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辺境の花  作者: momo
4/21

その4



 国境を守るセルガン辺境伯は独自に軍を持つのを許されている。領主として治安維持の為に私兵を持つ者はあるが、国王より軍を持つのを許されるのは辺境伯のみ。隣国ギスターナが攻め入って来た時に王国軍が駆け付けるまでには時間が必要で、セルガン辺境伯を頂点として組織された軍のほとんどがセルガン領内の人間によって構成されていた。


 軍であっても全員が常に詰めているわけではない。本業を持っているものが大多数で有事の際に駆けつけるのが七割以上だ。彼らは定期的に訓練を受けているが、常勤の騎士や兵士は常に国防に勤め役目を果たしていた。そして今日のエルシアは、そんな常勤の騎士や兵士の訓練を見学に来ている。ただ本当に屈強な男たちが肉体をぶつけ合い汗を流す様を眺め黄色い歓声をおくるだけの見学ではない。辺境伯の妻として有事の際に役立つよう、軍医の側で訓練で怪我を負った男たちを相手に手当の仕方を実戦で学ぶためだった。


 エルシアを妻に迎えるにあたりアルベルトは彼女やその周囲を調査してはいたが、エルシアが一般の令嬢のように育っていないという事実は共に生活するにつれ判明した事実だ。

 城に女官として上がっていただけあり教養に文句はないが、内に秘めたものは辺境伯家の奥方として申し分ない可能性を持っていた。

 最初に感じたのは新床を済ませた翌朝に何事もなかったかに動き回れていたのを目に留めた時だ。毎夜抱き、それが多少過酷なものになっても翌日には寝過ごしもせず平気で日常をこなしている。

 次に乗馬。経験が皆無であるとの言葉を疑う程に上達が早く、続いて闇に紛れ屋敷を抜け出す行動力もある。ごく一般的な貴族令嬢の体力や運動神経をしていない妻にアルベルトは口角を上げた。虫を恐れる所か狩に連れ出し得た獣を捌いても悲鳴を上げないし、身分の劣る者に対しても同じ人間として接する。これは貴族の令嬢としては珍しい。それに血を見て失神するような女性でないならと、アルベルトはエルシアを訓練に誘ったのだ。


 訓練の場に現れた美しい女性に気を引かれない男などいない。軍医が待機する天幕の下の美女がアルベルトの妻と知れるや否やひそひそ話が始まった。

 前の妻は公爵家出身のご令嬢で、男臭い野蛮な訓練を見学しようなどという思考には至らず、アルベルトも特にそれを望みはしなかった。彼女は日に焼けるのを嫌がる普通の女性だったし、それが当たり前だからだ。けれどエルシアは違う。天幕の下で陽射しから逃れてはいるが、日傘なしでも外を出歩ける女性だ。美しい辺境伯の妻に執心する男が現れるかもしれないが、アルベルトは僅かに湧き上がる嫉妬よりも必要性を優先した。本来側に寄れない若く美しい女性を前にして大いに庇護欲を掻き立てられ、エルシアへの忠誠心を抱いてくれれば有事の際には役に立つし、部下たちとの絆が深まれば尚よいと。

 だが初めての試みに起きる弊害をアルベルトは予想していなかった。

 本来なら血が流れても軍医になど手当てさせるものかと強靭さを主張して回る男たちが、ほんのかすり傷程度で天幕に走り込んで行くのである。いつの間にか天幕の前にはエルシアに治療してもらう順番待ちが長蛇の列をなしていた。ついには怒った軍医が足で蹴飛ばし擦り傷以上の怪我を負わせる始末。その様をエルシアは仲がいいと笑って見守るのだ。


 「軍医様、ちょっとお待ちになって。あちらの方、なんだかとっても痛そうです。」

 「うん? おお何だお前、その腕は折れてないか?」

 「折れてはないと思うんスけど、ご領主の打ち込みをまともに受けちまって。尋常でないくらい痛いっすね。」

 「まぁ、旦那様が……ごめんなさい。軍医様、わたしにも手伝わせてくださいね。」

 「気にしなさんな。こいつは奥様に手当の仕方を学ばせるために旦那がしごいたんだろう。こいつも奥様に手当されりゃあ痛みも吹っ飛ぶよ、なぁ?」

 「勿論です。こんな若くて綺麗な奥様に触ってもらえるなんて、今夜は眠れそうにないっすね。」

 「いやだわ、冗談がお上手ね。」

 

 怪我人ともども楽しそうにやり取りしている様を横目でしっかりと監視していたアルベルトは、どういう訳だか不機嫌になって来る。その様を目ざとく見つけたレディスが楽しそうにすり寄って来た。


 「もしかしてアルベルト、嫉妬してる? 嫌だなぁ、自分で連れて来ておきながら後悔するなんざ珍しい。」

 「煩い。お前はしっかり見張っていろ。」

 「みんなと打ち解けていいと思うけどね。それにほら、怖い顔したマーガレットがしっかり張り付いてるから大丈夫。奥方のお尻に触るような輩はマーガレットに腕を切り落とされそうだよ?」


 悪戯に笑うレディスにアルベルトは仏頂面で答えてしまい更に揶揄されてしまった。王の命令で娶り嫁いできたアルベルトとエルシアだが、辺境伯夫人として彼女なりに精一杯勤めあげようとしている様に好感を抱きながらも、男たちと楽しくやり取りをしている様を目にしてしまうと大人げなくも胸の内が疼くのだ。レディスの言う通り嫉妬である。


 出口を塞がれ恋人と引き裂かれてやって来たエルシアを大切にしてやらなければと感じていた思いは、アルベルトの中でいつしか別の意味を持って育ち、辺境伯夫人ではなくエルシア個人を大切にしたい一人の女性と感じるようになっていた。だがそのエルシアが同じ想いを向けてくれているとは限らない。何しろアルベルトは出だしから失礼を働きエルシアに不快な思いをさせてしまっているのだ。何処かで訂正しなければと思いながら、役目と割り切って辺境伯夫人を務めているのだと言われるのを恐れていた。アルベルト自身けして見目が悪いわけではないが、誰もが振り返るであろう若く美しい妻を前にすると尻込みしてしまう。


 「剣はいいな。」


 努力したぶんだけ答えてくれると自信のない我が身に苦笑いが漏れ、呟きを拾ったレディスからは首を傾げられた。




 *****


 嫁いで一月が過ぎセルガンの地にも慣れて来た。初めはどうなる事かと陰鬱だったエルシアの心も、生活に馴染むにつれもとよりの性格のお蔭でどんどん明るい気持ちになっている。そして今日は辺境伯がもつ軍の訓練を見学させてもっただけではなく、軍医に習い手当に参加までさせてもらったのだ。ただの見学ではなく多くの人たちとの交流で仲間に入れてもらえたような気持になれた。城にも騎士団があり幼い王女について見学に赴くこともあったが、洗練された城の騎士らとは異なり、言葉遣いは多少乱暴でもより身近に感じて本当に楽しかった。ご機嫌なエルシアの傍らでアルベルトもにこやかでいてくれ咎められたりはしない。機嫌よく屋敷に戻ったエルシアであったが、馬の背に揺られながら門が近づくにつれ体に不調を覚えてマーガレットを呼ぶと耳打ちする。


 「月の物が来てしまったようなの、お願いしてもいいかしら?」

 「心得ました。」


 小さく頭を下げたマーガレットは女性特有の現象が起きた主の側を離れるのに一瞬迷ったものの、願い通りエルシアを迎えるために先に屋敷へ戻る許可をアルベルトに取り、手慣れた動作で馬を走らせ先を急ぐ。マーガレットを見送ったレディスがどうしたのかと問うが、エルシアは何でもないと曖昧に答えた。すると異変を察したアルベルトまでが馬を寄せてくる。


 「どうした、顔色が悪い。」

 「いいえ、少し疲れただけですので大丈夫です。」


 きちんと確認したわけではないし、周囲は男の人ばかりだ。流石に口にするのは憚られ耐えていると額に脂汗が滲んだ。


 「ずいぶん悪そうだ、共乗りしよう。此方に来なさい。」

 「お気遣いありがとうございます。ですがこのままで大丈夫です。」


 エルシアが跨る馬は小柄でエルシアを伴いアルベルトが騎乗するには無理がある。自分の大きな馬に誘えば断れ、思わぬ返事にアルベルトはしばし固まった。エルシアの様子にレディスも冷やかしを入れない。


 アルベルトの気遣いを断ったのは動いて血が流れるのを恐れたからだ。短い時間で進む下腹部の痛みと倦怠感にやはり間違いないとエルシアは落ち込んでいた。


 セルガンに嫁ぎ初夜を迎えてよりアルベルトとは毎夜夫婦の契りを結んでいた。日を違えずに来ていた月の物が遅れたのでもしかしたらとの期待は裏切られる。子を宿しセルガンに後継ぎを残すのがエルシアの役目でそのために嫁いできたのに、妊娠していなかったと知って酷く落ち込んでしまった。アルベルトも期待していただろうにがっかりさせてしまうと思うと、腹の痛みと悔しさで唇を噛み締める。


 屋敷に戻るとマーガレットが迎えてくれ直ぐに部屋に導かれた。衣服を解き下着を確認すると間違いなく月の物が来ており思わず力が抜ける。


 「奥様、大丈夫ですか?」

 「ありがとうマーガレット、病気でないのだから気にしないで。」

 

 マーガレットに手伝ってもらい何とか寝台に横になる。始まってから半日は辛いのが常だが、今回は何時もにもまして傷みが酷い。


 「お顔と手足だけでも拭いましょう。気分が良くなるかもしれません。」

 「そうね。でも後でいいわ。それから旦那様に今日は夕餉をご一緒できないとお伝えしてくれるかしら。」

 「解りました。後で消化の良い温かいものをお持ち致します。」

 「ありがとう。」


 同じ女なので状態は理解できる。妻に振られたとこっそり落ち込んでいるアルベルトと異なりマーガレットは落ち着いていた。ただ何も知らないだろう雇い主である辺境伯の為に、寝室を整え部屋を暗くしてから知らせに向かおうとすれば、アルベルトの方が待ち構えていたようにマーガレットに向かってやって来た。


 「彼女の様子はどうだ。あのような場所に連れて行って気分を害したのだろうか?」 


 やはり連れて行くのはよくなかったろうかと呟いているアルベルトの様子に、マーガレットは辺境伯を初めて可愛らしい所があると微笑ましく感じる。


 「奥様は月の物でお悩みです。」


 マーガレットの言葉にアルベルトがはっと顔を上げる。


 「―――そうなのか?」

 「重いようですのでそっとして差し上げるのが一番かと。夕餉はご一緒できないと謝られておいででした。」


 ほっとしながらもアルベルトは今は亡き前妻との生活を思い出す。彼女は月の物が来るとアルベルトを遠ざけ終わるまで会いたがらなかった。当然その期間は寝室も別で、そして妊娠中もそうであったと思い出し、アルベルトは頭を下げて仕事に戻ろうとしたマーガレットを呼び止める。


 「彼女は私に会いたくないと言っていたか?」


 アルベルトの言葉にマーガレットは僅かに首を傾けエルシアの様子を思い浮かべる。とても辛そうにしていたがそんな様子は見受けられなかった。ただ言葉にしなかっただけで心内では夫であるアルベルトに対しても側に寄って欲しくないと感じているかもしれない。ただ日頃の態度からするとその可能性は低いだろうとマーガレットは予想した。


 「横になられたばかりですので、そっとして差し上げた方が良いかもしれません。汚れを拭われるのも後で良いと厭われるほどでしたので。ですが旦那様にお会いしたくないとはおっしゃっておられませんでした。」

 「そうか。」


 アルベルトは自分でも気付かぬまま胸を撫で下ろし、マーガレットの助言に従い直ぐに見舞うのは止めておくことにする。訓練場で気分を害したのでも病でもないと知り心底ほっとしていた。


 胸を撫で下ろすアルベルトに見送られたマーガレットは、にやつきそうになる顔を必死で引き締める。三十を過ぎた辺境伯は新妻を迎えるのをどことなく拒絶していたようにマーガレットの目には映っていたのだ。それがどうだ。蓋を開けてみれば僅かな時間で十四も年下の妻にメロメロではないか。もともと使用人に無体をする人ではなかったが、エルシアの側に仕えるマーガレットにまで気付かう様子がおかしくてならない。辺境伯とエルシアが婚姻に至る状況は使用人たちも十分に理解しているだけに、二人が幸せになればいいとマーガレットは思いながら階下へと降りて行くとレディスに捕まった。


 「奥方の様子は?」

 「レディス様がしつこいから寝込んでしまわれたんじゃないんですか?」

 「ええっ?! 俺なにかしたっけ?」


 慌てるレディスにエルシアの事情を伝える訳にもいかず、マーガレットは冗談ですよと笑って仕事に戻って行った。

 




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