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辺境の花  作者: momo
8/21

その8




 特に何かがあったわけではないが、ギスターナの国境責任者が変わったとの知らせを受けてよりアルベルトは嫌な予感を感じていた。


 隣国ギスターナと国境を交える砦で最後に変化が起きたのはエルシアと結婚したまさにその日だ。思い出したように繰り返される侵攻に見せかけた睨み合い。互いに国境を跨ぐことのない、いつも通りのなれ合いの様な事柄が最後だ。その後は忍ばせていた間者よりギスターナの責任者が変更になったと報告を受けたが、前任者は今は亡きアルベルトの父親が辺境伯を勤めた時代よりそこにいたので、定期の人事異動というより老齢によるお役御免だろうと受け取れる事柄だ。しかしながら新たに配属された責任者がいかなる相手なのか全く掴めない。無名の輩が配属され、実力がない無能ならばアイフィールドをあきらめてくれたのだと思わないでもないが、何しろ名前以外は武人なのが文人なのかすら何も掴めない過去の見えない輩なのだ。相手が何者なのか把握できないのは多くの命を預かる者として懸念材料となる。責任者とは名ばかりの無能ならよいが、親の後ろ盾を笠に権力だけを与えられた無能なら更に厄介となる。己の実力も測れず無駄に攻め入られるのも勘弁願いたかった。


 そんな訳で近頃は情報の確認に砦に向かう日が続いていた。多くの情報が得られたわけではなかったが無収穫という訳でもない。ウルリックの急な訪問を受け好都合と急ぎ手綱を取れば、アルベルトとは異なりレディスは不満気にアルベルトを急かす。


 「第三王子って女に手が早くて有名じゃないか。」


 エルシアが心配だと訴えるレディスにアルベルトは考え過ぎだと諭した。相手は王族、しかも騎士団に身を置くウルリックとは長い付き合いになる。敬うべきであると真面目なアルベルトに対しレディスは不満気に鼻を鳴らして馬の腹を蹴ると手綱を捌く。


 「掻っ攫われても知らねぇぞ!」

 「あの方はそのような人ではない。」


 聞く耳持たないレディスは先を急ぎ、溜息を落としながらもアルベルトも後を追った。レディスの心配も解るがウルリックが手を付けるのは向こうから寄って来た後腐れのない女性たちだけだ。女遊びをしないアルベルトと比べると節操なしの様に見えるかもしれないが、同じように遊びを覚えているレディスに非難されるのはどうかと思う。さすがにウルリックを前に口を滑らせ不敬を働くようなこともないだろうが、念のためレディスと引き合わせるのはやめておこうと決めた。レディスが辺境伯になる様な事態になった時、ウルリックとの間にしこりを残すのは良くないと考えたからだ。


 急くレディスに誘われるように舞い戻ったアルベルトは、顔色を失くしたエルシアを認め申し訳なく思いつつも、自分の不在によくやってくれたと視線で労えば、エルシアは返事をするかに視線を落とした。そのまま後を引き継いだアルベルトは、挨拶もそこそこにパーシバルを連れたウルリックを誘い屋敷で最も設えの良い客間に入ると早々に仕事の話しへと入る。


 「新たな国境責任者の名が判明しました。デルク=オルガ、先代ギスターナ国王が残した庶子だということですが、他は掴めておりません。」

 「デルク=オルガ、か。聞いたことないな。先代は手当たり次第だったというが、その者は庶子のままなのだろうか?」


 これまでは大きな戦いに発展はしていないが、ギスターナはアイフィールドに侵攻する機会を長く窺っているのだ。責任者の交換が行われた状況からしてもこのままの状態を望んでいるわけでもないだろう。実力があるなら王族の地位を与えた方が色々と好都合だろうに、庶子のままというのは引っかかる。


 「攻めてくるやもしれんな。」

 

 ウルリックの呟きにアルベルトも頷いた。相手がどのような戦略を用いるのか全く情報がないが、先王の子が生まれを認められぬまま国境責任者となったのなら手柄を欲している筈だ。国境突破が王族と認められる条件なのかもしれない。


 「出来るだけ早く中央に話を上げた方がいいな。私も戻ろう、早馬を出せるか?」

 「ではその様に計らいます。殿下は明朝に?」

 「一晩世話になり早朝に立たせてもらう。間者は増やした方がいいだろうが気取られている節があるなら注意が必要だ。解っているだろうがセルガンも気を付けてくれ。」


 互いが互いを見張っている状態だ。ギスターナからの間者が何処にいるか解らない。屋敷に出入りする人間は昔ながらの伝手で集められているが外は違う。すべてに目が行き届くわけではないのだ。


 「ところでアルベルト、遅ればせながら結婚おめでとう。」

 「これは……ありがとう御座います。」


 急な祝辞に声を詰まらせたが、手を差し伸べられ握手を交わした。


 「実は私も彼女を狙っていたのだけどね。王女という小さな騎士の手を離れたと思ったら本物の騎士の手に落ちてしまった。誠に残念でならない。」

 

 笑顔で述べるウルリックにアルベルトの目が丸くなり、パーシバルからは『殿下』と諫める声が上がる。ウルリックなりの褒め言葉なのかもしれないが、掻っ攫われるというレディスの声がアルベルトの脳裏をかすめた。



 

 晩餐の席までにアルベルトは執事よりウルリックが来てからの報告を受けた。失敗もなくエルシアが良くやってくれたらしかったが、二人きりで迷路となっている庭園に出たと聞いて顔色を失くしていたエルシアを思い出す。よくある冗談のようなものを口にしてパーシバルに諫められてはいたが、実際には二人の間で何か起きたのではないかと、レディスの言葉もありアルベルトは不要な勘繰りをしてしまいそうになった。しかし晩餐の席でのエルシアは終始控えめながらも微笑みを湛え変わった所は見受けられない。ウルリックの視線に熱がこもるのも、エルシアの美貌を前にすれば仕方のない事だろうと思われる。それに王女の話しが出るとエルシアの声色も俄かに華やいだ。不要な勘繰りは止めようとするも、どこかでマーガレットに確認したい思いに駆られ思わず苦笑いが漏れる。


 晩餐の後は国境の警備やギスターナの話を詰め夜半まで続いた。早朝に立つウルリックを見送る算段をピエネと確認し寝室に戻ると、夫婦の寝室の前にレディスが陣取っているではないか。


 「何をしているんだ?」

 「何って、夜這いを阻止するために警護。」

 「レディス……」


 有難くもあるが、正直不敬だぞと眉を顰める。そもそも夫婦の寝室に立ち入って不貞を働くような人ではないと視線で告げるが、レディスは叱られる前にと早々に退散してしまった。


 寝室に入ると思った通りエルシアは起きていた。先に寝ているように言っておいたので努力はしたのだろう、横になっていた体を起こそうとするのをアルベルトが止めるが結局エルシアは起き上がる。


 「殿下は明朝、日の出とともに発たれる。」

 「ではわたしもお見送りを。」

 「いや……まぁそうだな。可能ならそうしてくれ。」


 必要ないと言いかけたが、特別な理由もないのにそういう訳にもいかないだろう。寝台に上がったアルベルトはエルシアの蜂蜜色の長い髪を一撫でしてから額に唇を寄せる。


 「よくやってくれたようだな、感謝する。」

 「いいえ、役目を果たしただけです。それにきちんと出来たかどうか。」

 「ウルリック殿下をこの屋敷にお迎えするのは初めてであったから、君が殿下の好みを把握してくれていて良かったとピエネも安堵していた。」

 「お役に立てたのなら幸いです。」


 ほっと息を吐いたエルシアがアルベルトの胸にもたれかかって来る。控えめな彼女がこのような行動に出たのは初めてで、驚きながらも何かあったのだろうと察して迎え入れた。


 「疲れたか?」

 「少し―――疲れたというよりも気が張りました。」


 エルシアはそのままアルベルトの胸に顔を寄せ無言になる。抱いた肩が震え泣いているようだと感じたアルベルトだったが、それを指摘してよいのかどうかが分からずにそのまま動けなくなってしまった。これがレディスなら上手い具合に慰めてやれるのだろうが、何しろアルベルトには気の利いた言葉が全く浮かばない。このまま抱いてしまおうかと思ったが、恐らくウルリックとの間で何かがあって心を痛めているのだろうと考えると、それもいけない事のように感じ手が出せなかった。それなので抱きしめたまま寝そべりやわりと背を撫でてやる。知られたくないようなのでなぜ泣くのか問うこともしなかった。


 エルシア自身どうして涙が溢れるのか分からなかった。頼るようにしてアルベルトに身を寄せるとほっとして、何故か溢れてしまったのだ。泣いているのを知られたくなくて黙って胸に顔を寄せると背を撫でてくれ、その優しさに申し訳ない気持ちが湧き起ってしまったが縋りつづけた。


 正直、もと恋人への想いはあった。周りを固められ断れない状態になっていたとはいえ、エルシアとイージスは納得して別れたのだ。だからこの涙は彼が婚約して切ない、悲しいという感情から零れ出たものではない。かといってアルベルトに対する後ろめたさや申し訳なさ、我が身の情けなさからといえばそうでもないのだ。きっと優しいアルベルトに甘えてしまったのだろう。二度と戻れない過去への思慕もあったのかも知れない。人は変わるというが、その変化にかかわってしまった原因として、何もできないのに悲しく感じてしまうもどかしさもあるのだろうか。

 そしてアルベルトとセルガンへ抱く想い。セルガンは他の地と異なりギスターナと国境を交える重要な場所だ。アルベルトは国境を守るために滅多に領地を離れず、エルシアも生まれ育った中央に戻ることはほとんどないだろう。この地へ嫁ぐのに多くの物と決別を強いられた。故郷にするべき場所なのに、当たり前のことも出来ずにいる力不足の自分に情けなくもなる。


 とにかく悟られぬよう、エルシアはアルベルトの胸に顔を寄せ、けして声を出さないように必死で奥歯を噛みしめた。やさしく背を撫でられ、必ずこの人に恋をしようと願ってしまう。敬愛ではなく何時の日か愛しい人だと感じられるようにならなくてはと、どうにもならない筈の心を目標に向かって進めてしまおうと、エルシアは馬鹿な誓いを持ってしまったのだ。こういう感情は努力ではどうにもならない、心で感じる物なのだと経験上わかているはずなのに、新しい物ばかりのセルガンの地で決断でもしなければエルシアの心は簡単に折れてしまいそうになる。


 いつの間にか眠っていたようだ。アルベルトが身動きして目を覚ましたエルシアは、ウルリックを見送る為にアルベルトの身支度を手伝う。朝早すぎるので使用人たちは一部の者しか起き出していない。自分の身を整えようとしたエルシアに腕を伸ばしたアルベルトは、見送りはいいと言ってエルシアを寝台に押し戻した。


 「旦那様?」


 どうしてと疑問に満ちた目を向けるとアルベルトが眉を寄せ小さく微笑む。


 「それはそれで可愛らしいのだけどね、顔がむくんでいる。」

 「―――っ!」


 驚いたエルシアは鏡台に向かい鏡に顔を寄せさらに驚いた。目が腫れて見開けない程だ。昨夜泣きながら眠ってしまったせいだと思い至り、冷やしてもすぐに腫れは引かないだろうと失態に頭を抱える。薄暗いので気付かれないかも知れないからこのまま見送りに出ようかと考えながら指先で瞼を押し揉んだ。


 「エルシア、私とピエネで見送るから君は出なくていい。」

 「ですが―――」

 「殿下にいらぬ勘繰りをされて君を攫われたくないのでね。こういう妻を知るのは夫だけでいいのではないかと私は思うよ。」


 アルベルトはエルシアの腫れた瞼に唇を寄せると寝室を出て行ってしまった。怒っているとか呆れている様子はなかったが、エルシアは失敗してしまったと深く落ち込む。こんな風に泣いて瞼が腫れたのなんてイージスと別れて泣いて以来だ。自分自身に落胆したエルシアは寝台に顔から倒れ込んだ。

 




以後、不定期更新となります。

更新する場合の予定時刻は20時です。

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