勇者だけど、もうやってられないので逃げ出したら、追っ手がひどくて大変だ!
勇者パーティー脱退系が流行しているらしいのでつい……
勇者とは孤独な存在だ。
十五歳の時、神殿で行われた成人式以来、俺は勇者であることを求められ続けてきた。
俺の両親は普通の農民だし、剣なんて一度も握ったことはなかったのに。
王都に連れて行かれ、仲間と武器を与えられたら、今度は最前線の国境に連れて行かれた。
何の説明もなく、魔族領に放り込まれ、戦いを強要された。
俺はきっとすぐに死ぬんだろうと思った。
家族も人質に取られ、逃げるに逃げ出せなかった。
家族のために必死に戦った。そのうち、自分でも信じられないほど強くなった。
神殿で神様から授かった「勇者」の称号は、生半可なものではなかったのだ。
膨大な魔力は人間離れした運動能力を与えてくれたし、実戦で鍛えた剣術は誰にも負けない。
教わった覚えもないのに、魔族の真似をしてみたら魔法が使えるようになった。
そうして第一次遠征が終わり、一時的に国境の砦に戻った。
五年ぶりの帰還だった。
しかし、そこで俺を待っていたのは、故郷の同胞が死を覚悟の上で俺に伝えてくれた「両親の訃報」だった。
戦う理由を失ったその日、俺は勇者でいることをやめた。
***
リオールの街は王国の最南端にある街で、大きな港があった。
流れ者が住み着く下町で、俺は第二の人生を送っていた。
風の噂で、勇者が行方不明になって王都は騒然としているらしいと知った。
今の俺にはどうでもいいことだ。
「よう、ジャック。調子はどうだい?」
「ぼちぼちだよ。おっさんも、またギックリ腰にならないように気をつけろよ」
街の住民との関係は良好だ。
俺は勇者だったときの名前を捨て、ジャックとして冒険者の生活をしている。
大抵の魔物は苦労せずに倒せるが、あまり目立つのもよくないので、適当なそこそこの魔物を倒して日銭を稼いでは酒を飲む生活だ。
たまに冒険者仲間とつるんで色街に出かけることもある。
なんというか、南国の人々はみな大らかで心が安らぐ。
「ジャック。てめえもそろそろ所帯持ったらどうだ?」
「今はまだいい。そういう気にならないし」
馴染みの冒険者によく言われる。俺にはまだ妻を持とうという気持ちがなかった。
依頼を終えて、自宅に帰る。
鍵が壊されていた。
「泥棒か」
こちらで買った鋼の剣を抜いて家に上がる。
すると見覚えのある顔が俺を待っていた。
「勇者様! お久しぶりです」
「……エリー、なのか?」
それはかつて魔族領でともに戦った仲間――女魔法使いの「大魔導師」エリーだった。
エリーは満面の笑みで言った。
「勇者様! 聞いてください! あなたの両親を殺した下手人は、私が代わりに殺しておきました。ついでに、勇者様を探すように命じられていた追っ手も、きちんと始末してきたのです!」
「……エリー?」
「うふふ。わたしと勇者様の二人きりの生活を邪魔するものは、たとえ国王であろうとも……はっ! まさか勇者様は諸悪の根源である王を討て、と!?」
エリーは妄想癖がすごい女だった。
初めて出会ったころに優しくしたら、すぐにつきまとうようになって、しばらくストーカーされた。恋愛感情はないと言ったら「あなたのためならなんでもできる」と言って大変なことになった。
実際、共に戦ったというよりも、勝手についてきて勝手に戦っていたという方が正しい。
「いや、そこまではさすがに……」
「うふふ。さすがにそれは冗談です。でも、勇者様ったら、わたしというものがありながら色街に出かけるなんて、罪なお人です。なんでも好みの女がいるとか。うふふ。ご安心ください。その女ならもうすでに始末しておきましたから」
俺は逃げ出した。
***
王国最北端の街ロッカは、一年を通して雪に埋もれた土地だ。
人々は厳しい環境ゆえか結束が強く、そして忍耐強い。
俺は相変わらず冒険者として魔物を狩って生活していた。
ある日、帰ったら見覚えのある女が家の前で待っていた。
「ああっ、ジーク!」
「ジョゼ!?」
それは勇者になったあと、最前線の砦で仲良くなった女だった。
「どうしてこんなところに!? あと、その名前はよしてくれ。今はジャックだ」
色々尋ねると、俺を探して王国を歩き回っていたらしい。
「なんで、俺なんかを……」
「そんなの決まっているわ。あなたと一緒にいたかったから……」
「ジョゼ……」
その夜、俺は久しぶりに人肌の温もりを感じることができた。
翌朝。俺は微睡みながらジョゼの声を聞いた。
「……ええ、そうよ。勇者は見つけたわ。大丈夫。ちゃんと捕まえておくから。信じられる? たった一晩でもう骨抜きにしちゃったんだから。ええ、大丈夫。手抜かりはないわ」
俺は寝たふりをした。
しばらくして、起き上がる。
「ねえ、ジャック。久しぶりに会ったんだし、しばらくは二人きりでイチャイチャして過ごしましょう?」
「ああ、それもいいな。けど、それなら今日受けるつもりだった依頼を断っておかなきゃ」
「そうなの?」
「ああ、二、三日かかる予定だったけど、そういうことなら断ってすぐに帰るよ」
「そう?」
「そうだ。帰りに何か美味しいものを買って帰ろうか。何か食べたいものがあるか?」
「ううん。あなたが帰って来てくれたら、他には何もいらないわ」
俺はジョゼと抱き合って家を出て、そのまま逃げた。
***
王国中央、王都の隣町ニールはひっそりとした街だ。
まさか追っ手も俺が王都のすぐ近くに潜んでいるとは思うまい。
もう冒険者もやめた。
名前もアランというよくあるものに変えた。
俺はニールの町で宿屋のコックをしていた。
仕事が終わって外でパイプを吹かしていると、悲鳴が聞こえた。
何事かと思って通りに出ると、数人のごろつきに女が襲われているところだった。
慌てて助けてみれば驚いた。
なんと故郷でともに育った幼馴染みのリリーだった。
「えっと、ジークだよね?」
「今はアランって名前なんだ」
「そっか……おじさんとおばさんのことは、その……残念だった」
「ああ」
「……辛かったね」
俺は勇者になって久しぶりに泣いた。
リリーは俺の知らないうちに大人の女に成長していて、温かく抱き締めてくれた。
俺たちはそのまま大人の関係になった。
数日後、俺が仕事から帰るとリリーがいなかった。
家中を探し回ると、寝室になぜかエリーが座っていた。
「ど、どうしてお前が!」
「うふふっ、わたしからは逃げられないのですよ。さあ、勇者様……もう一度わたしと愛を育みましょう?」
「リリーはどうした!?」
「ああ、あの小娘のことですか。あれなら金貨十枚を渡したらさっさと故郷に帰りましたよ」
「な、なんだって……そんな、嘘だ! リリーはそんなこと……」
「嘘じゃありません。一応手紙も預かっていますけど、お読みになります?」
渡された手紙を読む。
『ジーク。ごめんなさい。でも、この金貨十枚があれば、病気のお母さんの薬が買える。許してください』
俺は叫んだ。
「お前の母ちゃん、男作って駆け落ちしたじゃねえか!」
下手くそな嘘は余計傷つく。
しくしく泣いている俺をエリーが抱き締めた。
「勇者様……いえ、今はアラン様とお呼びした方がいいのでしょうか。あなた様はわたしのことを邪険になさいますけど……わたしはただアラン様をお慕いしているだけなのです。ただ、あなた様を愛しているだけ。ただ、あなた様にほんの少しだけ愛されたいだけ」
エリーは俺の顔を両手でそっと包み込んで言った。
「わたしじゃ、あなた様の隣には相応しくありませんか?」
俺は悲しみの余り、自棄になってエリーを抱いた。
翌朝。起きると俺はなぜか地下室のベッドの上に鎖でじゃらじゃらと巻かれて身動きひとつできなかった。
「エリー! これは一体どういうことだ!」
「だって、アラン様をずっと愛するためにはこうすることでしか……」
「ふざけるなあああっ!」
どうやら魔術的な鎖のようで、びくともしない。
食事も排泄も、すべてエリーが嬉しそうに世話をしてくれるが、俺としては屈辱的だ。
俺は今、どうやって逃げようか必死に考えている。