第一話*
あれから数週間が経過した。
薄暗い廊下に聞きなれた足音が響く。足音はある部屋の前で止まり、丁寧に二回扉にノックする。
「はい、どうぞ」
返事を確認すると、男は静かに扉を開け、頭を下げる。
「準備をしに参りました。ご気分がいかがですか? クロウ様」
クロウはいつものように、少し癖のある金髪を揺らして微笑んで言った。
「大丈夫よ。ガルディン」
今日は建国記念日。この国、アルシア王国の姫であるクロウは、民の前に顔を出し、手を振るという重要かつ簡単な任務が与えられている。そして、一年の中で数回しかない、太陽の光を浴びる事ができる唯一の機会なのだ。
クロウがガルディンが連れてきた数名の侍女たちによって着々と準備が進む中、ガルディンは席を外そうとしない。それどころか眉間にしわをよせながらクロウの姿を凝視している。
(うぅ……着替えの時ぐらい、空気を読んで退室してくれないかしら)
侍女たちが布で体を隠してくれているが、気休めでしかない。
クロウが謎の男に襲われてからというもの、ガルディンはほとんどクロウから離れる事無く、護衛するようになった。
しばらくして、綺麗に着飾ったクロウを見て、侍女たちは声をあげる。
「お似合いですわ、クロウ様」
「ええ、白いドレスに金色の髪が映えて素敵ですわ」
侍女たちの褒め言葉に頬を少し赤く染めていると、その中に容赦なく割り込んでくる一人の男。
「支度は終わりましたか。では行きましょう」
「えっ」
クロウはガルディンに腕を引かれ、半強制的に部屋を後にした。
(どうしてこう空気が読めないかなー……)
呆れた顔で歩いていると、広いテラスへ誘導される。そこから見える、どこまでも続く空と、眩しい太陽の光に、クロウは胸の中がいっぱいになった。下を見下ろすと、歓声に沸く町の人々が視界に入る。
「クロウ様だ! 相変わらずお綺麗だなぁ」
「きゃー、クロウ様! こっち向いて!」
クロウはそんな人々の歓声に応えるように、笑顔で手を振る。するとその瞬間、その背後でくぐもった呻き声が聞こえた気がした。
「――ぐっ」
かすかに聞こえたソレを確かめるために、クロウは慌てて振り返る。
「……あなた、は」
そこには、うずくまって倒れているガルディンと、数人の兵士の姿。そして、その中心に立つ黒い……者。
「なぜ、生きている」
彼はそう呟くと、飲み込まれそうな赤い瞳がクロウを捉える。
「……っ」
その殺気と恐怖に、足が震えそうになるのを必死に我慢する。とりあえずクロウはこの事態が民にばれないよう、テラスへの窓とカーテンを閉めて、再び彼に向き合って言った。
「私を何度殺そうと、無駄なことよ」
「どういう意味だ?」
彼は、クロウに刃を向け話を進めようとする。
「どういう意味って、そのままの意味よ? 私はそんな剣に刺されたぐらいじゃ死なないし、すぐ直せるもの」
「なお……す?」
彼は予想外の事に弱いのだろうか。向けられた刃の震えから、動揺がひしひしと伝わってくる。どうにか彼の殺気を抑えるために、クロウそのまま話を続ける。
「そうよ、でも直すためには莫大なお金がかかるから、あまり壊さないで欲しいわ。この前だってお父様に叱られてしまったし、何よりそのとばっちりは、私を守れなかったガルディンに――」
淡々と話出すクロウに苛立ちを覚えたのか、彼は刃をクロウの首の皮一枚の所で止めて言った。
「どういう事だ? お前はこの国の……アルシア王国の姫じゃないのか? いや、そもそもお前は……人間ではないのか?」
予想していた彼の質問に、クロウは向けられた刃を掴み、自分の手の甲を切り裂いて彼に見せた。その姿に、彼はビクっと肩を震わす。
「だって……私は機械仕掛けで動いている、ただの人形だもの」
一瞬時間が止まったかと思うほど、男もクロウも動かないまま、見つめ合った。彼はどうしたらいいのか、どうするべきなのか迷っているのだろうか。その赤い瞳は、クロウから離れようとしない。
「……ならば、俺はお前を壊し続けるだけだ。お前が再起不能になるまで、壊し続ける。それが、俺に与えられた価値」
「え……?」
クロウを見つめる彼の瞳が、寂しさに揺れた気がした。
(なんだろう……とても、惹かれる?)
二人の世界は、ガルディンの一太刀によって裂かれた。気が後ろにまで回らなかった彼は、腕に傷を受けた。
「――くっ」
彼は身を翻し、転がるように部屋を出て行った。その姿をガルディンと二人で追ったが、すでに彼の姿はどこにも無かった。
(あなたは一体何者なの?)
どこから来て、どこへ帰っていくの?
クロウの頭は彼でいっぱいだった。それを見透かしたように、ガルディンが囁く。
「今あった事は忘れるのです。警備は今以上厳重に警戒します。もう、クロウ様の目の前にアイツを現させたりしない」
「でも……」
ガルディンの言葉に対して、何かを言いかけた。何かを言いたかった。
「彼に、欲情したのですか?」
クロウの胸の奥の歯車が、一瞬ギシリと音を立てる。
「ち、違う……そんなわけ!」
「では、どういうつもりで彼に、自分が人形である事をばらしたのですか? これは国家の最大機密事項だと分かって居るのでしょう?」
ガルディンの怒りを含んだ冷たい目に、クロウは何も言えなかった。
「あなたはただの人形です。私の言うとおりに動いていればいい。それとも、人形として当たり前のことすら出来ないと言うのなら、替わりなんていくらでも作れるのです」
「……お金さえあれば」という切実な呟きが聞こえた気がするが、聞こえなかった事にしよう。
「……ひどい」
今更ガルディンに訴えたところで、何かが変わるわけではない。
ガルディンは近くに居た兵に、クロウを部屋まで連れて行くことを命ずると、このことを報告すべく王室へ向かった。
(最初から……分かっていた)
ガルディンは私を敬っているように見えて、内心ずっと私を見下していた。ただの人形だと。あの冷たい目がそう語っている。
クロウは俯いたまま、兵に連れられて部屋へ戻った。
その日の夜、誰もが寝静まった中、闇に紛れて動く一つの影。
影は城の屋根を伝って、クロウの居る部屋の窓まで到達すると、窓の隙間から細い短剣を刺し、カギを壊した。かすかに響いたその音に、クロウは目を開ける。
「また……来たの?」
黒い影はクロウの上に被さり、喉元には剣が宛がわれていた。
「言っただろう、俺はお前を壊し続けると」
まっすぐな瞳に、クロウは胸の奥から何とも言えない気持ちが込み上げて来た。
(皮肉なものね……彼は私を壊そうとしているのに、きっと、この世界で今一番私を欲してくれているのは、この人だわ)
すると、温かい手がクロウの頬に触れる。クロウは予想外の彼の行動に、思考が停止する。
「なぜそんな顔をする? 人形でも、死への恐怖は感じるのか……?」
どうしてそんなことを聞くのだろうか。
自分でも、どんな顔をしているのか分からなかったクロウは、戸惑いながら頬に宛がわれた手をそっと握り返して言った。
「死ぬのは別に怖くない――というか、死ぬという概念があまり理解出来ないから……。ただ、私は……」
「ただ?」
彼に聞き返され、クロウはハッと我に返り、自分の思考を考え直す。自分は一体彼に何を言うつもりだったのだろう、言ったところで、彼はどんな反応をするのだろうか。それでも、クロウの言葉は止められなかった。
「私は――寂しい」
窓から入る月明かりに金色の髪が照らされ、白い肌が透き通るように輝く。あまりの美しさと切なさに、男は息を呑んだ。
「お前は……」
クロウは喉に宛がわれた剣を気にもせず、ギシっと音を立てベッドから起き上がる。それに驚いた男も、パッと飛び退いてクロウに向き直る。そして、クロウの思いがけない言葉に目を見開く。
「私を……壊してもいいわよ」
「なに?」
「その変わり、私が満足するまで話し相手をしてほしいの。そうすれば、私は壊れてあげる。もう、二度と直せないくらい、ぐちゃぐちゃになってあげる」
男は眉間に皺をよせ、訝しげな顔でこちらを見ている。考えが纏まったのか、男は剣を鞘へ戻して言った。
「分かった。条件を呑もう」
「そう、ありがとう!」
ふいに見せたクロウの笑顔に、男は面食らったようにたじろぐ。そんな彼に、クロウは手を差し伸べて言った。
「まず、あなたの名前を教えてくれないかしら?」
「……リンドブルム」
リンドブルムと名乗った彼は、クロウの手を取ろうとしなかった。
「じゃあ、リンって呼ぶわね。どこから来たの? なぜ私を壊したいの?」
クロウは差し出した手を降ろして、子供のように目を輝かせて質問する。
「…………」
無言で困り果てているリンを見て、クロウは「ごめんなさい」と微笑みながら謝る。
「そうよね、こんなこと答えちゃ、リンの立場が危うくなるものね……」
一瞬静まり返った部屋の中で、次に口を開いたのはリンの方だった。
「……この国の姫は、いつから機械仕掛けの人形に成り果てたんだ?」
成り果てたという表現に、クロウは少しムッとしたが、渋々答える。
「それは国家の最大機密事項……なんだけど、ここまで知っちゃったら、まあ、仕方ないわよね」
クロウはベッドに腰掛ける。
「本物のクロウが生まれたのは、今から十六年前のこと。でもね、残念なことに死産だったの。けれど、世間体を気にする父はそんなことを民に公表できなかった」
真剣に話を聞いてくれているリンを見て、クロウは話を続ける。
「母に次の命が宿るまで、父はクロウの存在を人形で誤魔化すことにしたの。けれど、三年経っても子が出来る気配は無かったわ。その上、母は病気にかかり二度と子の産めない体になってしまったの」
「それで、仕方なくお前が作られたのか」
「そうよ」
信じられないといったような顔で、リンはふうと息を漏らす。
「養子でもなんでも、もっと他に方法があったんじゃないのか?」
リンの問いに、クロウは首を横に振る。
「この事はね、本当に最大機密事項なの。知っている人は、父と母。そして、世話役兼見張り役のガルディンと、私を作った博士だけ。余計なリスクを減らすためにも、人形の方が楽だと考えたのよ」
「……そのリスクの少ないはずのお人形さんが、今一番危険なことをしていると思うのだが?」
ごもっともなツッコミに、クロウは慌てて弁解する。
「べ、別に! 悪いのは私じゃなくて、リンだもの!」
クロウの横暴な発言に、リンは肩をすくめる。
「そ、それより、私ばっかり喋っているじゃない。リンのことも話してくれないと、ずるいわよ……って、ちょっと!」
視線をリンに向けると、リンは窓から退場しようとしていた。
「何逃げようとしているのよ!」
クロウはとっさにリンの服を掴む。
「離せ。もうすぐ陽が昇る。じきにお前の見張り役とやらが来るだろう」
「あぁ……」
クロウは納得したように窓の外を見る。そこには、地平線の彼方から黄金に輝く太陽が顔を覗かせているのが見える。
「――おい、いつまで掴んでいるつもりだ」
その美しい光景に見惚れていたクロウは、ハッと掴んでいた物から手を放す。
「あっ、ごめんなさい」
リンは一瞬クロウに視線を向けたが、何も言わずに窓から去って行った。
(また……来てくれるってことよね)
クロウがリンと過ごした時間の余韻に浸っていると、扉の向こうから聞きなれた足音が近づいてくるのに気が付いた。
(やばっ、ガルディンだわ)
クロウは慌てて窓を閉め、カギが壊れていないよう見せかけるために、元の位置に戻す。そして何事も無かったかのような顔をして、ノックの音が響くのを待った。
「クロウ様、ご気分はいかがですか?」
「ええ、大丈夫よ」
クロウはそう言って、何事もなかったかのように微笑んで見せた。
この日から、一国の姫と謎の暗殺者との、毎晩の逢瀬が始まった。