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最果てのセカイ  作者: 喪須田 範太
巻ノ壱 鈍銀(にびぎん)の杖を抱える者
31/38

僕を許してください

 目が覚めたのは夜二十二時の半少し手前。ソファの前のテーブルに少し洒落た紙袋が置かれていて、中を確認すると眠る前に頼んでおいたマフラーが入っていた。

 左手と胸に巻かれた包帯が体を起こすのを邪魔したが、起こしてしまうとそれ程苦にはならない。しかし、軽い衝撃でも傷口に痛みが走る。

 僕は焦燥感の様な物を感じていた。

 今すぐにでも行かなければ……そんな使命感めいた物が、心の奥底で燻り続ける。しかし、何処へ行けば良いのか分からない。正直言って、まだまだ体を休めたかったのだけど、どうしても気になって、何か忘れている事は無いか……僕は記憶の糸をたぐり寄せた。糸は僕の記憶の領域を抜け、何処か違う所から繋がっている。僕が公園で記憶を失った時に見た、冬華さんの過去らしき映像に良く似た物が頭の中に浮かぶ。

 そこでは、冬華さんの視点で、ロースケと何かを約束したらしく、言葉を交わし終えると照れたロースケの手を無理矢理取って、指切りをしていた。頭の中で、ノイズと音飛びの中で再生されたロースケの声からは『教会』と『イブ』の言葉を辛うじて聞き取る事が出来て、ようやく焦燥感の正体を理解する。


 ああ……そういう事だったのか……しかし、これは一体……


 何故かは知らないが、どうやら僕は冬華さんの記憶を覗く事が出来るようになっていたらしい。いや……違う。上手くは言えないのだが、僕の中に冬華さんが丸ごと入っている様な、そんな感覚だった。

 冬華さんが僕の中に丸ごと入ったと言う感覚も、もしかしたら目の前であんな事があったせいで、何かしらトラウマの様な物を背負ってしまったからなのか? そんな考えが一瞬頭をよぎったけど……だけど、余りにも切実な願いに似た想いは僕を動かすのに十分足り得た。この辺で教会と言ったら一つしかない。兎に角、僕はその記憶が本当なのかどうかあやふやなまま、出かける準備をした。


 外に出ると雲の合間から月が顔を見せていて、雪がちらついていている。しばらくは本降りに至らないだろう。この時間帯に外へ出るのは初めてだ。僕は何かほんの少し悪い事をしている様で、心が浮き足立つ。

 ふと、家の二階を見上げてみる。

 ハカナの部屋の電気は消えていて、多分、もう眠ったのかな。そんな事を考えながら、僕は手に持った紙袋を大切に持ち変え、足跡一つ無い、まっさらな道を急ぎ、歩き始めた。




 ――クリスマスイブ目前の異様な盛り上がりを見せる町を抜け、ようやく目的地へ辿り着く。バスが走っている時間帯なら、多分、三十分程で着くはずなのだが、時間を見ると、あと十分程で日付が変わる所だった。

 町の外れの小高い丘の中腹にある教会は、ライトアップがされていて、幻想的な趣を醸し出している。今日と明日の夜は特別に、聖夜に祈りを捧げたい人の為に教会は開放されていて、聖堂から漏れ出る明かりは電気的な物では無く、蝋燭の光が集まった柔らかな明かりが真っ白な地面の上に揺らめいていた。静寂の中、パッヘルベルのカノンを奏でるパイプオルガンの音だけが、優しく辺りを包み込む。

 門の前に立つと、そこから聖堂への入り口へ続く石畳の途中で、聖堂の鐘を見上げて立ち尽くしているロースケを見つけた。ポケットに手を突っ込みながら、どれほどそうしていたのかは分からないけれど、頭と肩にはうっすらと雪が積もっている。

 僕は門をくぐり、ロースケの肩にゆっくりと手を乗せた。


「寺の息子がこんな時間に、こんな所にいても大丈夫なの? 」


 ロースケは少し驚いた風にして此方へ振り向いた。


「んあ……ん? るせーよ……つか、なんでオマエがここに居るんだよ」

「僕? 僕はちょっと……その辺を通りかかっただけだよ」

「は? 何言ってんのオマエ。こんな町外れに通りすがりとか、ありえねーだろ普通」

「それよりさ、ちょっとそこのベンチ座らない? 僕、今日、何だか疲れちゃってさ……」


 言葉の通り、僕は立って居るのがやっとだった。体中は筋肉痛と傷の痛みで、心はロースケに対しての罪悪感で、どこもかしこも痛くて……辛かった。


「いいけどさ、オメー目茶苦茶顔色わりーぞ? 何かあったのか? 」

「そうかな? 至って普通だけど? 」

「なら良いケドよ。つか、俺、なんでここに居るんだ? 」

「ええ? 僕だって知らないよ。そんな事……」


 約束……してたんだ……


「さっきからずっと考えてんだけど、気がついたらここにいたんだよな。あれか? 神が俺に悔い改めろって呼んだのか? 俺は神に選ばれし者なのか? 」

「ははは……悔い改めよ!の方かなぁ……どっちかって言うと……」


 そうじゃないよ……約束してたんだ……


「ばっか、オメーなぁ、エロは正義だぞ。エロが無いと人類滅亡すんだろうが」

「いやっ、でもさ、行き過ぎたら神様も流石にあきれるんじゃないかな」

「うるせーよ。俺のエロスは清く正しいんだよ……馬鹿」


 そう言って煙草に火を付けた。


「わかんねぇ。ホントに……なんでここに居るんだろ……」


 ロースケが遠くを見るような目で、寂しそうに呟いた。


 冬華さんと待ち合わせをしていたんだ……待ち合わせの約束をして、そして、冬華さんは自分の気持ちを打ち明ける決心をしていたんだ……


 僕は声に詰まった。眠りにつく前にハカナが言った『ろー君は……ふうちゃんの事……』その意味を、現実を見せつけられた。

 多分、禍ツヒトとなった人は、死ぬと禍ツヒトに殺された人みたいに、この世界から切り離されるのだと。それに気付いた時、全てが手遅れだった。

 冬華さんは消えてしまった。僕は消えた冬華さんの想いだけを抱え、これからどう償っていけば良いのだろう。選択肢は僕の手に握られていた、にも関わらず何の対策も打たないまま全てが終わった。僕がした事は、最期の悪足掻きだけだ。


 一体、僕は何をやっていたのだろう……


「……ツナ……おい!セツナ? 」


 ロースケに呼びかけられ、我に返る。


「ボーッとして……つーか、オメーマジで大丈夫なのか? 」

「うん。大丈夫だよ。ゴメン」


 不意に教会の鐘が鳴った。僕達はそれに釣られて空を見上げ、暫くその音に聞き入っていたけど、やがて何度も響く鐘の音に飽きたロースケが思い出した様に口を開く。


「ん? おー。メリークリスマスイブだなセツナ」

「あ……うん。メリークリスマスイブ……だね」


 鐘が鳴り終わると僕はおもむろに、紙袋をロースケに渡した。


「お? 何これ? 俺に? 」

「うん。『ハカナ達』からロースケに……ってさ、マフラー無くして困ってたろ? 」

「おおお!そうそう、分かってんじゃん。へぇ!つかこれ売り物みてーだな。すげー!……って端っこだけチョット違うなー。んー、やっぱハカナは詰めが甘い」

「まぁ、まぁ、ハカナも頑張ったんだし、大目にみてよ」

「んっ? 冗談だって。こんだけ立派なもんだったら文句言いようねーって。まじでスゲーな……あれ? 」


 ロースケはマフラーに鼻を付けて匂いを嗅ぐ仕草をする。何度も何度も、何かを確かめるように。


「あれ? あれ? 何だ……なぁ、セツナ……なんだ……これ……なんか、すげー誰かにあいてーんだけど……誰か分からねぇ……誰だ? くそっ!分かんねーよ……誰だよ……」


 ロースケは涙を流しながら夢中で何度も何度もマフラーの匂いを嗅いだ。多分、冬華さんが使っていたガーベラの香水の匂いが残っていたのだろう……

 僕はいたたまれなくなり、席を立つ。


「ぼ……僕、そろそろ帰らなきゃ……」

「あ……あれ? ちょっと待て……俺、泣いてたか? 泣いてた……なんで? 」

「……さあ……」

「ま……まぁいいか。俺も帰るかな……帰るか兎に角」

「……うん……」


 そうして僕達は教会を後にした。

 ロースケが涙を流すのを見るのは別に初めてじゃない。中学の時は喧嘩で負けて悔しさの余り泣いていた事もあったし、初めて家出をした時は、電気を落とした後の僕の部屋で密かに泣いていた事もあった。

 でも今日のロースケが流す涙は、僕が棄てたはずの泣く事を思い出させる。だから僕は、ロースケから目を背けたまま歩き続けた。


「なぁ、セツナ」

「うん? 」

「何か、こう……恋とかしてーなぁ……」


 ロースケ……ロースケ忘れちゃったかも知れないけどさ、恋、してたんだよ……


「と……唐突だねぇ。僕、今新作ゲームのレベル上げ忙しくてさ、それどころじゃないんだよね。来月も新しいの出るし、過密スケジュールでそんな暇無いって……」


 とてもじゃないけど、本当の事、言えないよ……


「ばっか。それにしても何か、このマフラーの匂い……スゲー良い匂いするんだ。セツナこれ何の匂いか分かるか? 」

「それ、ガーベラの香りかなぁ」

「へぇ……オメー実はおしゃれ発信基地とかそういうアレか? 」

「何だよそれ……そんな事言うの、オッサンくらいだって。ああ、あとガーベラは希望、常に前進、辛抱強さ、神秘らしいね」

「何それ? 」

「花言葉だよ」


 それは多分、冬華さんが望んだ生き方を現す花言葉だった。


「希望……常に前進……か……何かソレ、前向きでいいな。でもアレだな、俺はこういう良い匂いのする女がいいな」

「そうだね……」


 空を見上げた。三日月が煌々と僕達の行く道を照らし、住宅街は月の光を受けて蒼く輝いていた。

 僕は無力だ。抗うつもりで、守るつもりで、結局何一つ成し得なかった。それどころか、大切な親友の大切な人を失ってしまった。彼の、カイの言う通り、僕が生きている限り同じ事が又起こるとするなら……僕は……

 ふと振り返る。

 ロースケも空を見上げていた。清々しさを覚える程、前向きな、希望を持った表情で空を見上げていた。僕の視線に気付いたロースケは僕の方を向いて少し不思議そうな顔をして、そして静かに微笑んだ。


「ロースケ」

「ん? 」

「ごめん……」

「なんだ急に」

「ごめんね……」

「なっ!何かわかんねーけど、気にすんな。オメーは俺の身内同然なんだからな。謝る事なんて何もねーって、落ちつけって」

「ごめんね……」

「んー……」


 僕は繰り返した。幾ら謝っても許される事のない失敗を詫びる言葉を、ロースケがその事を知らなくても、僕は言わずにはいられなかった。が、何を勘違いしたのか、突然ロースケは僕の前で腰を下ろす。


「ほら!」

「えっ? 」

「だから、ほらっ!ようやく分かったぞ、おめー足痛いんだろ? おんぶしてやっから、その泣きそうな顔なんとかしろ。ばか。ったく。高校生にもなってなんだそのざま。もうチョットしっかりしろよなーホントによー」

「ロースケに言われたくないよ……」

「あっ!この野郎。お姫様だっこで叫びながら街の中疾走すんぞ? 」

「げっ!それは!頼むからやめてよ!」

「だったらほれ!」


 僕は仕方なしに、ロースケに背中に負ぶさる。正直言って、若干恥ずかしく感じた。

 そう言えば中学生の頃、僕より一回り大きかったロースケに何度かこうやって背負われたっけ……今も、ロースケの服を通しても分かる筋肉質な背中は広く、逞しい。辛い時、肩を貸してくれたり、背中を差しだしてくれる親友は本当にありがたい。今はそれを痛切に感じていた。 そして、それ程時間が経たない内に、気持ちが緩んでしまった僕は気絶してしまっていた。




 ――目が覚めるとベッドの上だった。

 ハカナが床に膝をつき、そこから僕の上に被さるように眠っている。

 床には血のついた結構な量の包帯がビニール袋にいれられて、ベッドの脇にまとめられていた。薬箱は開けっ放しになっていて、普段、全く使われる事の無かった消毒液は、今日はもう半分も無かったように見える。

 時計は朝九時をまわっていた。

 『遅刻』の二文字が頭をよぎる。

 微睡んでいた頭が急に冴え渡り、思わず声を上げた。


「うわっ!やばああい!ハカナ!遅刻するって!」


 ハカナは二呼吸ほど置いてようやく目を覚ます。目の下にはクマが出来ていて、夜通し僕の看病をしていてくれた事が伺えた。


「んー……せっちゃん……今日から冬休みだってばぁ……」

「え? ああ……ああ……そっか……そうだっけ……」

「それより、寒いから一緒に寝て良い? ちょっとだけで良いから……ね? 」


 返事を待つより先にハカナは僕の布団へ潜り込んできた。セーターが吸い込んだ冷たい空気が布団の中で押し出され、傷口の熱で火照った僕の体を冷やしていく。

 ストーブのタイマーはもうずっと前に事切れていたようで、幾らふかふかのセーターを着ていたとは言え、その間寒い思いをしていたのだろうと考えると断る事も出来ず、かといって高校生の兄姉が一つの布団で寝るのもどうかとは思ったのだが、まぁ兄姉だからどうでも良いかと思い、僕はかまわず目を瞑った。


「……かった……」


 ハカナがそう呟いた。体が小刻みに震えている事から余程さむかったのだろう。


「よかった……たすかって良かった……」


 そう言って僕の体に手を回し、強く体を引きつける。僕はそんなに深刻な状況だったのだろうか? そんな事を考える間もなく、ハカナは尚も続ける。


「ばかばかばか!せっちゃんのばかっ!」

「ええ? 」


 僕は思わずハカナの方に顔を向ける。布団の中で僕を見上げるハカナは、切実な表情で目に涙を浮かべていた。


「もう!死んじゃったらどうするの? わっ……私だけ残されたらどうするの? 私の気持ちとか、どうするの? 毎朝一人でご飯食べて、一人で学校行って、一人で帰って、一人で寝るなんて考えられないもん。せっちゃん居なきゃイヤなのに、せっちゃんが『来るな』って怒るんだもん!ひどいよ!」


 堰(せき)を切ったかの様にハカナが思いの丈を僕にぶつける。


「あ……ああ、ごめんね……僕、弱いからさ、ああする事しか思いつかなくって……ははっ……」

「笑い事じゃ無いんだからね? せっちゃん直ぐ居なくなるし、ずっと探しても見つからなかったし、も……もしかしたら……って考えたら怖くて……こ……怖くて……ねぇ……せっちゃん。さっ……寒いからギュッてして……」


 何も言わず、母さんが亡くなった時の様にハカナをギュッと抱きしめた。


「うっ……せっちゃん……せっちゃん……」


 ハカナはあの時の様に、子供の様に僕の胸の中で泣きじゃり、暫くして急に静かになったかと思ったら寝息をたてて眠っていた。

 温もりを求めてか、ハカナはスカートから足を出して僕の足へと絡めてくる。靴下を履いているつま先はそうでも無かったが、ふくらはぎ等は寝間着を通してその冷たさが伝わる程だった。僕は自分の足で冷えた部分を挟んでやるとハカナは一層強く僕を引き寄せた。セーターの毛がチクチクするが、まぁそれも仕方ないだろう……それにしても……

 ハカナの寝顔をみて、僕達がまだ小さかった頃を思い出す。


 こういう甘えん坊な所は全然変わっていないな……


 額にかかった髪を軽く寄せた。あの時よりも目元が僕達の母さんに似てきた気がする。涙の跡がまだ残る頬に指を這わせてそのままなぞり、口元に触れてみた。唇の上と下を擦り合わせるとカサカサいう僕のそれとは違い、ハカナの唇は良く潤っている。飽きもせずに良くもまぁリップクリームを塗り続ける事が出来る物だと感心しつつ、二人分の温もりが心地よく眠気を誘う。


 いつの間にか香水を使う様になったんだね……


 眠りに落ちる寸前に、ハカナから、ほのかに優しくて懐かしくて泣きたくなるような香りがした。

 再び目が覚めたのはそれから1時間くらい後の事だった。

 頬や鼻と上唇の間を抓る……というか、どうやら僕はハカナのおもちゃにされていたらしい。


「んーっ……もうやめてよ……」


 そう言いながら目を開けると、僕の言葉などは無視して、楽しそうにしている顔が目に入る。顔をいじられるのなんてお構いなしに、その嬉しそうな顔をじっと眺めていると、手を止めハカナは言った。


「おはよう」


おはよう……




 正午より少し前に祖父と祖母がタクシーに乗って僕の家にやってきた。

 僕が玄関で出迎えると、祖母はほっとしたのか大きくため息をついて、いつもの様に静かに笑いかけてくれたが、反面、祖父は厳しい顔をしていた。ハカナも祖父の顔を見た途端、表情に緊張の色が浮かぶ。居間へ集まるなり、祖父は座るより先に口を開いた。


「セツナ。あの胸の痣は一体どういう事か……ワシに説明してくれんか? 」


 どうやら僕が倒れている間に胸の痣を見たらしい。

 僕は、冬華さんを送っていった時の夜の事を話した。僕が知らなかった、あるはずが無いと思っていた魔法の様な物、僕はそれらが何か未だに理解出来ていない。だから、見たまま、感じたままを言葉に纏め、口にした。


「ふむ……始めて見る呪術の刻印じゃ。魔力盤を見るに……呪いとも違う。うーむ、そう、言うなれば禍ツヒトを呼ぶ為の生け贄の印の様な物かのぉ? いずれにしても少ない魔力でこれだけ効率的に複雑な印を組むとは、その術士、かなりの使い手に相違ないじゃろうな……解析は無理かも知れぬ」

「一つ聞きたいんだけど。僕が……僕が居なくなれば、禍ツヒトはこの町に現れなくなるのかな? 」

「もう遅いわい。誰かの因子が既に影響を受けておるはずじゃ……それに、オマエが何処へ行こうと、行った先で禍ツヒトが新たに生み出されるだけじゃ……」

「じゃ……じゃあ……僕が……僕が死んだら……これ以上……」


 『死ぬ』と言う言葉に反応したハカナは驚いた顔で僕を見る。


「ふむ……セツナよ。状況は容易く死を許す程、甘くは無い……」


 そう言って深いため息をついた。


「……器の口が天を向いた今、オマエは死ぬ事が許されぬ。よいか? オマエが死ねばハカナも死ぬ。ハカナが死んでも又しかりじゃ」


 祖父は厳しい顔で、言葉を選ぶ様に口を開く。辺りの空気が重々しく、それがどれだけ重要な事なのかを物語っていた。


「オマエはこれからハカナの代わりに代償を背負わねばならぬ。いや……本来ならば、もっと早くそうすべきだった……甘く見ていたのはワシかもしれぬな……」

「ハカナの為? 代償? 器? 」

「うむ。あの冬華と言う娘が死ぬ間際に残した記憶はオマエも見たじゃろう……禍ツヒトは死に際にその全ての記憶を他人に背負わせるのじゃ。ハカナはすでに代償を背負う為の魂の許容量がもう限界近くに達しておる。これからはオマエが代償の器とならねば……いずれハカナは……」


 それ以上の事を言わなかった。が、僕は何を言おうとしているのか雰囲気で理解した。


「いずれにしてもセツナよ……虚神家の人間として生まれた者は禍ツヒトを葬らねばならぬ宿命を背負っておる……本来ならばもっと早くに言うべきじゃった……なれど、このような事態になろうとは……事態を甘く見ていたワシは……何と詫びたら良い物か……」


 そう言って祖父は深々と頭を下げた。

 ハカナはどう思っているのだろう? 今まで僕に黙って禍ツヒトと戦ってきて……いや、それよりも冬華さんの事を祖父が知って居たと言う事は、ハカナも……


「ハカナ……ハカナは冬華さんの事、知ってたの? 」


 その言葉にハカナの返事は無かった。ただただ悲痛な表情で、僕に目を会わせることなく、瞼を閉じてゆっくりと頷いた。

 僕は、何故言ってくれなかったのか、只その事だけに苛立ちを覚え、思わず声を荒げる。


「どうして!……どうして……言ってくれなかっ……」


 そこまで言いかけて、僕は言葉を無くした。

 ハカナの細く小さい肩が震えていた。

 僕には、それが全てだった。

 祖父が僕を諭す様に口を開いた。


「セツナ……ハカナは冬華と言う娘を救う術を探すのに必死だった。オマエと同様、足掻いておった。どうか攻めないでやってくれ」


 そう、何時だってそうだ。ハカナは自分の事よりも、僕の事を心配してくれていた。今迄の禍ツヒトとの戦いだってそうだ。確かに僕は戦いに向いては居ない。だから代わりにハカナが戦い、代償とか言う物を背負う羽目になった。愚痴をこぼさず、文句一つ言う事も無く。そんなハカナが僕の為を思って黙っていてくれた、そう考えた時、今回の件でどれだけ心を砕いていたのか、手に取る様に伝わった。

 守るとは口先だけ、その実、僕は守られてばかりの、只の高校生だった。




 祖父は帰り際、知りたい事があれば何時でも書庫を開くから来いと言っていた。僕もそのつもりだった。少しでも知識を得、少しでも強くならねば……逃げる事が許されないのなら、立ち向かうしかもう道はないのだから……


「今日は取り敢えず心と体を休めるのだ。兎に角、年が明けたら一度、ワシの元に来なさい」


 玄関先で僕の方を振り向いた祖父は、もう一言、何か言いたげだったけど、言葉を飲み込み一つ頷く。

 祖母が少し遅れて玄関を出てくると、その後ろからハカナが祖父と祖母、二人を一本のマフラーで繋いだ。


「おじいちゃん、おばあちゃん、メリークリスマス」

「おおっと!コラコラ。タクシーの運転手がまっているんじゃ……悪戯はやめんか」

「あら、おじいさん。いいじゃありませんか。たまには……ねぇ……」


 そう言って祖母はハカナにウィンクをする。


「ばっ……ばーさんまで何を!」


 祖父は年甲斐もなく顔を赤らめている。タクシーの運転手はその会話が聞こえたのか、吹き出した口を拳で押さえていた。


「ハイハイ!おじいさん。いきますよ」


 祖母は強引に腕組みをして祖父を引っ張っていく。祖父は困った様な顔をしていたが、それでもまんざらではなさそうだ。祖父達の微笑ましいやりとりを見て、僕は何となく表情が緩む。そんな僕の表情を見て、ハカナが少し微笑んだ。

 祖父達が去った後、静かになった玄関先で降り始めた雪に気付いた僕は、空を見上げる。分厚く空を覆った雲は太陽の光を極限まで遮り、まだ夕刻には幾分か時間があるにも関わらず、街灯が光を灯し始める程だった。


「どうしたの? せっちゃん」

「うん……ごめん。僕さ、ハカナを守りたかったんだ……でも、実際はこんな有様で……ハカナにだけ色々背負わせて……」

「そんな事……ないよ」


 ハカナは僕の横で、僕と一緒に空を見上げながら


「せっちゃんは何時も私を守ってくれてたもん」

「そうかな……」

「そうだよ。せっちゃんは忘れちゃったかも知れないけど、ずっと昔から守ってくれていた事、私は忘れてないよ……あっ、そろそろ準備しないと!」

「準備? 」

「もぅ!今日はイブだよ!カノちゃんも、もうすぐ来るし……せっちゃんだってそうしてたら風邪ひいちゃうよ? 」

「ああ……そうだね、でも、もう少しこうしてて良いかな? 」


 ハカナは心配そうな眼差しを僕に向けた。


「大丈夫、雪がちょっと綺麗でさ、こうして見ていたいだけだから」

「……うん」


 それから少しして、玄関のドアが閉まった。

 ハカナが気持ちの軌道修正をしようとしているのは何となくぎこちない口調から伺える。だけど僕の心はそれについて行く事がまだ出来ないみたいだ。

 こうして空から舞い降りる華の様な雪に、僕は冬華さんの面影を見いだす度、心が痛む。


 出来れば普通に暮らしていたかった。

 何の変哲もない、何の代わり映えの無い、ごくありふれた日常が良い。

 ほんの少し欲を言えば、チョットだけの幸せに恵まれるとありがたい。

 それは道端で友達に偶然会う程度の物で構わない。


 そう願っていたのに……


「おにいちゃん、そんなお顔で、何処か痛いの? 」


 不意に、子供に声を掛けられ、僕はハッと我に返る。見た感じ、小学生に成るか成らないかと言った年頃の女の子が、僕をみて不思議そうな顔をしていた。まだ小さい子に心配されるなんて、何だか気恥ずかしくて、僕はどうして良いか分からなくなっていた。


「あ……いや……僕は別に……その……」

「んー。なんかお兄ちゃんパッとしないねぇ。そう言うのさぁ、辛気くさい……って言うのよ!」


 何処かで聞いた台詞に、僕は思わずその子の顔を凝視してしまう。


「なっ!なによぉ!」


 僕は冬華さんの面影が強く残るその子の顔を見て、心臓が跳ね上がった。


「言っておきますけどぉ、変な事しようとしても無駄よ。お兄ちゃん弱そうだしぃ、あたしこう見えてもクラスの中でも結構強いんだからっ!」


 こんな所まで似てるとは……さっきまで落ち込んでいた自分が、何だか冬華さんに叱られている気分になってくる。一言、言ってやろうと、その子の目線に合わせてしゃがみ込むが、改めて冬華さんに生き写しな顔に、堪らず僕は目をそらした。


「ごめん。お兄ちゃん……弱いんだ……ごめん……」


 思わず口を突いた言葉は、意志とは裏腹の、情けない言葉だった。

 何が『ごめん』なのか……そんな言葉を赤の他人の、しかもこんな幼い子供に言った所で、冬華さんは戻らない。でも、何故だか言わずにはいられなかった。言う事で、僕は少しでも自分で自分を許したかった。許されたかった。

 そんな僕の事を真っ直ぐ見返す女の子の目の前で、もう随分前に泣く事を止めたはずの僕の涙腺はいつしか決壊し、思わず涙をこぼしてしまっていた。


「あっ!なっ……泣かなくても……もーぅ……」


 女の子はそれを見て驚いたのか、誰かに助けを求める様に辺りをキョロキョロと見回す。誰も来る気配は無い。困った表情をしながら、呆然と項垂(うなだ)れた僕を見ていたが、暫くして僕は、僕の頭を優しく撫でる小さい手に気付いた。


「よ……よしよし」


 僕は小さいその手に撫でられる度、何故か癒される思いがした。

 何度も、よしよし……

 何度も何度も、そう言われながら、僕は無様な姿で少女の手の中で、静かに泣いた……


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