二章 その弐
「王太子、マサト殿下の『花嫁』についてですが月氷司だけではもう……。どなたか力をお貸しくださいませんか」
ハナの顔は蒼白で、声も手も震えている。ここにいるのは貴族や貴族の子女がほとんどで、平民のハナは緊張のあまり今にも気を失いそうだった。本来ならここにいるはずの司頭は、ハナに置き手紙で会議を任せる旨を伝えて、何処かに行ってしまった。
「マサトは十四だ。まだ数年の猶予がある。あまり深刻にならなくともよい」
脇息にもたれハナを見やるヤマトの目と声は、先ほどまでとは違い穏やかだ。臣下に対して声を荒らげることはないが、気を許すこともないヤマトにしては珍しい態度だ。ハナは初めて間近で見た王の優しい目に頬を赤らめた。
「今日はもう終いでいいな」
ヤマトが立ち上がると、護森官大老の直ぐ後ろに控えていた老齢の男が、頭を下げたまま声を掛けた。
「王守司より陛下に奏上したきことがあります。ご正室をお迎えになっていただきたく──」
男の言葉を最後まで聞くことなく、ヤマトは大広間を後にした。
「陛下、ご同行をお許しいただけますか」
付き従おうとする高官たちを振り切るように足早に央乃室を出たヤマトが、住まいである本宮に戻ろうと馬車に乗り込んだときだった。馬車の外から声を掛けたのは王直属の軍──守王軍の総帥、サトルだった。
「許す」
「ありがとうございます」
警護兵にいくつか指示を出し、サトルが馬車に乗り込んできた。ヤマトの斜向かいに腰掛け、車の壁を叩いて御者に出発の合図を出す。
「御者も警護もおれの信用できるやつらに変えました」
ヤマトの表情が途端にゆるんだ。座席の上で胡座をかき、袴の裾をまくり上げてすねを掻き始める。
「頭の固いやつらばっかりだ」
「仕方がないですよ。この国が龍の花嫁に守られるようになって数百年。役人だって国民だって軍なんて必要ないと思ってるんじゃないですか?」
「馬鹿か」
成人前に王になったヤマトには、助けてくれる人間はそれなりにいたが、本心をさらけ出せる人間はわずかだった。サトルはその一人で、二歳下の異母弟だ。
幼少期、ヤマトは自信が第二子という気楽さから、側室の子であるサトルと普通の兄弟のように遊んで過ごしていた。成人後は王族から離脱して臣下に降るつもりでいたヤマトは兄の死で王になってしまったが、今でもサトルを実の弟のように思っていた。
王位に興味がなかったサトルは、成人とされる十五歳の年に現在の守王軍に入った。当時、ヤマトに子がいなかったため王太子の地位にあったサトルを兵卒から始めさせるわけにもいかず、小隊長補佐という新設の役職が与えられたが、そこからはあっという間に実力で総帥まで昇進していった。
地位こそ子供の頃には想像もしていなかったほど高くなってしまったが、二人でいるときはそれを忘れ、互いに言いたいことを言い合えた。
「まぁ、それだけ龍の花嫁の力はすごいってことですよ。ところで、陛下の『花嫁』のカズサ様を最近お見かけしませんが」
「おまえには言っておくか。この数日、熱が下がらず伏せっていると報告を受けた」
建国王、啓揮には妹がいた。心優しく、動物や植物の声が聞けたという彼女は十七の年に孤龍と出会い、愛し合って伴侶になった。しかし、彼女が孤龍と過ごせたのはわずか四年間。伴侶の死を受け入れられなかった孤龍は、彼女が生きた世界を守り続けるために孤独な眠りを選んだ。
龍の恩恵により特別な力を得た女性を『龍の花嫁』と呼ぶのは、彼女に由来している。
「確かふた月ほど前にも風邪を召されてましたよね」
腕組みしたヤマトの視線が、サトルからそらされる。腕組みは考え事をするときのヤマトの癖だった。
「……軍の強化の理由はそこですか。あとはマサト殿下」
馬車はいつの間にか止まっていた。視線を合わさないまま、ヤマトは誰にも言ったことのない想いを吐き出す。
「おまえは龍の恩恵が減ってきていると感じたことはないか?」