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闘技場。
迷宮、カジノに並ぶ、迷宮都市の特色の一つである。
冒険者たちが互いの命を懸け、賭けた命に応じて金銭を得る賭博場の一つである。
階級は、アンダー10からアンダー40までの制限級と、無差別級の2つ。アンダー10はLV1~10までの選手が、アンダー40はLV1~40までの選手しか出られないという意味だ。といっても、LV1の選手がアンダー40に出ることはないが。
戦いのルールは至って簡単。5人の選手が一つの舞台で戦い、最後まで立っていたら勝ちというもの。
選手たちにはそれまでの実績、LVを考慮され倍率がつけられ、LVの低い選手には高倍率、高い選手には低倍率がつけられる。
ちなみに、選手は自分にのみ賭けることが出来、それがファイトマネーということになる。それとは別に参加金として自分に賭けられた金額の1%も得られるが、新人ではたかが知れているというものだ。
つまり、何が言いたいかというと、LVが低いにもかかわらずあり得ないほどのステータスを持っている僕は、闘技場で一山当てるには最適の存在である、ということだ。
「…………うん、こんなものだろ」
宿屋の一室。前々から用意してあった変装セットで変装した僕は、鏡の前で満足気に頷いた。
鏡の中の僕は、白銀の髪を黒く染め、上下に黒の服。顔にはアイマスクをし、更にその上に仮面をつけている。仮面は、白い無地に笑ったような半月の眼と口がついただけのシンプルなもの。俗に言うファントムマスターというヤツだ。
人間という生き物は、特徴的な人間であればあるほど特徴の方を覚えていやすい生き物。全身黒付くめの仮面の男など、特徴的過ぎて僕と連想できるものはいないだろう。
しかも、それに加え偽名にも気を使った。実際の僕とは違うインパクトがあり、尚且つ格好いい名前を考えてある。
今日のプランはこうだ。
まず、挑戦する階級はアンダー20。ステータスだけを見るならば、アンダー30でも通用するだろうが、念には念を入れてアンダー20とする。アンダー20でも、出場選手の最低ラインは11からになるので、かなりの高配当となるだろう。
次に、格好はなるべく特徴的なものへとする。こうすることで、黒ずくめの男という印象のみを観客に刻み付けて僕という存在を消すことができる。
実際の戦闘では、出来る限り息を潜め、選手たちが最後の一人になるまで待つ。おそらく、選手たちも僕が要らぬちょっかいさえ出さなければ最後まで放置するだろう。LV3の雑魚など、いつでも始末できるし、高配当の雑魚を最後まで残すことで会場を盛り上げることができるからだ。
そして最後、最後に残った最も強い選手を、一撃で倒す。
相手は死闘で体力を消耗させているだろうし、相手は雑魚。完全に油断しているだろう。そこで、最初に強力な一撃を与え一瞬で終わらす。
食後のデザート程度にしか思われていなかったであろう僕の、番狂わせ。会場は困惑と驚愕に騒然とするだろう。
そこで、徹夜で考えた偽名を名乗るのだ。
「……ふっ、フフフフフ」
今宵、“漆黒の闇”の名は伝説になる。
闘技場は、昼間だというのにすでに多数の客で賑わっていた。
予想屋が今日のメインバトルの予想を売っていたり、無数の露店商が摘まみを売り込みしている中、他とは明らかに雰囲気の異なる集団がいた。
そちらを見ると、そこには装備に身を固めた集団が列を為している。どうやら、あちらが選手のエントリー受付のようだ。
フード付きの外套をかぶり直した僕は、その集団の最後尾へと並ぶと自分の順番が来るのを待った。
そして待つこと1時間。ようやく僕の番が来た僕は、猫耳が可愛らしい受付嬢の前に立つといつもより若干低めの声で言った。
「……すまない、闘技場の受付をしたいのだが」
受付嬢は手元の書類からチラリと僕の顔を見、一度手元に目線を戻してからギョッとしたように二度見をした。
道中このように仮面をした冒険者を見なかったので、おそらく驚いたのだろう。
だが、彼女もプロ。一瞬で表情を取り繕うと営業スマイルを浮かべ言った。
「ようこそ、闘技場へ。以前ご参加されたことはございますか? ………ニャン」
「いや、初めてだ」
「それではこちらの書類に必要事項をご記入ください。……ニャン。その間こちらでLVの測定をさせていただきます。……ニャン」
「LVの測定?」
「不正がないようにですニャン。LV以外はわかりませんのでご安心ください。……ニャン」
「そうか。わかった。ありがとう。……ニャン」
「真似しないでください! ……ニャン。私だって好きでつけているわけではないんです。……ニャン。オーナーの趣味なんです。……ニャン」
受付嬢の抗議を聞き流しながら、書類の必要事項を埋めていく。
といっても、エントリーネームとLV、希望の階級に、自分に賭ける金額。後は装備くらいだ。
ちなみに今回の僕の装備は、ただのアイマスク、ただの仮面、ただの黒い布の服に、ただのショートソードだ。
配当には装備も関係してくるので、なるべく高くするための秘策である。余裕を持ってアンダー20にしたのはこの為だ。
書類を書き終え受付嬢に渡すと、彼女は顔をひきつらせた。
「え、エントリーネーム“漆黒の闇”? LV3なのにアンダー20希望で金貨1枚賭けって……しかも装備はショートソードだけ」
ニャンすら忘れ、自分の見違いかと何度も書類を確認した受付嬢は、やがて僕を見ると言った。
「あの、イタズラなら止めてくれません? ……ニャン。私たちも暇ではないので……ニャン」
「本気だ」
「……正気ですか? ニャン。気絶した選手へのあからさまな殺意を持った追撃はこちら側も止めさせていただきますが、それ以外の死は自己責任とさせていただいているのですが……ニャン」
「わかってる」
僕がそう言うと、受付嬢は深々とため息をつき、「たまにいるのニャン、こういう勘違いルーキーが」
と言いながら書類に判子を押すと、
「では賭け金をお支払の上向こうの選手控え室でお待ちくださいニャン」
とおざなりな態度で選手控え室を指差した。
「ありがとニャン」
「早くぶっ殺されて世間の辛さを思い知ってくださいニャン」
最後にそう言ってからかうと、受付嬢は僕を猫10匹にリンチされるネズミを見る目でそう言うのだった。
『さぁ、そろそろ本日3試合目のお時間です。賭け札のご購入は済みましたか? あとからアレを買っておけばと思っても、遅いですよー?』
拡声魔導器特有の微妙にひび割れた声が会場に木霊すると、会場のボルテージがにわかに上がり始めた。
先の試合で負けた者は今度こそと、勝った者は今度もと賭け札を手に会場を見つめる。
観客の注目が会場に集まったのを見計らった頃、司会が選手の入場を宣言した。
『さぁ、それでは選手たちの紹介です。エントリーNo.1、ゾーゲン選手。LV20。過去9回の出場、7回の勝利を修めた本日1番人気! 倍率は1.70となります』
司会の煽りとともに、巨大な斧と盾を装備した身長2メートル近い大男が前へ進み観客へと手を振る。
すると、会場のあちこちから、「ゾーゲン負けんじゃねぇぞー」「こっちは金貨賭けてんだ、頼むぞ!」「ゾーゲン! ゾーゲン!」といった声援なのかヤジなのかわからない声が飛ぶ。どうやらかなりの人気選手のようだ。こういった人気選手は、低い倍率の代わりに、莫大なファイトマネーが入るので、冒険者というより剣闘士と呼ぶ方がふさわしいだろう。
『さてお次の選手は紅一点! アンダー20で1、2を争う人気選手。リリア選手だ! LVは最高の20。無詠唱から放たれる強力な魔法は、当たれば負けは必須。最初に潰されるか最後まで残るかのまさに賭けに相応しい選手! 倍率は2.40倍となります』
赤髪をツインテールにした、10代後半ほどの美少女が控えめに手を振ると、爆発的なリリアコールが会場に鳴り響いた。剣闘士というよりはアイドルか何かのようだ。1番人気のはずのゾーゲンが心無しか形見が狭そうである。
『エントリーNo.3は、アンダー10で1年戦ってきたビリー選手。なんとアンダー10では10戦10勝。物足りなくなったので20へ上がってきたという強者だッ! LVは12だが、数値以上の貫禄があるぞッ、倍率は7.20! 大穴あるか!?』
金髪を逆立てた、鼻ピアスの男が勝ち気に手を挙げる。すると、アンダー10からの常連なのだろう、柄の悪い連中からのヤジが飛んだ。
『続いてエントリーNo.4。前回は後少しで勝利を逃したヤード選手。LV16。二度目の挑戦でリベンジなるかッ。倍率は5.20です』
ヤードという選手は、他の選手のように観客にアピールすることなくじっと目を瞑っている。ガチガチのフルアーマーに身を包み、巨大な大剣を背負っている。実績やLVの割に倍率が高いのは、この場違いなまでの本気装備故だろう。
そしてついに、僕の紹介の番が来た。
『そして最後ッ、エントリーNo.5番。……………プッ』
軽快にトークを続けていた司会の声が途切れる。会場に困惑にざわめく。
『し、失礼。エントリーNo.5。しっ……ぶふっ、漆黒の闇選手ですッ!』
司会の吹き出し混じりの紹介に、会場は一瞬静まり返った後爆笑に包まれた。
「漆黒のwww闇wwww」(※wはイメージです)「これは香ばしいwwwww」(※wはイメージです)「公開黒歴史キター!w」(※wはイメージです)「デュフフッ、これは拙者なら自殺物www」(※wはイメージです)「だwww駄目だwまだ笑うなwwwこらえるんだwwwしwwwしかしwww」(※wはイメージです)「全身黒ずくめwww漆黒の闇www」(※wはイメージです)
選手たちもまた、肩を震わし笑っている。特に爆笑しているのが、ビリーであり、地面に転げ回ってまさに抱腹絶倒という有り様。寡黙な印象のヤード選手すらカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタと鎧を鳴らしている。
「…………………………………………………………………………………………」
この間、僕はじっと俯いて一言も喋らずに耐えていた。
実は、途中からこの展開は読めていた。第1試合、第2試合ともに、名前は普通に本名で、装備は一般的な冒険者のもの。
試合の形式も司会が軽快なトークを飛ばす、ショーに近いものであり、僕が予想していた殺伐とした殺し合いとはかけ離れたものだった。
その空気で“漆黒の闇”などと名乗れば、そりゃあこうなる。
っていうか漆黒の闇って何? バカじゃないの、僕。漆黒の闇って、漆黒の闇って……漆黒と闇で微妙に意味も被ってるし、そもそも名前じゃないよね、これ。なんでこれをカッコいいと思っちゃったの? 僕。あああああ、もうすべてが恥ずかしいッ! 漆黒の闇って名前も、この気合い入れた装備も、仮面もッ、あぁもう、なんていうか、あぁ……、死にたい……。
『漆黒の闇! 選手は今回が初出場ッ! LVは3で、装備はショートソードのみのようです。あの仮面に特殊能力はないようですね』
僕のLVと装備が発表されると、さらに会場は沸き立った。ほとんどの観客が腹を抱え苦しんでいる。最も、極一部は居たたまれない顔をしていたようだが。
『漆黒の闇選手の倍率はなんと闘技場始まって以来の高配当60.00! 当たれば億万長者! 漆黒の闇伝説なるか? それでは試合開始ですッ!』
司会が試合開始のゴングを鳴らすも、選手たちは一歩も動きはしなかった。皆、例外なく腹を抱えている為だ。
やがて、ビリーがまだ笑いながら立ち上がると僕に向かって歩き出す。
「ヒーッヒーッ、く、苦しい。お、お前サイコー。こんなに笑ったの初めてだぜ」
他の選手は、その様子をニヤニヤしながら見ている。
「つうか……ぶふっ、なんだ? その仮面。おいちょっとどんな面してるか見せてみろよ」
やがてビリーは僕の前に立つと、おもむろに僕の仮面へと手を伸ばす。
その瞬間、ビリーの体が弾け飛んだ。
ビリーは綺麗な曲線を描きながら5メートルほど宙を舞うと、ぐしゃりと人間が立ててはいけない音を発て頭から落下。そして、ピクリとも動かなくなった。その顔面は、顎が無くなったのかと思うほどにぐしゃりと潰れている。
『…………………は?』
司会の男の、呆気に取られた声が会場に響き渡った。そしてそれは会場の人間すべての代弁でもあった。
会場中が先ほどまでとはうって代わり沈黙に包まれる中、ゆらり、と僕は動き出した。
もはや、この時点で僕の頭に事前に組み立てておいたプランは存在していなかった。
僕の頭の中にあるのはただ一つ。
一秒でも早く全員ぶっ倒しこの場を去りたい、だ。
選手たちの中で最も早く立ち直ったのは、僕に最も近いヤードだった。
大剣を正眼に構え、僕を警戒する。
そんなヤードに、僕は剣を構えることすらなく間合い? なにそれ、と言わんばかりに無造作に間合いを詰めていった。
しっかりとした武道を修めているヤードには、それが逆に脅威に思えたのだろう。
プレッシャーに負けたように、気合いと共に僕に切りかかってきた。
だが、反応37であり、見切りのスキルを持つ僕にはその斬撃は素振りと何ら変わりなかった。
あっさりと半身でかわし、ショートソードを切り上げる。
通常ならば、そこらの武器屋で売っている量産品のショートソードではヤードの纏うフルアーマーの防御力を貫くことはできない。誰もがそう思っていたし、ヤードもそう確信していたはずだ。
だが。
「馬鹿、な……」
ショートソードは紙を裂くようにヤードのフルアーマーを切り裂いた。
ヤードは、血を吹き出しそれでも尚現実を受け入れられずそう呟いて前のめりに倒れる。
そんなヤードを僕は片手で支えてやり。
クルリと反転すると、リリアの無詠唱のエアブラストをヤードを盾に防いだ。
「嘘でしょ?!」
リリアの驚愕の声。そんな彼女に、僕はヤードの剣を投げようとし。
「チィッ」
ゾーゲンの斧をヤードの大剣で受け止めた。
片手でヤードの身長ほどある大剣を扱い、なおかつゾーゲンの斧を軽々と受け止める僕に、ゾーゲンは苦々しげに顔を歪める。
「お前、本当にLV3か?」
「…………………………」
僕はその質問に答えず大剣で斧を押し込んでいく。
ゾーゲンは両手で抵抗するも押し返すどころか拮抗することもできない。
「ぐっ……ぐぐぐ」
僕のような小男――といっても平均より身長はあるが――が、片手でゾーゲンのような大男を押し込んでいく光景は一瞬異様であり、会場は我が目を疑うように静まり返っている。
しかも、押し負けている方はLV20であり、押し込んでいく方がLV3なのだ。
あべこべな光景。誰もが現実を受け入れられない中、最も早く現実を受け止めたのは、最も現実を受け入れ難いはずのゾーゲンだった。
「や、やるな……筋力には自信があったんだが……お、俺の負けか。こ、これが漆黒の闇のちか…………ぐあぁっ!」
最後の最後にイタチッペのように心の傷を抉っていったゾーゲンの腹へと蹴りをぶちこんだ。
僕の足首まで埋まるような蹴りを食らったゾーゲンが地面と水平にぶっ飛んで行き。
「キャアアッ」
先ほどからなにやら長々と呪文を唱えていたリリアを巻き込んで壁に激突。仲良くノックアウトされた。
そして、フィールドで動く者は僕一人となる。
そこでようやく我に返った司会が、僕の勝利を宣言した。
『………………し、勝者、漆黒の闇選手!』
一拍遅れ、会場で音が爆発した。
驚愕、歓声、怒号。様々な感情の入り雑じった声が僕に掛けられる中、僕は仮面の下で涙目になりながら思った。
(仮面があって良かった……。仮面がなかったら即死だった……)
この日、僕は多額の金と引き換えに心に消えない傷を負ったのだった。