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辺境の花  作者: momo
12/21

その12



 アルベルトは我が身に何か起きた時の為に、レディスに全てを譲ると遺言をしたため国境に向かった。ついて来るというレディスや側近たちの申し出は許さない。従者の少年を一人だけ従え向かったギスターナとの国境には敵兵たちが集いセルガン軍を待ち構えていたが、来たのがアルベルトと従者一人と解ると戸惑いを抱いていた。


 戦いをしに来たのではない。あくまで話し合いと態度で示せば、まともに供もつれていないセルガン辺境伯直々の訪問にギスターナの人間は訝しみながらも砦に迎え入れられた。怖気づく従者と別れ砦内部に入るが、剣を奪われるどころか拘束もうけない。周囲は十人近い男に囲まれたがそれだけだ。アルベルトに剣を抜かせ開戦の合図としようというのが見え見えだった。


 砦の責任者で司令官と名乗るデルク=オルガと対峙する。背は高くなく体つきも細身で武人でないのはすぐに解った。マーガレットから得た情報にあった男に間違いない。表情がなく冷たい印象の男はアルベルトとさほど変わらない年齢のようだ。十人以上の敵に囲まれてもアルベルトは動じることなく平然とした態度を貫く。


 「我が領内に侵入したギスターナの男たちにより妻が略奪された。辺境伯家の妻を略奪するなど許される行為でないのは承知している筈では?」


 開戦の理由としては弱いが、アイフィールドがギスターナに攻め入る理由に成りえる行為を非難する。反論するのは当然予想していたが、返された言葉にアルベルトは眉間の皺を深くした。


 「確かに辺境伯にとっては唐突でしたでしょう。ですが大きな勘違いをしておられる。私は辺境伯夫人を略奪などしていない。私が連れ帰ったのは愛を確かめ合った一人の美しい女性です。」


 マーガレットがエルシアに自分の手を取れと迫っている声を耳にしていた。何処かで主張されるのではと考えはしたが、こうして現実に耳にすると不快極まりない。責任者の交代に伴い武力行使で攻め入られるのを覚悟はしていたが、その気配はまるでなく国境自体は穏やかな気配を崩さないでいた。だがまさかこのような手段で来られようとは、腕も立ち信頼できる護衛をつけてはいたが迂闊だった。


 「彼女に心を動かされない男など存在するでしょうか。」


 わざとらしい賛辞にアルベルトは吐き気がした。エルシアがこんな男の毒牙にかかったなど信じたくはないが、現実にエルシアは一目で恋に落ちる程に美しい容姿をしているのだ。すでに手をかけられたのかと思うと剣に手が伸びそうになる。


 「妻につけていた護衛は侍女に至るまで瀕死の重傷だ。」

 「此方は一人命を奪われている。互いに夢中で周りが見えていなかったのは失態ですが、それだけ想い合い決断したのだとご理解いただきたい。」

 「状況からしても此方の認識は略奪だ。」

 「解りました。では彼女を呼びましょう。私達が愛し合い駆け落ちしたのだとなれば、此方にだけ咎があるとは言えなくなる。」


 この時のアルベルトはエルシアを連れ帰る事しか考えていなかった。オルガの言葉をエルシアが否定すれば誘拐が成立し、アルベルトは堂々とエルシアを連れだす事が出来る。当然ギスターナの攻撃も予想しているし、敵陣でエルシアを守りながら無事で済むとは思っていない。それでもエルシアだけは守り抜き国境を越えさせる手はずは整えていた。砦から出せば何とかなる。アルベルトはけして己の力を過信はしないが、それだけの実力はともなっているという自負はあった。ただ己の命があるとは思っていない。アルベルトにとっての優先は囚われてしまったエルシアだったのだ。


 それが間違いと気付いたのは、連れて来られたエルシアが偽りの微笑みでオルガを見つめ『愛しい人』と呼んだ時だった。アルベルトにとっての最優先がエルシアであったと同様に、エルシアの優先も己の命よりアルベルトへと移行していたのである。マーガレットらの命を優先したエルシアなら当然の選択なのだろうが、囚われ脅えていたエルシアにアルベルトの状況を的確に判断できるとは思ってもいなかったミスである。


 この地で生涯を終える覚悟をしたエルシアを前に、アルベルトは強い独占欲を感じた。オルガがエルシアに触れる度に剣を抜きたくなる激情を押し止める。早々に場を辞したエルシアの後姿はあまりに儚く、けれどこの状態のエルシアを無事に連れ出すのは無理と判断して席を立つ。乗り込んだ時とは異なり己の命を守る必要が出来たからだ。敵だらけのこの場で自分の身に万一の事があればエルシアも生きてはいないだろうと感じた。妻の心が真っ直ぐに己に向いていると感じたのはけして自惚れでない。


 予定通りに事が進まなかったのか、オルガの無表情に怒りが宿る。エルシアの身を案じたが手にかけてしまえばギスターナの、デルク=オルガの負けだ。ここまで乗り込んでおいてエルシアを残して去るのは不本意だったが、断腸の思いで踵を返す。相手の挑発に乗らず戦を仕掛けずしてエルシアを取り戻さなければならなくなり長期戦は必至だ。胸が締め付けられたが、暴行された形跡がなかったのは唯一アルベルトに冷静さを保たせた要因となった。


 エルシア誘拐はあくまで想い合っての駆け落ちと貫く敵将には苛立ちを覚えるが、怒りのまま突っ走っても何も良いことはない。嫉妬をむき出しにするのではなくあくまでも目標はエルシアを無事に取り戻すことだ。手ぶらで戻ったアルベルトにレディスは武力行使を勧め、知らせを聞いて駆け付けたウルリックからも王国騎士団の出陣許可を貰ってしまった。だがアルベルトはあくまでも穏便に、辺境伯として戦を避けての解決に力を注ぐつもりでおり、諜報に力を入れ情報を集め策を練った。


 「此方からも間者を差し向けよう。」


 有難いがウルリックの申し出をアルベルトは丁寧に断る。


 「見慣れぬ輩は警戒されます。」

 「解ってはいるがこのままでは進展せぬぞ。」

 「長く忍び込ませている者からの情報を待っている状態です。」


 アルベルトからの接触がなくとも自ら動くのが間者の役目だ。父の代から何十年と忍び込ませ、ギスターナの兵として生きる手の内の物が存在する。常に情報を齎す間者とは別に、ここぞという時に役立つよう潜入させている人間だ。妻を奪われてもアルベルトが動かねば何も行動を起こそうとはしないだろうが、先日アルベルト自身が乗り込んだことで事態を把握しただろう。悠長だと憤慨するウルリックと対照的にアルベルトは落ち着いていた。だがそれも見かけだけだ。先走りたくなる想いを押さえてアルベルトは自分自身とも戦っていた。そんなアルベルトにウルリックは怒りをぶつける。若さ故とは口にしないが正直羨ましく、ぶつけられる感情をアルベルトは正面から受け止めた。


 「お前にとっては押し付けられた妻かも知れぬが、エルシアは私にとって大切な女性だ。本気で挑む気がないなら奪い取らせてもらうぞ。」

 「殿下、お戯れはそこまでに。セルガン辺境伯、主の言葉などどうぞ気になさらずに。」

 「コーリン!」


 ウルリックとアルベルトの他にレディスも同席している。パーシバルは主を諫めつつアルベルトに非礼を詫びるが感情を高ぶらせたウルリックは落ち着く気配を見せない。


 「お前とて交流があったろう。気にするなとはよく言えたものだ!」

 「気にするなとは殿下のお言葉に対してです。それにセルガン辺境伯の対応は正しい。不本意とはいえ、自ら敵の手を取ったのはエルシア殿です。辺境伯だけではなく夫人も己の立場を弁えておられます。殿下とてよくお考えを。これがエルシア殿でなければ国を危険に曝してまで攻め込もうとは言い出さないのではありませんか?」

 

 パーシバルに諫められ言葉を失ったウルリックは拳を握りしめる。その様をレディスは無言でじっと見つめていた。やはりウルリックはエルシアに懸想しているのではないかと敵対する視線と、力でエルシアを取り戻そうというウルリックの意見に賛成する視線を向けて。夫であるアルベルトは何を想っているのだろうとそっと窺えば、僅かに口角を上げておりレディスは意外な反応に瞳を瞬かせる。王子の得られなかった娘を妻にしたと優越感に浸る様な男ではけしてないだけに思わず自分の目を疑ったほどだ。


 「殿下のようなお方が妻を信仰して下さるとは。これほど幸いな事はありません。」


 決して嫌味ではない言葉だが、感情を含まない声色にレディスだけでなくウルリックとパーシバルもアルベルトに集中させられる。


 「我が国は海と高い山に阻まれ、唯一陸続きで隣接するのがギスターナです。そのギスターナも長く侵攻の機会を狙っていますが、実際には他国への侵攻と支配に忙しく、このアイフィールドになかなか手が出せない状態です。」


 過去には幾度も武力行使されたが、その度にセルガンが防波堤となり全てを凌いできた。その実績があるからこそセルガン辺境伯は国王に次ぐ力を約束されているのだ。実際にセルガン軍は絶対的な数では王国軍に劣るものの、個人が持つ技と力は圧倒的に王国の騎士を凌いでいた。そのため多くの国へ侵攻を繰り返すギスターナは、セルガン軍の力を絶対的に上回る事が出来ず睨み合いを続けているのだ。


 「そもそも何故我が国を狙うのかと言えば、アイフィールドは輸入に頼らずとも自国のみで自給自足できるだけではなく、他国の分も生産しかつ飢饉に備えるだけの実りが豊かだからです。資源に海産物も豊富でギスターナは自国だけでは賄いきれない食料をアイフィールドに求め侵攻の機会を狙っている。そして我が国の食料資源の輸出先は海側から、ギスターナと敵対する国に限られています。そこで殿下、殿下のお力でギスターナとの交易を始めるようにと国王陛下に進言していただきたいのです。」


 国境を治めるセルガンがあるお蔭で均衡が保たれている。だが何時までもその均衡を保っておく必要もない。武力で睨み合うばかりではなく、友好的に国と国同士が結びついてはいけないという決まりはないのだ。ギスターナは好戦的な国だが、アイフィールドを侵攻したい理由が豊かな実りの大地である。武力で手に入れられないなら和平を、軍事に割く予算を貿易に使っても悪くない筈である。何十年も侵攻の機会を狙うよりよほど生産的だ。


 「アルベルト、それは―――いやだが、握りつぶされるぞ?」


 アルベルトの考えを理解したウルリックだが迷いを見せるのも当然だ。エルシアの身も危険になりかねないと眉を寄せるウルリックに、アルベルトは確かにそうですがと頷いた。


 「ですから海を渡り秘密裏に。先日出向いた砦には何時もと変わらぬ兵の数しか見受けられませんでした。恐らく今回の件はデルク=オルガの独断です。ギスターナの中央は彼を司令官として砦に赴かせたのでしょうが、特に何かしらの命令は今のことろ下されていないように感じます。手柄を求め妻を攫ったのでしょうが、その役目を果たさないとなればエルシアに利用価値はなくなる。」


 エルシアの誘拐が本気で攻め込む序章なら、ギスターナ側に何らかの動きがあってしかるべきなのである。だが先日出向いた砦の様子はセルガン側と大して変わらなかった。特に兵を増やしているとかがある訳ではなく、辺境伯が単身乗り込んだのには驚きを隠せないでいたがそれだけだ。それこそ妻を取り戻しにのこのこやって来たアルベルトを殺して、駆け落ちした女を力ずくで奪われそうになり仕方なくと言い訳もできた筈なのである。砦の責任者として赴任したオルガの考えはともかく、ギスターナとしては面倒事は極力避けたい方針だというのは前から変わっていないようだ。だが攻め入る切欠になるかもしれないなら放置し様子を見るだろう。アルベルトとしても長引かせたくはない。エルシアを取り戻す為に仕掛け、オルガの動きが無駄とギスターナに思わせるしかなかった。


 「勝ちが無くなれば処分されるぞ?」


 国交を開く話が現実となった場合、セルガン辺境伯夫人を攫ったオルガは処罰されるだろう。素直に従うような男であればいいが、そうでなかった場合怒りに任せエルシアが殺されてしまう危険もある。


 「その前に必ず救い出します。貿易の件もあの男の動揺を誘えれさえすれば、調印に至ろうと至らなかろうとどちらでもいい。」

 「危ない橋を渡るか?」

 「私は妻を失うつもりは微塵もありません。必ず取り戻します。」 


 誰にも渡すつもりはありませんと目で語るアルベルトに、ウルリックは少々バツが悪そうに顔をしかめてから席を立つ。


 「これまでにも国交を開く話がなかったわけではないがどうだろうな。ギスターナは好戦的な国だ、掌を返される心配もある故に首を縦に振らせるのは容易ではないぞ。」

 「妻の為にも、期待しております。」

 「ああそうだな、エルシアの為だ。彼女を失えばアルベルトは使い物にならないとでも陛下に進言するとしよう。」


 急がねばとウルリックは席を立ち、アルベルトは何卒と強く願いを申し入れる。どちらにしろウルリックはエルシアに惚れているのだ、彼女の為になるのなら断る理由がない。ただ彼女への想いを本気で吐露するつもりのなかったウルリックとしては、アルベルトに言わされ弱味を握られたような気がして複雑な心境のまま急ぎ都へと戻って行った。





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