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一章 その参

 サツキはゆっくりと一つ瞬きをした。

「おにいちゃーん。おねえちゃーん。コハクおきてたよー」

 いいところでサヨの声が聞こえてきた。縁側で何度も跳ねながら手を振っている。その横にはコハクがしれっと座っていて、心なしかニヤニヤしているようにも見えた。

 足早に近付いて縁側に腰掛けたサツキは、荷物を下ろすより先にサヨの両手を取って訴えた。

「サヨちゃん。ボクもお兄ちゃんです」

「うそだー。だって、かわいいもん」

「確かに女性らしいかもしれませんが、男です」

「えー。きものだって、おんなのひとのでしょ?」

 十人の人に聞いたら、九人は女だと答えるような容姿をサツキはしている。華奢な体に白い肌。丸く大きな目と小さい口。声も高めで、丁寧な話し方も性別を判りづらくしている。着物も露草色の長着に乳白色の紗の肩掛けを羽織っていて、暗くて濃い色の着物が主流の龍玉国の男性には珍しい選択だろう。

「男性用の暗い色が驚くくらい似合わないんです。この肩掛けも便利なんですよ。防寒にはもちろん、風が強い日は頭から被れば髪が絡まないですし──」

「サツキは男だよ。アタシが保証する」

 サツキの言葉を遮るように突然聞こえてきた声に、スオウは片手で顔を覆ってため息をついた。

「コハクが、しゃべった……」

 驚きでサヨの目がこぼれ落ちそうなくらい開かれた。それもそうだろう。

 サヨの隣でゆったりとくつろいでいるコハクは、誰がどう見ても漆黒の大型犬だった。


 混乱しているサヨの背中にスオウはそっと手を添え、時折撫で下ろしている。落ち着いてきた頃を見計らい、コハクはサヨの頭に一度頬ずりをした。

「驚かせて悪かったね。けどね、庭に咲く花と森で咲く花は違うだろ? それと一緒で場所が変われば言葉を話す犬もいるもんだよ」

 とうとうスオウが頭を抱えてしまった。国中をしらみつぶしに探したって、言葉を話す犬などコハクしかいない。それに、十八歳のスオウが物心ついたときには、コハクは今の大きさだった。少なくても二十年は生きている。何もかもが規格外だった。

「……そうなんだ。しらなかった」

「龍玉国は広いからね、仕方がないさ。でもアタシが話せることは、他の人間には内緒だよ」

「どうして?」

「話せる犬は珍しいから外国で高く売れるんだよ。見つかったら悪い人に攫われちゃうからね」

 いたいけな少女が騙されていく。スオウは口元の布を引き下ろし、遠くを見ながら手づかみでおはぎに食らいつく。現実から目を背けるのに必死だった。一方、サツキはにこにこしながら少女と犬を見守っている。その手には、どこから出したのかおはぎを乗せた小皿と黒文字があった。

 サツキもコハクが話せると知ったとき、多少は驚いたが直ぐに受け入れた。理由は育った環境が少し特殊だっのと、コハクがあまりに自然に人語を操っていたからだ。

 ──アタシたちと一緒に行くかい?

 二年前のコハクの一言がサツキの人生を変えてくれた。あのときコハクの手を取らずにいたら、サツキの世界は狭く閉じたままで終わっていただろう。

 ちなみに、驚くサツキにコハクがしたのはこんな説明だった。

 ──スオウの髪は黒。あんたの髪は焦げ茶色。それと一緒であの犬は話せない、この犬は話せる。世界なんてそんなもんさ。

 他にはどんな説明があるのか、サツキはかなり気になり始めていた。


 縁側から玄関に回り、一行が通されたのは居間だった。畳は日に焼け、家具も囲炉裏もかなりの年数が経過したものだったが、掃除や手入れが行き届き、どこか懐かしくて落ち着ける空間だった。

 コハクはサヨの隣で丸くなっている。目は閉じているが、尾が揺れているので眠ってはいない。口の周りに餡が付いているのは、おはぎを立て続けに五つ平らげたからだ。サツキは物珍しそうに視線をめぐらせた後、見つけた茶器で玄米茶を入れている。

「サヨ。お母さんは店か?」

 ここにサヨの母親はいなかった。薬師だというから、仕事中なのだろうとスオウは思っていた。

「ううん。かあちゃん、けがしてるの」

 サヨに手を引かれてスオウは廊下に出る。一番奥の部屋の障子を、サヨが勢いよく開いた。スオウの目に飛び込んできたのは、部屋の大半を占領する大きな寝台だった。

「こんな格好ですみません。怪我で動けないもので。サヨの母のシオリです」

 寝台の上で体を起こしながら、シオリは寝間着の襟元を直していた。全体的にそうだが前髪は特に短く、額のほとんどが出ている。それが彼女に快活な印象を与えていた。

 身軽に寝台に飛び乗ったサヨが、母親の横にぴったりと寄り添う。

「うちの犬がご迷惑をお掛けしました」

 寝室には入らず、廊下で立ったままスオウは頭を下げる。

「いいんですよ。わたしがこんな状態ですから、娘も遊び相手ができて楽しかったでしょうし」

 サヨの頭を撫でる左手の薬指に銀色の細い指輪が光っている。サヨの靴やこの寝台もそうだが、この家には外国の文化が自然に取り入れられていた。

 スオウの視線に気付いたシオリが、くすりと笑う。

「この寝台は二年前に亡くなった夫が買った物なんです。どう考えてもこの部屋には大きすぎるに。長く使うんだからいいものを、なんて言って。結局自分は四年も使えなかった。……馬鹿な人」

 最後に小さい声で足されたその言葉には、シオリの夫への愛情が滲み出ていた。彼女は湿っぽくなってしまった雰囲気を自ら変えるように、殊更明るく言葉を続けた。

「この後はどうされるんですか? もし宿が決まっていないのなら、あばら家ですが泊まっていってください」

 怪我で動けない女性に迷惑をかけるわけにはいかない。スオウは断りを入れようと口を開いたが、それを遮るようにシオリが畳み掛ける。

「わたしはおもてなしできませんが、もう直ぐ近所の方が夕食を作りに来てくれます。実はもうお客様がいると伝えてしまって。夕食だけでもどうですか? 」

 スオウからそう間を置かずに付いてきていたコハクとサツキ。コハクがスオウの袂をくわえて軽く引く。視線を交わしたのは数秒。

「それでは、夕食を御馳走になります」

 にっこりほほ笑むシオリの側で、いつの間にかサヨが眠っていた。


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