表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鬼怒川温泉 恋し屋  作者: 獏人
8/11

アニメ? 声優??


7月2日(金) 決戦の日まであと3日


 誠志朗は、スマホのアラームで目を覚ました。いつもなら、体内時計がアラームより少し早く作動する筈なのだが、夕べは全然眠れずに一晩中うとうとしていたものだから、完全に寝不足になっていた。

「あれって、やっぱり唇だったよなぁ」

 本当に静の唇の感触だったのか、はっきりせずに一晩中もんもんとしていた。でもどうして、怒っていた筈の静が自分にキスしたりするのか……、まったく理解出来ずに誠志朗の頭は思考が止まってしまっていた。

 誠志朗は、自分の唇を人差し指で触れてみたりして、暫くぼーっとしていたが、アラームのスヌーズがしつこいので、仕方なく、ぼーっとする頭で1階に下りていった。

 いつもどおりの手順で、時折、大きな欠伸をしながら、木綿・絹・寄せ豆腐と豆乳を作り、掃除を終わらせたのが午前7時近くだった。

「おはよう。誠志朗君。どうしたの? 今朝は随分眠そうね」

朝食を作り終えて豆腐製造室に入ってきた母親の美也子が、欠伸を連発している誠志朗を心配して声を掛けた。

「おはよ。何でもないよ。大丈夫だよ」

と、平気な振りをして、上着とTシャツを脱ぎながら脱衣所に行った。誠志朗は失敗したと思った。勘が鋭い美也子に「何でもない」と言った時点で、何かあったと言っているようなものだったからだ。

そのまま、シャワーを浴びジャージに着替えて、ニュースと天気予報をチェックしながら大盛りの朝ご飯を食べ始めた。天気予報を見ている時も、無意識に唇を指で触ったりしていた。

「何をしてるんだ? 誠志朗君」

 実力テスト期間中の澪が早起きをしてきて、誠志朗の不審な行動に気付いた。

「……いやっ、何でもないよ」

「怪しいなぁー。唇なんか触って……、さてはファーストキスの練習か?」

 澪が、ずばり、ファーストキスなんて言うものだから、誠志朗は、口を付けた味噌汁を吸い込んで咽せてしまった。

「ごほごほっ、何だよ、いきなり変なこと言うなよっ。ごほっ」

「ほら、やっぱりっ。お母さーん」

 たちまち澪は、豆腐製造室にいる美也子に誠志朗の怪しい行動を報告しに行った。居間のガラス越しに美也子と澪が誠志朗の方を見ながら、何やら話をしているのが見えたが、動揺したら負けだと思った誠志朗は、朝ご飯をかき込み早々に食器を洗って2階へ上がった。

 時刻は7時30分を過ぎたばかりで、まだ出掛けるには早過ぎるので、誠志朗はベッドに仰向けになり、天井を見ながら、また、唇を指で触った。

「やっぱり、気の所為だったのかな?」

 考えても分かる筈がないので、気の所為にしようと思った途端、猛烈な眠気が誠志朗を襲ってきた。

 

「誠志朗くーん、時間だよー」

 澪の声で飛び起きた。時刻は8時15分になっていた。急いで制服に着替えて1階へ下りた。バイクのエンジンを掛けて、店のシャッターを開け、ガラス戸越しに美也子に「いってきます」と言って出発した。

 店の前の小原通りを右に出て、小原沢の橋を渡った急な下り坂で、自転車で中学校に向かう澪を見付けた。自転車の癖に結構なスピードが出ていて、背中くらいまである茶色のお下げ髪がグルングルンと渦を巻いていた。横に並んで走りヘルメットのスクリーンを開け「スピード出し過ぎ!」と言うと、澪は「大丈夫だもーん」と言ってブレーキを掛けようとしないので、誠志朗の方がブレーキを掛けて、澪の後ろに付いていった。流石に、吊り橋入口の手前のカーブは減速しないと曲がり切れないので、漸く澪はブレーキを掛けた。

「危ないだろ!」

「平気だもーん」

「気を付けろよっ」

「じゃあねー、誠志朗くーん」

 バックミラーで後ろを見ると、澪が大きく手を振りながら自転車をこいでいた。

「まったく、お転婆でしょうがないなっ」

 ヘルメットの中で独り言を言いながら、誠志朗は華なりの宿しずかへ急いだ。

 下野銀行鬼怒川支店の手前を右折し、旅館の駐車場から裏口に回り、従業員用駐輪場にバイクを停めて、玄関からロビーに入っていった。

 ロビーには、チェックアウトを終えた宿泊客と談笑する静がいた。藤の花模様のブルーグレーの絽の着物と黒の帯にブルーグレーの帯留。艶めく黒髪は銀の髪留で一つにまとめられていた。渋いというか、いつになくシャープな雰囲気の静だった。

「おはようございます。誠志朗様」

「おはよ。静。……夕べは……」

「誠志朗様、皆様お揃いでいらっしゃいますよ。お急ぎ下さいませ」

 静は、誠志朗の言葉を遮って、ウィステリアに急ぐように促した。

「あっ、ああ」

 素っ気ない態度の静に、やっぱり夕べのことは気の所為だったんだと思いながら、誠志朗は階段で3階に下りていった。

 部屋の呼び鈴を押すと、「はーい」と言って常盤がドアを開けてくれた。

「おはよう。お疲れ様」

「おはよ。常盤もお疲れ様。……んっ、レモンの匂い?」

「レモングラスっていうハーブのお茶だよ。今、入れるね」

 そう言って、常盤はハーブティーの用意をした。

「よー、遅刻は一発芸の刑だぞっ」

「いや、まだ一分前だ。限り限りセーフだろっ」

 永一が遅れてきた誠志朗に一発芸をやらせようとしたが、部屋の時計は8時30分少し前だった。

「はい、どうぞ。ちょっと熱いかもしれないから気を付けてね」

「ありがと」

 誠志朗はフーフーしながら、淡い黄色のハーブティーを一口すすった。爽やかなレモンの香りが口いっぱいに広がった。

「レモンの香りだけど酸っぱくないな」

「レモンの香り成分のシトラールが含まれてて、リラックス効果があって集中力が増すんだって」

遅れて、静が呼び鈴を鳴らすと同時にドアを開けて部屋に入ってきた。

「お待たせー。あら、レモンティー? いい香りねっ」

「レモングラスのハーブティーだよ。はい、どうぞ。静ちゃん」

「ありがと、常盤。いただきます」

 静は、席に座ってハーブティーに口を付けた。

「いい香りね。味もすっきりしてるわ」

「ほんと? よかった」

「じゃあ、そろそろ始めるか。昨日は、その、色々あったけど、……しっ、静の結論は出たのか?」

 誠志朗は、静がまた、突然怒り出したり泣き出したりしないかと、恐る恐る確認した。

「あれでいいわ。夕べ、親方とも相談して、あれでいこうって決めたわっ」

「……ほんとにいいのか?」

 誠志朗が念を押すと、

「決めたって言ってるでしょ。くどいわねっ」

と、にらまれてしまった。

「ほんじゃ、決まりだな。その方向で進めるべ。時間もねーしよっ」

 永一が席を立って、ホワイトボードにこれからやらなくてはいけないことを書き出した。

◇金崎

  解体・造成費用の見積り

  建物の見積り

  機材の見積り

◇星野

  アニメ・声優関連のデータ収集

  インバウンド関連のデータ収集

  アニメツーリズムのデータ収集

旅行代理店へのヒアリング

◇湯澤

  改善計画の概要作成

計画PL・BSの作成

「まあ、ざっと、こんなとこか」

「何で俺だけ仲間外れなんだよ?」

「おめーはリーダーなんだから、全員の進捗を管理してフォローすんだよっ。あー、でも、俺は大丈夫だから、レディースの面倒を頼むわ」

「分かったよ」

「それとよー、星野。今日は金曜だから、会社関係は今日中に確認しとかねーと、明日からは休みになっちまうからなっ」

「分かったわ」

 手馴れた永一の仕切りで役割分担が決まった。伊達に3年連続クラス委員長をやってる訳ではない。もっとも、毎年自ら立候補してなったのだが……

「じゃあ、俺は法務局や設計事務所に行ってくっから、分からねーことはリーダーに聞けよっ」

「おい、ちょっと、永一……」

言い終わるよりも早く、永一は出掛けていってしまった。

「何だよ、まったく」

「なんか、金崎くんて凄いねっ」

「ちぇっ」

 常盤が、尊敬の念を抱いて言うものだから、誠志朗は少し面白くなかった。

「じゃあ、始めましょう。誠志朗、早速だけど、データ収集ってどうやるの?」

「そこからかよ? ……じゃあ、取り敢えず、アニメ・声優関連はネットで調べて、インバウンド関連は鬼怒川インバウンド誘致委員会の資料からピックアップしてみて」

 静の質問に、誠志朗がホワイトボードを確認しながら答えた。

「はーい。じゃあ、インバウンド誘致委員会の資料を取ってくるわ」

 静は、そう言うと、資料を取りに部屋を出ていった。

「じゃあ、私は、計画の概要とか埋められるところを入力していくね」

「ああ、頼むよ。常盤」

 自分のやるべきことを理解している常盤には、誠志朗のフォローはまったく必要なさそうだった。誠志朗の右手に座り、資料を見ながら、どこか楽しそうにパソコンのキーボードを叩いている。

「でも、お兄ちゃん。常盤ちゃん何があったのかな? 昨日はあんなに反対してたのに」

「……うーん、……親方と相談して決めたって言ってたから、……まあ、そういうことなんだろ」

 常盤の質問に誠志朗は適当に答えていた。まさか、夕べの出来事をそっくりそのまま常盤に話すことも出来ないので……

「でもよかったねっ。昨日はどうなっちゃうのかって心配しちゃった」

「ああ、ほんとにな」

 その話はそれで終わったので、誠志朗は、ほっとしてハーブティーを飲み干した。そして、ポケットからスマホを取り出し、アニメ・声優関連の情報収集を始めた。

 誠志朗も常盤も、暫し無言のまま自分の役割に没頭していると、部屋の呼び鈴が鳴って「開けてー」と静の声がした。常盤が「はーい」と言ってドアを開けると、トレーを載せたダンボール箱を抱えた静が入ってきた。

「これ食べながらやろっ」

 静がテーブルの上に置いたのは、昔懐かしい大学芋だった。

「わーっ、美味しそう」

「でしょ、でしょ。茨城県産のベニアズマをごま油で揚げて、和三盆の糖蜜に絡めてあるのよ。昨日、誰かさんが私を置いてきぼりにして茨城に行ったみたいだから、何だか無性にお芋が食べたくなっちゃって、夕べ親方に頼んでおいたのよ」

 静が、ちらっと誠志朗の顔を見て、嫌みたっぷりの顔付きで言った。

「何だよ。そっちが勝手にいなくなったんじゃないかよっ?」

「何よ。私の所為だって言うの?」

「ねえねえ、けんかしないで。今、お茶入れるから、温かいうちに食べようよ」

 見兼ねた常盤が、誠志朗と静に向けた手の平を振って仲裁に入った。

「ふんっ」

「ふんだっ」

 そして、誠志朗は、テーブルの上に片肘を突いてスマホの画面をスクロールし始め、静は、頬を膨らませたまま渓谷が見える広縁の方に移って椅子に腰掛けた。

「はい。どうぞ。静ちゃんもこっちに来て」

 常盤が、レモングラスのハーブティーを差し替えてくれたので、静はしぶしぶ自分の席に戻った。

「じゃあ、食べよ。いただきまーす」

 険悪なムードを壊すかのように、常盤が態とらしく大きな声で言ってから食べ始めたので、誠志朗も静も大学芋に手を伸ばした。

「おーっ、甘ーいなっ」

「ほんと、甘くて美味しいねー」

「これはね、大谷石の採掘場跡で半年寝かせたお芋なんだって。そうすると、低温熟成されて甘みが凄く増すんだって」

 大学芋の余りの美味しさに誠志朗と常盤が驚いたものだから、静の機嫌はたちまちに直ってしまった。

「へえー、そうなんだ。そう言えば、同じ採掘場跡でハムとかお米も低温熟成させてるって新聞に載ってたよね」

「ふーん、天然の冷蔵庫ってことか?」

「そうみたいね」

 確か、地元紙に、大谷石の採掘場跡の特集が載っていて、サツマイモや梨、お米や日本酒、ハムやチーズの貯蔵・熟成をしていて、サツマイモや梨は糖度が20パーセントもアップすると書いてあったのを誠志朗は思い出した。

「こういうのも観光資源になるんじゃないかな?」

「あのね、採掘場跡でコンサートをやったりも出来るんだって。音が反響して凄くいいんだって」

「後は、廃坑ツアーとかもいいんじゃない? 廃墟マニア向けに!」

「キャー、やめてよ静ちゃん。怖過ぎるよー」

「冗談よっ。ごめんね、常盤」

 怖いものが大の苦手の常盤に、静がちょっと意地悪を言ったのだが、常盤は肩をすぼめて本気で怖がっていた。

「じゃあ、そろそろ始めるよ」

 いつまでもダラダラやっていて成果が上がっていないと、後で永一に何てどやされるか分かったものじゃないと思った誠志朗は、ハーブティーを一気飲みして静と常盤に号令を掛けた。

「はーい」と素直な返事の常盤。

「分かったわよ」と反抗的な返事の静。

 対照的な二人だった。

「やれやれ」

 誠志朗は、ふうっとため息を漏らした。

「じゃあ、静、インバウンド誘致委員会の資料を見せて」

「はい、これね」

 大きな音を立てて、静がダンボール箱をテーブルに置いた。

「何だよ。もっと静かにやれよ」

「あら、ごめんあそばせ」

「まったく……、名前は静の癖に……」

「何か言った?」

「……」

 これ以上、静の機嫌が悪くなっても面倒なので、誠志朗は言い返さずにダンボールを開けて資料を取り出した。――が、ほとんどの資料は開いた形跡もなく、真っ新の状態だった。

「あのー、もしもし、静さん、この資料はちゃんと見たんでしょうか?」

「えっ、みっ、見たわよ。ちゃんと……」

「じゃあ、内容を教えてくれよ」

「えっ、そんなの、……もう、……忘れちゃったわよ」

「うそ付け! ほんとは全然見てないんだろう?」

「……会議には出たわよ、ちゃんと。……これからはインバウンドの時代だって言ってたもの……。だけど、うちの旅館には余り関係ないかなって思って……」

「あのね、静ちゃん、これからインバウンドの数は確実に増えていくって見込みが出てるし、外国人旅行者が日本に来る目的には、日本料理も上位に入ってるんだよ」

「えーっ、そうなの? それじゃあ、親方の腕の見せどころじゃないっ」

「何を今更、そんなこと言ってんだよ」

「何よ、悪かったわね。これから勉強すればいいんでしょ」

「まったく、もう」

「あのね、じゃあ、まず最初にインバウンドの動向について調べてみる?」

「そうだな。そうするか」

「そう言えば、確か、インバウンド誘致委員会の資料の中に――、あったよ」

 常盤がダンボール箱の中から一冊の資料を取り出した。

「これに可成り詳しく載ってるよ」

 常盤が取り出したのは、メガバンクのシンクタンクが分析したレポートだった。

「この資料によるとね、日本を訪れる外国人旅行者の数は増加傾向で、2014年には1,341万人で過去最高なんだって。そして、その8割はアジアからの旅行者で、台湾・韓国・中国が上位を占めてるんだって」

「へー、そうなんだ」

「それからね、アジアからの旅行者の滞在日数は4~6日、続いて7~13日が多いんだって」

「へー、それなら、その期間は必ずどこかに宿泊することになるのよね?」

「ぷっ、そんなの当たり前だろっ」

「何よー、誠志朗は黙ってなさいよっ」

「はいはい」

「『はい』は1回よ!」

「……」

「それでね、訪日回数も、アジアからの旅行者は2回以上の人が多いんだって」

「と言うことは、リピーターになってくれるってことよね?」

「うん、そうだね。それから、利用する空港は、成田空港が約35パーセント、羽田空港が約13パーセントで、全体の半分近くを占めてるんだって」

「へー、じゃあ、鬼怒川温泉もチャンスがあるってことじゃない?」

「ところがね、栃木県の外国人宿泊者数は、47都道府県中で25番目なんだよ」

「えーっ、そんなに低いのー?」

「そうなの。でもね、外国人旅行者が日本でしたいことは、一番が『日本食を食べること』で、次に『ショッピング』、『自然・景勝地観光』、『繁華街の街歩き』、『温泉入浴』なんだって」

「へー、じゃあ、温泉に泊まって、日本料理を食べて、観光が出来る鬼怒川温泉は、ピッタリじゃない?」

「そんなに上手くいくかよ」

「あんたは黙ってて!」

「……」

「それとね、特徴的なことがあって、訪日外国人の数では第3位の中国なんだけど、消費額では第1位なんだよ」

「それってどういうこと?」

「要するに、中国人旅行者が、ほかの国の旅行者より沢山買うってことだろっ」

「あー、『爆買い』って奴ねっ」

「そうだね。えーと、資料の内容は大体こんな感じだけど、東京オリンピックが開催される2020年には年間2,000万人の訪日外国人数を見込んでるんだって」

「へーっ、じゃあ、ますますチャンスがあるってことねっ」

「そうだね。でも、どこの観光地でも色々対策を考えてるみたいだから、簡単にはいかないかもね」

「そうよね。どこも必死だものね」

「じゃあ、ちょっと休憩にしよっか?」

 そう言って、常盤が、お茶の用意を始めた。

「分かった、誠志朗? 勉強になったでしょ!」

「うん。勉強になったけど……、それって本当は静が勉強してた筈のことじゃ……」

「何か言った?」

「いやっ、何でも……」

 鋭い目付きでにらまれた誠志朗は、それ以上は何も言えなくなってしまった。

「はい、どうぞ」

 そんな雰囲気を察してか、常盤が、レモングラスのハーブティーを差し替えてくれた。

「ありがと」

「いただきます」

 ハーブティーを一口飲んで、静が続けた。

「でもチャンスがあるってことが分かって、何だかやる気が出てきたわ」

「何だよ。それじゃあ、今までやる気がなかったのかよ?」

「やる気がなかった訳じゃないわ。でも、先行きが分からないと、何か不安になっちゃうのよねー」

「静ちゃん、それ分かるー。明るい話題がないと、後ろ向きなことばかり考えちゃうんだよねー」

「そうなのよ。予約表が埋ってないと何か焦っちゃって。でも、結局、何も出来なくて、ただ待ってるしかなくて。ほんと辛いのよねー」

「だから、集客の目玉になる企画が必要なんだよなっ」

「そうね。それが出来れば、どんなに助かるか分からないわ」

「ほんとだね」

「じゃあ、次は、アニメや声優のイベント関係を調べてみるか?」

「そうね、そうしましょう」

「うん」

「じゃあ、これとか参考になるんじゃないか? アニメ関係のイベントカレンダーなんだけど……」

 レモングラスのハーブティーを飲み干して、誠志朗は、夕べ調べておいたサイトをスマホに表示した。

「ちょっと小さくて見辛いわね。常盤、パソコンに出せる?」

「大丈夫だよ。ちょっと待っててね」

 常盤がパソコンの画面に出したサイトを、静がのぞき込んだ。

「これによると、アニメや声優関係のイベントは、1年中ほとんど毎日やっていて、特に、土日と、夏休みやゴールデンウィークとかの長期休暇に集中してるんだよ」

「えーっ、それだったら、温泉ホテルや旅館が混む時期と一緒だから意味がないわー」

「俺も最初、そう思ったよ。でも、逆に考えたら、平日は余りイベントがないってことだから、鬼怒川温泉に造るアフレコスタジオで収録して、トークショーも出来て、一石二鳥なんじゃないかな? それに、オフシーズンだったら土日でも構わないだろうし……」

「それもそうね。誠志朗にしては上出来ねっ」

「何だよ。それは? バカにしてるのか?」

「何よー、褒めてあげてるんじゃない!」

「ほんとかよ?」

「ねえ、どうしていつもそうなっちゃうのかなー?」

 慌てて常盤が、誠志朗と静の仲裁に入った。どうも静は、誠志朗が相手だと、必要以上に絡んでくる嫌いがあるようだ。

「じゃあ、次は何について調べてみる?」

 閑話休題、常盤が場の空気を読んで、次にやること誠志朗に尋ねた。

「ああ、そうだな。じゃあ、次は聖地巡礼についての資料を見てみるか?」

 そう言いながら誠志朗は、スマホの画面をタッチして新しいサイトを表示した。

「また見辛いわね。常盤、お願いね」

「はい。静ちゃん、ちょっと待っててね」

「いいかい? さっきの、インバウンド誘致委員会の資料に関連してるんだけど、外国人旅行者が2014年に約1,341万人だったってことだけど、そのうちの約6パーセントが『映画・アニメの縁の地を訪問』を目的にしてたんだって」

「へー、それって何人くらいなの?」

「えーとね、80万人くらいだね」

「えーっ、それって多いの? 少ないの?」

「うーん、それは何とも言えないけど……、」

 そう言いながら、誠志朗はスマホの画面をタッチして別のサイトを呼び出した。

「新聞によりますとー、同じ年の、栃木県の外国人宿泊数は14万6,000人で、日光市は6万人だから、聖地巡礼を訪日の目的に入れてた外国人旅行者の方が断然多いよね」

「へー、そうなんだ。でも、栃木や日光にアニメの聖地ってあるの?」

「ないよ! この前、澪が言ってた」

「えーっ、そうなの? じゃあ、80万人のアニメオタクの外国人はほかのところに行っちゃってる訳ーっ?」

「だからー、オタクばかりじゃないって言ってるだろっ。でも、まあ、宿泊についてはそういうことになるのかな?」

「それに、どうして澪ちゃんがアニメに詳しいのか不思議だわ?」

「いや、あいつ、声の仕事がしたいって声優を目指してるみたいなんだ」

「へー、そうなの。意外ねー」

「あのね、澪ちゃんて、小さい時から凄くかわいい声だったんだよ」

「常盤、調子に乗るから、あいつにはそんなこと、絶対言わないでくれよっ」

「えーっ、駄目なの? だって、ほんとにかわいい声なのに……」

「駄目! 絶対!」

「はーい。分かりました」

 これ以上、澪を調子付かせては、兄の威厳もへったくれもなくなってしまうと思った誠志朗だった。

「じゃあ、次は……」

 誠志朗が次にやることを言い掛けた時、テーブルの上のスマホが鳴った。

「おっと、永一だ。もしもし……」

「何だよ、おめー、電話の出方も知らねーのかよ?」

「はあーっ、何だよ? いきなりっ」

「『もしもし』つーのは、電話を掛けた方が言う言葉なんだよっ」

「えっ、そうなんだ。知らなかったよ」

「誠志朗、今日もまーた、また一つ、お利口になっちゃったもんなー」

「はあーっ、何だよそれは? 何者だよ?」

「まあ、分かる人にしか分かんねー話だよ。そんなことより、星野に、日本庭園の設計図を出しておいてくれって言っといてくれ。それと、昼飯は、正巳の餃子を買ってくから、ご飯だけ用意してくれってな。じゃあな」

 そう言って、永一からの電話は切れた。

「何なんだよ、まったく」

「金崎君、何だって?」

「日本庭園の設計図を出しておいてくれだって。それと、昼ご飯は、正巳の餃子を買って来るから、ご飯だけ用意しておいてくれってさ」

「えーっ、日本庭園の設計図なんてあったかしら? それより、正巳の餃子、美味しいのよねー。じゃあ、早速、事務所と調理場に行ってくるわ」

 正巳の餃子と聞いて、静の足取りはいつもに増して軽やかになったようで、たちまち部屋を出ていってしまった。

「ちゃっかりしてんなっ」

「うふふっ、でも、誰でも美味しい物には目がないもんね」 

「まあ、それはそうかもしれないけど……」

「お茶入れようか? お兄ちゃん」

「ああ、うん。ありがと」

 そうして、常盤が入れてくれたレモングラスのハーブテイーを飲みながら、静が戻って来るのを待っていた。

「宇都宮餃子の食べ放題なんかいいんじゃないかな?」

「お兄ちゃん、あのね、それ今度、うちのバイキングレストランでやるんだよ」

「あっ、そうなんだ。やっぱり、そういうのはどこでも考えてるんだな」

「そうだね。少しでも集客の話題になりそうなのは、色々検討しているからね」

「やっぱり、オリジナリティーは大事だよなっ」

「そうなんだけど、実際は中々いいのがないんだよ」

「そうだよなー」

 そんな会話をしていると、部屋の呼び鈴がなったので、常盤が「はーい」と言ってドアを開けた。

「ありがと。常盤。両手が塞がっちゃってて」

 静が、大きな設計図や筒状の図面ケースを抱えて入ってきた。

「どれがどれだか分からないから、取り敢えず、それらしいのを全部持ってきたわ」

 そう言って、テーブルの上に乱暴に置いた。

「だから、もっと静かにやれって」

「うるさいわねー。結構重いのよ。これ」

「まったく……」

 それ以上言うと、またさっきの繰り返しになると思った誠志朗は、永一に言われた日本庭園の設計図を無言で探し始めた。暫く誰も見ていなかったのか、それらは薄っすらと埃が被っていた。

「おっ、これじゃないか」

 結構厚みのある『池泉庭園設計図面』と書かれた図面を引っ張り出し、テーブルの上に広げ、パラパラと数ページめくった時、誠志朗は一通の封筒を見付けた。藤色の封筒には『静へ』と書かれていた。

「静、これ手紙じゃないか?」

 渡された封筒を手に取った静の表情が変わった。

「これ、お母さんの字だわっ」

 急いで静は封筒の中の便箋を取り出した。藤色の便箋には、万年筆の流麗な文字で短い文章がつづられていた。

「お母さん……」

 そうつぶやいて、手紙を握り締めたまま静が部屋を飛び出した。

「静ちゃん!」

 常盤が呼び掛けたが、静は振り向かずに行ってしまった。

「お兄ちゃん、静ちゃんどうしたのかな?」

「分かんないけど……、ちょっと様子を見てくるよ」

 誠志朗は、後を追って部屋を出たが、廊下には既に静の姿はなかった。誠志朗は少し考えて、南側の非常口の鉄製のドアを開けて、非常階段を上っていった。

 3階から6階まで一気に駆け上がると、6階の踊り場から鬼怒川の渓谷を眺めている静がいた。

「……静……」

「……」

「さっきの手紙……」

「……お母さんには適わないわ」

「えっ?」

「何でもお見通しなんだもの」

「……」

「お母さんは、ここから見る鬼怒川の景色が大好きだったの。うれしい時も悲しい時も。雨の日も雪の日だって。何かあるといつもここに来てこの景色を眺めていたわ」

 そう言って、静は、誠志朗に手紙を手渡した。

「読んでもいいのか?」

「いいわよ」



静へ


 この手紙を見付けたってことは、お庭を壊そうと考えているのかしら。

 もし、躊躇っているなら、迷う必要なんてないのよ。

 言ったでしょ。あなたのやりたいようにやりなさいって。

 歴史とか伝統とか、そんなものは大したことはないのよ。

私達がそうしてきたように、それは、これからあなたが創っていけばいいんだから。

仮令、上手くいかないことがあったとしても、後悔だけはしないように、いつも自分の気持ちに正直にね。 

それと、あなたはちょっと不器用なところがあるから、好きな人が出来たら自分に素直になりなさい。

傷付くことを恐れないで。

いつでも見守っています。

だって、あなたはいつまでも私達の娘なんだから。

月並みだけど、私達の娘に生まれてきてくれてありがとう。

辛い思いをさせてごめんね。

もう少し一緒にいたかったけれど。

ごめんね。


母より



「……静……」

 読み終えて、誠志朗は静に手紙を返した。

「私は幸せね! こんなに愛されて……」

「うん。俺もそう思うよ」

 誠志朗は、制服の袖で目蓋を拭った。静は、着物の袖で目頭を押さえてから、振り向いて微笑んだ。

「常盤が心配するわ。戻りましょう」

「ああ」

 そう言って、非常口のドアを開けて、静が先に建物の中に入ると、ドアを閉めて鍵を掛けてしまった。

「何だよ、静、またかよ。おい!」

 ドアノブを回しながら誠志朗が呼び掛けると、「あはははっ、階段の方が早いわよ」と、ドアの向こう側から声がして、静の気配は消えた。

「何だよ、まったく。俺が何かしたのかよっ」

そうつぶやきながら、仕方なく誠志朗は非常階段を下りていった。

誠志朗がウィステリアに戻ると、静の姿はまだなかった。

「お兄ちゃん、静ちゃんどうだった?」

「ああ、大丈夫だよ」

 心配そうに誠志朗を見つめる常盤に、誠志朗がちょっと不機嫌な口調で答えた。

「何かあったの?」

「あっ、ごめん。何にもないよ。大丈夫だよ」

「そうなの? それならいいけど……、あの手紙、何が書いてあったのかな?」

「……それは分からないけど、変な内容じゃなかったみたいだよ」

「そうなんだ。それならいいけど……」

 誠志朗は、手紙の内容を聞かれてちょっとごまかしてしまった。『好きな人が出来たら……』なんて書いてあったのを、常盤に上手く説明出来ないと思ったからだ。

「おーい、昼飯、買ってきたぞー」

 そこに、お土産袋を手に提げた永一が、呼び鈴も鳴らさずに入ってきた。時刻はもうすぐ正午になるところだった。

「おかえりなさい、金崎君」

「今よー、フロントに星野がいたんで声掛けたら、3階の個室食事処で待ってろって言ってたぜ」

「じゃあ、そっちに行くか」

 さっきまでバタバタしていたのと、永一が買ってきた焼餃子のいいにおいに刺激されて、急にお腹が空いてきた誠志朗だった。

 ウィステリアの鍵を掛けて、同じ階の個室食事処に行くと、ちょうど静がワゴンを押してきた。

「席に着いて。金崎君、餃子、温めるから頂戴」

「ほらよ」

 永一が静に、餃子の入ったお土産袋を渡した。

「えーっ、一体、何人分買ってきたのよ?」 

「あーん? 12人前だぜ。足りねーか?」

「多過ぎよっ。4人で食べるんでしょ?」

「あーん? 正巳の餃子っつったら、焼ダブルの水ダブルが当たり前だぜっ」

「何よそれ?」

「だーかーらー、正巳で餃子食う時は、一人で焼餃子2人前と水餃子2人前食うのが常識だっつってんの」

「そんなに食べられないわよ。ねえ、常盤」

「そうだね」

「じゃあ、いいよ。残りは俺らが食うから、全部一緒に温めちゃってくれ」

「ほんとに食べられるの?」

「大丈夫だって。なあ、誠志朗?」

「ああ、うん」

 正巳の餃子と言えば、蕎麦と並んで誠志朗の父親の大好物だったので、旧・今市市内にある直営店から冷凍餃子を沢山買ってきては、美也子が焼餃子と水餃子を作って、家で食べることが多かった。誠志朗は中学生の時でさえ、既に4人前は平気で食べていた。因みに、聖郎が6人前、美也子が3人前、小学生だった澪が2人前の合計15人前くらいは一度に食べていた。それくらい美味しい餃子なのだ。

「じゃあ、ほんとに温めちゃうわよ」

「おー、やっちゃってー」

 静が餃子を皿に移して温めてる間に、常盤がご飯と中華スープを用意してくれた。

「えっ、親方、中華スープなんて作るんだ?」

「ああ、それは、夜食の醤油ラーメン用のスープをお湯で伸ばして作ったのよ。私が!」

「マジかよー、それ食えんのかよ?」

「ほんとに大丈夫なのか?」

「失礼ねー。ちゃんと作り方を見て作ったから大丈夫よっ。嫌なら食べなくたっていいわよ」

 静が、口を尖らせながら言った。

「分かったよ。悪かったよ」

「ほんじゃ、話の種に食ってみっか!」

「何ですって?」

「あっ、いやっ、……永一、余計なこと言うなよ」

「はいはい」

「まったくもう……」

静が餃子を温めている間に、誠志朗は餃子のタレの袋を開けて小皿に分けて全員に配った。一番最後に分けるタレには、どうしてもラー油が沢山入ってしまうのは知っていたので、それはこっそり永一の前に置いた。

「ほんじゃ、いただきます」

永一に続いて、誠志朗達も声を合わせて、餃子をいただいた。

「うめー……、けど、ちょっと辛いな、これ」

「そう? でも、ほんと美味しいわー」

「ほんと、美味しいね」

「久しぶりに食べたけど、やっぱり美味いなっ」

 皮はモチモチで、キャベツなどの多めの野菜がジューシーで、特に生姜が効いていて食欲をそそる。本当にいくらでも食べられそうな味だ。

「ぶほっ、何じゃこりゃー」

 ラー油多めのタレで餃子を食べた永一が、静の作った中華スープを一口飲んで吹き出した。

「何だよ、汚いなー」

「そんなこと言うならおめーも飲んでみろっ」

 永一に言われて、誠志朗も恐る恐る一口飲んでみた。

「うおっ、辛い! って言うか、痛い!」

 それは、尋常でないほど胡椒が効いていた。

「やっぱり辛かった? 作ってる時、胡椒の蓋が外れちゃって、ドボって入っちゃったのよね。だから、多めのお湯で伸ばして醤油を足したんだけど、やっぱり駄目だった?」

「やっぱりじゃねーよ、殺す気かよっ」

「常盤は絶対飲むなよ!」

「……」

 常盤が無言でお茶を入れ始めた。

「ひどーい。常盤までーっ」

「ごめんね、静ちゃん」

「まったく……、味見しなかったのかよ?」

「多分、大丈夫かなーって思って……」

「全然、大丈夫じゃねーよっ。湯澤、お茶くれっ」

「はい、どうぞ。温めにしといたよ」

 誠志朗と永一は、常盤の入れてくれたお茶を一気に飲み干した。

「あーっ、死ぬかと思ったぜ!」

「いやーっ、生きててよかった!」

「ひどーい、あんた達ーっ」

「そんなこと言うんなら、星野も飲んでみろっ」

「うっ、……やめておくわ。ごめんなさい」

 折角作ったスープを、永一に散々扱き下ろされて、静はすっかり意気消沈してしまった。

「まあ、態とじゃないんだから、この辺にしとくか?」

 誠志朗は、ちょっと静が気の毒になって助け舟を出した。

「まあ、いいけどよ。そもそも、店で食うと、ご飯もスープもねーしなっ」

「そうだよ。確か、そうだったよ! 焼餃子と水餃子しかなくて、ご飯もジュースもなかったよな?」

「じゃ、いいや、餃子メインでいくか。でもよー、タレも辛いんだけどよー」

「それは、知らないけど、ちょっとラー油が効いてる方がご飯が進むんじゃないか?」

「それもそうだな」

 そう言って、永一が、また餃子を食べ始めたので、誠志朗も、笑いそうなのを堪えながら食べ始めた。

「冷めないうちに食べよ。静ちゃん」

「そうね。いただきましょう」

常盤が、ちょっと元気がなくなった静に声を掛けて、漸く静も餃子を口にした。

「ところでよー、仕事は進んでんのか?」

永一が、ちょっとラー油が効いているタレで餃子を貪りながら、誠志朗に聞いてきた。

「ああ、ちゃんとやってるよ。永一が出掛けた後、インバウンドの動向を調べて、アニメと声優のイベント関係を調べて、午後はアニメツーリズムを調べる予定だよ」

「おーっ、ちゃんとやってんじゃん! それと、湯澤よー、データは出来るだけ拾っといて、グラフ化しといてくれよ」

「うん。分かった。やっとくね」

「それとよー、星野に頼んだ図面はあったか?」

「ええ。見付けておいたわ。ウィステリアにあるわ」

「そうか。じゃあ、俺は、その図面を持って午後も出掛けてくっから、後はよろしくなっ」

「何だよ。また出掛けんのかよ?」

「じゃあ、代わってくれんのか? 日光の土木事務所行ったり、宇都宮の設計事務所行ったりよー」

「いやっ、……やめとくよ」

 土木事務所とか設計事務所とか言われても、そもそもどこにあるかさえも知らない誠志朗は、到底、永一に代われる筈がないと思ったのだった。

「ほんじゃ、午後もよろしくな。ご馳走さん」

 胸のポケットから取り出した銀の板櫛で、自慢のオールバックの髪を整えながら、永一が席を立った。

「おい、もういいのか?」

「ああ、もう3人前は食ったからな。後はよろしく!」

誠志朗からウィステリアの鍵を受け取った永一は、個室食事処を出ていってしまった。

「何だよ、忙しいな」

「でもね、移動するのに時間が掛かるから仕方ないよね」

 確かに、鬼怒川温泉からは、同じ日光市でも市内まで40分くらい、隣接の宇都宮市内までは1時間くらい掛かるので、移動するだけでも大変なのは分かるが、常盤が永一の肩を持つのが面白くなかった誠志朗だった。

 それから、3人で残った餃子を平らげた。永一が3人前を食べて、静と常盤の二人で3人前を食べたとして、誠志朗が6人前を食べた計算になる。

「あー、お腹一杯だ。ご馳走様」

「でも、凄く美味しかったね。ご馳走様でした」

「ほんと、美味しかったわ。ご馳走様でした」

 それから、静と常盤が後片付けをすると言うので、誠志朗も手伝おうとしたのだが、「少ないから大丈夫だよ」と常盤に言われて、先にウィステリアに戻ることにした。

 呼び鈴を鳴らして誠志朗が部屋に入ると、無用心にも鍵は掛かっておらず、永一は設計図を持って既に出掛けてしまっていた。

「しょうがないな、まったく」

 つぶやきながら、鬼怒川の渓谷が見える広縁の椅子に腰掛けて、お決まりの昼寝をすることにした。ここ数日は、夜中までアニメ・声優関係の調べものをしていた所為か、誠志朗は椅子に座って数秒で眠りに就いていた。



「お兄ちゃん、そろそろ起きて」

 優しく肩を揺すられて、誠志朗は目を覚ました。

「ふあーっ、もう時間?」

「もうすぐ一時だよ。気持ちよさそうに寝てたね」

「ふあーっ、ここんとこ、ずっと寝不足だったからなー」

「お疲れ様、お兄ちゃん」

 ちょっと垂れ目でくりくりっとした眼が可愛らしい常盤にそう言われると、疲れも吹っ飛ぶ気持ちになる誠志朗だった。

「さて、やるか? 静は?」

「もうすぐ来るって」

 誠志朗が立ち上がって自分の席に座ると、静が呼び鈴を押して部屋に入ってきた。

「お待たせーっ、これ食べながらやろ」

 そう言って、静が、トレーに載せてきたお皿をテーブルの上に置いた。

「親方特製の水ようかんよ」

「わあっ、美味しそう」

「あれだけ餃子を食べて、まだ食べるのかよ?」

「甘い物は別腹よ。ねー、常盤」

「うん。そうだね」

「これはね、初積みミントを使った薄荷ようかんなのよ。ハーブ農家さんから分けてもらった初積みミントを使ってるのよ」

「へーっ、そうなんだ。ミントの葉が上にも載ってるんだね」

「食べてみてっ」

「うん。いただきます」

 常盤が、漆塗りのさじで一口食べた。

「美味しー。ほんのり甘くて、ミントの香りがすっきりしてて」

「でしょ、でしょ!」

「ほんとだ。さっぱりしてて美味しい」

「何よ、あんたはお腹一杯なんじゃなかったの?」

「何だよ、誰も、食べないなんて言ってないだろ」

「またまた、どうしてそうなっちゃうのかなぁ? 美味しいものを食べてる時に、けんかしてる人はいないんだよっ」

確かに、常盤の言うとおりなのだが、どうも、静が突っ掛かってくるので、どうしても売り言葉に買い言葉になってしまう誠志朗だった。

「じゃあ、そろそろ始めるよ。午後は、アニメツーリズムについて調べるけど、常盤、このサイトを出して」

 誠志朗は、スマホで呼び出したサイトを常盤に見せた。

「はーい。ちょっと待ってね」

 そう言いながらマウスをクリックして、常盤が画面にサイトを表示した。

「お待たせっ」

「どれどれ?」

 静もパソコンの画面をのぞき込んだ。

「まず、昨日行ってきた大洗町に関するレポートなんだけど、これによると、聖地巡礼に訪れる観光客は年間約16万人なんだって」

「へーっ、それって一日に何人?」

「えーとね、435人だよ。静ちゃん」

「うそ? そんなに来るの?」

「昨日だって、平日の雨の日なのに、結構な人が、ガイドマップを持って街中を散策してたぞ。ランチを食べたり、お団子を食べたりして」

「何よー、私を置いてきぼりにして、そんなことしてたの?」

「違うだろっ。静が勝手にいなくなったんだろ?」

「ねえねえ、どうしてまたそうなっちゃうのかなー?」

「ごめん」

「ごめんなさい」

「じゃあ、続けましょ」

「ん、んんっ、じゃあ、続けるけど、大洗町が町興しに成功したのは、いくつか理由があって、一つ目は、アニメの中で地元の高校が大会で優勝すると、『祝 優勝おめでとう』といった横断幕やのぼり旗を掲げて、本当に地元の高校が優勝したように町全体で盛り上げたんだって」

「へーっ、そうなんだ。それって、アニメを見たことがない地元の人達も興味を持ってくれるんじゃない?」

「そうだね。一体感って言うのかな? お祭りみたいな感じかな?」

「そうかもね。それと、商店街が協力して、アニメの登場人物やストーリーに沿った商品やサービスを提供してるんだって」

「お団子もそうだけど、ダージリンさんの紅茶とかもあったよね」

「そうだな。それに、キャラクターの等身大のパネルがあちこちのお店に設置されてたりして、ファンの人達を街中に回遊させる仕組みがあったよね」

「そうだね。お店の人も気さくに話し掛けてくれてたもんね」

「あんた達だけ、ずるいわよ。私も行きたかったなぁ」

「だーかーらー、勝手にいなくなるからだろう」

「だってぇ……」

誠志朗と常盤の話を聞いていた静が、一緒に大洗に行かなかったことを本気で後悔していた。話を聞いているだけでも、その場に行きたい気持ちにさせる魅力や仕掛けがあるようだ。

「それと、昨日は見られなかったけど、キャラクターを描いたラッピングバスや電車も走ってるんだって」

「えーっ、そんなのが走ってたら、ファンなら絶対乗ってみたくなるんじゃない?」

「そうだね。きっと、行政とか地元企業の関わり方が、ほかとは違うんだよね」

「じゃあ、そろそろ次にいくよ。常盤、次のページを出して」

「はーい」

「えーと、次は、埼玉県の久喜市の町興しなんだけど、アニメに登場した神社の参拝客が5倍になったんだって」

「えーっ、どういうこと? 9万人から47万人になってるわよ」

「凄いねー」

「これは、聖地巡礼のファンに気付いた地元の商工会が、イベントを開催したり、キャラクターグッズを作って販売したり、対応が早かったことがよかったんだって。神社の絵馬型の携帯ストラップなんて、35,000個、2億2,000万円分も売れたんだってさ」

「えーっ、2億2,000万円! どんだけー」

「それと、面白いのは、その神社のお祭りで、キャラクターのお神輿を作ってファンと地元の人が担いで町中を練り歩ったんだって」

「へーっ、それって、地元の人もファンの人も、お互いを受け入れてるってことじゃないの?」 

「そうだね。地元のお祭りのお神輿を余所からきた人に担がせるなんて、普通しないもんね」

「龍王祭でも、そういう風に出来たら、もっと盛り上がるんじゃない?」

「そうだな」

「あーっ、そう言えば、常盤、知ってた? 今年の龍王祭は、どのホテルや旅館も、夜店を必ず出さないと駄目なんだって」

「うちは、毎年出してるよ。静ちゃん」

「あー、そうだったわよね。……どうしよう。夏休みで、唯でさえ猫の手も借りたいくらいなのに、うちでは人手が足りないわ」

「何でもいいから、手間の掛からない、かき氷とかの店を出しとけばいいんじゃないのか?」

「駄目よっ。うちの親方、ああいうのには一家言あって、全然妥協しないのよ。だから毎年、何だ彼んだと理由を付けて態と出さないようにしてたのに、今年は強制なんだもの」

「じゃあ、親方特製の和スウィーツにしたら。あんみつとか、葛切りとか、薄荷ようかんとか。凄く美味しかったし」

「それいいかも! 静ちゃん」

「そうねぇ……、でも、やっぱり無理だわ。とにかく人手が足りないもの……。かと言って、うちだけ出さない訳にもいかないし……。そうだ、誠志朗、あんた暇でしょ。手伝いなさいよっ」

「駄目だよ。俺、暇じゃないよ。その頃は、8月にやる小原沢の魚のつかみ取りの準備をしなくちゃいけないから……。それに、『熱湯ヒーロー・リュウオウジャー』とかっていうのも頼まれてるし……」

「うそ? 誠志朗、リュウオウジャーやるの? 面白ーい、見に行こうっと。でも、それは昼間でしょ。夜は空いてるじゃない?」

「駄目だって。夏休みはスーパーひらたやさんの豆腐の特売も頼まれてるし……」

「たった2日間なのに、あんた、お得意先の頼みを聞けないって言うの?」

「うっ、それは……」

 確かに、華なりの宿しずかは、恋し屋豆腐店の上得意で、売上の可成りのシェアを占めているのは事実だった。

「じゃ、決まりねっ。頼りにしてるわよ誠志朗。親方にも言っておくわ」

「汚いぞ、静!」

「あら、お得意先にその言い方は如何なものかしら?」

「うっ……」

そうして、ステークホルダーに逆らえない恋し屋豆腐店の若旦那は、華なりの宿しずかの夜店の手伝いをすることになったのだった。

「じゃあ、そろそろ次にいく?」

話が一段落したところで、常盤が先に進めるように促した。

「じゃあ、何か納得いかないけど、次にいくよ」

「何か言った?」

「いや、何も……。じゃあ、常盤、次のページを出して」

「はーい」

「これは、北陸の温泉旅館を舞台にしたアニメの町興しで……」

「温泉旅館? うちにピッタリじゃないっ」

静が、食い入るようにパソコンの画面をのぞき込んだ。

「いや、それがそうでもないんだけど……」

「何よ、もったいぶらずに早く言いなさいよっ」

「分かったよ。まず、アニメの放送後は、前の年に比べて、7~8月の宿泊者数が3割近くも増えたんだって」

「えーっ、3割って凄いじゃないっ」

「でも、静ちゃん、7~8月のトップシーズンのことだから、鬼怒川温泉とは環境が違うのかもね」

「それもそうね」

「それと、ここの凄いところは、アニメに出てくる架空のお祭りを、実際に開催したところなんだよ。しかも、それを毎年続けていて、4回目のお祭りの時には、12,000人以上の人が来たんだって」

「へーっ、画期的ねー」

「ところが、ほかとちょっと違うのは、温泉地としての本質を見失わないために、声優を呼ぶような単なるアニメのイベントにはしないで、伝統的なお祭りとして根付かせようとしてるところなんだよ」

「それって、アニメを通して、温泉地としての魅力を発見してもらうってことなのかな?」

「そうだと思う。アニメは切っ掛けにしか過ぎないってことだと……」

「そうよね。それが大事よねっ」

 静が、妙に納得してつぶやいた。

「で、これで一通り見たことになるんだけど……」

「じゃあ、ちょっと休憩にする?」

「じゃあ、お茶入れるね」

 椅子から立ち上がって、常盤がハーブティーを入れ始めた。

「でも、こうやって調べてみると、アニメって凄いわねっ」

「そうだよな。何か可能性を感じるよな」

「ほんとだね。はい、お茶どうぞ」

「ありがと。えーと、次は……、何を調べるんだっけ?」

 誠志朗が、レモングラスのハーブティーをすすりながら、次にやることの確認をした。

「えーとね、次はー、旅行代理店へのヒアリングだね」

「じゃあ、私が事務所で電話してくるわ。でも、どんなことを聞けばいいの?」

「そうだなぁ……、鬼怒川温泉にアフレコスタジオを造る計画があって、アニメのイベントや声優さんのトークショーを計画しているんだけど、アニメツーリズムとしての可能性があるかとか、インバウンド誘致の可能性があるかとか、ほかでやっている実績があるかとか、ってとこかな」

「分かったわ。じゃあ、電話してくるわね」

 誠志朗に言われたことをメモし終えると、静は、席を立って部屋を出ていった。

「お疲れ様、お兄ちゃん」

「ああ、常盤もお疲れ様」

「何か、いい感じで進みそうだね」

「そうだな。やっぱり、実際に大洗に行って見てきたのがよかったのかもしれないな」

「うん。そうだね。金崎君の言うとおり『百見は一体験に如かず』だったね」

「ちぇっ」

「ん? 何か言った、お兄ちゃん?」

「いやっ、言ってないよ……」

 常盤がまた、永一のことをよく言うものだから、誠志朗は正直、面白くなかった。

 それから暫くして、部屋の呼び鈴が鳴ったので、常盤が「はーい」と返事をしてドアを開けた。

「おまたせーっ」

 静が、トレーに載せて、また何かを運んできた。

「アイスコーヒー飲んでみて」

 そう言いながら、誠志朗と常盤の前にアイスコーヒーのグラスを置いた。

「最初は、何も入れないで飲んでみてっ」

「俺、コーヒーは苦手で……」

「私もちょっと……」

「いいから、だまされたと思って飲んでみてよ」

「ほんとに、だまされるんじゃ……」

「何か言った?」

「いやっ、何も……」

「いいから、飲んでみてよっ」

「分かったよ」

 余りにも静が強く勧めるので、誠志朗と常盤は、仕方なくアイスコーヒーに口を付けた。

「ん? 美味い」

「ほんのり甘くて、美味しいねー」

「でしょう! これは、水出しコーヒーなのよ」

 静が、さも自慢げに腕組みしながら説明した。

「あっ、聞いたことある! 水でゆっくりと抽出する入れ方なんだよね」

「そうそう。そうするとカフェインとかタンニンとかが少なくて、胃にも優しいんだって。美味しいアイスコーヒーを出したくて、こないだウォータードリッパーを買ったのよ」

「ほんと、美味しいね。でも、水出しって時間掛かるんだよね?」

「そうなのよ。10人分で6~8時間も掛かっちゃうのよ。朝、仕込んで、さっき出来たのよ」

「えーっ、そんなにー。 それじゃ大変だね」

「だから、今回、5台まとめて買ったのよ。これからアイスコーヒーが出る時期だし」

「でもさ、これなら、コーヒーが苦手な人でも大丈夫かもな?」

「ほんとだね」

「でしょう。親方がうるさいのよ。『やるんなら、とことんやらないと駄目だ』って。それに、コーヒーラウンジに置いておくと、ちょっとしたインテリアにもなるし、ちょうどよかったわ」

 何がちょうどよかったのかは分からなかったが、親方のこだわりはよく分かった誠志朗だった。

 それから、思い思いに、ガムシロップやミルクを入れて、水出しコーヒーを堪能していると、部屋の電話が鳴ったので静が受話器を取った。

「はい、藤の間です。――私です。お疲れ様です」

 Gの音程の透き通った女将モードの声で、静が続けた。

「つないで下さい。――お電話換わりました。態々お電話をいただきまして申し訳ございません――」

 どうやら、旅行代理店からの電話のようだった。

「はい。まだ計画の段階なのですが――。はい。そうです。それで、アニメツーリズムやインバウンド誘致の可能性があるか、おうかがいしたいと思いまして、それと、余所で同じようなことをやっているところがあるのかどうかも――。明日の午後ですか? はい。畏まりました。こちらこそよろしくお願いいたします。ありがとうございました。失礼いたします」

 静は、相手が電話を切るのを確認してから、そっと受話器を置いた。

「代理店さん? 何だって?」

「面白い企画だから、是非、詳しい話を聞きたいって! 明日の午後、来てくれるって」

「おー、やったー」

「凄ーい!」

 旅行代理店が興味を示したことで、誠志朗達は一気にテンションが上がった。

「じゃあ、今までのを参考にして、具体的なアイディアを出していくか?」

「そうね。そうしましょう」

「うん。そうしよう」

 他人に認められることで、これまで暗中模索でやってきたことが、間違いでなかった気がしてきて、誠志朗達のやる気が倍増したようだった。

「アフレコスタジオの設備の方は、永一に任せるとして、俺達は、スタジオが出来た後のことを考えるか?」

「スタジオが出来ると、そこで収録するのよね? と言うことは、声優さんが来るってことでしょう。それを目当てにファンの人達も大勢やってくるのよね」

「そうなると、キャラクターグッズやお土産を買ったり、食事をしたり、遠くから来る人やインバウンドの人達は宿泊することになるんだよね」

「そうだな。その辺で色々考えてみるか?」

「じゃあ、私が書記やるわ」

 静が、が然、張り切りだして、自ら書記を買ってでた。

「じゃあ、取り敢えず、ブレインストーミングで、どんどん出してくか?」

 誠志朗の進行に合わせて、静が、さっき常盤が言った項目を、ホワイトボードに流麗な文字で記入していった。

「それとね、アニメのイベントや声優さんのトークショーに、キャラクターや声優さんのお誕生日イベントもあるよ」

「それと、あれもやりたいよなっ。ホテルや旅館にキャラクターや声優さんのパネルとかを置いて、スタンプラリーとかも」

「いいわね! お客様を回遊させる仕掛けねっ」

「それなら、電車やバスもラッピングにして、記念乗車券とかもいいかも。それと、キャラクターの衣装を着て記念撮影とか」

「コスプレって奴だなっ」

「そうしたら、そのコスプレを見にくる人も集まるんじゃない?」

「投票でコスプレのグランプリを決めるとかも面白いかも」

「一般の人も参加出来るようにしてなっ」

「何だか、お祭りみたいで楽しそうねっ」

「そうだよ。お祭りだよ。非日常っていうか、脱日常っていうか……」

「それって、ハレとケってことかな?」

「何それ? ハゲと毛?」

「違うよ、静ちゃん。あのね、ハレの日って言うでしょ。ハレは結婚式とかの非日常のことで、反対にケは普段のことで日常ってことなんだよ」

「そうだったんだ。じゃあ、例えば、温泉に遊びにくるのはハレってこと?」

「そうだよ。でもね、ずっと温泉にいたら、それは日常になっちゃってケになっちゃうんだよ」

「何かよく分からないけど、ハレもマンネリになるとケになるってこと?」

「そのとおり。流石、静ちゃん」

「だから、逆に、何気ない毎日の繰り返しの中に、ハレを求めて温泉に来るんじゃないのか?」

「うーん、誠志朗にしてはまともなことを言うわね」

「何だよ、俺にしてはって?」

「あら、聞こえてた? 失礼いたしました」

「ちぇっ」

「またまたー、二人ともその辺にして続きをやろうよ」

 またもや雲行きが怪しくなりそうなところで、常盤が気を利かせた。

「そうだな。じゃあ、ハレの日には何をしたいか考えるか?」

「そうねー、美味しいものを食べたいわよね」

「アニメに出てくる料理を実際に提供するのはやってたから……、声優さんの好きな食べ物とか、声優さんのオリジナルレシピの料理とかはどうかな?」

「いいな、それ」

「楽しいこともしたいわよね。音楽を聴いたり、ゲームをしたり」

「声優さんは、アニメの主題歌を歌ってたりしてるから、ライブとかミニコンサートをやったり、ファンと一緒にゲームをしたり。それと、ラジオ番組をやってる人もいるって澪が言ってたから、公開録音とかも」

「そうだね。それなら、ファンの人と一緒に盛り上がれるよね」

「そうね。一体感は大事よねっ。それと、幸せのお裾分けもしたいわよね」

「幸せのお裾分け? 何だよそれは?」

「チャリティーオークションとかよ。アニメや声優さんのグッズをオークション形式でファンの人に落札してもらって、その売上の一部を寄付するのよ」

「それいいね、静ちゃん」

「なるほど。そうすれば、みんなハッピーな気持ちになれるよなっ」

「でしょう! それが、幸せのお裾分けよ」

 静が、腕組みしながら得意げな顔をした。母親が亡くなってから始めたという『乳がんをなくす ほほえみ基金』のことを考えていたのだろう。

「まあ、取り敢えず、こんなところかな」

 誠志朗は、静が記入したホワイトボードに目をやった。


 ◇収録

◇キャラクターグッズ

◇お土産

◇アニメのイベント

◇トークショー

◇キャラクターと声優の誕生日イベント

◇キャラクターと声優のパネル展示

◇スタンプラリー

◇ラッピングバス・電車

◇コスプレ・記念写真

◇キャラクターや声優の好きな食べ物

◇ライブ・ミニコンサート

 ◇ゲーム

 ◇ラジオ番組の公開録音

 ◇チャリティーオークション


 誠志朗がホワイトボードの内容を確認している時、テーブルの上に置いたスマホが鳴った。

「おっ、永一だ。はい。もしもし」 

「だからよー、『もしもし』じゃねーって言ってんだろっ」

「あっ、そうか。ごめん」

「まあ、いいけどよ。あのよー、こっちは思ったより時間掛かってっから、この後、宇都宮の設計事務所に行ったらそのまま直帰すっからよー、そっちの内容をメールしといてくれや」

「ああ、分かったよ」

「じぁあな」

 そう言って、永一の電話は切れた。

「金崎君から? どうかしたの?」

「思ったより時間が掛かってて、設計事務所に行ったらそのまま帰るってさ。今日の内容をメールしてくれだって」

 誠志朗は、永一のメールアドレスを呼び出したスマホを常盤に渡した。

「分かった。送っておくね」

 静の記入したホワイトボードを見ながら常盤がメールを打ち始めた。

 こちらも思ったより時間が経っていて、部屋の時計は3時を回っていた。

「じゃあ、ちょっと早いけど、今日はこっちもお仕舞いにするか?」

「そうね。今日は金曜日で、うちもちょっと忙しいし……」

「そうだね。私もお花のお稽古に行かなくちゃ」

 続きは各自考えて、明日の朝、発表することにして、今日のところは解散となった。静が、食器の片付けをして先に部屋を出ていった。

「お疲れ様、お兄ちゃん」

「常盤もお疲れ様」

「でも、何かいい感じで進んでるね」

「ああ、そうだな。これなら何とかなるんじゃないかな?」

「そうだね、きっと上手くいくよね」

 常盤が、永一へのメールを打ち終えるのを待って、誠志朗達と常盤もウィステリアを後にしてロビーへ上がっていった。

 ロビーでは、ちょうど到着したばかりの大型バスの団体客を、静が笑顔で出迎えていた。ロビーも混雑していて、静も可成り忙しそうにしていたので、誠志朗は、ウィステリアの鍵をフロントに返して、常盤の迎えの車を外で待つことにした。

帰り際に目の合った静が、誠志朗と常盤に無言でお辞儀をしたので、誠志朗は右手を軽く上げて、常盤は小さく手を振って玄関を出た。

すぐに常盤の迎えの車が来たので、後部座席に乗った常盤を見送ってから、誠志朗も裏口に回って帰り支度を始めた。ずっと建物の中にいて気が付かなかったが、外は今にも泣き出しそうな空模様になっていて、誠志朗は急いでバイクのエンジンを掛け、ヘルメットとグラブを装着して、エンジンが暖まるのを待って発進した。

駐車場から緩い坂道を上って、桜並木通りを左に出ると、両側の歩道は、東武鉄道鬼怒川温泉駅から温泉街に向かう人の波が続いていた。梅雨で暇な時期とはいえ、流石に金曜日ともなれば可成りの人出のようだ。

そのまま直進して、市役所支所と消防署を過ぎて、左手の鬼怒川の対岸に常盤のきぬやホテルを見て、吊り橋入口を右折し、会津西街道の旧道を一気に駆け上がると、ほどなくして家に着いた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ