三章 その参
筋取りを終えたインゲンを持って、マチは昼食の支度のため台所に行った。それと入れ違いにやってきたのは、ケンタとコウジだった。
「サヨ、遊びにいくぞ」
「うん。サツキにいちゃんも、いっしょでいい?」
「まぁ、いいだろう」
「コウジ兄、えらそう」
「うるさいぞ、ケンタ」
子供たちの声を聞きつけて、マチが縁側に顔を出す。
「遊びに行くの? サヨちゃんがいるからって、山に入ったら駄目よ」
「わかってるよ。昼飯までには帰ってくる」
走り出した三人から少し遅れてサツキも付いて行く。子供たちを見送っていたマチだったが、隣から視線を感じて声を掛けた。
「何かありました?」
「さっきの言い方だと、サヨがいたら山に入っても良いってことになりませんか?」
「そうですよね。この辺の人にしかわからないですよね」
何がおかしいのかマチは笑い、縁側から遠くを指さした。
「ここから見えるあの山、薬草が豊富で薬師が夢中になって隠ってしまうほどだって意味で、薬隠山って呼ばれてるんです。シオリ先生の家が代々管理しているんですけど、一族以外の人が山に入ると何故か迷って帰れなくなるんです」
「……迷うんですか」
コハクの姿が見えない。サヨたちとは一緒にいなかったが、いつの間にいなくなったのだろうか。この二日、コハクは時折いなくなることがあり、理由を尋ねても何故かはぐらかされてしまう。
「そうなんです。シオリ先生はサヨちゃんが歩けるようになった途端に山に連れていくようになりましたから、慣れもあるんでしょうかね。とにかく、村の人はあの山には入りません」
胸がざわついていた。一族以外は受け入れないという薬隠山。あの山には何かが隠されているとスオウは思い始めていた。
子供の泣き声がした。思考の海の中にいたスオウは、その声で現に引き戻される。顔を上げると、サヨを抱き上げたサツキがこちらに向かって来ているのが見えた。途中で別れたのかケンタとコウジの姿は無く、サヨはサツキの首元に顔を埋めて泣いていた。
「ただいま帰りました。血は出なかったんですけど、転んで手のひらと膝を擦りむいてしまいました。でも、それよりも着物が少し破れてしまったのが悲しいみたいです」
マチさんに傷と着物を見てもらいましょうか、とサヨにしがみつかせたままサツキは縁側から家に上がる。
「マチさんは家の人が呼びに来てさっき帰った。お姑さんが足を捻挫したらしい」
「それは大変ですね。それでは、どうしたらいいでしょうか」
傷の手当てならスオウでもできる。問題は着物の方で、二人にできるのは着替えさせることくらいだ。
「サヨー、こっちにおいでー」
シオリの声を聞いて、サツキはサヨを抱いたまま寝室に向かった。汚れた着物を気にしてサヨは寝台には上がらず、床にぺたりと座り込んだ。
「そんなに大きな声で泣いて。もう赤ちゃんじゃないでしょ?」
寝台から手を伸ばして、娘の濡れた頬を指先で拭う。
「よく聞いて、サヨ。繕いものが得意なのは、蜻蛉屋の裏のアカリさん。サヨもよく知ってるでしょ? 着替えたらお願いしに行くといいわ」
無言でうつむいてしまったサヨの髪を、サツキは指先で梳いてやる。細くて柔らかい子供の髪は、触れていて気持ち良かった。
「あと、お米がそろそろ無くなる頃だからタツゾウさんに分けてもらってきて。野菜はシンジさんにお願いすればいいから。できるわね?」
「できないもん」
「この前だってお肉を一人で買いに行けたでしょ? 大丈夫、母ちゃんの子供だもの」
落ち着いてきていた涙がまた浮かぶ。人見知りの気は無いが、今までは母親とやってきたことを一人でしなければならないのは不安なのだろう。
「サヨちゃん、大丈夫ですよ。この村の人は優しい人ばかりです。ボクも一緒に行きますから」
「ほんとに?」
「はい。本当です」
すっかりサツキに懐いたサヨは、サツキが一緒ならとその気になってきている。
「スオウさんもお願いします」
いつの間にか寝室の入り口まで来ていたスオウにシオリは頭を下げる。
「わかりました。──サヨ、ご飯を食べて着替えたら行くぞ」
サヨの返事を待たず、スオウはさっさと居間に戻ってしまった。サツキはこの数日感じていた違和感の正体にふと気付く。スオウはシオリの寝室に一歩も入らないのだ。いつも入り口までで、廊下からシオリに話しかけている。
何か理由があるのだろうか。サツキはサヨの髪を梳きながら首をかしげた。
破れた着物を入れた風呂敷を背負い、サツキと手を繋いだサヨは、緊張気味に歩いている。二人の後ろには背負い籠を左肩に掛けたスオウが、周囲の風景を見るように視線を動かしながら付いて来ていた。
蜻蛉屋の脇を通って抜けた先に、目的の三軒長屋があった。左端の戸の横に、お針屋と書かれた控えめな木板が打ち付けてある。
「あら、サヨじゃない。どうしたの?」
三年前から柘榴村で暮らし始めたアカリは涼しげな目が色っぽい美しい女性だった。アカリはこの村に来たばかりの頃、シオリの家に半年間ほど居候しており、今よりまだ小さかったサヨの面倒をよく見ていた。
「あのね、きものがね、やぶけたの」
胸元の風呂敷の結び目をぎゅっと握り、早口で言うサヨにアカリが笑う。
「繕えばいいんだね。見せてごらん」
アカリは三人を家に上げ、サヨから風呂敷包みを受け取った。
「あぁ、これくらいだったら大丈夫。このアカリさんが綺麗にしてあげるよ。……サヨ、ちょっと立って羽織ってみて」
着物を羽織ったサヨの腕を真横に上げさせたり、袖や裾を確認するように軽く引っ張っている。アカリの顔に笑みが浮かんだ。
「裄と裾丈が足らないね。肩上げと腰上げも直そうか。大きくなったんだねぇ」
アカリの言葉が嬉しかったのか、サヨはサツキの腕に抱きついた。その可愛らしい姿を見ながら、アカリは細く白い指で着物を畳んでいく。
「明後日の昼過ぎにはできるよ。その頃に取りにおいで」
礼を言って、アカリの家を出た。サヨは行きとは違って軽い足取りで歩いている。その手には、先程までは無かった巾着袋が提げられていた。中にはアカリが端切れで作ったお手玉が入っていて、お使いのご褒美だと帰り際に彼女が持たせてくれた。すっかり気持ちが上向いたサヨはサツキたちを顧みることなく、次の目的地のタツゾウの家までまっしぐらだ。
タツゾウは米農家だが、今日は作業を息子たちに任せて家で休んでいた。子供も孫も男ばかりのタツゾウはサヨの来訪をことのほか喜び、軽々と抱き上げる。
「久しぶりだな、サヨ。お母さんは良くなったか」
「まだ、ねてるけど、だいじょうぶ」
「そうかそうか。今日はどうした」
「おこめがね、なくなるの」
「おぉ、好きなだけ持って行け」
全員で米蔵に移動し、五升分の米をもらってスオウの背負う籠に入れる。サツキは懐から出した紙包みをサヨに渡し、戸惑う少女の背中を押してやる。
「頑張って、サヨちゃん」
サヨは両手で包みをぎゅっと持ち、そのまま腕をタツゾウへと勢いよく伸ばす。
「これ、おれいです」
「いつもの腰の貼り薬だな。シオリにありがとうと伝えておくれ」
「うんっ」
無事にここでの役目を果たした少女の顔に笑みが浮かぶ。休んでいけと引き留めるタツゾウに、まだお使いが残っていると伝えるサヨの声は明るい。何度も礼を言って、一行はタツゾウの家を後にした。
シンジの畑へと向かうサヨの頬を膨らませているのは、タツゾウからもらった金時豆の甘納豆だ。片手に巾着袋、片手にシンジへのお礼の品を持って歩くサヨの後ろを、スオウとサツキは従者のように付いて行く。
「サヨちゃん、楽しそうですね」
「あぁ、もともと愛想は良い子だからな。初めの一歩が踏み出せれば後は問題はない」
「おにいちゃんたち、おそいよー」
にわか従者たちは苦笑しながら、姫君を早足で追いかけた。
シンジの畑からの帰り道、すっかり自信が付いたサヨは知っている顔があれば自分から話しかけ、今日のお使いを報告していた。それを聞いた人は全員が心からサヨを褒めた。えらかったね、すごいな、これからも頑張って。これはサヨの頑張りはもちろん、村の人たちのために働いてきたシオリが、皆に愛されている証でもあった。




