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五章 その壱

 もともと体力があるからか、スオウの体調は一晩で回復した。朝一番にサツキが緊張しながらスオウの部屋を訪ねると、いつも通りに支度を済ませたスオウとコハクがいるだけで、昨夜の女性はいなかった。彼女のことを尋ねても、おそらくスオウは答えてくれるだろう。しかし、聞いた自分の方が困惑してしまいそうで、サツキは結局何も言えなかった。

 宿で朝食を済ませ、いつも通りにシオリの家に向かう。その道すがら、サヨの手を引くマチと行きあった。

「おはようごさいます。マチさんにサヨちゃん。こんなところでどうしたんですか?」

「おはよう。ショウタにいちゃんと、いっしょだったの」

「昨夜はサヨちゃんを家に泊めたんです」

 サツキが帰った後、突然シオリが熱を出した。マチは看病のためシオリの家に泊まると申し出たのだが、「寝ていれば治るから、サヨをお願い」と固辞されてしまったという。仕方なくマチは、迎えに来ていたショウタと共に三人で帰路につくことになった。

「そうだったんですか。ということは、シオリさんは今、一人なんですか?」

「そうなんです。薬もあるし、一人でゆっくり眠った方が早く治るって言って」

「心配ですね、早く行きましょうか。──何してるんですか、スオウ?」

 いつの間にか、スオウはサヨを肩車していた。小さい手に前髪を掴まれて、珍しく額が見えている。

「『雲に触れる?』と聞かれたから、試してみるといい、と」

 サヨは曇り空を見上げ、左腕を一生懸命に伸ばしている。それに夢中になって髪を掴んだ手に力が入り、スオウの顔は痛みに歪む。

「さわれないねぇ」

 雲を触るのは早々に諦めたが、肩車を気に入ったサヨは降りることを拒み、スオウはそのままシオリの家に行くことになった。


 家に着いたマチとサヨは、玄関から寝室に直行した。その間にスオウは雨戸を開け、明かりと風を家の中に入れる。さっきよりも雲が厚くなってきていた。夕方には雨が降り出すかもしれない。

「熱は下がったみたいです。わたしは、シオリ先生の食事の支度をしますので、サヨちゃんをお願いします」

 居間に顔を出したマチは、それだけ言って台所に行った。

「掃除をしたら雨が降る前に外に行くか」

 スオウの言葉でそれぞれが行動を始めた。サヨはサツキと掃除道具を取りに行き、コハクは縁側から庭に下りて腹を土にべったりと付けて伏せ、時折寝返りを打つように転がっている。井戸に水を汲みに行こうとしたスオウに、コハクが声を掛けた。

「足元に気をつけるんだよ」

「サツキじゃあるまいし、大丈夫だよ」

 コハクが何故そんなことを言ったのか気にはなったが、いつもの気まぐれだろうとスオウは直ぐに忘れてしまった。


 散歩も兼ねてスオウたちは日に一度、目抜き通りに向かう。最近ではほとんどの商店から声が掛かり、サヨやサツキが応えている。初めてお使いをしたときに比べ、サヨは物おじせずに大人たちと言葉を交わしていた。

「サヨちゃん、栗食べる?」

「たべる! いくらですか?」

「いいんだよ。うちの旦那が拾ってきたものだからあげるよ」

「ありがとう、おばちゃん」

 買い物籠に栗を山ほど入れてもらい、サヨは上機嫌だ。今日は豆腐と昆布を買いに来たはずなのだが、それ以外の物でサヨの籠が一杯になっている。

 買い物を済ませ、小道の入り口辺りに差し掛かったとき、血相を変えたコウジが山の方から駆け寄ってきた。

「サヨ、おまえの、母ちゃんが!」

 サヨの肩を掴み、弾む息を懸命に抑えようとしている。

「かあちゃんが、なに?」

 まだ息は整っていないが、唾を飲み込んでコウジが言葉を続ける。

「今すぐ、サヨの家に行くぞ」

 コウジがサヨの手を取り駆け出した。スオウたちも後を追う。

「あなたたちそんなに慌ててどうしたの!」

 縁側から飛び込んできたサヨとコウジに、留守番をしていたマチは驚く。さほど間を空けず、後続組も帰ってきた。

「サヨの母ちゃん、いる?」

「当たり前じゃない。寝室で寝てるわよ」

「じゃあ、あれは誰なんだ?」

 動揺をあらわにしているコウジを落ち着かせようと、スオウの提案でひとまず全員居間に上がることになった。


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