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 暴漢イベントから、2日が経った。

 あれから、無事エリーゼを宿に送り届けると宿は蜂の巣をつついたような騒ぎとなった。

 いつも、必ず門限を守っている愛娘が、今日に限っては妙に遅い。買い出しを頼んだ荷物だけが裏手に置いてあり、夜が暮れても戻ってくる気配はない。

 加え、最近街では若く美しい娘だけを狙った拉致事件が話題となっている。

 そんな状況で、宿屋の主人が心配しないというのは不可能であり、彼はなんと食堂を閉め宿の入り口で仁王立ちで待っていた。

 そこに現れたのが、男物の服を羽織ったほぼ全裸の愛娘と、彼女に服を貸したであろう上半身裸の若い男。

 しかも愛娘は疲労困憊といった有り様であり、目元に泣いた後があるとくれば、彼が邪推しないというのは土台無理な話だった。

 故に、僕は彼の怒りに一切逆らわず、殴られるに任せ説明はエリーゼに完全に任せることにした。

 無論、エリーゼが恩人たる僕を庇わないわけがなく、誤解に気づいた宿の主人はすぐさま申し訳なさそうかつ感謝した様子で詫びを入れてきた。

 ここでエリーゼの気の利くところが、僕とデートしていたために遅れてしまったと言わないところだ。

 彼女の話の中では、僕は街中で怪しい男達に尾行されている彼女を心配して後を追った善良な一般客であるということになっている。

 実際はかなり違うのだが、それを知る由もない宿屋の主人は、詫び件お礼として僕の宿泊代を今後一年無料にしてくれることを約束してくれた。

 正直宿屋の主人からお礼が出ることを期待していなかった僕は、このお礼をありがたく受け取ったのだった。

 さて、ここまでは順調だった僕だが、ここで一つ問題が出た。

 そう、あれから2日経ったにもかかわらず、エリーゼとセックスできていないのだ。

 エリーゼが僕に恋心を抱いて居らず、ただの恩人としてしか見ていないならば僕も諦めたが、彼女が僕に惚れているのは客観的に見ても明らかだった。

 それは、彼女が僕を見る眼からも明らかだった。やや釣り目がちの目を、とろんと潤ませて、ぼうっと僕を見るのだ。接客中も、僕が食堂に来るとそんな様子なので、彼女の分かりやすい恋心はすぐさま宿中に知れ渡った。

 わずか2日だというのに、すでに20回近くいちゃもんをつけられていることから、彼女の密かの人気の高さを思い知らされる。

 そんなベタ惚れな彼女なのだ、恐らくは押し倒されれば拒めまい。

 そう、未だ彼女とセックス出来ていないのは、僕の方に問題があった。

 いや、別に僕が包茎だとか短小というわけではない。もっと根本的な問題だ。

 どうやって、彼女をセックスに誘えば良いかわからないのだ。

 え? 今さらなに言ってんの? と突っ込まれそうだが、忘れないで欲しい。僕が童貞だということを。そして、自分が童貞だった頃の気持ちを。

 彼女をセックスに誘う時、それは童貞にとって告白する時よりも緊張する瞬間だ。

 もし、間違った誘い方をすれば、百年の恋も一瞬で冷め、破局。

 それでも恋人同士なら『なんとなく』という曖昧な感覚で結合できるかもしれない。

 だが、僕とエリーゼは恋人ではないのだ。

 ……確かに、あの日のエリーゼの笑みには見惚れた。ひきつった、見るものが見れば痛々しいとしか表現できない笑みだったが、僕の目にはこの上無く美しく見えた。

 正直に言おう。ぶっちゃけときめいた。

 だが、それと恋人になるのは別だ。

 一度恋人関係になれば、様々なしがらみが生じる。その最たるものが、他の女と浮気できないということだ。

 それは、絶対に困る。

 “知識”を得る前の僕だったら喜んでエリーゼと付き合っただろう。

 だが、今の僕は知ってしまっている。僕が様々なタイプの違う美女たちと次々にセックスができるスペックを持った選ばれし者――エロゲ主人公であることを。

 にもかかわらず、一人の女に操を捧げるなどとんでもない。出来る限り多くの女とセックスがしたい。そう思うのは男の本能であり、夢だ。

 その夢を叶えられる可能性があるのに、捨てるのはただのバカだ。

 だから、その、つまり、エリーゼと望む関係は、セフレ、という形が望ましい。彼女には絶対に言えないことだが。

 そこで、彼女と恋人関係にならないような、それでいて彼女に嫌われないような誘い文句をここのところずっと考えているのだった。

 だが。


(「ねぇ、良ければ今度一緒にセックスしない?」……ダメだ。デートの誘いとは訳が違うんだから。

「童貞と処女、交換しようよ」……あり得ない。

「ヤらせろよッ」……論外。

「セックスが……したいです」……これもダメだな。

「そろそろ交尾の時期だと思わない?」……動物じゃないんだから。

「穴、貸せよ」……うん? これはなかなか……)


 思考が完全に迷走し、いささか危険な方向に傾き始めた時、ふと僕に掛けられる声があった。


「さっきから何考えてるの?」

「うん? そりゃもちろんエリーゼと交b………ッ」


 ハッ、と顔を見上げれば、そこにいたのは不思議そうな顔をしたエリーゼだった。


「こう……何?」

「そ、その~、こ、こ、こう……」


(な、なんでもいい、こうから始まって不自然じゃない単語を捻り出せ~、僕の脳!)


「こう?」

「交際……いや、なんでもないッ、わ、忘れて」

「う、うん」


 危うく、交際といいかけた僕は慌て会話を打ち切った。

 危ない危ない、なんでもいいとは思ったけど、交際だけはない。それを口にしたら最後、純愛ルート一直線だ。

 チラリ、とエリーゼの様子を伺うと、彼女は顔を真っ赤にしてもじもじとしていた。

 こ、これはアウトだったか? 聞かれたかも……。いや、でもこの2日僕と話す時はこれがデフォだった気も……。


「……………………………」

「……………………………」


 二人の間に、気まずい沈黙が落ちる。

 さりげなく彼女の様子を伺うと、彼女の着ている服が僕と一緒に買いにいったものだということに気づく。見れば、アクセサリーも僕が買ったものだ。

 僕はこれ幸いと彼女にその話題を振った。


「その服、あの日買った奴? いいね、似合ってる。そのアクセサリーも」

「ホントッ? 良かったぁ」


 彼女はパッと顔を輝かせると、ホッと胸を撫で下ろす。


「うんうん、凄い似合ってるよ。特に胸元が空いててセクシーだ」

「えー、エッチだなぁ」


 胸元を隠すようにして笑うエリーゼ。


「うん、実は僕エッチしたいんだよね」

「えっ?」

「えっ?」


 …………? しまったッ、言い間違えたァァァァ!


「ごめん、言い間違えた。実は僕はエッチなんだよ、の間違いね」

「え? あ……、びっくりしたぁ。でもあんまり意味違わないねぇ」

「確かに」


 クスクスと笑う彼女に僕も笑い返しながらなんとかコメディな空気で流せたことに安堵する。


「それで、何か用でもあるの?」

「あ、うん。実は、次の買い出しのことなんだけど……」

「うん?」

「あの、お父さんがね? この前あんなことがあったから、お前一人では買い出しに行かせられないって言いだして、でもやっぱりお父さんが全部買い出しするのはどうしても不可能で、そこでケインくんが一緒ならお父さんもいいって……ごめん、意味わからないよね」

「や、大丈夫。通じてる。つまり僕に買い出しの護衛をして欲しいと」

「う、うん。そういうことッ」

「……うーん」


 コクコクと頷く彼女に、僕は腕を組み思考する。

 正直、本音を言うならば断りたい。もう彼女の買い出しに行く予定は無く、今後も毎週末1日彼女に付き合って潰れるのは、精神的にも時間的にも厳しい。

 先日、100人切りを成したことで、新たな称号とスキルを得たのに加え、LV9となりクラスまで後一歩となった。

 クラスとは、LV10になると得られるボーナスのようなもので、取得することでLVUPの度にステータスにボーナスとクラススキルというクラス特有のスキルを得ることができる。

 クラスは基本的に剣士系統、騎士系統、魔術師系統、盗賊系統の4つなのだが、特殊な条件を満たすことで特殊クラスを得ることができる。

 その中でも、ゲーム中最も強いとされていた職業がある。

 その取得条件から半ば諦めていたのだが、先日取得した称号で半分達成したので、今週中に仕上げをしておきたい、というのもあった。


「あ、あのね、ごめん、嘘。買い出しは口実なの」


 僕が悩んでいるのを見たエリーゼは、少し焦ったようにそう言った。


「口実?」

「う、うん。ほら、私、まだ助けてもらったのにその……お礼してないでしょ? だから、その、お礼したいな、って思って」

「お礼かぁ、別に気にしなくていいのに」


 お礼を、以前のデートの際と同様僕のコーディネートなどと思った僕はそう言う。ここで、「お礼? じゃあそのエロい躰でお礼して貰おうかな? ……しゃぶれよ」などと言えたら楽なのだが、童貞の僕にそれは不可能というものだった。

 だが。


「そ、そのお礼っていうか、ほ、奉仕っていうか、ほら、男女が二人でするモノっていうか……」

「え? それって……」


(まさか、セックスのお誘い……?)


 僕がゴクリと生唾を呑み込むと、彼女はこれ以上ないほど顔を赤くして俯く。


「ど、どうかな?」


 答えは決まっていた。これは要するに、毎週末セックスしましょうというお誘いだ。僕はそう認識した。というかこんなに思わせ振りなことをしたんだから、違ってても押し倒す。


「もちろん、イく」

「ホント? 良かったぁ、じゃあ……週末に、ね?」

「うん」


 頷く僕に、彼女はもう一度はにかむように笑いかけると接客に戻っていった。


「……………………………」


(ついにこの時が来たか……)


 十数年間背負った童貞という荷を捨てる時が。

 実に、感慨深い。

 週末、ということは後4日。あと4日で、エリーゼとセックスができる。

 そう考えると、僕はもういてもたってもいられない気分だった。

 こんな気分では、今日はもう迷宮には潜れないな。格下の魔物でも不覚を取りかねない。それに、前々から武器屋に注文していた装備一式もまだ出来上がっていない。

 今日は1日ゆっくりすることにしよう。

 そうだ、週末に向けてエッチな玩具を買いに行くのもいいかもしれない。きっと楽しい事になるだろう。

 そんな風に、週末に向けて思いを巡らせていると、ふと粘っこい視線を感じた。

 食堂の一角。身なりの良い服を来た集団がこちらをニヤニヤと不快な目線で見ている。

 最近、というかこの2、3日で見かけるようになった男達だ。

 この安宿屋には似つかわしくないほどの高級品を身に纏い、高そうなアクセサリーをじゃらじゃらと身に付けている。

 彼らの、まるで憐れなものを見るかのような視線に嫌なものを感じながらも、僕は街へと出かけるのだった。

 

 

 


 そしてあれよあれよという間に、3日が経過し、週末の前日を迎えた。

 もうこの頃になると、僕も1日中そわそわして落ち着かなくなり、ついに装備ができたことも手伝ってクラス取得の為迷宮、『群れた 小鬼の 王国』に来ていた。

 『群れた 小鬼の 王国』は、森林型の迷宮だ。辺りには鬱蒼とした木々が生い茂り、そこかしこから魔物共の息遣いを感じる。そんな迷宮だ。 

 ちなみに、現在の僕のステータスは以下の通り。


[メインステータス]

■アルケイン=健康

■LV=9

■HP=812/192(+620)

■MP=513/93(+420)

・筋力=2.62(+36.00)

・反応=4.16(+41.00)

・耐久=2.81(+21.00)

・魔力=1.80(+16.00)

・意思=2.21(+21.00)

・感覚=3.62(+36.00)


■ボーナスステータス=8.00


 ボーナスステータスも8と中々たまって来ており、どう振るか悩みところだった。

 また、レベルアップによる上昇で、素のステータスも微妙に上昇している。まぁ、称号に比べたら誤差のようなものだが。

 ちなみに新しく手に入れた称号はこれ。


【百人斬り】:HP+100、筋力+5.00、反応+5.00、感覚+5.00。アクティブスキル≪辻斬り≫


 人間やエルフなどのいわゆる『人』を一度に百人殺すことで手に入れられる称号だ。アクティブスキル≪辻斬り≫は、相手を斬ることでダメージの10%のHPを回復するスキルである。MPの使用がないので、パッシヴスキルよりのアクティブスキルだ。

 これに加え、100人以上を首を切断して殺したことにより、パッシヴスキル≪首刈り≫も取得している。称号と同様、一部のスキルも条件を達成することで取得することができる。

 大半のスキルは称号とセットになっていることが多いが、バラで与えられるスキルは、取得が難しい分強力な物が多い。

 この、1日に百体の敵をクリティカルで殺すことで得られる≪首刈り≫も、取得するだけでクリティカル率が2倍に跳ね上がるスキルだ。

 ゲーム中では、クリティカルが出るかはどうかは運任せであり、かなり取得がめんどくさいスキルなのだが、現実では故意に首を刈ることで容易に取得できた。

 この世界の生物には、生まれつきどうしても鍛えられないウィークポイントが存在しており、そこはクリティカルポイントと呼ばれている。クリティカルポイントはそれぞれの種族で固有の場所に設定されており、人間の場合は首と金玉などの性器となる。

 これは攻略サイトには載っていない知識であり、この世界の住人である僕と向こうの知識が合わさった結果とも言える。

 ともあれ、このスキルを得たことで、クリティカルポイントを知らない敵でも、なんとなく、本当になんとなくだがクリティカルポイントが感覚でわかるようになった。

 クリティカルポイントを攻撃すれば防御力無視なので、硬い敵を倒すのが非常に楽になるだろう。

 類似スキルに、計1000体の敵をクリティカルで殺すことで得られるスキルもあり、それも取得すればさらにクリティカルは出やすくなるだろう。

 さて、話は戻るが、今回この『群れた 小鬼の 王国』に来たのはクラス取得の為の最終調整の為だ。

 そのクラスの取得条件は、以下の四つ。

 一つ、称号【百人斬り】を取得していること。

 二つ、全ステータスが、15.00を超えていること。

 三つ、最も高いステータス二つが30を超えていること。


 そして最後。計1000体以上の人型モンスターを殺害することだ。

 ……一人殺せば人殺し、百人殺せば英雄という言葉がある。

 このクラスの名は、英雄。

 大量殺人を行わなければならない、クラス名と真逆の性質を持った最悪のクラスだ。

 通常、剣士ならば筋力と反応が1.00づつ、魔術師ならば魔力と意思が1.00という具合に、1LVに付き2.00+ボーナスステータス1.00が通常なのだが、このクラスは全ステータスに1.00づつ+ボーナスステータス+3.00というイカれた性能を有している。反面、他の職業の3倍の経験値を必要とするが、まぁ些細な問題だ。

 明らかなバランスブレーカーなクラスなのだが、これには理由がある。

 この英雄というクラスは、通常は剣士や魔術師といったクラスでかなり高レベルになってから転職できるようになれるクラスなのだ。

 故に、英雄になってから上げられるレベルなどたかが知れており、バランスブレーカーとはなり得ない。

 だが、そんな前提条件を覆すシステムがこの世界にはある。そう、称号システムだ。

 世界を画面の向こう側から俯瞰し、ネット上で情報を共有できるプレイヤーにとって、この取得条件は緩過ぎた。

 恐らく、プレイヤーたちの半分以上がLV10と同時に英雄、ないしはそれに匹敵する上位職業になるのではないだろうか。

 だが、現実にこの世界に生きる僕にとって、この条件は厳し過ぎた。

 なんせ、百人だ。百人もの人間を、1日で殺害する。戦場でもなければまず不可能だし、普通に指名手配される。僕の人生ゲームオーバーだ。故に、僕は英雄クラスを半ば諦めていたし、他のクラスを取る準備をしていた。

 だが、それは前日の暴漢イベントで解消された。

 スラムという自警団も立ち入りを躊躇う治外法権の土地。奴らの縄張りで、他に目撃者のいない絶好の立地。そして、かつて幾度となく女を襲い、その人生を狂わせて来た外道たち。殺すのに、なんら躊躇う要素はなかった。

 まるで、世界が僕に英雄というクラスを用意させるためにお膳立てをしてくれているのでは、とすら思った。

 ……冗談だ。

 とまぁ、そんなわけで、僕は最後の条件、人型モンスター1000体撃破を満たす為、この迷宮に来ていた。

 以前、迷宮の名前には3つの意味があると説明したと思うが、この迷宮『群れた 小鬼の 王国』は最後の条件を満たすのに最適だ。

 第一のキーワード、“群れた”によって、敵の数は通常の迷宮の数十倍になる。また、群れる、というのは敵一体一体の戦闘力が低いことを意味し、その魔物の種族値限界のLVまで弱くなる。つまり、経験値が低くなる。

 第二のキーワード、“小鬼”は、敵の傾向。小鬼が指し示す魔物は、ザコーンの次に弱い魔物、ゴブリンしか存在しない。

 そして、第三のキーワード、“王国”。これは、この迷宮が最大規模の広さを有していることを示し、また敵のパーティー構成が“軍”であることを意味している。

 これらのキーワードにより、この迷宮は、数十体規模のゴブリンの小隊が迷宮内を巡回し、大広間では大隊規模の数百体のゴブリンが待ち受ける、まさに「戦いは数だよ!」タイプの迷宮であることがわかる。

 実に、僕にとって好都合の迷宮だ。さすがに、1000体ものゴブリンを殺すのは骨が折れそうだが、≪辻斬り≫により体力の心配はなく、意思が常人の20倍以上もある今、戦い抜くことは可能だろう。

 仮に無理でも、計1000体カウントすれば良いのでまた後日に回しても良い。

 そんなことを考えながら、装備の点検を終えた僕は迷宮へと脚を踏み入れたのだった。


 

「ぜぇーッ、ぜぇーッ、ぜぇーッ」


 薄暗く、辺りにゴブリンの据えた臭いと血の香りが充満する迷宮で、僕は喘ぐように呼吸をしていた。


(や、ヤバい……、数が多すぎる……)


 『群れた 小鬼の 王国』の中心に位置する大広間。

 もはや広間というよりは、平野と表現した方が良い広さの戦場で、僕は見渡す限りのゴブリンたちと相対していた。

 余裕の表情だったのは、最初のうちだけ。

 戦いが進むに連れ、僕の顔はどんどん強張っていった。

 一時間経ち、二時間経ち、それでもまだゴブリンの数は減らない。

 前後左右、四方八方、全ての方角にゴブリンが居り、目の前で仲間が斬り殺されても平然と僕に突撃してきた。

 その恐怖を覚えぬ狂気じみた特攻には僕も背筋に冷たいものを覚えずにはおられず、それを振り切るようにどんどんゴブリンたちに斬り込んでいった。

 それが間違いだった。

 気づけば僕はゴブリンの大軍のまっただ中におり、分厚い肉の壁に引くも進むも出来なくなっていた。

 これがゴブリンの命をとした策略だということに気付くまでにさほど時間はかからなかった。

 なぜなら、僕がゴブリンの大軍の中で迷子になると同時、ゴブリン弓兵の大規模射撃が始まったからだ。

 味方のゴブリンに当たることも考慮しない矢の雨は、もはや矢の壁といっても過言ではなく、僕の神速の速度を持ってしてもかわすことは不可能だった。

 ゴブリンたちの矢は、当たっても精々ダメージは1というところだろう。だがその1のダメージでも、まさに雨のように降り注がれてはあっという間に僕は死ぬ。

 故に僕は矢を切り払い続けるしかない。

 そこに、全身に矢が突き刺さり針鼠と化したゴブリン達が襲いかかってくるのだ。もはや、完全に、ホラーだった。

 言葉ではいまいちこの恐怖が分かり辛いかもしれない。だが、死を恐れない狂気の特攻がこれほど恐ろしいとは思わなかった。

 もうこうなっては認めざるを得ないだろう。僕はミスを犯した。

 僕は心のどこかで、いやもうはっきりと傲慢になっていた。慢心していた。

 僕はこの迷宮に潜る前、どんな想像をしていたか?

 棒立ちになり、案山子のように突っ立っているだけのゴブリンを1000体倒すだけの、そんな幼子の妄想のような想像をしていなかっただろうか。

 全く持って愚かしい。救いがたい。

 だから、こうして負けかけている。いや、もう負けているといってもいい。

 矢の対処にほとんどの力を回さねばならず、向かってくるゴブリンを散発的に斬り殺す為だけの作業。

 完全に主導権を向こうに握られており、このままではそう近くないうちに僕は精神的に限界を迎える。

 そうなった時、僕はゴブリンたちに袋叩きに合い死ぬだろう。

 敗北だ。完全敗北。認めよう。強い。最強だ。ゴブリンは。一体一体は僕の相手にもならないが、ゴブリンという“種”に僕は勝てない。

 まぁ、冷静になってみれば、普通に考えて、一個の種族と、一人では戦えるはずもないか。

 そんなこともわからないとは。

 なんてバカだ。

 ステータスの項目に、知能がないことが悔やまれる。あれば、全振りするというのに。

 苦笑する。まさかこれほどのステータスで、ゴブリンに負けるとは。

 もし今も僕を観測してるプレイヤーのような存在がいるならば、彼らは画面の向こうでこう思っていることだろう。この主人公、バカ過ぎ。まるでオモチャを手に入れたばかりの幼子のようだ、と。

 だが。


(敗けは敗けだが、でも殺されることまで認めるわけにはいかないな)


 僕は今も降り注ぎ続ける矢を切り払いながら、脳裏でボーナスステータスを1.00、意思に振った。

 人、一人分の意思力が僕の中で増加する。すると、枯渇した精神力が、少しだけ回復するのを感じた。

 そのなけなしの精神力を振り絞り、僕は咆哮する。


「オォォォォッ!」


 そして、矢がその身に突き刺さることも厭わずにゴブリン達に斬り込んで行く。

 向かう先は、一番ゴブリンの層が厚い方向だ。

 四方八方をゴブリンに囲まれ戦い続けて数時間。当の昔に方向感覚は失われ、どちらが出口かもわからない。

 故に、敢えて僕はこちらに斬り込んだ。

 これほど頭の良いゴブリンたちだ。きっと彼らなら、出口のある方を厚くすると予想した。

 人間は、苦しければ苦しいほど楽な方向に逃げる生き物だ。

 故に追い詰められた人間は、通常なら層の薄い方向に向かう。くしくもその先は矢の飛ぶ方向と真逆であり、進めばいずれは矢の範囲からも逃れられる。

 そこに、作為を感じた。

 希望を持って、最後の力を振り絞ってたどり着いた先が、もし出口とは逆だったら。その時限界が近い人間は何を思うだろうか。

 ……もちろん、ゴブリン達が裏の裏をかいてそちらに出口を置くかもしれない。層が厚いのは単純にゴブリンたちにとって守るものがあるからかもしれない。だが、僕はそちらに出口があることに賭けた。

 矢で削られていくHPを≪辻斬り≫で引き延ばしながら進んで行く。

 タイムリミットは刻一刻と迫り、焦燥感が僕を苛む。

 だが、一度賭けた以上もうフォルドは許されない。レイズアップで賭け続けた代償はすでに身の丈を越えたものであり、今降りれば僕は破産する。

 それがわかっているから、僕はゴブリンを斬り殺し続け、前に進む。

 僕が前に進むに連れ、ゴブリン達に焦りが見え始めた。

 それは僕を勇気付けるには充分な挙動であり、僕はいっそう早く剣を振った。

 そんな僕を、更なる追い風が後押しする。


≪―――汝に“一騎当千”の称号を与えよう≫


 その声と同時、僕は肉体精神ともに軽くなるのを感じた。

 自然、僕の頬が緩んで行くのを感じた。

 全く、運命の女神というのは憎い演出をしてくれる。

 ステータスボーナスにより、僕の動きはさらに加速していく。

 そして、それから数分後、僕は自分が賭けに勝ったことを確信した。

 確かに見覚えのある、通路への入り口。

 彼処を出れば、この迷宮を脱出することができる。

 だが、そこにはにわかにはゴブリンとは信じがたい個体が仁王立ちしていた。

 通常1メートルほどの身長のゴブリンに対し、その個体は、5メートル近い。

 肌も紺色のゴブリンと異なり、金色。腕の太さは、ゴブリンのウエストほどもあり、一目であれが親玉なのだと気づいた。

 キング・ゴブリン。

 これだけのゴブリンを殺したのだ、キングが現れることは予想出来ていた。

 キングが、2メートルはあるだろう大剣を構える。

 そして、僕が間合いに入ると同時、そのギロチンのような大剣を振り下ろした。


「一刀――両断ッ!」


 それを、僕は一刀両断を用い退けた。

 遥かに体格に劣る僕に、振り下ろしを弾かれたキングは僅かに目を見開くと、体制を崩す。その隙を、僕は見逃さなかった。

 渾身の力でキングの脚の間をスライディング。キングをやり過ごし、通路に駈ける。

 今は、とてもじゃないがあんな大物と渡り合う余裕は存在しなかった。

 背後にキングの怒りの咆哮を受けながら、僕は駈ける。駈ける。駈ける。

 こうして、僕は命からがら、迷宮を脱出したのだった。


 ――“知識”を得てからの初めての敗北。

 それは僕にこの世界の厳しさを再認識させるには充分であり、僕を心身ともに疲弊させるのには充分だった。

 今回の迷宮では、敗北と引き換えに様々なことを得られた。だがそれを反省する前に、今はどっぷりと眠りにつきたかった。

 そして明日一日エリーゼにたっぷりと身も心も癒して貰い、それから今日の反省点を考えよう。

 そんな風に考え、ボロボロになりながら宿に帰還した僕を迎えたのは、更なる逆境。


 ――僕以上にボロボロに踏み荒らされた宿屋と、エリーゼが奴隷に売られたという予想だにしなかった非情な現実だった。

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