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辺境の花  作者: momo
18/21

その18



 石の形にくり抜かれた四角い穴に頭から突っ込み滑り落ちる。細い体つきながらも下でエルシアを受け止めた男は「やっぱり痩せ過ぎだ」と呟きながら、小さな蝋燭の灯り一つだけに照らされた床にエルシアを下ろした。


 「これからどうするのですか?」

 「勿論ここをでるのさ。」


 頭から降りたせいでめくれ上がった裾を直しながら軽くなってしまった髪を整える。男は真面目な顔で灯りを消すとエルシアの腕を取って早足で進んだ。いつも引きずっている足は規則正しく動き、偽っていたのだとエルシアは気付かされる。ここに来た当初この男に体を弄られたのも、寝台の下に開けた穴を使って逃がすのが可能かどうか調べたのかも知れない。


 確かにその通りで、質素すぎる食事もエルシアを痩せさせ脱出を可能にさせる為だったが、男の予想をはるかに超えて痩せ過ぎてしまったようだ。まぁあの辺境伯なら妻の抱き心地が悪くなったとて悪態を吐いたりしないだろうと、男はエルシアの手を引きながら卑猥な考えをめぐらせていた。


 暗い廊下を進む男に手を引かれながら幾つかの角を曲がる。途中明かりが見えるが、砦内部を知り尽くしている男に迷いはない。こんなに堂々としていては見つかってしまうのではとエルシアは不安だったが、うまく道を選ぶ男のお陰で誰に見咎められることなく外へと抜け出せた。


 冷たい空気が肌を刺すが、自由を目指し息を潜めて進む。見張りを掻い潜り枯れたやぶに身を潜め、用心しながら無言で男の後を追い続けた。砦から直接セルガンに入るのではなく国境線に沿って迂回しながら見張りのいない場所まで歩く。当然道もなく、闇の中を進むせいで枯れ枝が足を傷つけたが気にもならなかった。このまま逃げ切れるのだと思った時だ。男の足がぴたりと止まると同時に行く手を遮られたのだと知る。


 「俺じゃなくそんな男の手を取るとはな。」


 行く手を阻むのはアダムだった。何処で見つかったのかと怯む。アダムは一人のようだが、裏切りを受け怒りを湛えた視線をエルシアに向けていた。するりと剣を抜かれエルシアが息を飲むと、土竜と呼ばれる男はエルシアを庇う様にして前に出る。


 「お嬢さん、悪いが先に行ってくれませんかね。」

 「そんなこと出来ないわ!」


 一人が怖いのではなく、男をここに一人残して自分だけ逃げるというのが出来ないのだ。アダムと男では体格差もあるし、若いアダムと細身で初老の男ではどちらに軍配が上がるかなどエルシアにだってわかる。それに男が取り出したのは短剣で武器にも差があった。


 「儂一人なら何とかなるんですけどねぇ。お嬢さんが一緒となるとやばいんで。儂もまだ死にたくはないんですよ。」


 守ってもらうしかできないエルシアとしては、そんな風に言われたら行くしかない。足が悪いのだとばかり思っていた男は細身であるが身のこなしは軽く、一人なら剣を交えずに逃げ出す事くらいできるのだろう。はっきり邪魔と言われたエルシアは迷いながらも闇に向かって駆けだした。後で金属の混じり合う音がしたが、けして振り向いてはならないと自分に強く言い聞かせ必死で足を前に出し続けた。


 夜の闇と高い木々に阻まれ右も左も解らなくなるが進む他ない。このままセルガン側に辿り着けなくても日が昇り辺りが明るくなりさえすれば方角がわかるだろう。薄着のままだったが寒さを感じる所か走ったせいで額に汗がにじんだ。あの男は大丈夫だろうかと振り返り、人の気配を感じて慌てて木の影に身を顰める。アダムなのか、それとも味方か。息を殺して様子を窺うが、枯れ草を踏む音はするものの人影は見当たらない。焦りと緊張で上手く音が拾えなかったのだ。後から肩を掴まれ驚いて悲鳴を上げ振り返ると、恐ろしい顔をしたアダムがエルシアの腰を抱え込んだ。


 「いやっ、離して!」

 「司令官オルガの言う通り、男を誑かすのが上手いんだな。」

 「違うわ、離してよ!」


 軽々と肩に担がれたエルシアが両手足をばたつかせてもアダムはびくともしない。男はどうなったのか、自分は再びあの砦に囚われるのかと思うと恐怖が支配し始めた。連れ戻された先では指を切り落とされると決まっているのだ。そんな思いをするならと必死で抵抗するエルシアにアダムは怒りを露わにし、乱暴に枯れ草の上に放り投げるとエルシアの顔の真横に剣を突き刺した。そしてエルシアが起き上がる前にすかさず体にのし上がり肩をぐっと地面に押さえつける。


 「あんな男が趣味とは俺も馬鹿にされたもんだ。そう言えば辺境伯も三十過ぎてたな。あんた親父趣味かよ。俺もこう見えて二十七だが、この程度じゃ許容範囲に入らないっていうのか?」

 

 アダムはあの男が間者と思い至らないのか、気付いていてわざとそう罵っているのか。それでも初めて向けられるアダムからの敵意に満ちた視線にエルシアは怖気づいた。


 「俺なりに本気だったんだ。解ってんのかよ?!」

 「そんなの押し付けられても困るのよ!」

 

 無理やり連れて来られた敵陣で、夫のある身で、その夫を愛する身で、好きでもない男の手を取れるわけがない。そんな簡単なことが分からないのかと睨めば、睨まれたアダムは自虐的に笑ってエルシアに鼻先を寄せた。


 「いらねぇよ、あんたの心なんか。その代わりに俺専用の娼婦にしてやる。」

 「やめっ―――!」


 アダムはエルシアの衣服に手をかけ無理矢理引き裂こうとしたが、咄嗟に突き刺してあった剣を取って身を翻した。エルシアの側には別の、アダムが刺したのとは異なる大きな剣が突き刺さっている。


 「よく避けられたものだ。だが一思いに殺されていた方が楽だったのではないか?」


 枯れ草を踏む音と共に、地を這うような低く恐ろしい声が冷たい闇に響く。エルシアは聞き覚えがあるけれど見知らぬ声につられる様に顔を上げ、闇に染まる巨体を仰ぎ見て瞳に涙を滲ませた。


 「アルベルト様―――」

 「遅くなってすまない。」


 剣を片手に膝を付いたアルベルトがエルシアを助け起こす。アルベルトは手早くエルシアの無事を確認すると後ろへ追いやり剣先をアダムへと向けた。


 「辺境伯―――ここが何処なのかお解りか?」


 許可なく入り込んでどうなるか解らない訳ではないだろう。正式な訪問でもない今、問答無用で殺されても文句は言えないのだが、アルベルト自身は殺されるつもりは毛頭なく、またアダムもセルガン辺境伯を自分一人の手でどうにかできるなどとは思っていなかった。抜け出すエルシアの姿を認め誰に知らせるでもなく追ってきたが、まさか辺境伯と鉢合わせになろうとは思いもしなかった。女に現を抜かした結果と、それでも剣を向け果敢に口を開くアダムをアルベルトは嘲笑うかに堂々と前に立つ。


 「ギスターナだな。」


 それがどうしたと言わんばかりにアルベルトが一歩踏み出せば、剣を構えたアダムは同じように一歩後ずさる。アルベルトが放つ威圧は半端なく、砦に従者一人だけを従え乗り込んだ当時とは比べ物にならない殺気を放っていた。


 「妻は己の意志をもって砦を出たのだ。その妻を夫である私が迎えに来て何処に不都合が?」

 「どうだかな。ここはまだギスターナ陣営だぞ。」

 「知らぬようだから教えてやろう。そのギスターナだが、近くこの地でアイフィールドと国境を開く旨の調印が執り行われる。害になる様なものは片付けておくように、ギスターナ中央より連絡がなかったとは思えぬが―――その様子ではそちらの司令官とやらが中央の意思を無視し握りつぶしたと見えるな。」


 顔色を失くしたアダムを前に、うっすらと冷たい笑みを浮かべたアルベルトは剣を握り直した。アダムは両腕で剣を構えている。何も聞かされていないアダムはまさかという思いでアルベルトを凝視していたが、その後ろに庇われるエルシアを視界に捉えると、意を決したように剣を握る手に力を込めアルベルトに飛びかかった。


 剣が混じり合うが瞬く間にアルベルトによって弾かれる。受けた力を逃したアダムは下から切り込み、容易く流され瞬時に喉元を取られた。


 「妻を穢したのはお前だな?」

 

 切っ先が首筋の皮膚に触れ僅かに血が流れる。一瞬で実力の差を見せつけられたアダムは負けを認め、だがそれだけでは終わらないと口角を上げた。


 「辺境伯が手玉に取られるだけあって随分と具合が良かったよ。」

 

 アルベルトの奥歯がぎりっと音を立てる。腕に力が籠められアダムの頸動脈に沿って重い剣が羽の様に優雅な流れで道筋を描くと、エルシアは咄嗟にアルベルトの腕に飛び付いていた。


 「やめて、お願いです!」

 「だがこの男は―――」

 「穢されてなんていませんっ!」


 エルシアは剣を持つアルベルトの腕にしがみ付いたまま必死に訴える。たった今エルシアに跨る男をアルベルトはその目で目撃したのだ。未遂であったとはいえエルシアを襲ったという男も目の前の男だとアルベルトには予想がつく。これだけの娘だ、欲しくなって当然。だがそれをアルベルトが許せるはずがない。


 「君の目の前でというのは私の間違いであった。だがこれは夫である私に与えられた権利だ。」

 「でもっ、彼がいたから無事でいられました!」

 「庇うのか?」


 アダムから視線を外したアルベルトがエルシアと目を合わせると、エルシアは紫の瞳に涙を浮かべて大きく頭を振る。すっかり短くなった髪が夜の闇で跳ねた。


 「この人に襲われそうになったのは事実です。でも、この人がいたから他の男たちから守られたのも事実なんです。それにっ―――それに指をっ、切り落とされるのを庇ってくれました。」


 代わりに髪を失いましたけれどと、消え入るような声で訴えたエルシアの髪をアルベルトは撫で付けた。切り落とされ、送りつけられた豊かな蜂蜜色の髪を受け取った時の衝撃は今も新しい。長い幽閉生活で汚れていたが間違いなくエルシアの、毎夜アルベルトが撫で付けた髪だった。土竜が忍び込んで来た時は無事であったが、切り落とされた髪が秘める現実を突き付けられ、アルベルトは心に吹き荒れる嵐を収める術を持たず、そのままここにやって来たのだ。エルシアを辱めた男全てを八つ裂きにすると決めて。


 「髪を―――この男が切ったのか。」

 「でもあなたに触れる指は残してもらえました。」


 だから殺さないでと訴えるエルシアの頭にアルベルトは唇を押し当てる。こういう娘だというのは解っていたのだ。今ここで殺そうとした己の負けなのだと、アルベルトは剣を鞘に収め立ち尽くすアダムに視線を投げた。


 「許すつもりはない。だが妻が守られたというなら命は取らぬ。」

 

 追って来させないよう強い殺気を込めた視線を送り、アルベルトはエルシアを片腕で抱き上げ闇に紛れる。後に残されたアダムは二人が闇に消えると膝からがくりと崩れ落ち地面に蹲った。ただ睨まれただけ、それでも格の違いを見せつけられ、セルガン辺境伯という人間の恐ろしさに見えない剣で胸を突かれた心境に陥る。剣を収めて背を向けられたが卑怯に斬りつける余裕もない。無闇に仕掛けたとて己の命がないだけだとわかる程度の実力はアダムも備えていた。


 




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