第七話
「……ん」
次に目を覚ましたのは、見知らぬ家の中だった。
窓の外には、賑わっている人たちと整然とした街並みが、少し離れたところに見える。どうやら街はずれの民家らしい。
「ここは……どこだろう?」
クロウは必死に、気を失う寸前の記憶の糸を辿ろうとする。その時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おや、起きたのかい? クロウ」
「博士!」
クロウは勢いよくベッドから飛び起きた。
「あれから、君を直してメンテナンスもしておいたんだけれど……その様子だと、もう大丈夫そうだね」
「ありがとう、博士」
クロウが感激のあまり抱きつくと、博士は顔を赤くしながら隣の部屋を指さした。
「わわっ、クロウ。隣の部屋に着替えを用意したから、とっ、とりあえず着替えてくるといい」
「え?」
クロウは改めて自分の格好を見直すと、その姿はキャミソール一枚羽織っただけの、下着とあまり変わらないような格好だった。
「きゃあっ」
恥ずかしくなったクロウは、急いで隣の部屋へ駆け込み、着替えなおしてから再び博士の前に姿を現した。
「うん、よく似合っているよ」
博士が用意してくれた服は、目立たないように白のブラウスに薄茶色のロングスカートという、地味な色だった。しかし、金色の髪に白い肌を持つクロウは、十分なほどに凛とする花のようだった。
「えへへ、ありがとう」
博士に褒められ上機嫌になったクロウは、クルっと回りスカートを靡かせる。その拍子に、足元にあった椅子に足が引っ掛かり、クロウは転倒してしまう。
「大丈夫かい! クロウ?」
なかなか立ち上がらないクロウを心配して、博士がクロウの元へと近寄る。
「……ごめんなさい、博士」
倒れたクロウの横には、粉々に割れてしまったマグカップが落ちていた。
「いいんだよ、クロウ。形あるものいつか壊れてしまうものだからね。それより怪我はないかい?」
「私は平気よ、どこも壊れてないわ」
あからさまに元気のないクロウの頭を、博士は優しく撫でて言った。
「さあ、いつまでもこのままじゃ危ないからね、あっちの部屋から箒を持ってきてくれるかい?」
「分かったわ」
クロウは名誉挽回しようとせんばかりに、張り切って箒を取りに行った。
「この部屋かしら?」
廊下を出て、博士が先程指さして言ったあたりの部屋の扉をそろっと開ける。
暗くて視界がきかない部屋に、クロウは目を凝らして箒を探す。しかし、箒らしき物は見当たらなかった。
「隣の部屋かしらね」
扉を閉めようとした時、視界の隅で何かが動いたような気がした。
「……何?」
恐怖を覚えたクロウは、博士を呼ぼうか悩んだ。しかし、意を決して部屋の中に入ることを決めた。
(私の身なら、なにかあってもすぐ直せるものね)
部屋の中の気配はベッドの上らしく、クロウは音を立てないように近づく。
目が暗闇に慣れてきたクロウは、ベッドの上に居るのが何なのか、確かめようと覗き込む。すると、そこに居たのは見覚えのある顔だった。
「……!」
クロウは思わず息を飲んだ。
「う、そ」
あまりの衝撃に、上手く言葉が出てこない。
「――リン!」
クロウは目の前に居るリンに、それ以上近寄ることも離れることも出来なかった。
(リン……生きてる! よかった)
微かに聞こえる寝息に、クロウは胸を撫で下ろす。
なかなか戻ってこないクロウを心配した博士が、部屋へと入ってきた。
「どうしたんだい? こんなところで」
固まったように動かないクロウを見て、クロウがベッドに居る男性に驚いているんだと思い、必死に説明しようとする。
「あぁ、驚かせちゃったね。恐らく他の国から来た旅人だろうけど、山の麓で大怪我をして倒れていたから、連れて帰って手当をしたんだ」
(リン、こんな大怪我のまま山の麓まで下りて来たの……?)
どれだけ辛かったか、それを想像しただけでクロウの胸は苦しくなった。
「だけど目を覚ます気配が無くてね。しかも、彼が気を失う前に、病院には連れて行かないでくれと頼まれているから、お手上げなんだよ」
病院に行けば、そこからリンが生きているという情報が城に伝わるかもしれない。そうすれば、今度は確実にガルディンの手によって殺されてしまうだろう。
クロウは、リンの「大丈夫だ」という心強い一言を思い出す。きっと、ここまで来られたリンなら大丈夫。そう、信じてみることにした。
「……大丈夫よ、きっとすぐに目を覚ましてくれるわ」
クロウはもう一度、リンの顔を目に焼き付けるように見た。そして、満足したように、博士に話しかける。
「さあ、箒を探しに行きましょ! どこにあるか分からないの」
リンと喋りたい、リンに触れたい。
そんな気持ちが溢れる中、何よりも生きてくれていた嬉しさに、クロウは胸をいっぱいにして部屋を後にした。
(リン……早く、目を覚ましてね)
リンが一人残された薄暗い部屋に、扉を閉める音が響いた。
「クロウはこれからどうするんだい?」
「え?」
割れたマグカップを片付けた後、二人は紅茶を啜りながら一服していた。
「……」
答えが見つかっていないクロウは、何も言えなかった。
ガルディンに見限られた今、もちろん城に戻るわけにはいかない。かといって、あのガルディンがこのままクロウを野放しにするのも考えにくい。
(邪魔になった私を、壊しにかかるでしょうね)
だとしたら、下手に動き回って捕まるわけにもいかない。
「……クロウは、どうしたいんだい?」
答えを見つけかねているクロウに、博士は優しく問う。
「私が……どうしたいか……?」
出来ることならば、リンのそばに居たい。自分の手で看病してあげたい。けれども、自分がここに居ることで、もしかしたら博士に危険なことや、迷惑がかかってしまうかもしれない。そう思うと、なかなか口が開けなかった。
「クロウ、前にも言っただろう? 君は君のしたいことをすればいい」
「博士……」
優しい博士の言葉に、クロウは頭を下げて博士に言った。
「しばらくの間……ここに置いてください、ここに居たいです!」
それは、クロウなりに一生懸命に悩んだ結果の答えだった。
博士はそれを聞くと、いつものように優しくクロウの髪を撫でる。そして、その手はそのままクロウの頬へと滑らせる。
「クロウは僕の可愛い娘さ。だから、ここは自分の家だと思ってくれてもいいんだよ」
「……っ、ありがとう」
クロウが今まで、娘という言葉に何度救われてきたことか、博士は知る由もないだろう。
誰とも血の繋がりを持つことが出来ないクロウにとって、何の見返りも求めずに自分のことを大切に思ってくれる存在は、何よりもかけがえのないものだった。
「……もしかして、あの旅人さんは君の知り合いなのかい?」
「えっ……と」
博士には内緒にしておくべきなのか悩んだが、博士の純粋な瞳に見つめられては、嘘はつけなかった。
「前に……話したでしょう? 大切な人を、亡くしてしまったって。それが、彼のことなの。彼のことは、ガルディンから死んだって聞かされていたから……」
「そうだったのか……」
クロウの境遇を知っている博士は、どうやって彼と出会い、絆を結んだのか気になるところだろう。だが、博士はそれ以上なにも聞かなかった。
そんな博士の気遣いが胸に沁み、クロウは自分からリンのことを語り始めた。
「あのね、博士。私、リンと出会えたから変われたんだよ」
あの塔でリンとたくさん話をしたこと、リンが外の世界へ連れ出そうとしてくれたこと。そして、身を挺してクロウを守ろうとしてくれたこと。リンが暗殺部隊の隊長であることや、クロウを壊そうとしたこと以外は、すべて博士に話した。
「それでね、リンが――」
だんだん語るのが楽しくて、つい話し込んでしまったクロウは、ハッと我にかえり、黙ったままの博士を見る。
「……博士?」
なんだか、博士の後ろにどす黒いオーラが見えるような気がする。
「へー、ふーん。リン君ねぇ。彼が目を覚ましたらたっぷりお礼をしなくてはいけないねぇ、ふふふふ」
笑っているはずなのに、目が一向に笑ってない。
父親の嫉妬を垣間見たクロウだったが、そんなことに見当もつかないクロウは、親の心子知らずといったところだろうか。
「とっ、とりあえずね! リンは私が看病するから、博士は心配しないで」
「はは、わかったよ」
博士はそう言うと、飲み終わったティーカップを台所の流しへと運んだ。
「さて、僕は城に呼ばれているから、少しの間お留守番していてくれるかな?」
「城……って、もしかして私のことがばれて?」
そうだとしたら、博士の身の安全は保証できない。
「いや、ばれてはいないだろう。おそらく、いなくなった君の席をどうやって埋めるかの相談だろう」
クロウの顔が、複雑な気持ちで歪む。
(また、私のような人形が作られるってこと?)
そんな心配を吹き飛ばすかのように、博士は笑いながら言った。
「大丈夫さ! 僕に利用価値があるなら、すぐに殺されることはないだろうし……それに、もう二度と人形を作る気はないよ」
「博士……」
いつも自分の気持ちを手に取るように理解してくれる。その心遣いが嬉しくて、ちょっぴり恥ずかしかった。
「分かったわ、博士。気を付けて行ってきてね」
「ありがとう」
そうして、博士はコートを着ると、クロウの姿が見えなくなるまで手を振りながら、城へと向かっていった。
嫌な予感でいっぱいの思考を振り払い、クロウも博士に応えるように、大きく手を振った。
「早く……帰って来てね」
姿が見えなくなった博士に、クロウはポツリと呟いた。