四章 その参
「恩恵が、減っている……。あまり考えたことはなかったですね、正直」
央乃室から本宮までは、馬を歩かせたとしても十分かからない。ヤマトの息抜きが必要だと考えたサトルは腹心の部下に指示し、事前に安全を確認した人が寄りつかない場所で馬車を止めさせていた。
「おまえは、あまりそういうことに興味をもたないからな。家族と馬がいれば充分なんだろ?」
「さすがに金とかも欲しいですよ、おれだって」
ヤマトが声を上げて笑い出す。彼が笑顔を見せるのは、自分を含めてたったの四人だとサトルは知っていた。王になった頃からヤマトは人として大事なものを手放していっているように感じられて、サトルは悲しかった。
笑いを収め、王の顔に戻ったヤマトが話を戻す。
「宝石や木材の産出量だが、今までは年ごとの変化は多少あったが、ほぼ一定だった。だが、二十年ほど前から緩やかにだが減少傾向にある。もともとが取れすぎなくらいだから気付きづらい」
ヤマトは深夜まで各部署から上がってくる報告書に目を通している。だからこそ気付いた変化だろう。
「あとは王家の寿命。普通は七十まで生きれば長命と言われるところを、だいたい八十くらいまで生きる。過去には百歳を迎えた例もある」
これはサトルももちろん知っていた。王家の血を持つ者だけでなく、外から嫁いでくる正室まで長命になるのだ。
龍玉国では王・王太子・王の正室・王太子の正室を王家、王・王太子のきょうだい及びその家族を王族としている。側室を持てるのは王と王太子だけで、側室は王族には含まれない。
「それが、祖父は五十、父は三十四、母は十九、兄に至っては十四で死んでいる。もっとも、兄が死んだのは事故だがな」
ヤマトの実兄──当時、王太子だった彼の死因は事故としか発表されておらず、詳しいことはほとんど知られていない。
ヤマトの言葉が途切れた。父や兄のことを思い出しているのか。それとも、簡単に言葉にはできない不安をこれから告げようとしているからなのか。
「……さしあたって一番の問題は、龍の花嫁だ。花嫁候補は通常、五人から十人。父には八人いたらしいが、兄とオレは三人だった」
「おれは四人でしたね、確か。今ちょっと思い付いたんですが、隣の秋津国からの移民の家に花嫁候補が産まれたとしたら、子供を国に差し出すでしょうか? あるいは、反対に秋津国に移ってから産まれたとしたら……」
「可能性としてはあるかもしれんが、まだそれほど多くない移民に生まれる確率は、かなり低いだろうな」
今までは調べられてこなかったが、龍の花嫁が生まれるのに規則性はないのだろうか。何らかの条件を満たせば生まれるとすれば──。
「調べてみる必要がありそうですね。それも早急に。アキラにもやらせてみるか」
「アキラか、元気にしてるか?」
「相変わらず人形みたいですよ。小さい頃はもうちょっと我がままで可愛かったのに」
サトルにとってアキラは自分の子供のようなものだ。軍人にするつもりは無かったのだが、彼の知らない間に守王軍に入り、王家の警護隊に配属されていた。
王城には、人形のようだと称される人間が二人いた。一人はアキラで、表情も感情もほとんど動かないところからそう言われるようになった。もう一人は龍の花嫁に関する事務を担当する月氷司の責任者、司頭のスミレ。彼女の場合、五十を過ぎた今でも変わらない美貌と妖艶さを表してそう呼ばれる。
「人形と言えば、スミレ様は前王の花嫁候補でしたよね?」
「そうだな。儀式で選ばれず、その後月氷司に入って次代の花嫁候補の世話係をしていた。それがどうかしたか」
「花嫁に選ばれなかった候補は力を失うんですよね? 途中で失う人がいるのなら、途中で力を得る人がいても良いんじゃないかなぁ、と」
突拍子もない異母弟の言葉に、一瞬呆れた顔をした後、ヤマトは吹き出す。
「それは考えてみたこともなかったな。目の色が途中で水色に変わったら、本人が一番驚くだろうな」
「それはそうですよね。でも、どこかで見たことがあるような気がするんですよ。目の色が変化した人を」
記憶力の悪くないサトルにしては、随分と曖昧な話だった。断言できるほどの明確な変化ではなかったのだろうか。
龍の花嫁は鮮やかな水色の目をしている。外見での唯一の特徴であるその目を隠すのは容易ではない。実際に後天的に水色の目を得た人物がいたとすれば、見つからないのはおかしい。
「ちょっと思い出してみます。──カズサ様はどこかお悪いんですか?」
「いや、具体的に何かを患っているというわけではない。心の不調が体に影響しているようだ」
ヤマトの龍の花嫁であるカズサは、生後間もなく王城に来た。とてもおとなしく人見知りな性格で、他の花嫁候補とは距離を置いて一人で過ごしている時間が多かった。花嫁の力は歴代でも屈指の強さだが、その精神的な弱さから、龍の花嫁の重責に耐えられるかと危惧されていたが、やはりその通りになった。
会話は途切れ、聖域の森の方から鳥の声が聞こえてくる。その声は今も森で眠っているという龍にも聞こえているのだろうか。
「龍が目覚めたらこの国はどうなるのだろうな」
この問いに答えられる者は世界中を探してもいないことを判っていたが、ヤマトは口に出さずにいられなかった。
◇◇◇◇◇
マサトは結局、あのまま眠ってしまった。アキラは羽織を掛けてやり、マサトの私室から離れた。警護兵に警戒を強めるように伝える。自惚れでも何でもなく、自分が側にいればマサトに危険は及ばないとアキラは確信していた。周囲にもその実力が認められたからこそ、王太子の補佐官と筆頭護衛官を任せられたのだ。
アキラが廊下を歩いていると、女官たちが声を潜めて話をしている姿をたびたび見かける。時折視線を向けられるので、内容はアキラのことなのだろう。
人から距離を置かれているのには、気付いている。必要最低限のことしか話さず、感情は見せない。常に伏し目がちで、人と目を合わさない。白い肌に灰色の髪と目。眉は細く短く、切れ上がった目とは反対に口の端は下がっている。
言動や見た目が原因だと解っているが、アキラは無理して変えてまで周囲に好かれたいとは思わなかった。
──人間ではなく、雪の化身か何かなのでは? 殿下も護衛官がこれでは凍えてしまわれるでしょう。
マサトの護衛中に、ある貴族に言われたことがある。アキラはさほど気にしていなかったが、意外なことにマサトの方が反応した。
──幼い頃、守王軍総帥がかまくらを作ってくれたことがあった。冬の風から守ってくれて、中はなかなか暖かかったぞ。
アキラは五歳のとき、天災で両親を亡くした。災害の後処理が最優先で、周囲の大人たちはアキラの引き取り手を探す余裕がなかった。そのとき偶然にもサトルが隣村に滞在していた。馬が好きな彼は、身分を隠して個人的に買い付けに来ていたのだ。天災の情報を聞きつけたサトルは直ぐに駆けつけ、後処理の手伝いをしているときにアキラを見つけた。両親以外に身寄りはなく、村人たちも家族や家財を失った者が多かった。サトルは村長と相談して自分が引き取ることを決め、アキラを王城に連れ帰った。
王城に来た年の冬、親を亡くし環境ががらりと変わったアキラを元気づけようと、サトルは大きなかまくらを作った。そこに遊び相手として連れて来られたのがマサトだった。当時のアキラはマサトが王子だということも知らずに雪玉を投げ合って遊び、かまくらの中でサトルの妻が作ってくれたお汁粉を食べた。
アキラにとっては良い思い出だったが、マサトも覚えていたとは思わなかった。アキラはそのときに決めたのだ。サトルとマサトのために生きる、と。
王子宮から出ると、ちょうど太陽が雲から顔を出したところだった。守王軍の本拠地である蜂乃巣に向かおうと馬に乗る。何気なく空を見上げると、また太陽に雲が掛かろうとしていた。
日差しを浴びたアキラの灰色の虹彩が、きらりと水色に光っていた。




