その9
女性に対する暴力がありますのでご注意ください。
今後、警告は記載しません。
ウルリックが去ると変わらぬ日常が戻って来る。それぞれの国が裏で何をしているか知らされぬエルシアには解らなかったが、表向きには特に変わった様子はなく季節が廻った。
この日も砦に向かうアルベルトを送り出したエルシアはマーガレットとオルウェン、トマスの三人を連れ蜂の巣がある野原へと赴く。初めてここに来た時には蓮華の花が咲き乱れていたが、今は秋桜に変わり、その秋桜も半分以上が種を抱いていた。冬が近いのだろうと天を仰げば、真っ青に澄んだ空が何処までも高く遠くまで続いている。秋の空気を胸いっぱいに吸い込んでから敷布に座り昼食の準備をしていると、遠慮なく同じ敷布に腰を下ろしてくれるようになったオルウェンがいつまでたっても座ろうとせず辺りを見回していた。
「どうしたのオルウェン?」
「ああ、いえ。ちょっと―――」
歯切れの悪い返事に首を傾げると、座っていたトマスも席を立ち周囲を見渡す。
「何かありました?」
「いや……何かあるという訳じゃないんだが。トマス、お前は妙な感じを受けないか?」
「俺は別に。」
言いながらトマスも辺りを注視し、エルシアはマーガレットと顔を見合わせた。
「こういう時って、経験豊富なオルウェンの勘に従った方がいいのよね?」
「そうですねぇ……」
こういうのは初めてで戸惑う。マーガレットも不安そうにあたりを見回し、エルシアはオルウェンが長年の勘でアルベルトに何かあったのを感じているのではと不安になった。片付けて戻ろうかと言いかけた所で、突然トマスが胸を押さえて唸ると後ろに倒れ込んでしまった。
「奥様っ!」
トマスの胸には矢が刺さっている。何が起きたのか悟るとエルシアの視界をマーガレットが覆った。射かけられる矢から身を盾にエルシアを守ろうとしてくれたのだが、次の矢が飛んでくる前にオルウェンが声を上げる。
「マーガレット、奥方を頼む!」
「奥様こちらへ!」
エルシアは腕を引かれ裸足で駆けだし馬の背に追いやられた。襲撃を受けたのだと理解して馬上から見やればオルウェンが二人の男を相手に剣を交え、トマスは倒れたまま動く気配がない。
「マーガレット、トマスがっ!」
「狙いは奥様です、逃げて下さい!」
立ち木に縛っていた手綱が解かれ乱暴に投げ渡される。マーガレットが馬の尻を叩き、エルシアは急に走り出した馬の背から落とされないよう体勢を整えたが、小さな悲鳴を耳にして振り返らないでいられる訳がない。視線を向けた先には男が三人、うち一人はエルシアに向いていて、残りの二人はマーガレットを地面に押し倒して馬乗りになっていた。
「マーガレット!」
思わず馬を止めてしまったエルシアに男が口角を上げるのが分かった。このまま逃げなければいけない、でもと躊躇うエルシアに男がゆっくりと歩み寄る。
「奥様にげてっ!」
叫んだマーガレットの頬を馬乗りになる男が殴りつける。しかも拳で。なんてことだと唖然としてエルシアは手綱を手放し口元を覆った。
「セルガン辺境伯爵夫人ですね?」
「寄らないで!」
再度手綱を握り締め馬上で身を縮める。男は細身でそれほど背は高くなく三十代前半と思われるが、体つきや身なりからしても武人ではないように感じる。言葉に従い立ち止まってくれたが、エルシアの怯えは伝わっているようで男は余裕の笑みを浮かべていた。
「女性に暴力を振るうなんて最低の人間ね。」
「そういった日常に生きておりますので、申し訳ありませんがご理解を。」
「馬鹿じゃないの、出来る訳ないでしょう。」
エルシアが張った精一杯の虚勢を男は鼻で笑い後ろを一瞥する。と、マーガレットに乗っていた男が彼女の衣服を乱暴に剥ぎ取り始めた。エルシアは更なる驚きに紫の瞳を見開いて声を失う。マーガレットはもう一人に腕を拘束されされるがままで、ばたつかせる両足が無常に空を蹴るばかり。何をしようとしているのかなんて一目瞭然だ。
「やめて、止めさせなさいっ。何が目的なの!」
「こんなの平気ですっ、だから逃げて奥様っ!」
要求を聞こうとエルシアが訴えても、細身の男は嫌な笑みを浮かべたままじっとエルシアを見ているだけだ。その間にもマーガレットの服は乱暴に剥ぎ取られ裸に剥かれていく。何とかして助けをと辺りを見回すも、二人の男を相手にするオルウェンは劣勢に追い込まれ、トマスは胸に矢を差し倒れたままだ。どうしたらいいのか、戦う力もないのに逃げる事も出来ないエルシアには相手の要求をのむしかないのに、どうしてかその要求が突き付けられない。エルシアは手綱を掴むとその場で馬を歩ませるが、マーガレットを踏みつけるのを恐れ結局何もできないままだ。
「何がしたいの、止めてちょうだい!」
「いいんです奥様、どうせ初めてじゃないしっ―――だから見てないで逃げて下さい!」
自分に仕えてくれる侍女が強姦される所を見せるのが目的だとでもいうのか。殴られ頬を腫らしたマーガレットは涙に濡れた顔に口からは血を流している。全身は泥に塗れてぐちゃぐちゃで、エルシアがやめてと叫んでも下着まで剥ぎ取られほとんど何も身に着けていない状態になってしまっていた。なのに平気だと訴える声に耐えきれずエルシアが視線を外すと、間を置かずして絶叫が上がり弾かれる様に馬から飛び降りた。
「やめてっ!」
ほとんど全裸状態のマーガレットはうつぶせに転がされ、肩には男の太いプーツが乗って踏み付けられ腕を折られてる。肉体に入り込まれてはいなかったが、とても良かったと言える状態ではなかった。本来なら直視できない程にぼろぼろで、マーガレットを泣きながら助けようとするエルシアだったが瞬く間に捉えられ拘束される。
「やめてやめてっ、何でもいう事を聞くからお願い!」
「では、大人しくついて来ていただけますか?」
「行くわ、だから彼女から手を離して。彼らも殺さないでっ!」
「では貴方ご自身の意志にて私の手をお取り下さい。」
差し出された掌に一瞬迷ったものの、マーガレットが反対の腕を取られるのを目にして瞬時に腕を伸ばす。拘束が解かれ剣を握るアルベルトとは違う手の感覚に不快感を感じていると、再び捕らえられ後ろ手に拘束された。目的はエルシア自身に男の手を取らせることだったようだ。
滅茶苦茶になったマーガレットを視界に捕らえたエルシアに、痛みに唸る彼女の視線がいけないと訴えるが、エルシアは小さく頭を振って涙を零す。
「ごめんなさいマーガレット。わたしの代わりはいくらでもいると旦那様にお伝えしてね。」
必ずよと訴えるエルシアは、自分が囚われる意味をよく理解していた。当然マーガレットも、怪我を負い地面に転がされたオルウェンも矢を受けたトマスもだ。けれど同時にエルシアは、自分の変わりはいくらでもいるのだとも十分理解している。そもそもエルシアがここに嫁いだのは亡くなった夫人の代わりにアルベルトの子を産むためなのだから。本来なら辺境伯家の正式な妻に、何も持たない男爵家の末娘などが選ばれるような奇跡は起きない。アルベルトにはもっと相応しい、それこそ身分もつり合う彼だけの妻を娶る事が出来るはずなのである。
「絶対に彼らをこれ以上傷つけないで。そうでなければ今すぐに舌を噛んで死にます。」
「自死は意外に難しいですよ。でもまぁその程度の我儘なら聞き入れましょう。何しろ証人も必要なのでね。」
奥様と、力のない声でマーガレットがエルシアを呼ぶ。殴られた顔は腫れ上がり唇は深く切れ、片方の目は紫色に変色して腫れあがった瞼が覆っていた。
「ごめんなさい。本当にごめんなさい。」
セルガン辺境伯夫人としてあるならオルウェンやトマス、そしてマーガレットの命よりも我が身の安全を優先させるべきなのだ。だがエルシアにはどうしてもそれが出来なかった。我が身可愛さにエルシアがこの場を去ればマーガレットは間違いなく凌辱されたあとで殺されるだろう。躊躇なく女を殴れる男たちだ、死ぬまでに何をされるかわからない。それにオルウェンやトマスだって、自分のせいで死なせるわけにはいかないと感じる程に関わりを持っていた。だからマーガレットに言葉を託した、自分の代わりはいくらでもいると。攫われた後に来る要求には応えるな、見捨ててくれといっているのだ。
裸足のまま馬の背に押し上げられるが、縛られたりといった拘束は受けない。恐らく逃げないと解っているのだろう。エルシアを攫って何がしたいのか。ただの人攫いではないだろうとは予想できるが、その先にある思惑に行きつくと恐ろしくて余計に口にできなかった。
「お願い、一頭でいいから馬を残して。」
「残念ながらその我儘は聞く訳にはいきません。」
乗ってきた馬は全て奪われてしまう。奥様と呼ばれ振り返ればマーガレットが無事な方の腕で地面を這っていた。せめて傷の手当てを願いたかったが、気分を変えられ殺されてはと口にできない。腕を折られ体中に傷を負っていてもマーガレットは生きている。貞操もなんとか無事だ。だが胸を射られたトマスの生死は不明だし、オルウェンも血を流して倒れ込んで肩で息をしていた。オルウェンの側には敵が一人仰向けに倒れ、見開かれた目が絶命していると語っている。遺体は回収され馬の背に乗せられた。この三人をこんな状態にだけは出来ない。
どうか無事で、命だけはどうかと願いながら囚われたエルシアはセルガンから連れ出された。
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裸足で馬上の人となり攫われるエルシアをマーガレットは悔し涙で見送る。自由にならない体で地面を這い、立ち木に手を伸ばして立ち上がると全身に激痛が走り倒れ込んだ。それでも膝と右腕で地面を這ってエルシアを追うが、瞬く間に視界から消え去ってしまう。
辺境伯家は普通の貴族とは訳が違う。エルシアも王女に仕えていたなら解っているだろうに、エルシアは自分に仕える人間を優先して攫われてしまった。マーガレットとてこのような事態の時に我が身を投げ出す覚悟はできていたのだ。それをやらせてくれなかったエルシアに対して湧き起るのは悪態ではなく、親愛の情と、自分が犯した罪の意識。エルシアが他人を犠牲にしてまで己を優先出来ないのは嫁いできた理由からも、そして側にいても分かっていたのに。だから悲鳴を上げてエルシアを立ち止まらせてしまった己の失態にマーガレットは悔しさを覚える。
折られた左腕を庇い何とか立ち上がり倒れ這いながらトマスに寄れば、左胸を射られているが心臓ではなくちゃんと息もしていた。意識がないが取りあえず生きている。
「マーガレット、動けるか?」
「どうしようオルウェンさん、奥様が連れて行かれた。」
解っていると身を起こしたオルウェンが顔を顰め腹を押さえると、太い指の間から大量の血が一気に溢れ出した。マーガレットはかろうじて体に巻き付いていたぼろ布を剥ぎ取りオルウェンの傷口にあてがう。
「俺は動けそうにないが、知らせに行けそうか?」
「だっ、大丈夫。行ける。」
マーガレットは泣きながら頷く。体中が痛いが自分以外に動ける人間はいない。
「奥方を攫ったのはギスターナの人間だ。細身の男がいただろう、あれは武人ではない。襲ってきたのはそいつを入れて五人だが、トマスを射た奴は姿を見せなかった。しっかり統率がとれていたし全員かなりの手練れだった。後はお前が見たままを正確に伝えるんだ、いいな?」
オルウェンは出血が酷く、自分が死んだときの為に剣を交え感じ取った情報全てをマーガレットに託す。マーガレットは頷き、裸で立ちあがってふらふらと歩き出すも、途中で襤褸と化した服をどうにか身に着け前に進んだ。