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蛇足 その弐

マチとショウタの結婚前後のお話です。

 わたしは、宿屋の三番目の子として生まれた。父は板前、母は女将で、宿も家も母が仕切っていた。料理を作ることしかできない父は何もかもを母の言うとおりにしていて、それが普通だと思っていたわたしは、誰に対しても言いたいことを言う人間に育った。

 子供のうちはそれでも良かったけれど、年頃になって恋を意識するようになったときに困ってしまった。男の子は自分に意見するよりも、黙って付いてくる女の子を好んだ。このままでは駄目だと頑張って言葉遣いはましになったけれど、気の強さは変わらず恋人もできないまま二十二歳になってしまった。同じ年頃の子はほとんど結婚をしていて、宿の調理場の手伝いをしながら、わたしはこのまま結婚もできないんだと諦め始めていた。


「葡萄酒持って来ました!」

 料理が自慢のうちの宿は、お酒を蔵から直接買い付けていた。配達してきたのは、幼なじみでもある蔵の跡取りのショウタだった。

「ご苦労様。ショウタ、お腹すいてる?」

「うん! 今日は何?」

「焼おにぎりよ」

 十九歳のショウタは、いつも口癖のように「腹減った」と言っていた。あまりにもうるさかったので、ある日わたしが作った賄いのみそ汁を食べさせてやってから、配達のときに食べ物を用意しておくのが習慣になった。

「今日もうまいっ! マチちゃんも板前になるの?」

「ならないわよ。兄さんがいるし」

「ふーん。……じゃあ、お嫁にいく予定は?」

 わたしは布巾をショウタに投げつけた。

「嫌みなの? そんなの無いわよ! それより、あんたも十九なんだからそろそろ結婚しなさいよ。跡取りでしょ」

 大きめの焼おにぎりを三つ平らげたショウタは、急にかしこまったように背筋を伸ばした。

「来年、二十になったらするよ」

「えっ?」

 歩けるようになる前から知っていたショウタが突然大人の男に見えて、わたしは戸惑った。何故か置いて行かれてしまったような気持ちになって、胸が苦しくなった。

「……そっか。あんたもそんな年なのね。おめでとう。相手は?」

「マチちゃんには内緒。まだ、求婚したわけじゃないから」

「そのわりには自信があるのね。するなんて言っちゃって」

「おれにはその人しかいないから、拝み倒してでもしてもらう」

 ショウタにそんなに想われている人が羨ましかった。仕事に対する姿勢は真摯で、いつも穏やかに笑みを浮かべているショウタの周りにはいつも人が集まっていた。彼と結婚できる人は、きっと幸せになれると思った。

「頑張って。応援するよ」

「……うん」

 ショウタは少しうつむいて、心なしか寂しそうに笑っていた。


 ショウタは相変わらず配達に来ていた。わたしが食べ物を用意するのもいつもどおり。会話も天気のことや、お酒のこと。わたしも聞かなかったけれど、ショウタからも結婚のことは話さなかった。

 その年の大晦日は雪が少なくて、とても寒かった。宿のお客さんは毎年泊まる常連さんが一組だけで、夕食の後片付けを終えた父は調理場から出て、母のいる従業員の控え室に行ってしまった。わたしは一人で年越し蕎麦の支度をしていた。父は自分がやるからと言ったが、気心の知れたお客さんだから大丈夫と、自分から引き受けた。結婚して二十年以上経つ両親の仲は良く、年越しの瞬間は一緒にいたいだろうと思ったからだ。

 お客さんに蕎麦を出し、調理場の片付けをしていると勝手口が開いた。

「マチちゃん、一緒にお酒飲もう!」

 ショウタだった。わたしが返事をする前にどんどん調理場に入ってきて、持参した清酒に燗をつけ始めた。温めている間にショウタは二畳ほどの作業用の小上がりにちゃぶ台と座布団を出し、座って待っているように言われた。

 目の前に徳利と猪口が置かれた。

「じゃあ、乾杯」

「……乾杯」

 ぬるめのお酒をショウタは一気に飲み干した。わたしは彼の喉仏が動くのを不思議な気持ちで見ていた。遠くから除夜の鐘が聞こえていた。

「今年も終わりだね」

「そうね。年が明けて年神様がいらしたら、ショウタも二十歳ね」

 彼が結婚してしまえば、今のような時間は二度と訪れないだろう。そうなれば、わたしはこれからずっと一人で年越しを迎えることになるのだ。

 規則的に鳴っていた鐘の音が途絶えた。そして、少しの間を空けて最後の一つが鳴らされた。

「あけましておめでとう、ショウタ」

「あけましておめでとう。……マチ」

 鼓動が跳ねた。ショウタに名前を呼び捨てにされたのは初めてだった。

「マチ、おれのお嫁さんになってよ」

「な、何言ってるの、それっぽっちのお酒で酔ったの?」

 お酒のせいでなく、顔が熱くなった。ショウタの目が今まで見せたことの無い強さでわたしを見ていた。

「おれ、さ。蔵を大きくするんだ。親父の許しも得てて、今までよりも多く人を雇うことになる。だから、しっかり者のおかみさんが欲しいんだよ」

「だったら、わたしじゃなくてもいいんじゃない!」

 ショウタはやけにゆっくりお酒を自分の猪口に注いだ。そして、わたしを見ながらまた一息に飲み干した。

「マチの飯を食べるようになってから、お袋の飯もあんまり美味しくなくてさ。おれさ、もうマチの作ったものしか食えないんだよ」

 ちゃぶ台の上に乗せていたわたしの手を、ショウタが覆うように握った。慌てて引き抜こうとすると、力が込められた。いつの間にショウタの手はこんなに大きくなっていたのだろう。

「料理が上手な人は他にも沢山いるわよ。それに、わたしあんたより三つも年上よ!」

「マチの味がいいんだよ。それに年のことなら、うちのお袋も親父より上だから気にしたこと無かったな」

 わたしは頭が混乱していく一方なのに、ショウタは冷静に逃げ道を塞いでいく。

「それに、おれが『うまい』って言うと、マチ、すげぇ可愛い顔で笑うんだよ。その顔を独り占めにして誰にも渡したくない」

 涙が溢れてきた。こんなことを言われて、断れる人がいるのだろうか。

「なぁ、マチ。おれのお嫁さんになって?」


 次の年の除夜の鐘は、ショウタと義理の両親と聞いていた。けれど、途中で酒に酔ったショウタと義父は寝てしまい、義母と二人で最後の一つを聞いた。

「あけましておめでとう、マチちゃん。今年もよろしくね」

「おめでとうございます、おかあさん。こちらこそ、よろしくお願いします」

 義父は自分の部屋に戻って寝たが、ショウタはわたしの隣で大の字になって寝ている。一応布団は掛けたが、寒くはないだろうか。

「マチちゃん、お酒強いのね。相手してくれる人ができて嬉しいわ」

「それなりにです。ショウタさんよりは強いですけど」

 お酒を造ってはいるが、義父とショウタはお酒があまり強くはない。その反対に、義母が酔っ払った姿を家族どころかこの村の人も見たことがなかった。

 ショウタを起こさないように、二人で小さな声で笑った。

「気分が良いから、秘密を一つばらしちゃおうかな」

「何ですか?」

 義母がショウタの顔を意味ありげに見た。

「ショウタの初恋の相手ね、マチちゃんなのよ」

「えっ?」

「十歳のときだったかな、突然言ったのよ。『十五になったらマチちゃんに求婚する』って」

「……初めて聞きました」

 その頃わたしは十八だった。あまり覚えてはいないが、ショウタとあまり話した記憶は無かった。

「でも、ショウタが十五っていったらマチちゃんはお年頃で、ショウタは相手にしてもらえなくなってね。隠してはいたけど、落ち込んでたわ」

 確かに十八の頃は結婚を焦り始めていた。一時は村を出ることも考えていて、ショウタは弟のようにしか思っていなかった。

「マチちゃんが二十歳頃から宿のお手伝いを始めたでしょ? そうしたら、配達は自分がするって張り切っちゃって」

 ショウタが寝返りを打った。布団がずれて出てしまった背中に掛け直す。

「配達する時間、本当はうちの職人の食事の時間なのよ。だから、配達に行くと食事抜きになっちゃうのよ」

 いつも、お腹がすいたと言っていた理由が解った。強いはずのお酒に酔ってしまった。顔が熱くて、何だかくらくらする。

「一度ね、そこまでするならさっさと求婚しなさいって言ったことがあったのよ」

 義母がくすくすと笑い出す。自分が笑われているに気付いたのか、ショウタの眉間にしわが寄る。

「十七と二十だとおれが子供っぽいから、二十と二十三になるまではしないんだ、って」

「年齢差は気にしないって言っていたのに。おとうさんたちで慣れてるからって」

「うちはちょっと特殊だからね」

 義母はこの酒蔵の一人娘だった。結婚相手は蔵を継いでくれる人間でなくてはならず、なかなか見つからなかったという。そして、義母が二十三になったとき、職人見習いとして蔵に来た義父と結婚した。そのとき義父は十六だった。

「マチちゃんが年上だっていうことは全く気にしてないのよ。自分のせいでマチちゃんが何か言われたり、頼ってもらえなかったりするのが嫌だったのよ。どうやったって年の差は変わらないのにね」

 鼻の奥がつんとして、視界がぼやけた。

「よしっ。今日はとことん飲もう。取って置きの葡萄酒を持って来るわ」

 義母が部屋を出ていった。彼女のこういう優しさを感じるたびに、この家に来られて良かったとつくづく思う。

 数年前に比べて肉が落ち、すっかり大人になった夫の頬を撫でる。小さくうなり声を上げ、ショウタのまぶたが開いた。

「ねぇ、どうしてわたしを好きになってくれたの?」

 夢うつつのショウタに、小さく尋ねた。

「……いつもは怖いのに、笑ったら可愛いんだよね、マチちゃん」

 久しぶりにちゃん付けで呼ばれて、少し照れてしまった。思い返してみれば、わたしがいくら怒鳴っても、小さかったショウタはいつも側にいてくれた。

「それじゃあ、ずっとショウタの隣で笑ってるわ」

 まだ、半分夢の中のショウタは、子供の頃と変わらない無邪気な顔で笑った。


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