表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
辺境の花  作者: momo
3/21

その3

 


 

 抱かれると心が動くのか、動かねばやっていけないと防衛反応が働くのか。エルシアは毎夜与えられる快楽に翻弄されながら待ちわびる体を恥ずかしく感じる。けれど抱く方のアルベルトには快楽に溺れるエルシアをなじったり蔑むさまは微塵も見受けられなかった。勘違いでなければエルシアの反応を喜ばしく受け取ってもらえているように感じる。抱かれ子を作るのが一番の役目と感じていたが、それ以外の事にもアルベルトはできうる限りで関わろうとしてくれており、始まりは違っても両親の様に仲睦まじい夫婦になれるのではないかと錯覚してしまうのだ。アルベルトが上辺だけの夫としてだけではないと感じる一つに、彼が直接エルシアに乗馬の手ほどきをしてくれるのもあった。息子を落馬で亡くしているせいもあるのだろうが、親切丁寧に、特に卑屈にならない程度に厳しく指導してくれる。乗馬の経験のないエルシアだったが運動神経はもともとよく、飲みこみの早さもアルベルトのやる気に繋がっていた。


 「初めてにしては上出来すぎですよ。」

 「旦那様のご指導のお蔭です。」

 「だってよ、アルベルト!」


 初めての遠乗りはアルベルトだけではなくレディスも同行していた。何があるか分からないので慎重になるのは彼らの常だ。己の力量を過信しない所も立派とエルシアは感じる。


 「君は筋がいい。でなければ始めて一週間でここまでにはならない。」

 「すごいね奥様。コーリン男爵夫妻に隠れてこっそり何かやってました?」

 「そうですねぇ……こっそりと言えば夜中に二階から木を伝って抜け出したのが見つかって雷を落とされたことがあります。」

 「えっ、ウソまじで?」


 冗談で聞いたのにとんでもないのが出てきたと驚くレディスの様に、後ろをついて来てくれるアルベルトの反応が気になって様子を窺えば前を見るよう指示を受ける。ゆっくりであっても馬を走らせながらの他所見は素人には危険だ。


 「まぁ辺境伯家の奥方にとっては邪魔にならない能力、かな?」

 「そうだな。邪魔になる所かいざという時には必要かもしれない。」

 「―――本当に?」

 

 冗談じゃないのかと呟きながら斜め前を行くレディスを窺えば、冗談を言う時の表情でなかったのでエルシアは口を閉じる。もともと苦手ではなかったが、成人前に注意をされてよりやめていた。けれどこれからは木登りの練習も必要だろうかと真面目に考える。剣の指導も仰ぐべきなのだろうか。


 目的の場所は蓮華が群生する花園だった。赤紫の蓮華に交じり所々白い蓮華も見て取れる。


 「どうです奥方様、気に入ってくれました?」

 「ええ、とても素敵。連れて来て下さってありがとうございます。」


 馬を降り敷布を広げ籐の籠からお弁当と水筒を取り出して食事にした。サンドイッチを手に蓮華に見惚れるエルシアをアルベルトが見詰め、寝転がったレディスがそんな二人の様子を窺う。


 「アルベルトの前で言うのは何ですけど、やっぱ奥方は綺麗ですねぇ。」

 「レディスさん。どうしたんですか突然……」

 「いやぁ、アルベルトって女性に綺麗とか愛してるとか言わないでしょう。だから俺がかわりに言っておかなきゃいけないような気がしてですねぇ。」


 容姿を誉められ頬がほんのりと染まる。アルベルトの前なだけに口説かれているわけでないのは百も承知だが、恥ずかしいものは恥ずかしかった。


 「レディス、妙な気を遣うな。彼女が困っている。」

 「ならアルベルトが正直になればいいんだよ。」


 レディスの言葉にアルベルトは応えなかったものの、エルシアとの夫婦関係に好きだとか愛しているとかいう甘い言葉が飛び交っていない状態をようやく把握する。言うべきなのかとほんの少し迷って、言葉にしても嘘くさいなと考えるのを辞めたアルベルトをエルシアの紫の瞳がじっと見つめていた。その瞳にもアルベルトに対する恋や愛といった感情は見られないことに、己の心に罪悪感を抱かずに済んでほっとしてしまう。


 「気にするな。」

 「……はい。」


 アルベルトの目前を横切った小さな蜂にエルシアの視線を奪われる。逸れてしまった視線を少し残念に感じながらアルベルトは同様に蜂の動きを追った。


 「蜜蜂ですね。」

 「そうだな。」

 「蜂の巣があるのかしら。」

 「何処かにはあるでしょうねぇ。」


 欠伸を漏らしながら答えたレディスはそのまま目を瞑ってしまった。ひと眠りするようだ。


 「旦那様は蜂蜜はお好きですか?」

 「好んで食しはしないが。」

 「そうですか。」


 レディスが眠ってしまうと会話が途切れた。




 *****


 「疲れただろう、先に休んでいなさい。」

 「承知しました、お休みなさいませ。」


 湯浴みを済ませ戻って来た夫に頭を下げ隣の寝室へ向かう。昼間は遠くまで出かけたので気遣ってくれたのだろうが、末端貴族の中でも貧しい家庭で育ったエルシアの体力はそこいらの令嬢と比べ物にはならない。少しも疲れていなかったが明日に備え有難く休ませてもらうことにした。今夜は夫婦の営みもお休みにしてくれるようで、エルシアは寝台に潜り込むとすぐに眠りにつく。時間つぶしの為に寝酒を嗜もうとしていたアルベルトだったが、寝室からエルシアの気配が消え寝付いたのだと知り手にした酒瓶を元に戻してそっと様子を窺った。妻の寝顔を見つめながらアルベルトは昼間の出来事を思い出す。


 最初は自分が仕組んでしまったことだが、レディスとエルシアは仲が良い。大変打ち解けている様子は喜ぶべきことなのだが、レディスに押し付けるのではなく自分の元で最大限の努力をと決めたアルベルトにとって、いまだ自分に向けてくれない自然な笑顔を目の前でレディスに向けられると心の内にもやもやしたものが渦巻いた。初夜の晩以来、毎夜体をつなげてはいるが、嫁いできた貴族の娘なら誰もがそうすると決まっている。相手がアルベルトでなくてもエルシアは夫に体を開くのだ。結婚を誓った恋人ですら口付け以外には肌の触れ合いを持たない貞淑さは持ち合わせていたが、嫁いだからにはきっぱりと遮断しアルベルトに……セルガン辺境伯の妻として役目を果たそうとしてくれる。

 有難いことだったがどことなく寂しいという感覚がエルシアを知るにつれアルベルトに湧き上がっていた。そんな感覚に支配されながらアルベルトはエルシアの隣に寝転んだ。そっと腕を回しても目を覚まさない妻を抱き寄せ香りをかぐと同じ石鹸の匂いがしてほっとする。そうなると繋がりたいという欲望が生まれてくるが、昼間の妻の様子で気になる事があったので押し止め瞼を落とした。



 東の空が白み始める前にエルシアは目を覚ます。すっきりした覚醒の直後に隣に眠る夫の様子を窺えばしっかりと瞼を閉じて寝息を立てていた。まだ目を覚ます時間ではない。絡みついた太い腕からそっと抜け出したエルシアは足音を立てないよう慎重に寝室を抜け、前日にこっそり準備していた服に着替えると、結婚式で使ったベールを詰めた袋をもって部屋を出た。


 伺いを立てずに行動するのは実績を残すためだ。正面からぶつかっても危ないの一言で済まされるのは解っている。だからアルベルトにもマーガレットにすら相談せずに牢獄の様な堅固な守りの屋敷を夜も明けやらぬ闇に紛れ抜け出した。そう時間が立たずに犯行が露見するのは覚悟していたが、成した後ならエルシア的に何の問題もない。夜中に抜け出さなかったのはそれがいけない事だから。けれど朝に向かう時間帯なら許されやすいのではと考えた。今のエルシアには多少の犠牲を払っても手に入れたいものがあったのだ。


 エルシアの予想に反し彼女が寝室を抜け出すと同時にアルベルトは瞼を開くと、つかず離れず様子を窺いながら後をつける。昨日訪れた花畑でエルシアが何かを画策している雰囲気は感じ取っていた。そういう雰囲気を察する能力は極めて高く、ただ何を望んで何をするかやらせてみるのも悪くないとアルベルトは見守ることにしたのだ。荷物を纏め厩に寄り鞍を乗せ馬に跨り敷地を出た手際はアルベルトの予想に大きく反し見事なものだった。強固な守りの屋敷だが、出て行く者に対しての備えには穴があり、強化すべきだとアルベルトに知らしめる。


 エルシアが向かったのはアルベルトの予想通り昨日連れて来てもらった蓮華畑。暗いうちに馬を走らせるのは躊躇われたが、徒歩では追い付かれると決まっていたので拝借した。昨日乗ったのと同じ馬は道を覚えていて闇の中でも足を取られず進んでくれる。そうして目的の場所に着いた頃には東の空が白み始め、咲き乱れる蓮華が朝露に濡れた美しい姿を披露していた。近くの木に馬をつなぐと首を垂れ蓮華を食む。エルシアは小さく笑いを漏らして袋を手に森の入口へと向かった。


 敷物を広げ食事を楽しんだ時に蜂が飛んでいた。蜜蜂だ。よく見ると飛び交う蜂の数が多く戻って行く先も皆が同じでもしかしたらとあたりをつけた。その場所へと向かえば森に入ってすぐに蜂の巣を見つける。こういうのを見つけるのは得意だった。子供の頃から兄や姉と一緒に野原を走り回り、時に蜂に追われ逃げまどいながら覚えたのだ。女官として末の王女に出仕してからも広大な城の敷地の中で蜂の巣を見つけると、幼い王女に頼まれ蜂の巣を採って見せたりもしていた。王女もだったがエルシアも甘い蜂蜜が大好きだ。しかも蓮華畑に飛び交う蜂を見つけた時、この辺りにいる蜂が採取した蓮華の蜜の味を想像して涎が出そうになった。アルベルトは蜂蜜が好みではないようなので収穫しても喜んでくれないだろうが、マーガレットなら喜んでくれる自信がある。エルシアは蜂に刺されないよう衣服を整えるとベールをかぶって手を伸ばした。


 巣に触れると蜂が飛び出してくるが衣服の中へは侵入されない。手早く巣の一部を割り取り瓶に蜜を移す。沢山取れなくても満足だった。蓮華蜂蜜なんてそう簡単に手に入らない品が黄金の輝きを発して瓶の中で煌めいている。朝日を浴びながら頬を緩ますエルシアの周囲を怒った蜂が飛び交うが気にもしない。けれど瓶の向こうに透けて見えた人影に驚いてびくりと体を弾けさせた。


 「旦那様―――」

 「そんな恰好で君は何をしているんだ?」

 

 朝日を背に盛大に眉を寄せるアルベルトの言いたいことはだいたいわかっていたが、彼が無言で一歩踏み出したところでエルシアは制止の声を上げた。


 「来ては駄目です!」

 「エルシア?」

 「そのお姿では蜂に刺されます、お願いですから離れて下さい!」

 

 黒い服に黒いマント、手には乗馬用の皮の手袋をしているが頭部は無防備だ。怒った蜂があきらめるまで近寄らせるわけにはいかないとエルシアが声を上げると、アルベルトは怒るでもなく素直に従い道を開けた。森から離れるに従い蜂の数が減っていく。最後に服の間に入り込んでいた蜂を追い出してエルシアはようやくベールを取る。


 「蜜が欲しければ専門の人間にやらせる。刺されては危険だと解っているだろう?」

 「解っていますが蜜蜂ですから刺されても毒は弱いですし、それに専門の方に動いて頂くほど沢山欲しい訳ではなくて、ほんの少し分けてもらいたかっただけですから。」

 「君には辺境伯家の奥方という自覚があると思っていたが?」

 「馬に跨るのにですか? それに食糧調達ができるのはいざという時に役に立つと思います。ですが旦那様がやめろと申されるなら二度といたしません。」


 女が馬に横乗りではなく足を開いて跨るのすら淑女としてはあり得ないのだ。普通一般の淑女では役に立たないと匂わせればアルベルトもすぐに察してくれた。


 「ずいぶん慣れているようだったが?」

 「子供の頃は兄姉とよくやっていましたし、王城にも蜂が巣を作っていてそれを。他の女官は近づきませんでしたが、取れたての蜂蜜を王女様は大変喜んでくれました。」


 当然他の女官や王女は巣に近づかない。慣れない人間は刺されてしまうし、王女が蜂に刺されでもしたら大変な問題になってしまうからだ。

 

 「蜂蜜か―――」


 エルシアの手にある瓶を受け取ったアルベルトは採取された瓶の中身を覗き込む。


 「これっぽっちの為に?」

 「流石にあるだけ奪うようなことはできません。必要な分だけ、これで十分です。」

 「それだけの価値があると?」


 夜も明けやらぬ時分に屋敷を抜け出して珍妙な格好をし、危険を犯してまでやる必要があったのかと問われ、エルシアは迷いなく頷いた。


 「蓮華の蜜は格別ですから。」

 「―――そうか。」


 にっこりと満面の笑みを浮かべたエルシアにアルベルトはたじろぐも、悟られぬよう平静を装い瓶を戻し踵を返した。背を向けられたエルシアは不安そうに後を追う。


 「旦那様、わたしは重い罰を受けますか?」

 「罰しはしないが、次からは行動する前に必ず報告するように。領内であるとはいえ何があるかはわからない。屋敷の外に出る時には護衛をつける必要がある。私の妻ならば特にだ、わかるな?」

 

 立ち止まったアルベルトは言い聞かせるように大きな手を華奢な肩に置く。エルシアはアルベルトの言葉に深く頷いた。


 「旦那様には実績を示せばお許しいただけると思っておりました。ありがとうございます!」


 宝石やドレスを贈ったわけではないのに、きらきらした笑顔を向けられアルベルトは戸惑った。欲しかった心からの笑みだ。こんなのを向けられレディスはよく平気でいられるなと、アルベルトは初めて年下の従弟に尊敬の念を抱いたのであった。







評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ