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最果てのセカイ  作者: 喪須田 範太
巻ノ弐 蒼剣を抱く凍刻(ひょうこく)の桜
33/38

プロローグ

 天へ届くかと思われる程に伸びた竹が鬱蒼と生い茂る中、空気は重く、触れれば切り裂かれそうな程に張り詰めていた。僅かに夕闇がかった石畳の山道で向かい合う二つの影が重なり合う。傾きかけた夕日を背にしている剣士、虚神うろがみ 竜樹りゅうじゅは、立ち位置的には圧倒的優位の中、白鞘を構えるも、刀を抜けずにいた。


――隙が……無い……


 笹が雪の重さに耐えきれずにこうべを垂れると、白い塊が地面をならした。市女笠いちめがさをかぶった壺装束の女がゆっくりと顔を上げると垂れ布の下から、天狗の面が竜樹を睨み付ける。竜樹は、名門、虚神家の現当主だけあって、剣の腕は他の追随を許さない程に腕は立つ。が、それがどうだ。只、突っ立っているだけと思われる人間に、剣を抜く事はおろか、動く事すら出来ずにいる。そう。竜樹は相対した瞬間、己の力量と相手の力量に圧倒的な差があることは既に理解していた。にも関わらず、竜樹は引くことをしなかった。勝算など、どう見積もってもあろうはずも無い彼女の足をその場に留めさせたのは、是が非でも自分の子供達を守らなければ……その一心。

 いや、あえて言うならば、それと同じ程、武人としての血が彼女との戦いを望んだからなのかもしれない。

 竜樹は覚悟を決め、腰を深く落とし、足腰にためを作る。応じて、天狗面の女は市女笠を後ろに放り投げると、柄に手を掛け、その刀身を鞘からゆっくりと引き出した。それは、宝飾にまみれ、悪趣味な金欲の権化とも言える鞘からは想像もつかない程、清廉と言うに相応しい直剣。一点の曇りもなく、薄く青白い光を放ち、反りの無い刀身は、凛として竜樹の前に立つ天狗面の女の姿に通じる物が有った。

 天狗面の女が剣を抜き終わり、切っ先を竜樹へと向けると僅かに空気が揺らぐ。それと同時に膨れあがった気迫に、竜樹は気圧され、先制を仕掛ける為に踏み出した足を僅かに引いた。が、これは間違いでは無かった。竜樹が足を引くと同時に、天狗面の女が手にする、くうをも切り裂きそうな刃は文字通り、くうを切り裂き、女を中心に、円を描く様にして一帯の竹が、今さっき腰を下ろしていた場所から滑り落ち、切り口を地面に突き立て、音を立てながら倒れ雪煙が立ち上る。そして、竜樹の着物の裾の端がハラリとほつれ、草鞋の鼻緒が大きく毛羽立った。

 始めは何が起こったか分からなかった竜樹も、頭の片隅にある文献の一文を思い出し、今の状況を改めて理解すると頬を冷たい物が流れ落ちるのを感じた。虚神家に伝わる刀の『村雨』、それに対を成す直剣の『叢雲』、まさかこのような形でまみえるとは想像だにしていなかったからだ。それに加え、それを振るう者の実力。刀身が鞘に触れること無く、針の先程すらぶれない抜刀、微塵も乱れる事のない真円を描きながら切っ先を向けるその太刀筋は、竜樹から見ても神業の領域だった。そして刀を抜くと同時に解き放たれた甚大な妖気。人であって人では無く、禍ツヒトの様でいて禍ツヒトではないこの者の力。如何様にしてそれを隠し、潜んでいたのか想像だにできぬ程に強大な妖気は、それらの影響を受けないはずの竜樹の皮膚をもヒリつかせた。


「三十三代目、鬼一法眼きいちほうがん。参る」


――なっ!鬼一……方眼……ッ!


 竜樹はその名前を聞かされた事で、一瞬出遅れ、先に動いたのは天狗面の女だった。鋭さは感じないが、雪の上に足跡を残す事無く、流れる様な足取りは、懐に潜り込むような勢いで、一気に距離を詰める。速度と移動距離が一致しない事に違和感を感じつつも、これを受けて竜樹が刀を弾き出した。速度、タイミング共に申し分無く、刀は天狗面の女を捕らえたかに見えた……が、次の瞬間、竜樹が驚きに目を見開く。

 斬撃に入る為、踏み込まれたはずの足は地面を蹴ることなく、『宙』を蹴り、切っ先が流れる方向へ女が飛んだ。そして、竜樹の刀の振り終わりと同時に更なる高みへと跳躍する。跳躍した天狗面の女は、刀身が産み出す空気の揺らぎを体に纏いながら宙で体を捻り、そして天のくうを『蹴』った。山鳴りの様な辺りの空気を振るわせる重低音と共に、天狗面の女は目で捕らえるのが困難な程の速度で弾け飛び、竜樹の背後を襲う。音と気配を頼りに竜樹は足を入れ替え、迎え撃つ体勢を作ると、天狗面の女は宙で横一閃、剣を振りながら大きく一回転すると、再び大きな轟音が辺りに鳴り響き、その場から姿を消した。


――これが……っ……八艘飛び(はっそうとび)!これ程の使い手が……しかし……


 そう思ったのも束の間、木々から落ちる細かな雪を切り裂きながら透明な何かが竜樹に向かって飛んでゆく。


――叢雲の刃……真空か!


 竜樹は目を見開くと、それが体に触れる瞬間、後ろ足で雪の上に弧を描きつつ、気配の方向に向かって、刀を鞘から弾き出す。赤い軌跡と共に雪煙が巻き起こり、耳鳴りの様な音が辺りに鳴り響く。その不快さに竜樹は一瞬、眉をしかめた。頬に幾つかの切れ目が走り、血がじわりとにじみ出る。


――来るッ!


 竜樹は宙空で巻き起こる雪煙の中に、刀を振り下ろしながら自分を目がけて飛び込んで来た天狗面の女を確認すると、身を躱しながら返す刀でその刃を凌ぐ。鉄の擦れる音が止むと、竜樹はガクリと膝を落とし、天狗面の女が振り下ろした剣は地面すれすれで、ビタリと、まるで精密機械の様に止まる。かすっただけのはずだった剣戟は途方も無く重く、それは受けた竜樹の手を痺れさせ、肩には激痛が走った。


――これが過去、私達の一族をほふってきた鬼の一撃……何という重さ……


 反撃の機会が出来たにも関わらず、動かない自分の腕に目をやると舌打ちをして僅かに下がって距離を置く。天狗面の女は優雅に立ち上がると、未だ続く耳鳴りの様な音を楽しんでか、深く息を吐き、その場で静止し、空を仰いだ。竜樹の背中に、赤いシミがじわりと広がる。


「流石……だね……私達の、闘争の歴史上、もしかしたら初めてかも……真空の刃を切っちゃうなんて……」


 天狗面の女は、歓喜に似た感情を思わせる声でそう言った。


「最後にあなたの名前を伺ってもよろしいかしら」


 勝利を確信したその言葉を言いながら、天狗面の女はおもむろにその仮面を取ると竜樹に向けて微笑みかける。まるで戦いと縁の無いような美しく、そして百戦錬磨を思わせる剣戟とは裏腹に、あまりにも幼い面立ち。その微笑みには何処か狂気に通じる物を感じさせた。そして、その顔を見てしまった竜樹は決着の時が近い事を知り、再び覚悟を決める。村雨を少し長めに抜いて鯉口を大きく鳴らしながら刀を納めると、竜樹の傷口から流れ出る血液が氷に覆われ、刀からは立ち上る刀気がより一層ふくれあがった。


「虚神家、四十五代目当主、虚神 竜樹。いざ、参る!」


 勇ましくも声高らかに名乗りを上げ、勝負に出た。血を凍らせ一応の止血はしたものの、傷の深さから、もう、自分に残された時間は無いに等しい。しかし、失血の影響が少ない今なら差し違えてでも天狗面の女を止められるかも知れない。そんな僅かな希望を込め、自らの血に濡れた手で、柄を握りしめた。


「竜樹さん。あなたのことは忘れないわ」


 天狗面の女がそう言うと、今にも鞘から刀を弾き出しそうな竜樹に向けてユラリと切っ先を向け、後ろ足を蹴り込んで竜樹に斬りかかる。それを受けて竜樹は差し違える覚悟をもって大きく踏み込み、鞘の中の刀を走らせる。それは彼女が今まで放ってきたどの剣戟よりも強く、早かった。村雨の刀身が描く赤い軌跡が夕日に溶け込み、完全に消えたかに見えたが、天狗面の女はそれでも微笑を浮かべたまま、その軌跡に飛び込む。


「見切ったり、虚神流……」


 いつの間にか竜樹の懐に潜り込んだ鬼一方眼を名乗る女が言うなり、その背後では凄まじい雪煙が巻き上がる。巻き上がった雪煙がおさまる頃、竜樹の膝がカクリと力なく落ちた。地面に倒れ込む竜樹の胸元から叢雲がズルリと抜け、止めどなく流れ出る血が真っ白な地面を赤く染めていく。天狗面の女が剣に付いた血を払うと、鞘に収めて竜樹を見下ろし、竜樹の瞳に輝きがまだ残っていることを知ると、天狗面の女は靜かに口を開いた。


「私が人をこの剣で殺めるのは、今生であなたが最後です。だから安心してお眠りなさい……」


 そう言って天狗面の女は踵を返す。


「私には……もう、時間が無いから……そっとしておいて欲しかった……それだけ……なのに貴方達は……」


 誰へとも無く、そう言い、僅かにその表情を曇らせた。


「竜樹さん……ごめんなさい……」


 誰にも聞こえないような震える小さな声で言った。


 再び女は天狗面を手に取り、その顔を隠す。


 そして一陣の風が吹き、後には竜樹の骸だけが残された。

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