三章 その弐
今回のお話の後半には、不妊についての描写があります。
描写の直前には記号(◇◇◇)がありますので、読むのを避けたい方は。目印にしてください。
シオリの家へ続く小道の入り口に、老婆と二人の少年が立っていた。彼女たちはスオウを待っていたようで、目が合うと軽く頭を下げられた。
「トキと申します。これは末孫のケンタ。こっちはコウジです」
ケンタはサヨと同じくらいで、コウジは三歳くらい上になるだろうか。コウジは何故かスオウを睨みつけている。
「わしは産婆をしていて、この辺りの子供は皆、自分の子供や孫のように思っております。シオリとサヨもです。初めて会った、それも旅のお方にこんなことを頼むのは申し訳ないのですが、シオリを助けてやってください」
頭を下げた祖母を見て、ケンタも慌てて倣う。
「どうか顔を上げてください。自分がやれることはしたいと考えています」
「ありがとうございます。わしに何かありましたら、トキ婆は何処だと村人にお尋ねください」
もう一度頭を下げ、トキとケンタは帰って行った。振り返って手を振るケンタに、スオウも振り返してやる。そこに残ったのはスオウとコウジだった。
「おまえ、サヨの家に行くのか?」
確実に十は年上のスオウに敵意を剥き出しにしている。初対面で彼に喧嘩腰で挑めるとは、なかなかの根性だった。
「あぁ、そうだな」
「あんまり仲良くなるなよ」
「……シオリさんとか?」
コウジの顔が一瞬で真っ赤に染まる。
「っ! ばーかっ!」
言い捨ててコウジが走り去った。始めからコウジの敵意の理由には感づいていたが、ついからかってしまった。
なかなか楽しい逗留になりそうだ、とスオウは口元を緩ませた。
瑠璃屋からシオリの家へと通うようになって二日。スオウたちが来るまでの数日間、サヨはシオリから離れたがらず、近所の人たちの誘いを断り家にこもっていたようだ。シオリに頼まれたマチが日に何度か訪れて家事やシオリたちの世話をしていたが、二日前からは食事の支度以外はスオウとサツキの仕事になった。トキが村人に話を通してくれたお陰で、スオウたちの行動が怪しまれることもなかった。
昼前、マチが自分で育てたインゲンを持って来た。スオウとマチは縁側で筋取りをし、そこから見える庭でサヨとサツキは鞠つきをしている。コハクは転がってしまった鞠を取りに行く役目のようだが、今はただ地べたで転がっているだけだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「マチさんはシオリさんを『先生』と呼ぶんですね」
マチの表情がわずかに曇る。
「ええ。年はわたしの方が二十八で五つも上ですけど、色々と相談にのってもらっているので。シオリ先生には本当に助けてもらってます」
薬師のシオリに相談をするくらいだから、どこか患っているのかもしれない。話を変えた方がいいかとスオウが考えていると、マチの方から話し始めた。
「結婚して五年経つんですが子供がいないんです。夫も義理の両親も何も言いません。離縁も切り出しましたが、受け入れてもらえませんでした」
サヨのはしゃぎ声が聞こえる。
「ショウタは子供好きで、近所の子供たちと遊ぶこともよくあります。きっとショウタはいい父親になれる。親戚や近所の人はそのうち授かるから大丈夫だ、って。何の根拠もないのに」
去ることが判っている旅人のスオウは、胸のわだかまりを吐き出す相手として適任だったのだろう。本来の彼女のものであろう言葉遣いが顔を出す。
「別れると言ったのはショウタのためだけじゃなくて自分のためでもあった。夫がいなければ『相手がいないんだから、子供がいなくて当然だ』って諦められるかもと思ったから。でも、本当は別れたくない。好きだから結婚したんだもの」
「シオリさんは何て?」
スオウが話しかけたことで少し冷静になったのか、マチは恥じるようにほほ笑んだ。
「シオリ先生はごまかしたりしなかった。産める人もいれば産めない人もいる。それは自分では選べないし判らない、と。央竜で医学を勉強している弟さんと手紙をやり取りして、色々調べてくれました」
医学書や産婆の仕事帳などを取り寄せ、薬師の仕事の合間に読みあさっていたという。それで判ったのは、今の医学では子を授かる仕組みはほとんど解明されておらず、人の手でどうにかすることは、ほぼ無理だということ。
「シオリ先生が調べてくれたことで少しだけ楽になったんです。子供が授からないのに男の人が原因のことも多いんですって。でも、別に夫を悪者にしたいんじゃないんです」
自分に全ての原因があると考えていたマチには、原因が夫かもしれないという可能性は心の逃げ道になっていた。
「今はまだ難しいけど、夫とこれからの家族のことを話し合えたらいいと思ってます」
この話をすることが彼女にとってどんなに苦しいことか。男であり、結婚もしていないスオウでも想像は難しくない。それでも、マチは作業の手を一度も止めなかった。スオウにはそれが、ショウタの妻であること、家を守る主婦であることをマチが誇っているように感じられた。