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辺境の花  作者: momo
16/21

その16




 がちゃんと、大きな音に体を弾かせたエルシアは開かれた扉に体を向けた。扉を押し開けたアダムはエルシアと目が合うと、僅かな期間ですっかりやせ細ってしまった姿を見て痛ましそうに眉を寄せる。自分の仕出かしたことのせいで心を痛めていたからだと解ったのだろう。それでも仕事を思い出したのか、固まっていた体を動かし逃げるエルシアの腕を捕まえた。


 「司令官がお呼びだ。」


 抵抗しても無駄だと解っているが、この男に触られるのだけは嫌だった。身を捻り一通り無駄な抵抗を試みると息が上がる。閉じ込められてばかりで運動をしていないせいもあり体力が落ちてしまっていた。まともな食事をしていなかったせいもある。悔しさを感じながらエルシアはアダムに引き摺られるようにして砦の司令官オルガが待つ執務室へと連れて行かれた。


 お気に入りの見目麗しい従者の頭を撫でながらオルガは外の景色を眺めていた。硝子張りの窓の向こうにはセルガンの砦が見える。ゆっくりと振り向いたオルガの視線は一見何の感情も載せていなかったが、奥底に孕む冷酷な淀みを感じ取ったエルシアはぞっとして身を震わせた。オルガが一歩踏み出すと硬質な音がこつりと響く。


 「辺境伯夫人、どうぞお座りを。」


 いつになく丁寧な言葉遣いに警戒心が強まるが、エルシアは無理矢理座らされる前に勧められた長椅子に自ら腰を下ろし、ようやくアダムの拘束から解放され短く息を吐き出した。


 「何か御用でしょうか。」

 「まぁ、進展が有ったと言えば有ったもので。」


 台を挟んで正面にオルガが座ると、綺麗な顔の少年従者が紙と筆をエルシアの前に置いて身を引く。これは何だという視線を向ければオルガは、薄い笑みを浮かべて足を組み替えた。


 「セルガン辺境伯に妻からの恋文を書いて頂きたい。」

 「貴方と恋仲になり駆け落ちまでしたわたしが?」


 精一杯の虚勢を張り何を言っているのと問えば、しょうがないと言わんばかりにオルガは鼻で笑った。


 「自分が間違っていた、あなたが恋しい、助けてと―――望むままを書き記して下さって構いませんよ。何を記そうとセルガンの砦へ届けて差し上げます。」


 何がしたいのかわらずエルシアはじっと目の前のオルガを凝視した。両国間の状況をエルシアは何一つ知らないし、味方と知った足の悪い男に質問すら投げかけていない。本当は色々知りたいことだらけだったが、何処に敵の耳があるか分からないのだ。素人のエルシアが口を出しても周囲を掻き乱すだけと我慢をしていたが、こうしてアルベルトに恋文を書けと命じられるとオルガに何が起きているのかと詮索してしまいたくなる。口の端だけに微笑みを湛える目の前の男が内に怒りを秘めているのはエルシアにも解った。


 エルシアが囚われ一月以上、そのうち二月になる。何時までもこの状態で焦りが生まれない訳はないだろうが、近年は両国間では睨み合い以外に大きな衝突は起きていなかったのだ。セルガンは大きな軍を持っているし、アダムに連れられ外を出歩くようになっていたエルシアは、ギスターナの砦に多くの騎士や兵士が集結しているようには見受けられなかった。もしオルガの策略通りセルガンが攻め入って来たとして、この砦は自力で持ちこたえることが可能なのだろうかと考えてしまう。もしかしてギスターナは、オルガは、この砦が壊滅させられるのを狙っているのだろうか。多くの戦死者を出した方が大義名分が成り立つのだとしたら、オルガは砦の人達を見捨てるつもりで事を計画しているのかも知れない。


 「セルガンが攻めて来なくて焦っていらっしゃるの?」

 「貴方からの恋文を読めばセルガンは必ず攻め込んできます。さぁ、痛い目を見たくなければ筆をお取りください。」

 「わたしの文一つで釣られるほどアルベルト様は無能ではないのですけど。」

 「文一つではありませんよ。」


 ふっと笑ったオルガにエルシアはうすら寒いものを感じ眉を寄せた。すると機嫌を良くしたのか、オルガは更に笑みを深めエルシアを見つめる。


 「助けなど、求めません。」

 「そうですか。なら文は諦めましょう。アダム―――」


 オルガはエルシアを真正面からとらえたままアダムの名を呼ぶ。


 「辺境伯夫人の腕を押さえろ。」


 上官の命令を受けアダムが再びエルシアの腕を取る。戸惑うアダムに台に押さえつけろと、オルガは笑みを湛えたまま命令を下した。命じられるままエルシアの腕が台に固定され、エルシアは長椅子から腰を落として冷たい石の床に崩れ落ちた。オルガが従者の名を呼ぶと、少年が無表情のまま腰の短剣を手に鞘を抜く。


 最初に何が起きるのか気付いて息を飲んだのはアダムだった。耳元でそれを拾ったエルシアは少年が膝を付いた所でようやく状況を理解して暴れ出すが、驚きながらも仕事をこなすアダムにしっかりと拘束され腕を引くことが出来ない。


 「指だけでは味気ないと思い、せめて恋文を同封して差し上げようと思ったのですが。今日より日に一本ずつ、セルガンへ貴方の指を送りつけてやることにしたのですよ。辺境伯にしても単身乗り込むほど貴方を想っておいでなのだ。例え指であろうと取り戻せるなら嬉しいのではないでしょうか。」


 やれと言う声に剣を手にした少年が刃を煌めかせる。エルシアは体を震わせながらも声が発せなかった。無様に泣き叫ぶのを予想していたオルガは不機嫌になりエルシアの頤を取る。 


 「恐ろしさに悲鳴も上がりませんか。」

 「例え指だけでも、愛しいあの方の元へ帰して下さるのなら感謝します。」

 

 触れたことでエルシアの怯えを肌に感じ満足したのか、オルガは椅子に腰かけ直すと「やれ」と従者に命じた。そこへエルシアの腕を押さえるアダムが声を上げる。

 

 「お待ちを!」


 声を上げたアダムはエルシアを庇う様にして体を滑り込ませると、従者から短剣を奪いエルシアの後ろで束ねた髪を掴んで一思いにばっさりと根元から切り落とす。


 誰もが、オルガですら声を失った。根元から切り落とされたエルシアの髪をアダムはオルガに向かって突きだす。


 「指など誰のものか解りません、死体より切り落とされたと勘違いされる可能性も。そらならばこちらの方が見間違えることもないでしょう。」


 髪を失いエルシアの頬を短くなった蜂蜜色の金糸がなでつける。それを唖然と見つめたのはオルガと従者の少年だった。やがて正気を取り戻すかにゆっくりとオルガが息を吐き出す。


 「成程―――その方があの男の心を掻き乱すかも知れないな。」


 アイフィールドにも、当然ギスターナにも髪の短い女など存在しない。女が物心つく前より髪を伸ばすのは富める者も貧しき者も皆おなじだ。唯一例外があるとしたら娼婦位の物だろう。女の髪は髪が薄くなったり、何かの事故で髪を失ったりした者が、それを隠すのにかつらとして利用する為に高値が付く。そのため身を売る前に髪を落とす女がいない訳でもないが、娼婦以外では恐らく存在しないだろうというのが世の中の常識だ。アルベルトにエルシアの髪を送りつけるのはそのような目にあっているという証にもなる。恋しい妻がそんな目にあっていると一目で知るにはうってつけと、オルガはセルガンの砦に髪を送るよう従者に命じた。髪で駄目なら指にすればいいだけだ。


 髪を失い唖然としているエルシアを見下ろし、オルガは苛ついていた気持ちが僅かに晴れるのを感じた。女は男に媚を売る狡猾な生き物で、特に身目麗しい容姿を持った女ほど本性を上手く隠し男を手玉に取るものだ。可愛らしい表情と行動の全ては何らかの目的をもって作り出され、時に身に付き自在に操る。オルガの母親がそうだった。権力者に媚を売るのが上手く、ついにはギスターナ王のお手付きとなったのだ。だが王はそこいらの男とは違う。子を孕めは抱けぬと金を握らされ放置された(すてられた)のだ。


 オルガは種を落とし母を捨てた王に恨みはない。それとは逆に思惑が外れた母親にはざまぁみろという感情を持っている。大した身分でもない末端貴族の生まれの癖に高望みした結果だ。あんな女に入れあげ騙されなかった王の方が賢いとすら思っている。種を落とした王が亡くなり、異母兄ともいえる男が後を継いだが、向こうもだろうがオルガも同じ兄弟などとは露とも思っていなかった。先王は女好きで多くの愛人がおり落とし種もいったい幾つあるのかすら解っていない。女は男に縋り騙す。騙される男はそれ以下だ。


 王を兄とも思ってはいないがオルガには権力欲はあった。己の力だけで底辺から上り詰めたが、砦への司令官に就任すると決まったせいで先が見えてしまった。ギスターナはアイフィールドの豊かな大地と資源を狙ってはるか昔に侵攻を始めたのだが、長い事セルガン辺境伯に阻まれる歴史を刻み続けている。今や中央もアイフィールドを半ばあきらめ他国への侵攻と支配ばかりに夢中だが、大きくなりすぎた国土は多くの問題も齎していた。

 建国時代よりのギスターナを繁栄させるために、武力で手に入れた国は復興所か莫大な税と飢えに苦しんでおり、いつ何時反乱が起きるかしれない状況に置かれているのだ。そこでオルガは平和ボケしてしまっているこの砦でさらなる出世を試みることにした。だが上手くやらねば此方が危険になる。最も有効的な手段はアイフィールドからギスターナに攻め入ってもらい、侵攻の理由をつけアイフィールドを頂くことだ。そこでオルガは商人に扮し、セルガンに忍び込んで得た情報から辺境伯夫人に目を付けた。


 セルガン辺境伯自身が乗り込んできたのは予定外であったが、それは同時にアルベルトがエルシアを何が何でも取り戻したい対象の証明になった。エルシアに見た目以外の取り柄があるようには見えないが、男を誑し込む手腕には長けているのだろう。女とはそんなものだ。以来セルガン側からは特別な接触はなかったが間者を潜り込ませ合っているのは互いに同じ。暫く放置し様子を見ていたのだがそれはオルガの大きなミスだった。

 早朝にやって来た中央からの使者がセルガンより手を引けとの命令を携えて来たのである。アイフィールド側より和平交渉の申し入れがあり、ギスターナがそれを飲むと決めたのだ。送り込んでいる間者からは全く動きがないとの情報だけが齎されていただけに、裏をかかれたとオルガは怒りに震える。


 中央より齎された書状にはセルガン辺境伯夫人の速やかな解放も記されていた。このままでは辺境伯夫人誘拐の咎で処分される可能性もある。オルガは書状を丁寧に封し直すと、砦を後にした使者を追わせ賊の仕業に見せかけ抹殺させた。書状は殺された男の懐にしまい砦には届いていない風を装ったのだ。だがこれで時間が限られた。次の使者が来る前にセルガンには何が何でも攻め入ってもらい、ギスターナの侵攻理由を作ってもらわなければならない。ギスターナの中央も本当の所は和平ではなく、武力によりアイフィールドを手に入れたいと望んでいるに決まっているのだ。


 気分が浮上したオルガは髪を失いうなじを曝したエルシアを見下ろす。細い首は書類仕事が主なオルガの腕でさえへし折れそうな程に繊細で白い。髪を切り落としたアダムはエルシアの指を守りたかったのだろうが、恐らくそれ以上の事態を仕出かしてしまったと気付き後悔し始めている所なのだろう。顔色を青くし瞳を揺らしている。女の見た目に惹かれ惚れたりするからだと、愚かな騎士の姿にも高揚感が湧き上がる。


 「連れて行け。望むならお前専属の娼婦にしてもかまわん。勇気をもって女の髪を切り落とした褒美だ。」


 愚かな男と狡猾な女。二人で落ちればいいと、アダムはお気に入りの従者の頭を撫でた。

 





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