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辺境の花  作者: momo
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その1

作中に女性に対する暴力があります。

そのような表現に気分を害される方にはお勧めできない作品となっておりますので、なにとぞご了承下さい。



 伯爵家としては些か不釣り合いともとれるこぢんまりとした教会で、辺境伯アルベルト゠セルガンとコーリン男爵家の末娘エルシアの婚儀は執り行われた。


 国土の半分が海に面し、三分の一が高い山に囲まれたアイフィールド王国において、アルベルトが治めるセルガンは唯一隣国ギスターナに接する領地だ。そのギスターナは好戦的で様々な国へ侵攻し領土を拡大する軍事国家でもあった。そのためセルガン辺境伯爵家は長きにわたり国防を預かり、国王に次ぐ権限を与えられている。


 そのセルガン辺境伯家の当主が結婚するのだ、国王を筆頭にあらゆる王侯貴族が出席を厭わない。セルガンがあるからこそ国が守られているといっても過言でない故に、過去にアルベルトが最初の結婚をした時には都でもっとも大きく豪華絢爛な教会で式が執り行われ、国王を筆頭に参列者は千人以上にも上った。それ故に今回の式は前回と比べると極めて質素と言わざるを得ない。それもこれもこの結婚が両者の悲しみの上に成り立つものであるのが原因である。


 セルガン辺境伯アルベルトにとってこれは二度目の結婚だ。一度目は爵位を継ぐ前、二十になる前だった。国王の口利きで王家の血を引く公爵家の娘を妻として娶ったが、妻は最初の子を産んですぐに出産が原因で命を落としてしまった。生まれた子が男子であったこともあり再婚せずに国防と未来の辺境伯を育てるのに身を捧げてきたアルベルトであったが、一人息子が十を前に落馬で命を落としてしまう。短い間であったが政略で結婚した妻を敬い大切にしていた。その妻が命と引き換えに残してくれた一粒種が乗馬の訓練中に命を落としてしまったのだ、落ち込まない訳がない。

 だがアルベルトは国防に身を置く辺境伯である為に血を絶やしてよい筋ではなかった。喪が明けると同時に王に呼ばれ都に参じれば、望んでもいないのに見合いの席が準備されていたのである。多くの女性に紛れその中の一人としていたのがエルシアであったのだ。


 エルシアの生まれたコーリン男爵家はけして裕福ではなく、エルシアは行儀見習いというよりも家計を助ける意味で王女付きの女官として出仕していた。貴族の末端の男爵家に生まれ身分は低いが、男女を交え誰もが振り返る美しく整った容姿をしていた為に、目に止めた王がもしやと思いエルシアを見合いの席に潜り込ませていたのだ。美しい娘がいれば当然視線は動くがそれまでだった。後継ぎを失ったばかりで再婚など考えられないアルベルトは一人領地へと戻ったのだが―――数か月後、王の書簡と共にエルシアが領地に送られてきたのである。


 エルシアの両親には出世欲はなく不相応な金銭も望んでいない。けれどエルシアに僅かな興味を抱いたアルベルトの行動に王が反応し、いらぬ気を利かせてしまったのだ。

 王はコーリン男爵へ支度金として多額の金銭を押し付けると、男爵にエルシアとアルベルトの婚姻を認める書類に署名させたのである。

 誰よりも驚いたのはエルシアとその恋人だ。別れさせられる形となった恋人も城に出仕しており、見返りとして昇進を果たした後であった。それは同様に城に出仕するエルシアの二人の兄も同じだった。しかも姉が嫁いだ婚家にまで恩恵が及び、事はコーリン男爵の首を縦に振らせるように執り行われてしまっていたのだ。事情を知ったアルベルトはいたたまれない思いで共に並ぶ娘を見下ろす。


 真っ白な婚礼衣装に身を包んだエルシアのベールを持ち上げれば血の気を失い真っ白になっていた。眉間に皺をよせ沈痛な面持ちは、これから幸せになろうとする花嫁の表情ではない。十七になったばかりの娘は既に成人して立派な大人だが、既に三十を超えたアルベルトからするとまだまだ子供であった。自分よりも失った息子サミュエルとのほうが年が近いと今更ながらに思い至り、神の御前で行われる成約の口付けを落とすのにも躊躇いを覚えたほどだ。初めて触れる新たな妻の唇は紅をさして赤く染まっているがとても冷たい。悲しみを湛えた深い紫の瞳が哀れに思える。貴族とはこんなものだと解っていても納得しきれないだろうに家族や恋人の為に嫁いできたのだ。アルベルトは花嫁衣装に包まれた細く小さな体に同情した。




 *****


 恋人と別れ家族の為にこの地へ来た。辺境伯という国王に次ぐ権限を与えられた人の元へ嫁ぐ日が来ようとは―――幼い頃から望んでいたのは小さな幸せだったというのにままならないものだと、初夜だというのに馬の背に揺られ、国境の砦を目指す夫を見送りながら不謹慎にも安堵の息を漏らしてしまう。


 自分が小さいせいで余計にそう見えるのかも知れないがとても大きな人だった。三十を超えたばかりだというのに、醸し出す雰囲気はエルシアの父親よりも厳格で近寄り難い。茶色の髪に灰色を帯びた緑の瞳。高い位置から見下ろす瞳はエルシアを憐れんでおり、彼もまた望んで妻を迎えるのではないと気付かされた。


 「奥様、外は冷えます。どうぞ中へ。」


 辺境伯領に入ってより挨拶以外の会話を交わした記憶はない。夜の闇に紛れ出立する夫に紹介されたばかりの青年がエルシアを屋敷の中へと誘う。婚儀を終え祝宴が佳境へ入る中もたらされた知らせに屋敷の雰囲気ががらりと変わったのをエルシアは唖然と見つめるしかなかった。


 国境では長く隣国との小競り合いが続いている。辺境伯が結婚する情報を何処で仕入れたのか、式の今日を狙ってギスターナが侵攻してきているとかで、夫となったアルベルトは瞬く間に支度を済ませると馬に飛び乗り発ってしまった。ただその際アルベルトの配下の青年を自分の身代わりにと、セルガンに来たばかりのエルシアを不安にさせないために置いて行ってくれたのだが、見知らぬ男を側に置かれてもエルシアにとっては怖いだけだ。何しろアルベルトを筆頭に彼の周りには屈強な騎士ばかりが集っているのである。恋人も父も兄も武にはさっぱりで文官として出仕していたせいで、エルシア自身も城仕えではあったけれど、出会った近衛や騎士たちはこちらの騎士らよりも線が細いのだ。恐れを抱かない訳がない。


 「ありがとう、えっと……」

 「レディス゠ウッドワルドです、奥様。」

 「そう、ウッドワルドさんでしたね。エルシアです、どうぞよろしくお願いします。」


 アルベルトが捨てるように紹介するなり駆けて行ってしまったのでよく聞き取れなかったのだ。年の頃は二十二か三だろう。エルシアが頭を下げると辺境伯と同色の瞳が弧を描く。


 「いやだな奥様、レディスでいいですよ。伯は大丈夫、殺しても死なないような人ですから安心してください。それより貴方に風邪でも引かれたら俺が殺されます。なので部屋に入ってもらってもいいですか?」

 「えっと……はい。承知しました。」


 奥様と呼ばれ自分も名前でといいかけたが、辺境伯の妻となったからにはそれではいけないのだろうと思い言葉を呑みこむ。レディスは人懐っこい笑みを浮かべるとエルシアを先導して屋敷の中へと向かった。


 部屋まで送り届けられたエルシアは未だ白い花嫁衣裳のままだ。部屋の前で送ってくれたお礼をとレディスを見上げれば、仕える主人が出陣したというのに危機感所か緊張感もなくにこやかにエルシアを見下ろしている。体は大きくて恐怖心を抱かせるが人懐っこい雰囲気の青年を前に、時間も場所も不適切と知りながら引き止めてしまった。


 「旦那様の事を少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 「少し所か何なりと。」


 気さくに応えるレディスをエルシアに従う侍女が睨みつけるが彼は何処吹く風だ。


 「奥様、旦那様の事でしたらお答えできる範囲でわたくしが。」


 侍女に促されエルシアは同年代のマーガレットという侍女と視線を合わせた。


 「旦那様はご無事に戻ってきてくださるかどうかわかりますか?」

 「それはっ……勿論でごさいます奥様!」


 言葉に詰まりながらも力強く答えたマーガレットに上から笑いが漏れる。


 「確かに、戦場を知らぬ女に聞くような問いではありませんね。ええ奥様、俺……じゃなくて私で良ければお答えいたしましょう。」

 「ごめんなさい、辺境伯家に嫁いだというのに何も知らないで。」


 辺境伯領に入り三日、たったそれだけの期間で婚儀に臨んだのだ。しかも国境は騒がしいし、急を迫られた辺境伯にとっては二度目の結婚ということでごく内輪の式となった。コーリン男爵夫妻も式を終えると早々にセルガン領を後にしてしまったのだ。初夜において花嫁が何をするかを母親にきかせられたが、夫が戦場に向かった時の対処法など何一つ知らず不安にならない訳がない。


 「大丈夫です。国境での小競り合いなんてしょっちゅうで、実際には牽制し合いの睨み合いで終了するんで剣を抜く機会もなかなかありません。それに実戦となっても伯は殺しても死なないような人ですからね。相手もそれを十分承知しているから攻め入って来ないんですよ。」

 「でも実際に戦闘になるようなことになったら―――」

 「そうなる素振りがあれば俺も子守りなんてしてないで同行しています、だからご安心を。」

 「レディス様っ!」


 マーガレットが諫める声を上げ、レディスは自分が言ってはならない発言をしたとようやく気付いたのか、一瞬しまったという表情をして茶色の髪を掻き毟った。


 「すいません、怒りました?」

 「いいえ、正直に答えて下さって感謝します。それでレディスさん、あなたは旦那様に近しいのですか?」

 

 アルベルトから直接紹介されたのは先程が初めてだが式には参列していたし、その後の宴にもいたような気がする。マーガレットが彼に向ける態度は砕けた所があるが、それでいて一歩引いているようにも感じるのだ。


 「だからレディスでいいですって。伯とは従兄弟にあたります。前の辺境伯の妹が私の母親で。」


 近いどころではないではないか。それなのに紹介されていないなんてどうしてだろうと眉を寄せたエルシアにレディスが眉尻を下げる。


 「俺、じゃなくて私は女に手が早いですからね。奥様があんまりお綺麗なんで伯も警戒してるんですよ。」

 「え……」

 「ああ、勘違いしないでください、私は人の物には手を出さない主義なんで。だろ、マーガレット?」

 

 エルシアの隣で不機嫌そうにしている侍女に話を向けると「まぁそうですけど……」とマーガレットが答えたのでレディスは満足そうに頷いた。


 「それでもね、やっぱり綺麗なご婦人がいれば口説きたくなるもんで。それを警戒したんでしょうがこんな事になったんで私に奥様を任せたんでしょうね。何しろ私は伯の信頼厚いですから。」

 「本当ですか?」

 「―――はい、まぁ……そうですね。」


 問えば不本意そうにしながらもマーガレットは頷く。

 

 「なんだか二人は仲がよさそうですね。」

 「ええ、そうですよ。」

 「嬉しいお言葉ですが奥様、わたくしとレディス様の間に主従関係以上のものはございません。」


 二人の相反する返答にエルシアは瞳を瞬かせるが、なんだか微笑ましく感じて緊張を解きほっと息を吐き出す。セルガンにやってきてこれが初めてまともに交わした会話となった。アルベルトとは食事を幾度か共にしたが挨拶以外に会話はなく、身の回りを世話してくれる人たちとも無意識に距離をとってしまっていた。仕える主人がこれでは最も近くにいる侍女も気安く声をかけられないだろう。女官として王女に仕えた経験上解っていた筈なのに配慮が出来ていなかった。けれど今回アルベルトの人選のお蔭で口を開く機会に恵まれたのだ。口説きたくなるというのもレディスなりの気遣いだろうとエルシアは受け取った。エルシアには見た目のせいで言い寄って来る男性は数多いたが、大抵は下心を孕んだ視線を向けられたのだ。けれどレディスからそんな感じはまるで受けない。


 「ありがとう。二人の言葉を信じて旦那様のお帰りをお待ちすることにします。」

 

 王の口利きで整えられてしまった婚姻だが、家族や別れた恋人の将来もある。失敗させるわけにはいかないのだ。覚悟を決めて嫁いできたのだからしっかりしなくてはとエルシアは身を正した。夫となった人は威厳があってとっつき難そうな感じだが、レディスとマーガレットの様子からするとけして悪い人ではないと感じる。それ所か良き主なのではないだろうかと、エルシアは期待を胸に辺境伯夫人としての生活に挑むことにした。


 





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