではどんな道のりも障害にならなかった。
そうして到着したのは、集落から離れた山のふもとの小さな食堂。手製らしきかわいい看板には「食堂 キツツキ亭」と書かれていた。
町から町の通り道にあるのでいつも閑古鳥が鳴いているわけではないが、繁盛しているとも言い難い。人が多くては瑞穂の持ち込み食材が噂になってしまうので、「もっとお客さん来ればいいのに」なんてことは冗談でも言えないが、経営が成り立っているのか密かに心配していた。
キツツキ亭の扉は深いブラウンで、開けたときに鳴るドアベルを瑞穂は好んでいた。
今日もいつも通り、カランカラン、まろい金属の音。そしてカウンターの中に立つ熊男がまず目に入る──はずだったが、熊のような店主もその妻も、今日はカウンターを飛び出していた。
瑞穂は首を傾げて、二人が立つ中央のテーブルを見る。どうやら二人は、机に突っ伏す何者かにしきりに話しかけているようだ。
店主の巨躯の向こうには、赤い髪が見える。ドアベルがはっきり音を立てたというのに気付かれなかったので、瑞穂はためらいがちに声をかけた。
「こ、こんに」
「ミズホちゃん!」
「いいところに来た!」
「ち、はー?」
瑞穂がこの店に通うようになって、こんなに歓迎されたのは初めてだった。
「……なにごと?」
質問の返答より先に、店主のダグラスが瑞穂の腕を引く。
大人しく従って、二人が居たテーブル横に並んだ。ここで、机の上にずいぶんたくさんの皿があるのに気付いた。すべて皿は空になっており、この量を一人で食べたのならとんだ大食いチャレンジである。
つっぷす男は食べ過ぎで呻いているようだった。さもありなん、瑞穂は得心して「胃薬?」と訊ねた。この世界に来て病気になったことはないが、常備薬の持ち合わせはある。
しかし、予想に反してダグラスは首を振った。
「この兄ちゃんな、魔素欠乏らしい」
「魔素欠乏? え、この皿食べたんですよね?」
「ああ、でもまだ顔は青いし体温も上がらないんだ」
魔素欠乏というのは、瑞穂の感覚だと貧血か低血糖に似ている。めまいを起こしたり、動悸が激しくなったり、体温が下がったりするのだが、大概は魔素の多いものを食べればすぐに治る。重篤な魔素欠乏は大抵飢餓状態を伴うもので、赤髪の青年にやせ細った様子はない。これだけ食べてまだ欠乏だなんて、よっぽど魔素の少ない食事でなければありえないことだった。
まして、このキツツキ亭の食事はおいしい。おいしいということは、魔素が豊富ということだ。おいしい食事をこれだけ食べてもまだ足りないなんて、どうやら彼の必要魔素はものすごく多いらしい。
とんでもない燃費の悪さに感心半ばで呆然と見ていたが、思考を断ち切るように「ぎゅごおおお」とものすごい音がした。
青年の腹の音だった。
はっとして、持っていた卵みっつ、それから野草や香草と木の実をダグラスに差し出した。非常食は持っていないから、これが瑞穂の持つ全食料だ。彼が呻いていたのも、先ほどの大歓迎だって、魔素欠乏のためだった。たのしみにはしてたけど、人命救助には代えられない。きりっとりりしい顔をして、ダグラス夫妻を見つめた。
「これで、おいしいごはんをお願いします!」
なんなら、猪の一匹でも狩ってきますが!
細く白い腕を掲げた頼もしい姿に、ほっとした笑顔と腹の虫が返事をした。
普段はキッチンに入らない妻のリリーも手伝って、濃厚な魔素の香り漂う料理が作られてゆく。
くるり巻かれてほんのり焼き色のついただし巻き卵、透けた玉葱とじゅうじゅう音をたてるお肉をとろとろ卵がとじてつやつやのごはんを隠す親子丼、緑色がしっとり鮮やかな通りがかりで摘んできた野草の卵炒め、オムレツにピカタにかき玉汁、チャーハンにカルボナーラ、サンドイッチ……。
ある食材を全て使う勢いで、量産される卵料理。瑞穂は涎を垂らさんばかりに見つめるけれど、自分に待てを言い聞かせて男のもとに運ぶ役を買って出た。香りにつられてよろよろと起きあがった彼は震える手でフォークを掴み、苦しげな顔で口に運ぶ。
最高級食材だけあって、瑞穂の持ってきた卵はとてつもなく魔素が豊富だ。日本だったら高カロリー輸液を点滴するのと同じくらいに回復できるはずである。
しかし、いくら食べても男の顔は青白い。死人レベルは脱したけれど、親子丼を食べてかき玉汁を飲んで卵炒めをかきこんでもまだ重篤な病人に見える。次第に食べるペースが落ちて、胃袋の限界を迎えているようだけれど、魔素欠乏はなかなか治らない。
瑞穂はそれをしばらく見つめていた。彼がこのごはんを食べきるより、そしてこの魔素欠乏が治るより、自分が彼を背負って冒険者組合に走る方が早いかもしれない。組合には治療院が併設されている。こんなに食べて治らないなら、ちゃんと治療してもらうべきだ。
ひとり頷き、いったん手を止めて心配そうな顔をした夫妻に顔を向けながら、フォークを握る男の手を掴んだ。
「ダグラスさ、……ん!?」
手の中の腕がびくりと動いたと思えば、逆の手が伸びてきて瑞穂の腕を掴んだ。
先ほどまでの弱々しい様子と打って変わって、男の手は力強い。青白くてぐったりした男の突然の行動にゾンビめいたものを感じて振り払おうか迷っているうちに、彼はゆっくり顔をあげた。なぜだか突然頬に赤みが差して、瑞穂の腹がきゅうと鳴った。
えっ、と腕を捕まれながら自分の腹を見下ろす。香りにつられて、というわけでもないのに、なんだか急におなかが空いてきた。自覚したとたん、どんどん空腹感が増してゆく。きゅう、が、ぐう、になって、ぐるるるる、と進化する。こんなにどうしようもなくおなかが空いたのは、うんと久しぶりだった。神様に魔素を捧げたあとにもおなかが空いたけど、それ以上に感じる。
おなかがすいた。
それでも待てをしようとしたけれど、目の前にほかほかでおいしそうなごはんが並んでいるのだ。ごくん! こらえられない唾液、離れない視線。男に腕を引かれ、隣に腰掛けてしまってはもう駄目だった。ほとんど無意識で皿を持ち、料理を口に運ぶ。かみしめた途端にじゅわり滲み出すたっぷりの出汁を感じ、無意識に頬を押さえる。とろっとしたオムレツに、じんわり肉汁の滲むピカタに、ぱらぱらで塩気のあるチャーハンに、クリーミーなカルボナーラ! ああ、しょっぱいベーコンがたまらない! こんなにおいしいの、いつぶりだろう!
味わって、噛みしめて、飲み込んでは次に手を伸ばす。これが瑞穂の食べたいものだった。ずっと、こうやって味わいたかったのだ。
「っはー、おいしかったぁ」
ようやく人心地ついたのは、テーブルの上をすっかり空にしたころだった。けふ、と幸せに息を吐く。キツツキ亭のごはんはいつもおいしいけど、こんなに贅沢な食べ放題なんて……あれ。
空腹が満たされて落ち着いたら、すっと血の気が引く。いま瑞穂が食べきったのは、隣の病人のために作られた食事だ。おそるおそる厨房に目をやると、夫妻は愕然とこちらを見ていた。
やってしまった。かくなる上は、ワイバーン狩りか。このあたりで出現情報は、なんて考えながら、おそるおそる顔を動かした。
そこにはゾンビのように虚ろな顔をした男がぐったりとうなだれて──いるはずだった。
「へ?」
「うん?」
さっきまでぱさぱさで藁のようだった髪はいつのまにか艶やかで、色白な肌はそれでも健康的に赤みが差し、上がった口角から八重歯が覗いていた。金色の瞳が割れた硝子のようにきらめいている。
ところで、瑞穂が救世主だったころ、関わってはいけないといわれた存在がふたつあった。そのどちらもが、神のために蓄えた魔素を奪い取るそうだ。
ひとつは夢魔。寝ている間に近づいて、心の内で望んでいることを叶え、気がゆるんだ瞬間に魔素を奪い取る。加減の出来ないそれは対象が命を落とすまでつきまとい、いずれやせ細って餓死に似た死を迎えるのだ。
もうひとつは、吸血鬼。血を吸うと書くが、狙われた対象に貧血のような症状が出るだけで実際に血を吸われるわけじゃないという。ただ、魔素を吸い取られているだけ。それなのに、気付いていたとしたって繰り返し会いに行くほど魅了されるらしい。
夢魔も吸血鬼も食事から魔素を得ることができないで、人間の体内の濃い魔素が必要な可哀想な存在なのだ。と、神殿の教育係は言っていた。それでも人を殺す以上、猛獣や害虫と同じように退けなくてはいけないのだと。
そうか、そんな存在も居るのか、ファンタジーだなあ、と思っただけだった。その時は。そして、今の今まで忘れていた。
唖然とした夫妻は、病人のために用意した食事を食べる瑞穂に呆れていたのではない。あれだけ食べても治らなかった魔素欠乏が瞬く間に回復した男に驚愕していたのだ。そしてあの空腹は、この男に魔素を吸い取られたから。
切れ長な瞳を甘く緩ませ、男はやわらかく微笑んだ。色を知った者なら頬を染めて見惚れるに違いなかった。男も間違いなくそれを狙って、わざと浮かべた笑みだった。荒れていた名残を失った手が、瑞穂の頬に伸ばされる。口元についた小さな滓を親指がゆっくり拭った。それが彼の口元に運ばれ、赤い舌がぺろりと舐めとるのを、瑞穂はじっと見つめる。
男が、くすりと笑った。二人の世界を作るように、甘く、そうっと口を開く。
と、その前に、瑞穂が勢いよく立ち上がった。息を潜めていたダグラス夫妻が目を見張る。男もあどけなく目を瞬かせたが、瑞穂はそちらに目を向けることもなく衝撃を受けたように拳を握り、置いてあった鞄をひっつかんだ。
鞄の中身を漁って宝石をいくつか机に置き、そのままの勢いで外へ向かう。いつもよりけたたましくドアベルを鳴らしながらドアを開け、一度振り返ってにっこり笑う。
「いつもおいしいけど、今日は本当に最高でした! また来ますね!」
続けて、男にもにっこり。
「元気になったようでよかった! 治療院で高濃度の魔素薬もらっておくといいですよ!」
そうして慌ててドアを閉めようとして、直前で一度止めてそっと閉める。キツツキ亭の中は、嵐のように立ち去った瑞穂を呆然と見送る三人の姿だけが残された。
瑞穂は走っていた。おいしかった、すごかった、動かなくっちゃ太っちゃう。よく考えたら依頼の卵も食べちゃった。走って走って走って、山を越え、この間の谷もつい越えちゃって、照れ笑いして別の巣へ。おなかがいっぱいって、こんなに幸せだったんだ。いつもより軽やかに崖を降りて、巣から卵をひとつ。気分が良かったから一度戻って、この鳥の好きな木の実をいくつか採って巣に置いた。お詫びなんかじゃなく、ただ瑞穂の幸せのおすそわけだった。
リュックに卵を入れて、今度こそちゃんと冒険者組合へ。おなかがいっぱいで幸せだった。瑞穂は笑う。こんなにおいしくごはんが食べられるのは、次はいつのことだろう。そうじゃなくたって、いつもよりわくわくしていた。
おいしいものを食べたら、次のごはんが楽しみになる。
ほんとは今日みたいに我慢せずいろいろ食べたいけれど、魔素が溜まりすぎてまた太っちゃう。スキップで木々を飛び越えながら、久しぶりにポテトチップとかいいな、なんて思って、あれ、と首を傾げた。ついでに足も止まったから、勢いのまま木に突っ込んで小鳥たちを驚かせた。山ふたつ越える腹ごなしのおかげで、ようやく少し落ち着いたらしい。頭に葉を乗せて、瑞穂は思いついてしまっていた。
吸血鬼が魔素を奪うなら、奪わなきゃいけないなら、わたしが好きなだけ食べた余剰分を引き取ってもらえばいいのでは?
完璧なwinーwin。天才である。そうと決まれば吸血鬼を探し出さなくては。ずりおちかけた帽子を被り直し、瑞穂はしっかと立ち上がった。これからは毎日食べたいものを食べられるかもしれない。あどけない顔は、未来への期待と決意に燃えていた。
彼女の幸せな頭からは、先ほどの赤髪のことなどすっかり抜け落ちていたのであった。