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道路は雪が降り始めてから人一人、車一台通らなかったのか、冬華さんだけの足跡が細々と僕の目の前に伸びている。僕は急ぎ足で雪を踏みしめ、軋むような音を響かせながら、ようやく冬華さんに並んだ。思ったよりも彼女の歩行速度は速く、急ぎ足でここまで来たせいか、玄関を出る時は寒さで震えていた僕の体はすっかりと温まっていた。
追いついた僕に気付いて居ないのか、僕の横では携帯のボタンを押す効果音が延々と一定のリズムを刻んでいた。夜の闇の中で携帯のライトは冬華さんの顔だけを極端に浮き上がらせる。メールを書いているのか慣れた手つきで携帯を弄っていた。
「もーさぁ、別に良いって言ってんじゃん」
呆れた顔をしながら携帯の送信ボタンを押し、パタンと折りたたむと無造作にポケットへ突っ込んだ。
「でも、ハカナを助けてくれた人ですから」
「ははっ。アンタは律儀だねぇ」
「所で急にどうしたんですか? ハカナも言ってたけど、もう少しゆっくりしてても良かったのに」
「んー。夕御飯作らなきゃなんなくてさ……」
「ええ? 冬華さん料理出来るんですか? 」
「は? 何だその言い方? 」
「いえ……あのー、すいません……何かそう言う事余りしないのかなって……思ってたんで……」
「ばっか。アタシだって腹が空いたら飯くらい自分で作るさ。って、そうじゃ無くて今日は特別なんだよね……」
冬華さんは少し照れてようやく続きを口にする。
「今日はお母さんの誕生日なんだ。いっつも遅く帰ってくるから、それまでに何か美味しい物、作ってあげたくてさ」
「へぇ……」
「あっ!でも、この事誰にも言うんじゃないよ!? 」
「はい」
「んー。なんつーか、アンタと居ると調子狂うよ……」
「そうですか? 」
「ハッチもだけどさ……本当は……普通の高校生ってさ、そんなんなんだよね……」
その目は遠くを見ながら、とても僕より一つ年上とは思えないような、取り戻せない何かに想いを馳せるような目をしていた。
「んー、冬華さんも高校生じゃないんですか。普通の」
「いや、そうじゃなくてさ、何て言うかな……」
「違いませんよ。少なくとも、僕にはそう見えるけど、んー……あえて言うなら、手芸が異様に上手い所……ですかね? 」
「いやーこれはさ、小さい頃からやってきたもんだしね」
「いや、でも、凄いですよ。そう言う意味では普通じゃないかもしれないけど……」
その言葉に冬華さんは苦笑いをした。
「さんきゅ……」
クシュン……可愛らしいクシャミをこぼす。
「それにしても今日は寒いね……」
確かに、今日の様な天気にマフラーと手袋だけで挑むのは余りに酷だと彼女の格好を見て思った。僕は着ていたハーフコートを黙って脱ぎ、横を歩く冬華さんに羽織らせる。少し驚いたのか、一瞬ビクリと肩を動かす。手の平を乗せた肩は思ったよりもずっと華奢で、寒さの為かほんの少し震えていた気がした。
正直、こう言う行動は、本当ならロマンチックな場面こそ栄える物なんだろうけど、僕にはそんな事は思いも寄らないし、考えてもいなかったのだが、あまりにもか細く、寒そうな背中に何故か無性にそうしてあげたかった。
「これ、使って下さい」
「は? 」
「ちょっと大きいかも知れませんけど」
「別に、気にしなくて良いのに」
言いながら、イソイソとコートに袖を通す。何だかんだ言って寒かったに違いない……
「いや。気にしますって」
「アンタ寒くないの? 」
「僕は寒いのあんまり気にならないんですよね。頭が冴えるし、むしろ寒い方が良いって言うか……」
「はぁ……アンタ変わってるねぇ」
「それ。褒め言葉って知ってました? 」
「そうなんだ? 」
「……僕みたいな何の取り柄もない人間が、変わっているって言われた事は、それだけで少し存在する価値が増える様な気がするんです……って、まぁ、友達の受け売りなんですけどね」
「まぁ、アンタぱっとしないしねぇ。それにしても、何か寺で説教でも聞いているみたいだわ」
冬華さんは失笑しながらも、納得が行ったように頷いていた。
「当たり!実家が寺の露庵って友達がいるんですけど、そいつ見た目の割に妙に説教臭い事言うんですよね」
「その子ってさ、ろーすけ、とかって呼ばれてたりする? 」
「あれ? もしかして知り合いですか? 」
「あ……ああ。うんチョットね。それよりさ、彼の事、もう少し聞かせてくれない? 」
興味を引かれたのか、元から興味が有ったかは兎も角として、見慣れてしまっている友人の良い所を大げさに宣伝しようにも、何が良い所か思い浮かばない。最初は鼻についていた行動も馴れてしまって、良く無い事でもポロッと口から出てしまいかねない。僕は少し考え、ある程度言葉がまとまった所で、友達になった経緯から話す事にした。しかしながら……知り合ってから早数年、今までに無かった展開に、他人事ながら否が応にも期待してしまう。
「ロースケですかー。中学の時から一緒に遊んでたんですけど、あんな風に髪が金髪になったり、ピアスを沢山付けたりってのは高校に入ってからなんですよね」
「高校デビューってこと? 」
「デビューかどうか知りませんけど、家の跡を継ぐとかそう言うので親と揉めてたんですよ。何て言うか反抗の意思表示ってやつですかね」
「ふーん」
「今でもあまり家の人と口聞いてないみたいですけど……」
「ろーすけ君も複雑な訳かぁ」
「今でも家に居づらい時は僕の部屋に泊まりに来たりしてますよ」
「へぇ? 男同士? 二人で? なにしてんの? つーか、むさ苦しいよね? 」
興味津々な顔をして更に続きを迫る。僕としては、何をしているかと言われても、全く思い浮かばない。それに、最初は女子として意識していなかった冬華さんに対して気を遣うと言うか、言葉を選んで話す度、妙に疲れる。
取り敢えず、嘘を言ってもしょうがない……ありのままに僕は話すことにする、が、問題は恐ろしく退屈な内容に、彼女が耐えきれるかどうかだ。
「んー……と言っても、ゲームやったり、僕の部屋に来ても全く口開かない事もあるし……漫画ひたすら読んでたりとか……」
「そんだけ? 」
この人は何を期待して聞いたのだろう……
「そんだけ? って、冬華さんの期待する様な事はないですね」
「は? アタシ何も期待してないんだけど」
「……まぁ、ろーすけに関しては家は割と自由ですよ。勝手に上がり込んでて、僕が帰ったらゲームやってる時もあるし、気が済んだら勝手に帰って行くし、ハカナもそこら辺分かっててご飯とか準備してるし」
「へぇ……アンタの家って大らかだねぇ」
「そうですか? でも、そんなもんじゃないですかね? 」
「アタシだったらさ、ぶち切れてるね」
笑いながら言った。
「だってさ、プライベートな空間じゃん。それを容易く受け入れるとかってアタシにはとても出来ないね」
確かに最初はその通りだった。だけど、それが何度でも続くと嫌でも順応してしまう。特に僕の場合は、環境適応能力だけは物心つく前から、祖父に色々されて鍛えられているらしい。内容を特に覚えてはいないが、虚神(うろがみ)家に伝わる教育方針らしく、ハカナもまた例外ではない。でも、それ以前に、何よりもロースケが僕にとって大切な親友であると言う事が一番大きい。
「ははは。でも僕等付き合い長いですから」
「へぇ……男同士っていいね……」
「まぁ、お互いあまり気にしてないだけですけどね」
「んじゃあさ、ロースケ君の色恋沙汰とかそう言う話はしないわけ? 」
「ああ……アイツ、何て言うか、今の所連敗なんですよね。顔が悪いわけでも無いのに、悪いのはタイミングとかそう言う空気の読め無さというか」
「ははっ!それ、アンタも同じだよ」
「僕は……なんて言うんだろ、分からないんですよ……恋とかそう言うの」
「ふーん」
「なんて言うか……」
「あっ。ここで良いよ」
話しかけた言葉を遮る様に、冬華さんはそう言って話を閉じた。
川沿いの堤防から道路一本を挟んで、洒落た外観の二階建てのアパートの前で、冬華さんは指をさす。一部屋辺りの広さは、一軒家に住んでいる僕にするとそれ程でも無かったが、中心街や駅へのアクセスは圧倒的に此方の方が良さそうだ。
「ここがアタシん家なんだ」
「あれ、意外と近かったんですね」
「うん。今日はチョット無理だけどさ、今度ハッチを連れて遊びにおいでよ。そん時はアタシの料理を披露してやるからさ」
「ははっ。楽しみにしてますよ」
「それじゃあ、ここで悪いけど、色々アリガトね!」
冬華さんは急ぎ足で階段を駆け上がると、振り返らずに手前のドアから部屋へ入っていった。僕は部屋の明かりがつくのを確認して踵を返す。カーテンを閉めようとした冬華さんが此方に気付いたようで、しきりに手を振っていた。
あっ……コート返して貰うの忘れてた……
帰路へ付いてまだそれ程歩いては居なかったので、引き返してコートを取りにも行くことも出来た、しかし、腹の虫がわめき立てる。一時は空腹を通り越し、気にならなくすらなったのだが、気が抜けると同時に何度も何度も腹の虫は鳴いた。
まぁいい。取り敢えずお腹が空いた、返して貰うのは明日以降でも良いだろう。それにしても思ったより話しやすい人だと思った。第一印象は最悪だったけど、人を見かけで判断するな、とは、自分でも言い聞かせているつもりでは居たのだが、意外に難しい。僕はそんな事を思いながら、取り敢えずは役割を果たした事だし、兎に角、夕食に早くありつきたいと少し歩く足を早めた。