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最果てのセカイ  作者: 喪須田 範太
巻ノ弐 蒼剣を抱く凍刻(ひょうこく)の桜
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桜餅

 店のドアを開けると、春の清々しい空気がベルの音と共に、店内に流れ込んだ。店に一歩足を踏み入れると、挽きたてのコーヒーと焼き菓子を焼いたばかりの様な香りに包まれる。バイトを休んでいたわけでは無いのだけど、この感覚は随分久しぶりの様な気がした。マスターは作りたてのショートケーキの生クリームをプルプルと震わせながら、ショーケースへ慎重に並び終えると、裏からヒョッコリと顔をだし、


「やぁ、おはよう」


 少し浮かれている様な声色でそう言った。僕は、改めてショーケースの中に目をやると、いつもなら数は多くないにしても、色とりどりのケーキが並べられているはずなのに、今日は何だか種類が少ないな……と、思いながらも、取り敢えずは新しい挨拶を口にする。


「おはようございます。マスター」


 最近、僕とマスターの間では、そんな挨拶が流行っていた。何でも、芸能界では昼夜限らずそう言うらしく、ウチもそれを真似てやってみようと言う事になったのだが、結構しっくりくる。まぁ、挨拶を変えてみたところで、相変わらず店が賑わう様子も無く、閑古鳥の鳴き声が聞こえてきそうな程に客は居ない。それとなく人よけの結界の事をマスターに話してみた物の、そんな事、あるはず無いよ。と、聞き入れられずそのままになっている。きっと、あの結界を解いたら繁盛するかも……と思うのに、試してくれそうな気配すら無いところを見ると、意図的にそうしているのかも知れないとすら思えてくる。要はさぼりたいのだと勘ぐってしまう程だ。


「それにしても、そろそろ桜の花が咲きそうだね。あんまりにも暇でさ、さっきブラッとそこら辺を散歩してきたんだけど、いやぁ、毎年の事とは言え、待ち遠しくなるよね」


 なるほど、ケーキの種類が少ないのは、春の陽気に誘われてサボっていたと言う訳だ。


「ええ?店、開けっ放しで出かけたんですか?」


 呆れながらそう言うと、


「ん?まぁ、そんな遠くに出る訳じゃ無いし、いいじゃない。偶にはさ」


 悪びれずにそう言ってマスターは笑う。マスターに何故そんなに桜の花が好きなのか尋ねると、照れもせずに「僕の妻も桜だからさ。妻の名前は桜を愛でると書くんだよ」と言って、幸せそうな表情を浮かべる。そんなマスターを見て、いつかは自分もそんな表情を浮かべる事が出来るのだろうかという考えが頭をよぎった。が、自分の恋愛の事について考えようとすると、思考が回らなくなる。微かに覚えている初恋の様な記憶は、風景も相手も、まともな像としてとらえる事が出来ない程にぼやけていて、なんだか、いけない事を考えている様で、変な罪悪感を抱きつつ、それ以上考えるのを止めた。


「僕ももう少し華やかな名前にして欲しかったです」


 そう言って無理矢理気持ちを切り替えるけど、一旦沸いた罪悪感の様なものは、消える事は無かった。


「ええ?いいじゃない世綱なんて、とても力強い名前だと思うよ」

「じいちゃんはそれらしい事言っていたけど……何だか世の中を綱渡りしてるような感じで、あまり好きじゃ無いです。今日も補習受けてきたし、なんか毎年ギリギリで留年を逃れてるって言うか……」

「世を繋ぐ綱のような太い男……だっけ?」

「えーっと……まぁそんな感じなんですけど……もう止めましょう……なんだか僕、惨めな気分になってきたんで……着替えてきます……」


 さっきまでの罪悪感よりも、惨めさに押しつぶされそうになった僕は、そう言って店の奥へ、そそくさと逃げ込んだ。


「あ、エプロン、愛桜が洗っておいてくれたから、とりあえず、何枚かはロッカーに入れておいたけど、無くなったら横の棚のカゴにはいってるから、そこから持って行ってね」


 そんな言葉を背中に受けつつロッカーを開ける。と、マスターが言うとおりアイロンがかけられたパリパリのエプロンが二枚畳まれて置いてあった。今日のエプロンは、ほのかに香る洗い立ての洗剤の香りが何とも清々しく、それが愛桜さんが仕立ててくれた物だと思うと、何だか上等な布で作られたエプロンを超えた何かにすら見えてくる。


いやはや……美人がしてくれた物はなんだって良い物に見えるから不思議だ……


 アイロンをかけている愛桜さんを想像しながら一人うなずく。


「ん?セツナ君、何かあったの?」

「え……どうしてですか?」

「何か、機嫌がよさそうだからさ……」

「あぁ……なんていうか……なんか、洗い立ての洗濯物って良い匂いがしますよね。幸せな気持ちになるっていうか……だからかな」

「……ん……そうだね……はははっ」


 マスターは笑いながら、つい最近仕入れた道明寺粉の袋を抱え、厨房へと向かう。厨房には食紅やら、去年漬けた桜の葉やら八重桜の漬け物やらが沢山並べられていて、それだけで何を作るのか一目瞭然だった。桜餅だ。

 結婚してから落ち着いて、自分の店を持った時に、自分の実家と愛桜さんの実家へ毎年送る事に決めたらしいのだが、思ったより評判が良くて、お裾分け分にもう少し、もう少し……と段々数が増えて今の様な、大量に作らざるを得ない状況になったらしい。まぁ、マスターが作る物なら何だって美味しいと言う自信はあるけれど――僕が作る訳ではないのに自信があると言うのも変な話だが――舌の肥えた名家である愛桜さんの実家がそう言って来るのは、やはり、この人がそれだけ腕が立つと言う証拠でもあるのだろう。

 唯一の問題は、この桜餅は店に出す物では無いので、一銭にもならない事だ。この人はそう言う仕事に限って、やる気を出すのでタチが悪い。その前にやる事があるのでは無いかと、ショーケースに目を向ける。やはり何度見ても、今日のラインナップは何時もよりも随分寂しい。厳選されたラインナップではあるが、洋菓子を売り物にしている店ならば、ショーケースの中は、宝石箱の様に様々な色や形の菓子が並んで然るべきでは無いのだろうか。いや、そうであるべきだ。

 そんな事を思いながらエプロンを羽織り、とりあえずはモップがけでも……と、掃除用具の入ったロッカーを空けると同時に、ドアのベルが鳴り響いた。暫くぶりの客に胸を弾ませながら、モップを一端その場へ置きカウンターへ急いだのだが、見た事のある面影に僕の足が止まった。


香那女先生だ……


 別にアルバイトを禁止されている訳では無かったのだけど、アルバイトのせいで学業が今一なのでは無いかとか、こんな事をしている暇があったら家で勉強していなさいとか言われそうで、先生の前に姿を見せるにはほんの少しの勇気が必要だった。


「あ……え……と……」

「あれ?セツナ君じゃない……もしかして……アルバイトですか?」


 先生は一瞬、驚いた表情をしてそう言った。まぁ、学校で積極的に動く事のない僕を知っていればこその反応だろう。


「えーっと……はい。去年の暮れから始めまして……その……」

「そう。早い内から社会を見て回る事は良い事だと思いますよ。他の先生はどう思っているのか分かりませんが、私としてはやはり……」

「あっ……と、先生。それよりカウンターに座りませんか?それと……今は硬い話は抜きで……」

「ああ……ゴメンなさい。どうしても癖と言いますか……それにしても、『あの』セツナ君が……へぇ……」


 香那女先生は、珍しい物でも見る様に、しげしげと僕を見つめながら、促されるまま席に着く。


「コホン!それでは、改めまして。いらっしゃいませ!ご注文は何にいたしますか?」


 取り敢えずは気を取り直して言ってみた物の、やはり何処か気恥ずかしい。


「うん。なかなか板についているじゃないですか。さっきまで補習を受けてたセツナ君とは別人みたい」


 僕が思ったよりもまともに接客出来ていた事に満足してか、先生は嬉しそうにして頷き、

手渡されたメニューを開いて、コーヒーの項目に指を走らせた。


「そうね……珈琲は、オリジナル……で……それと……うーん、これだけあると迷うわね……」


 真剣な表情ではあったが、学校で見る張り詰めた雰囲気ではなく、どちらかと言うと、ハカナや夏音がケーキを選ぶ時の雰囲気に近いと言った方が正しいだろう。学校では見せない楽しそうな表情を浮かべていた。メニューをめくっては戻り、又めくる。その繰り返しを何度か見て、僕は取り敢えずショートケーキをお勧めする。今さっき作られたばかりの出来たてのホヤホヤだ。この店のショートケーキは味が良くて評判だが、出来たては特に美味しい。生クリームは、きめ細やかでなめらかに、そして、スポンジの口当たりの良さとのバランス。出来れば空気中の水分を少しでも吸ってしまう前に味わって貰いたい逸品だ。鮮度が命とは、魚市場では良く聞くが、菓子店でもそれは言えるのかもしれない。――まぁブランデーケーキとかは例外としてだが――兎に角、この店の代名詞とまで言われるほどのショートケーキなら、大体の人の口には合うのでは無いかと思うのだ。


「そうね……噂になっていますし、それにしようかしら」

「了解しました。マスター!ショートケーキと珈琲のオリジナル入りました」

「はーい」


 マスターの返事に会わせて僕はヤカンをコンロに乗せる。最近では目分量でも水の量を外す事は殆ど無くなった。お湯が沸くまでの時間だって大体予測がつく。一時期スランプに陥ってたけど、最近はそれを乗り越えたせいか、調子が良い。きっと先生には美味しい珈琲を入れて上げる事が出来るはずだ。と、目を上げた先の先生の表情を伺う。

 思わず僕は驚いて、手を一瞬止めてしまった。その表情は何時もの先生らしい、凛としたものでは無く、今までに僕が目にした事の無い顔だった。喜びの中に寂しさか悲しみの様な感情がうっすらと陰を落とした様なその表情に、何故か僕は目を背けた。


「えっ……嘘、今の声……」


 先生がおもむろに呟く。


「はいっ!お待たせ……あれ?カナちゃんじゃない?カナちゃんだよね!」


 マスターの口から思いも寄らない言葉を聞かされる。


「えっ!あっ!春瀬先輩!お久しぶりですっ!」

「やぁ……いやいやいや……久しぶりだなぁ。どう?元気にしてた?」

「はい。今でも何とか教師を続けています」

「そっかぁ……でも、カナちゃんが先生なら僕が授業を受けたいくらいだよ」


 マスターがそう言って笑っているのとは裏腹に、表向き笑っている先生の表情は僕から見ると、どうしてか、見ているこっちの胸が締め付けられる程、とても切なく見えた。


「そう言って貰えて光栄ですけど……私なんてまだまだ……」

「いや、僕が保証するよ。カナちゃんは昔から教え方が上手かったからね。例え今はそうでなくても、きっと良い教師になるはずさ」


 懐かしむ様にマスターは言った。先生があんなにも熱心に教鞭を振るっているのは、多分、昔に同じような事を言ったマスターの存在があったからなのだろう。


「はい。がんばります。それにしても何時から此方にいらしてたんですか?」

「えーっと、何時店を開いたか……って事?」

「ええ」

「んー……もう七年か八年になるかなぁ……カナちゃんは何時からこっちにいたの?」

「はい、三年前に転勤してきまして」

「うんうん、そっかぁ……」

「あの……愛桜さんはお元気ですか?」

「うん。まぁ、実は病気の療養も兼ねてね……それでコッチに越してきたんだけど、その甲斐あってか、最近は随分調子も良いんだ」

「そうですか」


 いけないと思いつつも、僕は先生の話を聞きたい衝動に駆られ、聞き耳を立てていたのだが、そのせいでヤカンのお湯を吹かせてしまった。慌てて火を止め、飛び散らかったお湯を拭き取るが、香那女先生もマスターも、まだまだ未熟な僕をみて、微笑ましかったのだろうか、顔を見合わせて笑い合っている。折角良い所を見せようと思ったのだけど……まぁ、なかなか思った通りには行かない物だ。コーヒーを淹れ終えると、話に華を咲かせていた二人を尻目に、僕はBGMを取りに倉庫へ向かう。倉庫の中まで二人の楽しそうな笑い声が聞こえた。

 それから二人は一時間程話し込んでいた。僕はプレイヤーのCDを入れ替えた後は、二人の邪魔にならない様に、ずっと厨房で使用した調理器具の後片付けをするなりして時間を潰していた。と言うのは表面上の話で、二人の話に聞き耳を立てていた。悪いとは思ったんだけど、学校では生活感を殆ど感じさせない先生が、普段はどんな風にしているのか何て想像できなかったものだから、その姿が余りにも新鮮で、とても興味があったからだ。 だけど、会話の内容は、近況報告と、二人の共通の友人についての話や、あの時はどうだった……とか、そんな身内話や、僕がロースケやハカナとした事の無い内容の話で、正直あまり面白い物とは言えなかった。それを楽しい物だと理解するには、多分、僕が積み重ねてきた時間ではまだまだ足りない。残念ながら僕は子供だ。と言う事なのだろう。


「セツナ君、カナちゃ……じゃなくて……香那女先生が帰るからお見送り頼むよ」


 そのお呼びがかかるまで僕は厨房で暇を持てあましながら、大人な二人の会話を聞いているしか無かった。別にカウンターへ出ても良かったのかも知れないけど、それくらい二人が会話を交わす場所は特別な空間に思えて、多分、そう思えたのは初めて先生の華やいだ表情を見たからなのかも知れない。


「それじゃあ、セツナ君、頑張って下さいね」


 厨房に向けて、そう声をかけられる事で僕はようやくカウンターへと出向く。


「あれ?もう帰っちゃうんですか?」

「もう……って、随分話し込んでしまいましたし……」


 先生は、そう言って腕時計に目を落とす。


「あら……随分どころでは無かったですね……」


 と、申し訳なさそうな感じで微笑んだ。


「じゃあ、先輩も私の生徒の事、くれぐれもよろしくお願いします」

「うん。任せてよ」

「あっ……それと……先輩、忘れてたんですけど」

「なんだい?」

「昔、借りてたCDを返したいんですけど……後ほど、改めて挨拶がてら御自宅の方に伺ってもよろしいですか?」

「あっ、そう言えばそう言う事もあったね。うん。良いよ。愛桜もカナちゃんと会ったらきっと喜ぶと思うし」

「はい。では、後ほど」


 会計を済ませると、香那女先生は名残惜しそうに一度、カウンターの奥のマスターをチラリと見て、そして、何かを振り切る様に店を出た。その様子を見てしまった僕は、他人事ながら何故か胸が痛んだ。




 ハカナが店へ来たのは十六時に差し掛かろうとした時だった。


「こんにちわぁ」


 今日は早く終わりそうだと言いながら、時間になっても来ないので、何となく寂しく感じていた僕は、その声を聞いた途端、何とも言えない安堵感を覚える。僕自身が不安定な時、ずっと、何も言わず黙って側に居てくれた事があったのも勿論なのだが、そうした時間が少しずつ、僕の中で大きな支えになっていったのだろう。今では、こうしてバイト先に何度も顔を出される事を、疎ましく思う事も無くなったし、逆に今では居ないと物足りない感じさえする。

 ハカナはカウンターに腰掛けると、小さい溜め息をこぼし、それからお冷やで口の中を潤した。


「ん……っ、そう言えばカノちゃん、学校で見かけたよ」

「ああ、カノは先生の手伝いじゃないかな?帰り際にちょっとすれ違ったんだけど、愚痴ってた気がするよ。何で私が手伝わなきゃなんないのぉ!って」

「ふふっ……カノちゃん、先生に信頼されてるからねぇ……凄いよね……可愛くて……頭も良くて……」


 ハカナはその後も何か言いたげな表情で、お冷やのコップを所々テーピングがされた細く白い指がなで回す。


「あっ!ハカナちゃん。いらっしゃい!んん?ふむ……」


 マスターが挨拶をするなり、ハカナを値踏みする様な視線を投げかける。


「え?あ……えっと……」


 ハカナは困った表情を浮かべてマスターの視線から必死に逃れようと顔を背けた。


「ふむふむ……一ヶ月ぶりなのに、何か前よりも綺麗になったんじゃない?」

「あ……え、と、愛桜さんと色々相談して、ちょっとがんばろうかなって……」

「がんばる……ふむ……なるほど、僕の妻でよかったら何時でも相談してやってよ。愛桜、ハカナちゃんの事気に入ってるみたいだし、きっと喜ぶと思うよ。それにしても、女性は少しでも見ないでいると変わるもんだねぇ……」


 ハカナは愛桜さんの名前を出すと何故か顔が真っ赤になる。年明け早々、愛桜さんと初めて顔を合わせた時、余程衝撃的だったのだろう。まぁ、僕は毎回衝撃を受けている訳だけど……いや、それはどうでもいいとして、考えてみればあの時から何かが変わった様な気がしないでも無くない。強い憧れを抱いているのだろう。例えて言うなら、冬華さんが姉だとするなら、愛桜さんは好きなアーティストみたいな位置づけだろうか。いずれにしても、以前はなぜか年上の同性に対して自ら積極的に近づく事の無かったハカナにとって、悪くない傾向だと思うし、冬華さんの時と違って、しっかりした大人なので、付き合いが深くなったとしても、これなら僕も安心だ。


「マスター、ハカナは愛桜さんに憧れているんですよ」


 僕は妙に照れているハカナを弄ってやろうと茶々を入れてみる。


「あっ!ちょっと、せっちゃんてば!もぅ……」


 思ったよりも過剰な反応で、僕は思わずとまどった。ハカナのこういう反応は珍しい。


「ええ?恥ずかしがる事無いって。愛桜さん、とっても美人だし、理想を目指すって良い事だと思うけどな」

「う……うん……でも、何か恥ずかしいよぉ……私なんか……あんな人、みちゃったら自信なくなっちゃうよぉ……」

「ね、マスター?」

「う……うん。っていうか、何か僕も妻の事をそう言って貰えると嬉しいって言うか、気恥ずかしいって言うか……いやぁ、ハハハ」


 マスターの顔が緩む。全く、こういう反応をされると、この人は何処までも愛妻家だなと、何時も思わされる。こんな幸せそうな表情をみると、何だかうらやましく感じる。僕は何時か、そんな風に幸せな微笑みを浮かべる事が出来る様になるのだろうか。そんな事を二度考えずにはいられなかった。


「あ……あーっ……と、それよりハカナちゃん。今日は何にする?」


 マスターが微妙な空気に耐えあぐねたのか、話題を切り替える。


「うーん……あっ!どうせならこの際……あの……愛桜さんが好きなのって……」

「あ……愛桜かい?うーん、源さんとこの鬼瓦せんべいとか……」

「あ……あんなに堅い物をですか!」


 思わず僕は声を上げてしまうほどに、あの鬼瓦は堅い。とにかく堅いのだ。味は良いのだが、あの綺麗な顔立ちで鬼瓦をかみ砕いている姿なんて想像出来ない。


 それにしても愛桜さん……渋すぎだろう……


「良くテレビ見ながら一人でポリポリ食べてるけど……あと、白梅堂の和三盆とか……後は……」

「そうじゃなくて……その、マスターの作ったお菓子で何か好きな物を知りたいんですけど……」

「うーん……あ、そうだ。さっき出来たばかりの桜餅に、美味しい煎茶なんかどうだろう。桜餅は愛桜がレシピのテコ入するほど好きなお菓子なんだ。ハカナちゃん、玉露は大丈夫かい?」

「はい。でもどうして……」

「うん、僕の祖父が玉露を飲むと合わないらしくて、酔うらしいんだ。稀にそう言う人もいるからさ、どうだろうって思って」

「そう言う事なら、大丈夫です。でも、桜餅って、何か愛桜さんのイメージでいいですね。」

「うん、ケーキとかは余り口にしないけど、このメニューなら愛桜も喜んでくれるんだ」

「えっと……じゃぁ、お願いしても良いですか。桜餅」

「うん。ちょっと待っててね。今準備するよ」


 そう言ってマスターは厨房に入って、準備を始めた。店では使う事が殆どない高そうな和風の皿を二つ並べ、作られたばかりの桜餅を二つずつ並べ、皿の片隅には、鮮やかな薄紅色の八重桜の花が添えられ、皿の上が一枚の絵の様に華やいだ。

 差し出された桜餅に、ハカナは嬉しそうな顔で応える。僕の記憶が確かなら、道明寺で作られた桜餅は初めてのはずだった。


「へぇ……ちょっと雰囲気の違う桜餅かも……」

「ああ、うん。愛桜の実家は京都だから、道明寺なんだ。流石にこの店で出すのは長命寺だけど、愛桜はやっぱり慣れ親しんだ道明寺が良いって言ってたね。

それより、まぁ食べてみてよ。ほら、セツナ君も」


 僕達は促されるまま取り敢えず一口食べてみる。餅米の食感がプツプツと心地良い。食感が違うと味もまた違って感じるのがとても新鮮に感じられた。それに加えて、それを巻いている桜の葉も良い塩梅に漬かり、独特の風味と相まって口の中は一足早く桜が満開の様相を呈していた。口が甘くなったら付け合わせの塩に漬けられた桜の花をそのまま食べるなり、花をお茶に浮かべても美味しい。僕達は完全に言葉を失っていた。洋菓子だけだと思ったら、和菓子もしっかり作れるとは、流石だ……


「うーん……いいですねぇ……食感が違うと、こんなにも味の印象が変わるんですね……凄く美味しいです。僕は何時も食べてるのより、こっちのほうが好きかも……」


 僕が思わず漏らした言葉に、マスターは嬉しそうな表情で応えた。


「八重桜の花と葉は、愛桜が漬けてくれるんだ。塩は愛桜の実家がひいきにしている所から、梅酢は厳選した梅からとった物を使って、一年漬けてから、塩抜きをするんだけど、この味、絶妙な塩梅は僕じゃ上手く再現できないんだよねぇ。流石、実家が実家なだけに……って所かな。まぁ、愛桜もああ見えて好きな物には貪欲だから、桜餅を仕上げる為に、それ以外にも色々試行錯誤してたんだよ」


 味だけではない。きっと、これは桜の花への思い入れとか、大好きな人への想いが沢山詰まってて、だから美味しいのかも知れない。料理で一番大切なのは愛情……って、誰かが言っていたけど、多分、そう言う事なんだろう。僕も何時か、絵であれ、何であれ、こんな風に上手く何かを成し遂げる事が出来るのだろうか……。そんな事を考えながら、桜を浮かべた玉露を飲み干した。

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