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(ベストタイミングだったな)


 瞳を潤ませこちらを見上げるエリーゼを優しく抱きしめながら僕は内心ほくそ笑んだ。

 勘の良い方はもう察していると思うが、僕はエリーゼが暴漢にスラムの方向に誘導されている段階で彼女を捕捉していた。

 そこで僕が考えたのは、どのタイミングで彼女を助けるか、ということだ。

 暴漢にじわりじわりと追い込みをかけられている段階? いや、それでは多少不安になるだけで、ちょっと僕が感謝されるだけだろう。そして何よりそれでは暴漢たちも、舌打ちをして今回は見送りしまた今度襲撃をかけようと画策するだけだ。

 じゃあどの段階なら彼女に最大限の恩を売れて、尚且つ暴漢たちを一網打尽にできるか。

 最初に考えたのは、エリーゼが暴漢たちに捕まり、ついにその純潔が散らされるッ、という直前。

 エリーゼが最も追い詰められている瞬間であり、そんなタイミングで乱入されたなら、暴漢たちは全員で乱入者に襲いかかってくるだろう。そこで、暴漢たちを根こそぎ叩きのめす。

 いかにも物語的展開で、実に格好が良い。

 僕も最初はこの作戦で行くつもりだった。それが気が変わったのは、つい先ほどだ。

 ふと、疑問が頭を過ったのだ。あまりに出来すぎたタイミングではないだろうか、と。

 確かにドラマチックな展開ではある。エリーゼの好感度もうなぎ登り、吊り橋効果で恋心を抱いてしまうかもしれない。

 だが、その時は疑問に持たれないかもしれないが時間が経ち当時の事を回想した時、疑問に思う時がくるかもしれない。

 すなわち、あまりにタイミングが良すぎないだろうか? まるで出待ちをしていたようだ、と。

 それは不味い。もしそんな風に疑問に持たれたら、それまでの好感度が一気に反転する可能性がある。

 よって僕は計画を変更することにした。

 エリーゼがかなり追い詰められ、尚且つ暴漢たちに完全には捕まっておらず、かつ出待ちと思われない程度のタイミング。

 つまり、今だ。


「ケイン……くん」


 そして、作戦は見事に成功。エリーゼは瞳を潤ませ、頬を赤らめてこちらを見上げている。

 こちらが、ほぼ全裸で外を走り回り、その大きなおっぱいが揺れる様にハァハァしていたことなど知らずに……。

 裸で逃げ惑うエリーゼの姿は、僕に歪な性癖を芽生えさせそうなほどに扇情的だった。

 少しずつ少しずつ服を奪いとっていき、裸で野外を走り回せるという彼らのプレイは童貞の僕にはいささか刺激が強すぎた。

 正直、暴漢側でエリーゼを追いかけ回してみたいとチラリと思う程度には。

 揺れる乳房は、走る度に波打ちその柔らかさを僕に想像させ、羞恥に染まった頬は興奮を煽らせて、荒い息は喘ぎを連想させた。

 ステータス補正で感覚が数十倍になった僕は、闇夜の中でもくっきりと彼女の白い肌が見え、結果、計画ではもう少し早く彼女を保護する予定だったのが、かなりギリギリとなってしまった。

 最も、彼女の様子を見る限りではそれが功を奏したようだったが。


「!? いねぇぞ? どこに行った?」


 曲がり角を曲がってきた暴漢達の困惑の声が届く。ビクリ、とエリーゼの肩が震えギュッと僕に強く抱きついてきた。むにゅり、と柔らかいものが僕の体に押し付けられる。素晴らしい。


「落ち着けよ。どうせ隠れてるだけだ。遠くにいっちゃあいない。手分けして探すぞ」


 暴漢達のリーダー、確かビリーとか言ったか。ソイツが、冷静に指示を出す。

 彼の姿を見た瞬間、僕の暴漢達の戦闘力に対する懸念は消えていた。

 あの鼻ピアスには見覚えがあった。確か闘技場で見た、ビリーだ。

 奴がリーダーを張れているということは、高くてもビリー程度の戦闘力ということ。ならばもう、このイベントに僕の生命の危機は存在せず、いかにエリーゼの反応を楽しむかという娯楽に成り下がっていた。


(さて、このまま彼らの前に現れて彼らを倒してしまうのもいいが……)


 チラリと腕の中のエリーゼを見る。

 あと少しだけ裸で逃げ惑うエリーゼの姿を最前列で観戦したい気もする。

 裸のエリーゼの手を引き、暴漢達から逃げ回る。それは想像するだけで興奮する光景だった。

 それに、できる限りすべての暴漢達を一ヶ所に集めて始末しておきたい。

 チラリ、と辺りの様子を伺うと暴漢達の姿は見えない。だが、近くにはいるのだろう。彼らの怒声が聞こえる。

 僕はエリーゼの手を引くと囁いた。


「今のうちに」


 だが、予想に反しぐいっとエリーゼに手を引かれる。


「ま、待って。私もう、走れない……」


 泣きそうな顔のエリーゼをみると、その脚は今にも崩れ落ちそうなほどに震えていた。

 おそらくその原因は限界まで走り回った疲労もあるだろうが、恐怖も大きい。

 裸でいるという心細さ、夜のスラムという危険地帯、男たちに追い回されているというシチュエーション。それらが彼女の肉体に疲労以上の負担をかけている。

 一人で逃げ惑っている間は、とにかく死に物狂いだっただろうが、僕という存在が現れ、一気にその恐怖が解放され始めたのだ。


「…………………………」

「あ、あの、ご、ごめんなさい。あ、あと少しくらいなら走れるから」


 僕が無言で考え込んでいると、エリーゼは恐怖にひきつった顔でそういった。

 僕に見捨てられると思ったのだ。

 そんなエリーゼを安心させるように微笑むと、僕は彼女を抱き上げた。


「え、きゃっ」

「静かに」


 俗に言う、お姫様だっこという形になったエリーゼは、先ほどまでとは違う羞恥に顔を赤らめる。

 腕に、彼女の柔らかい重みがかかるが、僕の筋力を持ってすれば軽いものだ。むしろ彼女の柔らかさを感じられる分、手を引き逃げ回るスタイルより楽しめるかもしれない。

 そんなことを思いながら物陰から出ると、僕は彼女を抱き上げながら夜のスラムを駆け出した。


「ッ、居たぞ! 男が増えてやがる!? 見張りはなにしてんだッ!」


 近くに張り込んでいたのだろう。すぐに僕らは見つかり、大声をあげられる。

 エリーゼはギュウッと僕の胸にしがみつき身を強張らせるが、僕はニヤリと内心で笑った。


 実にいいリアクションだ。その調子で仲間を集めてくれ。

 そして僕は、暴漢達から一定の距離を稼ぎながら走り出した。

 

 

 

 


「……ついに、ハァハァ、追い詰めたぞッ、糞ガキが」


 男達の先頭に立ったビリーが息を切らしながらこちらを睨み付ける。

 エリーゼを追いかける程度のジョギングとは違い、今度はかなり全力疾走に近い鬼ごっこだ。彼らは皆肩で息をしており、かなり苛立っていた。


(しかしこれは凄いな……)


 彼らすべての仲間をかき集めたのだろう。男達の数は見渡す限りでも100人以上。まぁスラムを包囲するのだからこれくらいの数は欲しいところか。


(100人以上、か……)


 予想以上の数に、僕は喜びを隠せなかった。

 良い、凄く良い。何が良いって、100という数字が良い。

 これならば、取得を諦めていたあの称号を得られるかもしれない。

 そんな風に僕は喜んでいたのだが、エリーゼの考えは違うようだった。

 彼女は徐々に増えて行く男達の数に可哀想なほどに怯え、ついにこの行き止まりに着くと顔を真っ青を通り越して紙のように白くしていたのだが、今はなぜか悲壮な決意すら漂わせた顔をしていた。

 彼女は、僕の腕から降りると、男達に向かって一歩前に出た。


「エリーゼ?」


 僕が彼女の名前を呼ぶと、彼女は完全にひきつった笑顔を僕に向けた後、彼らに向かって言った。


「お、お願い、します。わた、私はどうなってもいいですから、彼は、みの、見逃してあげてください」


(―――――――………)


 男達は、その提案に一瞬呆気に取られたように沈黙すると、次の瞬間爆笑した。

 彼らはひとしきり笑うと、男達を代表しビリーが言う。


「んー、どうすっかねぇ。今日は散々てこずらされたし……ここは一つエリーゼちゃんの誠意が見たいな」

「せ、誠意?」


 エリーゼが震える声でそういうと、ビリーはニヤリとゲスい笑みを浮かべた。


「そうだな。まずは、こっちに向かって大きく脚を拡げて「何でもしますから私を調教して下さいッ」って言って貰おうか」


 ビリーがそう言うと、男達はまたも爆笑した。

 若い年頃の、それも男と付き合ったこともない処女に対してあまりに酷な要求。

 それは、彼らの手に落ちた場合彼女が辿る運命を想像させるには十分なセリフだった。


「どうした? やれよ」


 ニヤニヤと笑いながらビリーが言う。

 それに、エリーゼはビクリと肩を震わした後恐る恐る脚を開いて行き――そこで僕は彼女の肩に手を置いた。


「彼らの要求に従う必要は、無いよ」


「…………え?」


 呆然とこちらを見返す彼女に、僕は微笑み返す。


「アんだぁ? てめぇは今関係ねぇよ、すっこんでろ、糞ガキ」


 ビリーが凄みがある――と自分では思っている声でこちらを恫喝してくるのに、僕は億劫そうに彼らに顔を向けると言った。


「……人間の言葉を覚えたばかりで使ってみたい気持ちはわかるけど、少し黙ってろ」


「…………………………………………………………あ?」


 ビリーは呆気に取られた後、僕の言葉を咀嚼し、その意味を噛み締めると怒りの形相を浮かべた。


「……てめぇ、状況がわかってねぇのか? こっちは100人以上いんだぞ」


「人……ではなく、体だ」


「あ?」


「ゴブリンの数え方だよ。人間は、ゴブリンを人ではなく体で数えるんだ。勉強になっただろ? ホブゴブリン」


 もはや、ビリー達は言葉もなかった。顔を真っ赤にして、憤怒の形相を浮かべる。

 そして僕はエリーゼを優しく下がらせると、腰からソウルイーターを抜き放った。


「……こっ糞■キガァアアア――■―!! ■■■■ってやる」


 その瞬間、彼らは怒声を挙げて襲いかかってくる。興奮のし過ぎかその言葉は判読が難しい。


「ゴブゴブ、なんてね」


 そんな彼らを、僕は涼しい顔で迎え撃った。


 

 

 

 


 もう駄目だ。

 それがその時のエリーゼの偽らざる気持ちだった。

 体力の限界を迎えたところで、ケインが助けに来てくれた時は、助かった、と思った。

 月明かりに照らされて白銀に輝く彼の髪は幻想的なまでに美しく、その輝きはこの暗闇から自分を救い上げてくれる光に見えた。

 こんな状況で、ときめかない女がいるだろうか。いや、いない。

 無事二人で帰れたら、なんでもしようと心の底から思った。

 もう動けないといった後、彼がお姫様だっこで抱き上げてくれてからは、エリーゼはふわふわと現実感がなかった。

 こんな状況だというのに、エリーゼの胸は加速度的に高鳴り、自分が恋に堕ちていくことを自覚した。

 これが物語ならば、自分たちは無事帰還しその後甘い夜を過ごすのだろう。

 だが、現実は物語と違い非情にシビアだった。

 男達は徐々に包囲網を縮めることで二人の所在を察知し、同時に男達の数も倍増していった。

 なまじ、無事に帰還した際の甘い希望を夢見ていただけに、徐々に男達の数が増えていった時の絶望は凄まじかった。

 そして、その時はついに来る。

 懸命に自分を抱き抱えて走り回ってくれたケインだったが、ついに行き止まりへと追い詰められてしまったのだ。

 その頃には男達の数は100人以上に膨れ上がっており、二人の終焉を予期させた。

 これからどうなってしまうのか。あまり想像したくない未来が待っているのは確実だろうが、エリーゼは頭をフル回転させて想像した。

 まず自分は間違いなく彼らのオモチャにされるだろう。具体的な方法は想像できないが、普通に犯されるくらいなら幸運だと思う程度の扱いを受けるだろう。

 ではケインはどうなるか。……確実に無傷で帰ることはないだろう。袋叩きにされればまだマシ、拷問を受けて殺されるかもしれない。あるいは、重度の障害を残して敢えて生かしておくかもしれない。

 時折、スラムに迷い込んだ男性が、手足をバラバラに折られ見つかるという事件が起こっている。中には眼を潰されていたり、性器が切断されていることもあるらしい。

 おぞましい、人間の所業とは思えない。

 エリーゼは想像する。ケインが手足を折られ、顔をパンパンに腫れ上がらせながら翌朝街中で発見される様を。

 それだけは絶対に避けなければならない、とエリーゼは思った。

 どうしてここに? 問いかければ、帰りが遅いから探しに来たと笑ったお人好しの少年。彼はただ自分の不運に巻き込まれただけの善良な一般人だ。

 今でも思い出せる。宿屋の食堂で、ニマニマと嬉しそうにステータスカードを見ていた少年。どうしたのかと問いかければ、LVが上がったのだと照れくさそうに笑っていた。

 恐らくまだ低LVなのだろう。そんな彼の未来には、無数の選択肢が広がっている。その中には、彼の夢だろう、一流の冒険者となる未来もきっとあるだろう。

 そして、自分の未来はもはやただ一つ。ゲスな男達に弄ばれ、死よりもおぞましい人生を送るだけの惨たらしい未来。だが、そんな選択肢のない自分にも、変えられる未来が一つあった。

 それが、彼、ケインの未来だ。

 彼の無数に広がる未来を、自分が潰すのだけは避けなければならない。それだけは、絶対に嫌だ。

 だから、エリーゼは暖かく優しさに満ちた少年の腕の中から降りた。

 途端、秋が近くなってきたスラムの夜の冷たさがエリーゼを襲う。

 それはエリーゼの未来を暗示するような冷たさで、エリーゼは風の冷たさ以上にガタガタを震えた。


「エリーゼ?」


 ケインの怪訝そうな声が背中に掛けられる。

 それにエリーゼは振り返ると、全精神力を駆使して、笑った。

 彼の姿を眼に焼き付けるようにしながら、エリーゼは思う。

 自分は上手く笑えているだろうかと。

 きっとこれは自分が生涯で最後に浮かべる笑みだ。これから先、エリーゼが笑うことは、絶対に、無い。

 だから、この最後の笑みが彼の記憶にずっと残るよう、最高の笑みを浮かべていたかった。

 そして、エリーゼは憎いゲス野郎どもに向き直ると、気持ち的には屹然と告げた。



「お、お願い、します。わた、私はどうなってもいいですから、彼は、みの、見逃してあげてください」


 彼らのような人間の屑にお願いするのは、屈辱だった。

 だが、エリーゼは自分のプライドを押し曲げ、彼らへと懇願する。

 ケインが助けてくれる直前、なんでもすると思ったのは嘘ではない。結局自分は助かりそうにないが、それでも彼は助けに来た。ならば今度は自分が約束を守る番。彼の為に、なんでもする番だ。

 男達は、エリーゼのその提案に一瞬沈黙すると、次の瞬間爆笑した。

 その笑い声はエリーゼの渾身の想いを一笑に臥されたようで悔しかったが、エリーゼは決して涙を溢さなかった。

 彼らはひとしきり笑うと、男達のリーダーなのだろう、鼻ピアスの男が言う。


「んー、どうすっかねぇ。今日は散々てこずらされたし……ここは一つエリーゼちゃんの誠意が見たいな」

「せ、誠意?」


 誠意。本来は負の意味などない言葉だろうに、この男の口から出ると、凄まじく嫌な予感がした。

 男は、未だ裸体を晒したままのエリーゼの体をじろじろと見ながら言う。


「そうだな。まずは、こっちに向かって大きく脚を拡げて「何でもしますから私を調教して下さいッ」って言って貰おうか」


 そして、彼の口から出たのは信じられないセリフだった。

 一瞬脳が意味を理解することを拒否し、そして意味がわかると体が勝手に震え出した。

 なんという下卑た発想。そして何よりも恐ろしいのは、これが序の口だということ。

 それは、男達の手に落ちればこれが軽く思えるほどの仕打ちを受けるということを意味していた。


「どうした? やれよ」


 その言葉に、エリーゼはビクリと肩を震わす。

 死んでもやりたくない。だが、そんなエリーゼの脳裏をケインの顔が過った。

 やるしかない。やれば確実にエリーゼの中の大事な何かが失われるだろう。だが、それ以上の物を守れる。そう考えれば、エリーゼの脚はゆっくりと、微かにだが開き始めた。

 屈辱と羞恥に、エリーゼの視界が歪む。心臓は痛いほどに跳ね、いつ気絶してもおかしくない。

 それでもエリーゼは耐えた。そして彼女の脚が中ほどまで開いた時、彼の手が優しく肩に置かれた。


「彼らの要求に従う必要は、無いよ」


「…………え?」


 茫然と彼を見返すエリーゼに、彼は今までにないほど優しい笑みを返した。


 そして、殺戮が始まった。

 といっても、エリーゼは戦いの様子は良くわからなかった。

 彼は終始エリーゼの眼には捉えきれない速度で動き回り、白い光が煌めいたかと思うと必ず一人の首が闇夜に飛んだ。

 時折、自分の近くで何かが切り払われる音がしたかと思うと、地面には2つに切られた矢が落ちており、そこでようやく自分を狙った狙撃をケインが切り払ったのだと気づいた。

 どうしてこの暗闇の中矢を視認できるのか、矢が自分を狙った物と把握できるのか、そしてどうすれば矢よりも早く自分の元に戻り矢から自分を守れるのか。

 それはエリーゼにはわからない。

 ただ一つ分かるのは、ケインが凄まじい強さを持っているということだ。

 ケインが100人以上の人間を皆殺しにするのに、10分とかからなかった。

 男達は、皆例外なく首を切断されて死んでいる。

 その中には、勿論あの鼻ピアスの男も存在した。

 無数の死体の中に立つケインは、これだけの数の人間を斬り倒しても返り血一つ浴びていない。

 白銀の月に照らされて、死体の山の上に立つ少年。それは幻想的な光景であり、そしてもはやエリーゼの眼に少年は人間には見えなかった。

 一体この少年は何者なのだ。今まで自分はこの少年を田舎から出てきたばかりの新米冒険者だと思っていた。だが、これはどうしたことだ。この惨劇は、決して新米冒険者に作れるものではない。

 今ならエリーゼにもわかる。この少年は異質だ。

 そして、エリーゼの中に一つの疑問が生まれる。

 なぜ、これほどの力を持つならば包囲網を破って逃げ出さなかったのかと。

 これほどの力を持つならば、数人の男達を打ち倒すことなど容易だったはずだ。

 そうエリーゼが疑惑に満ちた視線を送ると、少年がエリーゼの視線に気づく。

 少年はエリーゼを見ると、一瞬視線を地面に落とし、そして月を見上げた。


「…………人を殺したのは初めてだ」


 ポツリと、独り言のように呟かれたその言葉に、エリーゼはハッとした。

 エリーゼの中にできかけていた少年への疑惑の念が溶けて消えてゆく。

 あぁ、そうか。簡単なことじゃないか。

 この心優しい少年は、人を殺したくなかったのだ。例えそれがこのような外道でも。

 だから、簡単に殺せる男達から逃げ回った。

 それでも結局殺したのは、他ならぬ自分の為だ。

 自分を救う為、本来ならば待ち受けていただろう地獄からエリーゼを救う為、少年は人を殺すという咎を背負ったのだ。

 皆殺しにしたのは、中途半端に見逃すことで残党が自分に復讐を企まないため。すべてはそう、自分の為。

 エリーゼの胸が、今日一番に高鳴った。

 フラフラと、自身が裸であることも忘れ、光に惹かれた虫のように少年へと近づいてゆく。

 そして、じっと無言で殺人の咎の重圧に耐える少年を抱き締めた。

 自分には、少年が自分の為に背負った咎を肩代わりすることはできない。

 故に償おう。この優しい少年に罪を犯させた罪を償おう。

 身も心もすべてを捧げ、一生を懸けてこの少年に奉仕しよう。

 それが、自分の唯一無二の幸せとしよう。

 エリーゼは少年の髪と同じ輝きをした月明かりの下、そう決意した。



 ――――この日、一人の少女が腹黒少年の手によって修羅道(ヤンデレ)へと堕ちた。



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