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辺境の花  作者: momo
5/21

その5




 どれくらい時間を空ければ見舞ってもよいのだろうかと、落ち着かない気持ちを抱えたままアルベルトは仕事をしながら書斎で過ごす。

 自分の妻なのだから遠慮する必要はないのに、結婚に至った経緯を考えるとこれ以上嫌われたくないという思いが募った。いや、嫌われてはいないだろうが好かれてもいないのかも知れないと、良い歳をした大人が十七の妻に対して思い悩む様は些か滑稽でもある。


 書斎の扉が叩かれアルベルトの返事を待たずに開かれるとレディスが入って来た。女性受けがいい顔を珍しく顰め神妙になっている。


 「なぁアルベルト、奥方どうしたのさ。昼間は元気だったのに閉じこもって出て来やしない。何か持病があるとかって聞いてなかったよな?」


 眉を寄せて心配そうに詰め寄るレディスの様子があまりにも正直で、アルベルトは年下の従弟が羨ましくなる。同時に自分はこの従兄弟に妻を譲ろうとしていた大馬鹿者だと改めて気付いた。


 「大丈夫だ、大した事じゃない。」

 「んな悠長な。マーガレットは俺のせいだって言ったけど本当に冗談だよな?」

 「エルシアに何かしたのか?」

 「何にもしてないよ。心当たりもないし。けど女って複雑だろ? 知らないうちに何かしたのかも。」


 エルシアが塞いでいる原因が気になって仕方がない様で、書斎の長椅子にゴロンと背を預け頭を掻きむしり悩む姿にアルベルトは苦笑いを漏らした。


 「女性特有の現象だ、お前のせいじゃない。」

 

 マーガレットからエルシアの事情を夫でもないレディスには説明できなかったのだろう。アルベルトからも教えてやる必要はないだろうが、これだけ悩んでいるのだ。少しばかり可哀想になって答えを出してやるとレディスは寝転んだ椅子から飛び起きた。


 「本当か?!」


 アルベルトと同じ灰色を帯びた緑の目が見開かれ、本当だと頷いてやれば安心したらしく大きく息を吐き出しながら再び長椅子に寝転がる。


 「焦ったぁ~。アルベルトと真剣で打ち合うより神経使ったよ。」

 「そこまで嫌われたくないとは、本当に彼女が気に入ってるんだな。」

 「お前の奥方だしな。それに飛び切りの美人だ。あんな女性に嫌われたら生きていけない。」


 アルベルトは見せかけだけになっている仕事の手を止めるとレディスをじっと眺めた。不安が消えた途端に表情はいつも通りに明るくなり、茶色の前髪を指に巻き付け暇を潰している。


 「やはりお前に娶らせるべきだったか。」


 心とは裏腹に呟くように漏らしたアルベルトの声に反応して、レディスはまたもや飛び起きた。今度は怖いくらいにアルベルトを睨みつけている。


 「心にもないこと言うのはやめろよ、奥方が可哀想だろ。聞かれでもしたら今度こそ正真正銘の仮面夫婦になるぞ。二度と口にするな。」

 

 叱られて申し訳ないとアルベルトは詫びる。年若い従兄弟に嫉妬の念を抱いて出てしまった言葉だ。確かに口にするべきでなかったと深く反省した。


 「それに俺は奥方に対してそんな感情はないからな。どうしても辺境伯を俺に譲りたいなら奥方と一緒に引退すればいいだろ。まぁ本心としては厄介事は御免なんで、ちゃんと子供作ってくれるのを望んでるけどな。」


 アルベルトは従兄弟であるレディスを可愛がってくれた。その延長線上であるかにレディスは落馬で死んでしまった幼いサミュエルをとても可愛がっていた。二人に子供が出来たらそれ以上に可愛がって面倒見てやると、半分怒りながらも寂しさを覗かせながら言うレディスに、アルベルトはその時が来たら頼むと答え席を立つ。向かう先は話題の妻の元だ。突然に幼い息子を亡くした悲しみはアルベルトも癒えてはいない。その悲しみを誤魔化すわけではないが、アルベルトの体は自然にエルシアの顔を見たいと感じて赴いた。




 *****


 妻の部屋を訪ねると寝台に横たわるエルシアがマーガレットに足を拭われていた。寝間着から覗く白い太腿に一瞬男が目覚めそうになるが、それ所ではないとアルベルトは気持ちを落ち着ける。


 「後は私が。」

 「承知いたしました。」


 マーガレットが腰を折って部屋を出ると、アルベルトが手拭をエルシアの足に滑らせる。


 「自分で出来ます。」

 「私にやらせてほしい。」

 「でも、その……申し訳ありません。」


 自分がやりたいのだから気にするなとアルベルトが白い足に触れると、エルシアはそっと首を横に振ってアルベルトの手を止めた。


 「孕めませんでした。」


 沈痛な面持ちで吐き出された言葉にアルベルトははっとしてエルシアから手を離す。


 エルシアには月の物が遅れたのでもしかしたらという気持ちと、役目を果たせたという達成感が湧き起っていた。その矢先の出来事だ。落ち込むエルシアの様子に、セルガン辺境伯の後継ぎを残す為にやってきたエルシアの心情を見せつけられる。


 「こればかりは授かりものだ。」


 ありきたりな言葉しか出ないアルベルトを前に、エルシアは不甲斐ない我が身に悔しさと申し訳なさを覚え唇を噛んだ。するとアルベルトは小さく息を吐いて手拭を桶に戻すと、寝台に深く腰を下ろしてエルシアを引き寄せる。


 「私は急いてはいない。それよりもまずは君との間に信頼関係を築く方に重点を置きたいと思っている。」


 追い詰められ嫁いできたエルシアに、気遣いからとはいえ彼女を受け入れようとしなかった。レディスと一緒にいるエルシアの様子を見ると、いまだに似合いなのではないかという考えが浮かんでしまう時もある。だが蜂蜜を欲しいと忍んで出かけたり、男たちがぶつかり合う野蛮な鍛錬の様子を目にしても眉を顰めないエルシアに、辺境伯家の女主人の才を見ながらアルベルト自身も惹かれているのだ。後継ぎの問題があったからこそエルシアは全てを奪われ嫁いできたのだが、こうなってしまった以上アルベルトは彼女と誠実に向き合い幸せにする義務があり、自らの手でそうしたいと感じるようにもなっていた。不幸の上に成り立った出会いだが、それを除けは我が身は幸運だったとすら感じる。互いが同じ気持ちになれたならと強く思うようになっているのだ。


 「それに君も知っての通り、私は先の妻をお産で亡くしている。後継ぎの問題も大切だが、孕んだ君が同じようになるのではないかという不安もあるのだ。」

 

 不安を感じながらも避妊をしているわけではない。ままならないなと心内で感じていると、胸に閉じ込めたエルシアが首を振って顔を上げた。


 「お心は察しますが、それほど心配されなくてもいいのではと。父方のコーリン家もですけど、特に母方の家系は安産で有名です。」


 ご存知ですよねと、エルシアの紫色の瞳が柔らかに見開かれアルベルトに重ねられた。そういうのもあったなと思い出しながら、美しい瞳に誘われる様に顔を寄せたアルベルトの胸をエルシアが押し、痛そうに体を曲げて腹部を抱き込む。


 「すまない、無理をさせたようだ。」


 慌てて寝台に横になる手伝いをするアルベルトに、エルシアは礼を述べるが体をくの字に折って痛みに耐えていた。女性には当然ある物だとしても男では理解できない症状に、もしかしたら他の病気ではと流石に心配になる。


 「いつもそのように酷いのか?」

 「始めの半日は。でもそれを過ぎると嘘のように楽なのです。ですのでご心配なく、明日朝にはけろりとしていますから。」


 額に汗を滲ませ丸くなって痛みに耐えるエルシアにアルベルトは付き添った。前の妻もこの様に苦しんでいたのだろうかと、月の物の間は声すら交わしてもらえなかった前妻に申し訳なさを感じる。その分という訳ではないが、こうして拒絶しないでくれるエルシアにアルベルトは尽くそうとするのだが、何をすればいいのか分からず、寝台に上がって妻の背後に沿うと後から抱きしめるように手を回して下腹部に触れた。


 「小さな頃、お腹を痛めると母がそのようにしてくれました。」

 「私も同じ経験がある。大人に効くか解らぬが―――」

 「旦那様の手はお優しいですね。」


 大きくて適度に重みがあり温かい。エルシアはアルベルトの手に小さな白い両手を重ねてほっと息を吐き出し瞼を落とした。


 基本的に妻が夫婦の寝室を使わないときは、病の時や夫に不満があって共に居たくない時といわれている。エルシアもこのような状態で一緒に眠る気持ちはなかったが、妻の寝台に潜り込んだアルベルトを不快に思わず素直に受け入れた。彼は血の汚れを厭わないのだと感じ何故がほっとする。温もりに包まれいつの間にか眠ってしまって朝を迎えると、月の物が終わったわけではないが予想取り痛みは綺麗さっぱり消え失せ、倦怠感もなくなっていた。あまりに元気なエルシアにアルベルトは驚きつつも、よかったと目を細め支度をしに妻の部屋を出る。アルベルトが部屋を出て行くとエルシアもマーガレットが来る前に身支度を済ませ、いつも通りの日常に戻って行った。



 エルシアの子供に対する不安を受け取ったアルベルトは、後継ぎが生まれなかった場合の為にとレディスに仕事を教えることにした。子供が出来ないからといってエルシアと離婚したり、妾を取ったりするつもりはないという説明をアルベルトから受けたレディスは、理由を知り辺境伯の爵位が決定事項でないならと了承する。女性には色々あるなぁと、従兄弟の美しい妻に同情したのも理由の一つだが、そのうち子供はできるだろうという楽観視した部分もあった。ただそのせいでエルシアの警護から外れるのが残念であるのは正直な気持ちだ。綺麗な女性と共に過ごす時間は確かに楽しいのだが、ここに来た当初は悲壮感を漂わせていたエルシアが元気になり、本来の素の姿を見せてくれるようになるとレディスは更にエルシアに対して好意的になっていたからだ。城に仕えた貴族の娘は高飛車なのだろうと想像していただけに、そうではなく良い具合に期待が裏切られたのも手伝っている。従兄弟の妻という彼女との間にある距離もちょうど良くて心地いい。確かに女性は好きで手当たり次第の所もあったが、こういう関係をレディスはとても楽に感じていた。


 レディスの代わりに新たな護衛として二人の騎士が付く。アルベルトよりも年上でオルウェンという騎士にレディスと同じ二十二歳のトマスという若い騎士。裕福ではない男爵家の生まれで城仕えをしていたのもあり、エルシアは気さくに接するが、若いトマスが話しに乗って来ようとすると年嵩のオルウェンが諫めるという図が出来上がっている。オルウェンは真面目だがけしてエルシアを拒絶しているわけではないようで、お気に入りの蜂の巣がある野原にピクニックに幾度も出かけるうちに、同じ敷物に座って昼食を楽しむ関係を築けるようになってくれた。


 「奥方には敵いませんな。」

 「だって人を待たせて自分だけ食事なんてできないわ。それに一緒に囲んだ方が楽しいでしょう?」


 多少遠慮気味なオルウェンを前に、マーガレットとトマスに同意を求めるとその通りだと頷かれる。


 「旦那様からは了承されてるのに、オルウェンさんは本当に堅物なんだから。」

 「けどそれを覆らせた奥様には驚かされますねぇ。」


 お堅いオルウェンだが、もしかしたら仕事中だというのを気にしすぎているのではと考えたエルシアは、早い段階でアルベルトに相談していたのだ。構わないので好きにすればいいと了承されたが、許可を出したアルベルト自身オルウェンの考えを曲げるのは難しいのではと思っていた。しかしながらいかに堅物騎士であっても主の妻であるだけではなく、何処からどう見ても美しい女性には弱くなってしまうのか。いつしかオルウェンは同じ敷物に腰をおろしてくれるようになった。エルシアは主従関係を理解しながらも、敵国と国境を交える辺境という場所柄に結束力は必要と、国の盾になってくれる男たちと率先して交流を持とうとしている。そんなエルシアにセルガンの人間も好意を持つようになっていた。


 そんな日常が幾日が過ぎ去ったある日の午後、アルベルト不在時にやって来た突然の来客にエルシアは采配を振るわねばならなくなる。相手は王国騎士団に席を置きやがては頂点に上り詰める役目を担う、セルガン辺境伯家とも良好な繋がりを持っておかねばならない相手。我が国の第三王子でもあるウルリック=アイフィールドであった。






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― 新着の感想 ―
[気になる点] 名前が一部アルフレットになっていました。
2021/08/04 15:52 退会済み
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