転生
初投稿です
深い深い闇の中、体が沈む感覚。
金縛りにでもあったかのように、指先一つも動かせない。
呼吸は浅く、音も聞こえない。
しかし不思議と不安はなく、ただこの暗闇に飲まれるが儘でも良いか、と考えてしまう。
暖かくも、冷たくもない空気が、男を包んでいた。
(・・・この感じ、風呂で寝ちゃったのかな。湯がぬるくて何も感じないや。だいぶ時間経ってるようだし、いい加減起きるか。)
自身のいつもの行動パターンから、この状況がどういうことなのかおおよその見当をつける。
男はうっすらと目を開けた。
普段ならば、風呂場の電気の光が目に入る。が、瞼を開いても何も見えなかった。
(えっ!?
ブレーカー落ちたか?!
風呂もなんかぬるいし、停電!?)
最悪だ・・・。
早くブレーカーを上げねば!!
仕事帰りに買ってきたハー◯ンダッツが溶けてしまう!
と、慌てた男だったが・・・。
体はピクリとも動かない。
脳はしっかり起きていても、体は起きていない。
正に金縛り状態であった。
(ぁあーまいったな・・・
こんなに重い金縛りは久しぶりだ。
随分疲れてたんだな・・・俺)
会社ではキャパオーバーの仕事をなんとかこなし、家に帰れば独身三十路過ぎの孤独な生活。
家での唯一の癒しの時間は、風呂とゲームとコンビニスイーツという、慎ましくも自由奔放な生活を送っていた。
発売前からチェックしていたニューフレーバーのアイスを買い、冷凍庫に大切にしまった男は、風呂の中で買ってきたアイスの味に想像を巡らせながら幸せな気持ちで入浴していたのだった。
(くそ・・・!
俺のハー◯ンダッツパンプキンハニーフレーバーが溶けちまう!
アイスは一回溶けたらお終いだ。
もう一度凍ったとしても、味は格段に落ちる。
1時間以上寝てたとしたら・・・今があいつの(アイスの)限界点だ!)
男は必死に体を動かそうとした。
だが一向に動かない。
(待て、冷静になれ俺。金縛りの解き方の基本は、指先からだ!)
そう意気込むと、全神経を集中させて右手の人差し指に力を込めた。
かすかに指先が動く。
(よし!いいぞ!こっから一気に解くぞ・・・うおおおおおおおっ!!!)
男はさらに指先に渾身の力を込めた。
指先は錆びた鉄で出来たように動かし難いが、ゆっくりと指先が曲がって行くのがわかった。
その時だ。
「なっ!?バカな!?動いているのか!?」
声が木霊した。
男は心臓が止まるほど驚いた。
ここはブレーカーの落ちた風呂場。
自宅マンションの。
しかも狭い浴槽。
声は驚くことに恐らく自分の真上、近距離から発せられた様に感じた。
男は咄嗟に考える。
泥棒だ。
「スタニアス殿、どうかしたかの。
召喚中ですぞ・・・。」
別の声がした。
泥棒は2人組なのか?
恐怖に身を硬くする男。
思考はパニックに陥る。
男の体は既に金縛りから解かれていたが、先程のショックで硬直していた。
心臓は早鐘のように打ち、思考はパニックのまま高速回転している。
何!?誰!?
怖!!強盗か?
全裸状態で浴槽の中からどう動く?
携帯どこだっけ?
警察って110番っていうけど本当に110って押せばすぐ繋がるの?
ていうかこいつら刃物とか持ってたらどうすんの?
武器になるようなものあったっけ?
てか俺んち金目の物あったっけ?
フィギュア?
pc?
なんっもねえよ!!!
なんで俺の部屋入ってくんだよ!
鍵掛けたよな?
なんでだ?
どっから入ってきた?
窓か?
風呂場の窓からか?
いや無理だろだってここ・・・
16階・・・・・・。
男は急に寒気を覚えた。
泥棒?
幽霊?
さっきの声もなんかジジイの声みたいだし、落武者の霊が近くの公園に出るって噂もあったような。
「・・・モルゲン殿ッ!
やはりこの召喚は何かがおかしい!!
異界門からの精霊粒子が余りにも不安定です!」
「確かに粒子の量が多すぎるが・・・。
しかしスタニアス殿、最早、門を閉じることは叶わぬ!
やり通さねば・・・ならぬ!」
必死の様子で交わされる年配男性の声に、男もかなりの焦りを感じていた。
(ヤバイ!やり通すとか言ってるしやっぱバレてるっぽい。
しかも俺のこと殺す意味でのやり通すだよね?
ヤバイ!ホントヤバイ奴らだった!
言ってることも訳わかんねえし、宗教関係のアレかもしれん!
身に覚えゼロだけど!
もうこうなったら一か八かで逃げるしか無い!
このまま殺されでもしたら洒落にならん!
ああさよなら俺のハー◯ンダッツ・・・!!)
男は逃走の決意をすると、仰向けで浴槽に浸かっている姿勢から飛び起きて一気にダッシュ!・・・したはずだった。
実際には浴槽という物がなく、空虚な空間に無重力状態で静止した格好から、手足を振り回すだけとなった。
(何だこれ!?どうなってんの!?
何もねえ!
何も!?どういう・・・!?
うわあああああ!!)
男は叫んだつもりだったが声は出ていなかった。
男の精神はパニックの限界に達していた。
「な、なんと!!!凄まじい量の精霊粒子が・・・!!
こ、このままでは、異界門ごと混沌に飲まれてしまう!!」
「ぐぬううっ!なんの・・・!此れしきっ!この程度の精霊を制御出来んで・・・!!」
「モルゲン殿!!
もう限界です!
すぐ転移を!!」
「ぐっ・・・!せめて、せめて依代だけでも!!」
男はパニックになりながら感じた。
ここは家の風呂場なんかじゃない。
拉致だ。
拉致されて目隠しと猿ぐつわ的なモノをされた上、何らかの無重力空間にて放置され、近距離から監視されていると。
つまり、もう夢だろコレ。
でもなんかすっごいリアル。
でも夢かも知れないと思うと途端に意識が薄れてくる。
男の思考は急激に鈍くなり、ついに意識を手放した。
同時に、年配の男二人は一瞬にして消え去る。
残されたのは、開かれたままの異界門と、洪水のように流れ込む紫色の光の粒子。
地面に描かれた魔方陣の中央には小さな巻貝があった。
モルゲンと呼ばれた老人が、最後の力を振り絞り置いていった、依代である。
空の筈の巻貝からは、グウグウと寝息が聞こえていた。
次回、冒険スタートです。