表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最果てのセカイ  作者: 喪須田 範太
巻ノ壱 鈍銀(にびぎん)の杖を抱える者
32/38

エピローグ

 年が明け、三が日の最後に僕達は初売りで掘り出し物を探すべく街へ繰り出した。と言っても、僕が欲しいゲームソフトは取り敢えず半年先まで延期になっちゃったし、新しいゲーム機は流石に高くて、まぁ、ハカナは買って良いよと言ってくれていたけど、流石に何万円も……となると気が引けるのでやめておいた。とりあえず、そんな物よりも、冬華さんの件で尻ぬぐいをさせてしまったハカナへのせめてものお詫びとして、ハカナが欲しい物を優先しようと考えていた。それは冬華さんのお母さんだった人が経営している店でしか手に入らない限定品で、家にいる時は必ずと言って良いほど、商品のカタログを手にしていたので、どれだけ冬華さんとそのお母さんのセンスがハカナの好みだったのかは、言われなくても分かっていた。

 店の名前は『アネモネ』、シンプルな店名だ。冬華さんがこのセカイから居なくなる前は、『ママズ・サンフラワー』だったらしい。今、僕達が存在しているこのセカイは、冬華さんが小学校六年の時、父親の暴力で殺された事になっているらしい。

 アネモネ……咲く時期と花言葉を考えるに、冬華さんの事を想って付けた名前だと言う事は何となく僕でも理解出来た。


 僕がどうにか出来ていたら……今頃は……


 実際は、華が開いてしまったらどうしようも無い事は過去、数百年の中で起こった幾千もの事例から、一度たりともどうにか出来た記録が無い事から、良く理解しているつもりだったが、それでも……と、そう思うと、悔しさと申し訳無さで僕はロースケにもハカナにも、そして、冬華さんの家族にも申し訳ない気持ちで一杯になる。


「ママ!並べ終わったよ!」」


 ようやく目的の店の前に立った僕等の耳に、女の子の元気な声が飛び込んできた。


 何処かで聞いたような……


 僕は、それが何処で聞いたのか思い出せないまま、ハカナに袖を引かれて店の中へと入っていく。カウベルの音が軽やかに響くと、色とりどりのキルトや女子が好きそうな柄のセーターやら鞄やらがセンス良くディスプレイされている様が目に飛び込んできた。ハンドメイドにも関わらず、かなりの量が展示されていて、全部が一点物の為か、他の洋服屋などとは何となく違った雰囲気だ。ハカナは目を輝かせながら辺りを見回し、何とも言えない表情を浮かべながらディスプレイされた商品を手にとっては、ぶつぶつ言いながら、その作りに感心していた。僕達に気付いた冬華さんの母親とその傍らにいた小さな女の子が此方の方を向くと、最初はかしこまった表情だった小さい女の子は僕の顔を見るなり、はにかみながら可愛らしい笑顔で微笑んだ。


「いらしゃいませ、泣き虫のお兄ちゃん!」


 はて……僕が女の子に泣き虫と言われる筋合いは……


「もぅ……あんな風に泣いちゃったら駄目だよ。風邪ひいちゃうよ?」


 僕は女の子の姿が、一瞬、冬華さんと重なった。そして、それと共にあの日、見ず知らずの僕の頭を撫でてくれた女の子の事を思い出す。あの時の女の子だ。僕は気恥ずかしくなり、人違いを装いながら、店内を見渡す振りをしてその女の子から目を逸らした。


「あれぇ?お兄ちゃん無視したりして、チョット気分悪いんですけどぉ!」

「こらっ!ふうちゃん。お客さんにそう言う事を言っちゃ駄目よ。すいません……折角来ていただいたのに、不快な思いをさせてしまって……」


 奥で冬華さんのお母さんが申し訳なさそうに頭を下げる。


「いえ……構いません。僕は……」


 冬華さんのお母さんの事を『ママ』って呼んだってことは、冬華さんの妹なのだろう。取り敢えずは苦笑いでその場を取り繕うが、正直、此所には長居をしたくない気持ちで一杯だった。しかし、まだ店に来たばかりの手前、ハカナだけを置いて店を出るわけにも行かず、僕は過去の経験(といってもいじめられていた時の事だけど)から、対処の仕方を考えに考えた。

 まず、この手の子には、弱みを見せてはいけない。見せたら最後、その弱みの事で延々と絡まれる……。そして、僕の場合は既に情けない姿を見られている。きっと、この子は僕の事をいじりたくて堪らないのだろう。無垢で純粋な、何かを期待している様な残酷な眼差しに、そんな予感がしたと言うか確信を得た。こう言う場合、余計に絡まれたくないなら気付かれないようにさりげなく逃げるに限る。僕は気配を殺しながら、悟られないようにして少しずつ後ずさった。


「あっ……こんにちは。少し見せて貰ってもいいですか?」

「あら?貴方は……この前の……どうでしたか?少し分かりづらかったかしら?」

「いいえ。おかげでマフラーも上手く仕上がって、持ち主も喜んでました」


 此処で言うマフラーとは確か、ロースケのマフラーの事だったはずだ。とりあえず一度はロースケにマフラーを渡したものの、ハカナはどうしても納得行かず、ロースケから無理矢理はぎ取って冬華さんのデザインに合うように作り直していた。えらく上手く仕上がったので、一体誰に教わったのかと思っていたんだけど、なるほど、冬華さんの母親から教わったのなら納得も行く。


「それにしても驚いたわ……私の編み目にそっくりだし、柄だって……何て言うか、私が好きなタイプの柄だったし……」

「そう……ですか……」


 ハカナの表情が一瞬曇った。


「それにしても……お姉ちゃん……パッとしない彼氏だよねぇ……」


 横から『ふうちゃん』が悪びれもせず、二人の会話に割り込んでくる。それを聞いた冬華さんの母親は顔を真っ青にしながらスイマセンと何度も僕に頭を下げた。正直、子供如きに僕の魅力を理解しろと言う方が無理だし……と心の中で強がってみたけど、やっぱりショックだったし、自覚していてそれを敢えて言われるのは相当に堪えた。


「ああん……もう!邪魔するなら、ふうちゃんは奥でお片付けしてなさい!」

「いえ……ぼ……僕は大丈夫ですので……それに僕、彼氏じゃないし」

「せっちゃん……声、震えてるよ……あと、笑い顔が引きつってて怖い……」


 僕がハカナの方を向くと、余程酷い顔をしていたのか、思わずハカナが吹き出す。立ち直れない僕は、ヨロヨロと店内のベンチへ腰掛けると、顔を両手で多い、俯いた。


 帰りたい。


「あああ……その……本当に申し訳ありません……躾が行き届いてないばっかりに……」


 奥で冬華さんの母親が申し訳無さそうにしているが、僕が謝って欲しいのは『ふうちゃん』の方だ。まったく、冬華さんにこんな所までそっくりだとは……。僕は俯いて大きな溜め息を付いた。


「ホラホラ、男の子は泣かないの」


 嬉しそうにして僕の頭を撫でる『ふうちゃん』は、悪気があってこんな態度をとっている訳では無い事は良く理解しているつもりだ。どんな仕打ちを受けても踏みとどまる自信はあるけれど、冬華さんとあまりに似ている独特の残酷さと、同じ位に純粋で、不器用な優しさは、何よりも僕の心を深く抉った。僕は救えなかった人の事を思い出して、目頭が熱くなっていた。だから、僕は滲んだ涙が引くまで、こうするより他に無かった。


「ああっ……もう、この子ったら……」

「放って置いても大丈夫ですよ……せっちゃんなら。それより、今日は初売りの広告を見てきたんですけど……」


 どうやら僕はハカナにまで見捨てられた様だ。


「もーぅ……お兄ちゃん、いい加減顔上げてよ。あたしも悪かったから。ゴメンナサイだから」


 僕は申し訳無さそうな声で言ったふうちゃんの言葉に釣られて思わず顔を上げる。


「あっ……もう……やっぱり涙目になっちゃって……もぅ……ホント、泣き虫さんなんだから」


 心配そうな表情で、そう言いながら僕にハンカチを手渡す。


「いらないよ……僕……別に泣いてなんかないし」

「そうそう、お兄ちゃんパッとしなくてお姉ちゃんに振られたら、あたしが彼女になってあげるから元気だせっ!」


 そう言って僕の横にちょこんと腰掛ける。


「あたし、『風華ふうか』お姉ちゃんとお揃いの名前なの。お兄ちゃんのお名前は?」

「僕?僕は世綱せつなっていう名前なんだ」

「へぇ、ロボットアニメの主人公みたいだね。顔に似合わず格好いい名前だと思うよ。そう言う事でよろしく!」


 やはり一言多い……


 この褒めているのか、けなしているのか分からない微妙なさじ加減と言い、正しく冬華さんその物だ。一つ違うのは、後からジワジワ効いてくる言葉を冬華さんが言っていたのに対して、この子の言葉は即効性だ。そして効く。何故か知らないが凄くへこむ。


「んっ!」


 風華が僕に手を差し出す。


 そう言えば『よろしく』だっけ……


 僕は差し出された小さな手を握ると、風華が嬉しそうに笑った。言葉はがさつでも、こういう子供らしい所を見ると何だか僕はホッとして思わず微笑み返した。

 悲しみに暮れている人に迷わず手を差し伸べる事が出来る優しさとか、何処か達観したかの様な物の見方とか、年相応の子供なら普通はそんな事はしないだろう。僕は世界が再構成される前の冬華さんの記憶を頭の中に住まわせているだけに、何故この子が見かけよりも大人びてしまったのか、容易く理解出来るだけに少し心配だった。だけど、この曇りのない笑顔を見れば多分、もう大丈夫なのだろう。この子の将来はきっと、幸せが沢山まっているのだろうから。


 そう思ったのも束の間だった。


 入り口のカウベルが乱暴に鳴り響き、爽やかだった店内の香りが酒の匂いにかき消されていく。僕の隣でさっきまでニコニコしていた風華は顔を青ざめさせ、小さく震えて僕の影に隠れる様にして小さくなっていた。庇うようにして風華の肩に手を回し、入り口に目をやると、なりは普通のサラリーマン風だったけど、やせているせいか、飛び出した目は血走り、異様にギラギラしていて、どう見ても正気には見えない男がそこにいた。僕は本能的に風華の肩に回した手に力を込めた。


「おぅこらぁ!元ご主人様のお帰りだぞ!」


 冬華さんの母親の顔は再び青ざめ、余程怖かったのか体をこわばらせつつも、ハカナに矛先が向かわないようにして厳しい声で言い放つ。


「貴方とは縁を切りましたし、私達に近寄ってはいけないと判決が出たじゃないですか。それに……あぁ……止めたはずのお酒まで……帰って!もうここには来ないでちょうだい!」


 凛として男の前に立ちはだかる冬華さんの母親はどれほど怖かったのか、それは、隠す様にして握り締める両拳が物語っている。男は、出て行けと言われた事が余程頭にきたのか、唇を振るわせながら怒りの形相を滲ませた。


「んだぁ……このアマァ!俺様にたてつく気かこの野郎!いいから黙って金を出せ!金を!」

「殴るなら殴りなさい!幾ら叩かれたって絶対に屈しない!あなたが冬華にしたことを私は絶対に許さない!」

「この……っ!」


 僕は男の振り上げた手に掴みかかる。とっさの判断だった。掴まれた男は酒のせいか、バランスを崩した途端にヨロヨロとよろめきながら派手に尻餅を着き、そして、僕はその上に派手に転んだ。


「こっ……このガキ……」


 僕の心臓が一つ高鳴った。


 この目……見覚えがある。


 男は倒れ込んだときに壊れて取れてしまったマネキンの腕を握り、ヨロヨロと立ち上がる。


「ぶっ殺してやる……このガキ……」


 倒れ方が悪かったのか、立ち上がる力が足に入らず、振り下ろされたはずのマネキンの腕が僕のこめかみを直撃する。甲高い音と共に、一瞬僕の意識が断ち切れた。男はそんな事もお構いなしに二度三度と僕を殴りつける。辛うじて四度目は防ぐことは出来たけど、それでも男は僕の腕を殴り続けた。手の甲の皮膚が破け、血が飛び散る。冬華さんの母親に静止されていたハカナがそれを振り切り、僕の所へ向かおうとしているのが両手の隙間から見えた。男は防御が硬いと悟ると、今度は僕の腹部を足蹴にする。


「ぐふっ……」


 治りかけたあばらがミシリと音を立て、再び折れるのを感じた。男がもう一度僕を足蹴にしようと再び足を上げる。と、その時、飛び出したハカナの手が届くより先に、僕の視界を小さな影が横切る。


「きゃっ!」


 甲高い声が店内に響き渡った。


 僕の心臓が再び高鳴る。


 奥底から得体の知れない黒い物が僕の中にわき上がる。


 殺す……ぞ……


 僕の中で誰かがそう囁く。


「お……お兄ちゃん……」


 弱々しい声に僕は正気を取り戻し、それと同時に風華が僕の身代わりになって蹴られたことに激しい怒りを覚える。


「けっ!風華かよ!邪魔だからどけ!このクソガキ!」


 僕にしがみつき、必死に震えを堪えている風華が、それでも僕から離れようとしない。


「そーか!そう言う事かよ!」


 もう一度僕達を足蹴にしようと足を振りかぶった瞬間、僕の横を黒い影が通り過ぎ、それと同時にドアを突き破って男が歩道へと吹っ飛ばされた。僕の目の前で拳を震わせたハカナが厳しい表情で男を睨み付ける。射竦められた男は、刃向かう気力を無くし、その場へ捨て台詞を残して去っていった。


「クソッ!次来た時は…おぼえてろよ……」


 その言葉が言葉だけでないと、僕の中の冬華さんが囁いた。


 この男はまた来る。必ず来る。そうなる前に……殺す……コロス……コロス……


「せっちゃん大丈夫?」

「ん……ああ……ほんのかすり傷だよ」


 僕は冷静を装ってそう言ったが、胸の奥底では何か分からない、怒りにも興奮にも似たイライラする感覚が未だに留まり続ける。


 コロス……コロス……イマスグ……コロス……


「それよりふうちゃんを見てあげてよ。僕はちょっと空気吸ってくるから……」


 そう言って振り向かず壊れた入り口から外にでて、店の脇にあるベンチに腰掛ける。振り向かず……いや、振り向けなかった。僕の顔は今、僕の中の冬華さんの感情を映し出していたからだ。どうしようも無くこみ上げる憎しみ、怒り、そして衝動、殺意……そう、殺したい衝動……分かっているけど抑えきれない感情が僕を飲み込む前に何とか頭を冷やそうと深呼吸する。だけど、気を落ち着けようとすればするほど、集中する僕をあざ笑うかのように、町の雑踏がやたら耳につく。


「うるせぇ……」


 誰かが僕の口を使ってそう言った。


 新しいビルの建設現場から金属を打ち付ける音が一際大きく聞こえる。パイルドライバーが規則的に打ち落とされる音、雑踏の音が頭の中をかき回し……そして……車のクラクションが僕の心の弾き金を引いた。




――鼻腔の奥をガーベラの香りが通り過ぎる。空が真っ赤に、燃えるように真っ赤に染まって、視界が一瞬ゆがんだ。さっきまで人混みでごった返していた街の人が一人一人、消えていく。最後まで残ったのは、千鳥足で歩く冬華さんの父親だけだった。


 まさか、こんな時に……いや、時間的にもおかしい。これは一体……


 マガツヒトの姿を確認する為に、遊歩道へ飛び出すと、そんな気配はどこにも無い。それでも嫌な予感に、僕は慎重に辺りを見回す。緊張の為か、鼓動が早鐘の様に耳元で鳴り響く、と、突如、胸の奥底から黒い塊が、僕の意識を押しのけて、糸を引きながら体から勢いよく飛び出した。衝撃で僕ははじき飛ばされ尻餅をつく。何が起こったのかと、慌てて体勢を整えると、目の前に見覚えのある人影が徐々に姿を現した。


「冬華さん!」


 僕は思わず声を上げる。黒い影がぴくりと声に反応し、僕の方へ顔を向ける。輪郭ごと闇に飲み込まれてしまったかのようなその姿から、表情を読み取ることは出来なかったが、異様に輝きを増している赤い右目に見下ろされて僕はあの時の恐怖心を思い出し、足がすくんだ。


「なんだこりゃぁ……」


 冬華さんの父親がようやく異変に気づいたのか戸惑い気味に辺りを見回している。

マガツヒトは手を掲げると、あの時と同じ形の銃が顕現し、掲げた手に握られる。


「いけない!逃げて下さい!」


 僕がそう叫ぶも、冬華さんの父親は全く気がつく様子はなく、そのまま千鳥足でトボトボと歩いて行く。マガツヒトは舌打ちをすると、つま先で軽く地面を叩いた。急に辺りの空気が冷え込み、マガツヒトの足下から地面を盛り上げながら何かが近づいてくる。直感的にその場から逃れようとした僕をみてマガツヒトが手をかざすと、一瞬、僕の体の動きが止まる。と、同時に地面から飛び出す凍えた茨が僕の両手両足を貫く。


「あああああああっ!!」


 思わぬ痛みに僕は思わず声をあげた。四肢を貫いた茨は体に巻き付いて僕の体を地面に貼り付ける。動けなくなった僕をみてマガツヒトは再び冬華さんの父親の方へ視線をむけた。


「アンタには悪いけどさ……あの子に……風華にまで手を上げたアイツ、やっぱゆるせねーわ。アタシ……」


 間違いなく冬華さんの声だった。冬華さんはそう言うと、あの時使っていた銃から垂れ下がっているコードの様な物の先端を赤い右目に差し込む。グチャリと嫌な音がした。そして、銃の先端を何の躊躇も無く冬華さんの父親に向けると、あっさりと引き金を引く。若干のタイムラグを経て冬華さんの父親がその場に倒れ込むが、まだ生きている。何が起こったのか分からないまま、目の前に転がっている自分の左足を見て、初めて冬華さんの方に目を向けた。


「いてぇか?クソオヤジ……いや、酒で麻痺っててわかんねーか、ハハッ」


 ゆっくりと冬華さんは父親に近づきながらそう言い放つ。


「クソッ痛てぇ……なんだテメェ……って……ふ……ふゆか……なのか……そんな馬鹿な……」


 冬華さんの父親は驚愕の表情を浮かべたまま血だまりを引きずって後ずさりをする。が、立ち上がることすら出来ない状況で逃げれる距離などたかが知れていた。冬華さんは自分の父親の前に立ちはだかると、しゃがみ込んで、ちぎれた左足の切断面に爪を立てて肉をえぐる。


「ぐああああっ!」


 耳をふさぎたくなるような音が街の静寂の中に響き渡った。


「アハハハハハ……良い声で泣くじゃねぇか!」


 聞き覚えのある言葉……冬華さんがそう言った言葉はかつて自分の父親に虐待されていた時の言葉だ。彼女がそう言ったのは勿論復讐の意味もあったのだろうが、何処かで彼自身がしたことを思いだして少しでも悔いて欲しいという気持ちもあったのだろう。

 そう感じたのは少なくともその時、その言葉に殺意を感じなかったからだ。


「こ……の……クソガキの亡霊が!今更何しに出てきやがった!」

「おめぇみたいな酒で脳みそがぶっ壊れたクソオヤジにでも分かるように、因果応報って奴を教えてやろうとおもってさ……わざわざ来てやったんだぜ?ありがたく思えよ」

「くっ!馬鹿な!くそ……これは夢にちがいねぇ!じゃなきゃこんな……んがっ!」


 そう言い終わる前に冬華さんは、強引に口を開かせて指を突っ込むと、バリバリという聞き慣れない音と共に突っ込んだ指を口から引き抜く。血に濡れた二つの白い小石の様な何かが摘まれていた。


「があああああっ!」


 冬華さんの父親は口を押さえて、むき出しの殺意を隠そうともせず、冬華さんを睨み付けながらその場にうずくまる。冬華さんは折った前歯を何事も無かったかの様にポイとすてると、父親の顔に血で濡れた指を拭った。


「どうだ?夢から覚めた気分は?さわやかな朝だぞー……っと、アハハハハハハ」

「こ……ころひてやる……」

「そうか……殺したいか……ふぅ……やっぱりダメだな。おまえは死ね。人間のくずが……」


 冬華さんがそう言い終わると、うずくまった父親の頭に銃口を突きつけ、直後、唐突に冬華さんの父親の頭部がぜた。冬華さんの指先は何のためらいも無く引き金を引いたのだ。力を無くしてその場に崩れ落ちた冬華さんの父親が血だまりに沈んでいく。痙攣していた指が動かなくなるのを見届けて、少しの沈黙の後に冬華さんは口を開いた。


「悪かったね……せつな。アタシ、もう出てこないからさ、許して……なんて言えないけど……ごめんな……強引に出てきたりして……」


 そういうと、冬華さんに張り付いていた黒いモノがハラハラと剥がれ落ち、あの日、最後にみた人だった頃の冬華さんの姿が現れる。それと同時に僕を縛っていた凍える茨が跡形も無くとけ落ちた。僕が体を起こすと、空の赤みは少しずつ晴れ、消えていた人混みがうっすらと浮かび上がる。


「どうしてこうなっちゃったんだろうね……昔は、こんなオヤジでも優しかったんだ……とっても……やさしかったんだ……」


 僕はその問いに答えられず、ただ俯いていた。


「……おとうさん……」


 背中から僅かに見える冬華さんの頬に涙が落ちた気がした。


「冬華さ……」


 声をかけようとした瞬間、急に辺りが騒がしくなり、いつの間に倒れていたのか、開いた目に飛び込んできた蒼い空があまりにも眩しくて僕は目を細めた―――




 最初に僕の名前を呼んだのはハカナだった。僕の頭の中は冬華さんの記憶と僕自身の記憶が混じり合っていて、自分がどっちなのか、どういう人生を送っていたのか、兎に角、酷く混乱していた。


「せっちゃん!」


 ハカナが何度もそうやって呼びかけてくれるたび、僕はその声だけを頼りに自分を再構成していく。目をようやく開くと安堵の表情と共に、少し潤んだ目をしたハカナの顔が僕の視界に入った。風華は僕とハカナを心配そうに、交互に表情を伺っている。


「は……かな?」


 僕がそう口を開くと、ハカナは何度か軽くうなずいて、それから、


「うん……」


 そう言った。

 意識が鮮明に戻ると、両手両足に感じていた痛みが全く消えている事に気がついて、凍える茨に貫かれ、穴が空いているはずの手を太陽に翳す。まるで何事も無かったかの様に僕の手は太陽の光を遮った。服も茨が擦れた跡は全く無かったし、アレは一体何なんだったのだろうと思いつつ、ベンチの上にゆっくり体を起こすと、少しふらついている僕を気遣ってハカナが支えになってくれた。周囲の状況が理解出来てくると、陸橋へ上る階段の手前に人だかりが出来ていることに気がつく。パトランプの赤い光がやたらに目に刺さるようで、僕は両膝に腕をおいて大きく息を吐きながら俯いた。風華は僕たちの様子をみて、ニヤリと意味ありげな笑いを浮かべると、ハカナに握っていたハンカチを渡して、店の中に戻っていった。


「急に目の前で男の人がバラバラになったって……言ってた……」


 ハカナは風華の姿が完全に見えなくなってから口を開く。


「ガーベラの香り……まだ残ってた……」


 その一言で、ハカナは全てを知っている事を悟った。

 魂の器になることがどういうことか聞かされていたし、その覚悟はあった。だけど、僕は容易く飲み込まれた。僕が抱く憎しみと、冬華さんが抱いて居た憎しみが同調して、彼女は、いや、僕が封印していたはずの力を抑えきれずに暴走させて彼を殺してしまったのだ。


「僕のせいだ……」


 ハカナが僕を見る目が不意に、『そうね……』と言わんばかりの悲しそうな感情を宿した。


「冬華さん……泣いていたんだ……僕は……彼女に自分の父親に手をかけさせたんだ……僕が憎いって思わなければ……冬華さんは……」

「せっちゃん……」


 僕の言葉をハカナが遮る。


「帰ろっか……」


 ハカナはそう言って立ち上がり、僕に手をさしのべる。僕はハカナがこれ以上、何も語らないことに少しだけ救われた。多分、心の隙を突かれたら何時だって暴走しかねないこの力を良く理解しているハカナなりの気遣いだったのだろう。




 家に戻ると僕は何となく一人になるのが怖くて、台所に立ち、ハカナが食器を洗う横でコーヒーを淹れる準備を始めた。街にいたとき、ざわついて仕方なかった気持ちが、日常の生活音を聞くと、不思議な程に穏やかになって行く。


「あ、後は僕がやるよ」

「ありがと」


 ハカナがキッチンを出てテーブルについて軽くため息を吐く。僕はコンロの火を止めると、コーヒーカップを取り出して、春瀬さんから分けて貰ったコーヒーを淹れた。香ばしい匂いが辺りに立ちこめる。何時もと少しだけ違う匂いに気づいたのか、ハカナは台所の方に目を向けて、味わうように息を吸い込んだ。


「んっ……何時もとちょっと違うのかな……でも、良い香り……」


 淹れたばかりのコーヒーをもってテーブルにつくと、早速僕はコーヒーを一口、口に含んだ。何時もより少し香ばしく、酸味と苦みが抑えられた代わりに、少しだけ甘さを感じるブレンド。多分、ハカナの好みに合わせて作られたのだろう。


「うん……ちょっとブレンドを変えてあるみたいなんだ。ハカナも試してみてよ」


 ハカナは編み物を置いて、カップを手に取ると改めて香りを楽しんで、それからゆっくりと一口飲み込んだ。


「あれ?ブラックなのに飲みやすいよ……少し甘く感じるかも……」

「うん。豆の煎り具合からちょっと変えたらしいんだ」

「へぇ……凄くこだわってるね。ふーちゃんと同じで職人さんだね」

「うん……」

「……どうしたの?」


 僕は自分の力を暴走させて人を一人殺めてしまった。そのことに対して触れもせず、むしろいつも通りに振る舞うハカナが何を考えているのか分からなくなっていた。いや、むしろ経験者だからそういう対応が出来るという考え方も出来たけど、僕はどうしてもやってしまったことの大きさに耐えられなくて口を開いた。


「冬華さん……を、僕、泣かせてしまった……」


ハカナがゆっくりとコーヒーカップを置いた。


「最初は死んでしまえとか……簡単に思ってしまったんだ。こんな人に冬華さんはメチャクチャにされたんだって思ったら僕……憎くて……冬華さんの引き金を引かせたのはきっと……僕なんだ。きっと冬華さんは殺したくなかったんだ……殺してしまった後に、冬華さん、言ってたんだ。昔はやさしかったって。亡骸にむかって、おとうさんて言って……泣いてたんだ……本当は昔に、戻りたかっただけじゃなかったのかって思ったら、僕は……」


 罪悪感と後悔と、冬華さんの涙に僕は深いため息が出た。


「……ごめん、私、せっちゃんに言えること何もないよ……」

「いいんだ。全て僕の責任だから。でも……誰かに効いて欲しくて……」

「そう……」


 部屋を沈黙が包んだ。僕は自分がしたことについて擁護して欲しいとか、言い訳を探すようなことをするつもりはさらさらなかった。一つだけ願うことが出来るとするなら、誰かに罰して欲しかった。そして、沈黙が僕に与えられた罰の答えだった。誰も知らない。故に、誰も裁けない。罪の意識がそこにあるなら一人で一生背負って苦しめ……そういうことなのだ。




 翌朝、テレビのニュースで冬華さんの父親の事が報道されていた。身元不明の男性、謎の死因、そんな最近ではすっかり聞き慣れた言葉がスピーカーから流れ出る。テレビのカメラがくるりと回り、恐らく、その事件の全貌を遠巻きに見ていたであろう人が、事の有様を興奮気味に伝えていた。僕は昨日の血の匂いと、グロテスクな光景がまだ頭にこびりついていて、ご飯の匂いをかいだだけで吐き気を催すほど参っていて、準備してくれたハカナには悪いと思いつつ、配膳された席を避けて座り、入れたばかりのお茶の香りでどうにか気分を紛らわし、喉を通る熱湯で空腹を紛らわしていた。僕はため息を一つつくと、チャンネルを変えようとリモコンに手を延べた時の事だった。


「せっちゃん、まって……」


 ハカナがリモコンを取ろうとした僕の手を押さえた。冬華さんの母親の店がテレビに映り込み、カメラに入り込もうとしている風華と、それを必死になって抑えている母親の姿が一瞬横切った。カメラから完全に冬華さんの母親の店が消えても、ハカナはテレビから目を離さなかった。多分、二人の後ろにいた優しげな男性の事が気になったのだろう。僕の中で、冬華さんは眠ったままだ。消えてはいない。だけど、多分、冬華さんはこの世界から完全に切り離されてしまった。そんな感じがした。きっと……そう……彼女が自分の父親を殺すことによって、自分の母親に降りかかった不幸を無くすために自らがそうなるように選んだのだ。


 僕はあることを思いついた。僕が描いた人は必ず体を壊す(今は壊すどころの話じゃ無いけど)。だけど架空の人物ならどうだろうか。冬華さんは今やこの世界では存在しなかった、架空の人物となったのだ。だれも彼女の事を覚えてはいない。それがあまりにも不憫で、僕は何はともあれ、試してみるかとメモ帳を開いた。こんな事をして僕が彼女を止めることが出来なかったという失敗が許される訳では無い。だけど、せめて記憶の中にだけでも、僕たちだけでも、冬華さんを覚えておいてあげたいと思って彼女の面影を鉛筆でなぞった。ハカナは絵を描き始めた僕を一瞬驚いた表情でみたけど、僕が何を描いているのかを理解すると、心なしか少し嬉しそうな表情を浮かべた。冬華さんの……彼女の……感情の喜怒哀楽に中間地点を持たないような彼女を、僕が描きたかった様に描くには少し時間が必要だった。僕が描きたかったのは、一度も僕たちに見せることの無かった幸せそうに微笑みを浮かべている彼女の表情だった。一度だけ見せた、ロースケの事を語る冬華さんの表情を頼りに、僕は何とか描ききると、何処かで『まだまだだな……アタシはもう少し綺麗なはずなんだ』と誰かがささやいた気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ