逢魔が時
ホテル街の警備は特に厳重だった。只でさえ治安が悪いのに加え、ホテル街での事件も記憶に新しい所、輪を掛けて殺伐としている。警察の対応は明らかにヤクザやマフィアの様な組織を前提とした動きで、視界の中には警備員や自警団の人も目に入らない場所が無い程、緊張に包まれている。まるでここが日本では無いかの印象を受ける程だった。
少し前に起きた事件の現場、廃墟のホテル周辺は特に厳重に保管されていて、何とか潜り込んだモノの、あっさりと巡回中の警備員に見つかってしまった。図体の大きい、いかにも……な警備員は僕をあっさりとつまみ出すが、どうしても現場を見たい僕は、建物に戻っていく警備員を呼び止め、何とかならないモノかと交渉を試みる。
特に何があると言う確信も、情報も無く、唯々僕はほんの少しでも冬華さんの行方を知る手がかりが欲しい、その気持ちだけだった。
しかし、相手は決められた返答を繰り返すのみで、全く話にならない。僕は根気強く交渉を試みるが、表情一つ変えず事務的に対応する警備員に苛立ちを感じ、強行突入を試みるも、やはりというか何というかあっさりと行く手を阻まれた。
何度かそうしたやりとりをしていると、後ろから誰かが僕を引っ張るのを感じた。何度かその手を叩(はた)き落とし、再び突入を試みたその時、肩を掴まれ、ぐいっと強引に振り向かされると、鞭を打つ様な激しい音と共に頬に激痛が走った。
唐突な出来事に一瞬、思考が停止し、その後、頬を叩かれたと言う事を認識すると、急に頭に血が上り、僕の頬を叩いた人物を睨み付ける。が、何処かで見たことのある金髪ストレートボブの女の人は、逆に僕を激しく睨み返してきた。
「あなたは……ぶっ……!」
言葉を言いかけた時、返す手でもう片方の頬を叩かれ、そして、呆然としている僕の手を引き、その場から急いで離れる。よくよく思い出すと、冬華さんが始めて僕の家に来た日、写メで見せてくれた冬華さんの友達で、彼女も僕の事を何故か知っているようだった。
「キミさ、もう少し自分の背中を注意した方がいいよ……」
そう言って髪を掻き上げ、細い煙草に火を付けた。
言われてみれば確かに、彼女の少し後ろを付いてきている余り人相の良くない人達が、ニヤニヤしながら僕達の方を眺めている。いや、正確には僕を値踏みしている様だった。
「この街じゃ、弱い事をさらけ出したら最後、インモー……? いや、お尻の毛……インモーまで毟られちゃう事になるんだから……まったく、キミが知った顔じゃ無かったら今頃どうなっていたか……」
「えっと、冬華さんの友達ですよね? 」
「そうだけど、幾ら冬華の知り合いでも、もうここには来ない方いいよ。キミ、弱そうなんだもん」
「すいません……でも冬華さんの事、どうしても心配で……」
「冬華? それなら随分前に駅裏で見たよ? なんかさー病人みたいな格好で、家に帰る途中だったんじゃないかな? つーか、ここって冬華と何か関係あんの? 」
「え? いや、なんとなく……なんですけど……」
「まぁいいけど、んで、声かけたんだけどさ、コッチに全く気付いてなくてさ。何か好きな子できちゃったとかって言ってたから上の空だったんじゃね? 似合わねーっつーの!」
そう言って耳障りな声で、キャハハハと笑う。
「あーそう……ですか……」
駄目だ……やはり、僕はこういう笑い方をする人がトコトン苦手だ……
「でもさ、冬華さ、露庵君とかって男の子に助けられてからメッチャ変わったよねー。あの男子も身代わりになって刺されるとか……今時ねーって。どんだけ男前なんだよ」
「あーはいはい……そうなんですか……ん……? 」
刺された……と聞いて、僕は一瞬、どういう事か分からなかったのだけど、そう言えば少し前に歩き方がおかしかった事を思い出す。成る程、ロースケが右足を引きずっていた理由を始めて知った。言ってくれれば少しは気を遣ったのに……でも、まぁ、ロースケらしいと言えばそうなのだが、それにしても格好いい。
ロースケは冬華さんを救った。でも、僕は未だに冬華さんを救う算段を思いつかない。目の前の冬華さんの友達や、ロースケに対して、申し訳ない気持ちで一杯になる。僕の中の罪悪感は更に大きく影を広げ、僕は目の前の彼女から目を背けた。
「どしたの? 」
そう言って背けた僕の目の前に立ち塞がる。何処かで見た事のある光景だ。
「いえ……」
「ふーん? まぁいいけど、んで、最近さ、あの子アタシ等と遊ばなくなったけど、それはそれで良いかなってね。こんな所、ホントは来ない方良いって分かってるんだよね……」
「いや、でも貴方の事、冬華さんが大事な友達だって一番最初に写メで紹介してくれたんですよ? ここで会わないにしても偶には顔を出さないと寂しがるんじゃないですかね」
「え? ホントに? 冬華が言ってたの? 」
「はい」
「嫌われた訳じゃ無かったんだ……なんか冬華に会いたくなってきちゃった……」
「ははっ。その内、会いに行ってあげて下さい。じゃあ僕は用があるんでソロソロ…」
「ああ、そう。冬華に会ったら連絡するように言っといて。それとキミ、冬華の事心配してくれてアリガト。冬華にもキミみたいなまともな知り合いが居てチョットほっとしたよ」
冬華さんの友達は、嬉しそうな笑顔でそう言った。彼女の言葉には今までが悪くたって、これからがある。そんな希望にも似た何かを感じた。
そう、こんな所で立ち止まっていられない。
僕は軽く頭を下げ、お礼を言って踵を返す。
日は随分傾き、空は少しずつオレンジ色に染まっていく。もう、時間は無かった。
駅裏から自宅方向へ歩いていったと言う目撃情報。この情報だけでも今の僕に取っては値千金だった。この情報で僕は確信を得る。ショッピングセンターで触れた記憶の欠片が僕に伝えたかったのは、家に帰る事を示していたのだ。
いや、もしかしたら僕は呼ばれたのかも知れない。
――駅裏を走り抜け、堤防と住宅街に挟まれた道路を走る。
冬華さんの家へ向かう途中、今更ながら祖父に聞いた昔話を思い出していた。
禍ツヒトとなった者は、魂の欠片が刺さった場所に花が咲く……と。花が咲くとは見た目からの物であって、実際に花が咲いているのでは無く、禍ツヒトの核となる部分が露出し、強烈な勢いで妖気が噴出を始め、そのように見える事と、また、妖気は人心を惑わす『香』を放つ為、『花』と呼ばれるようになったのだそうだ。
核は血よりも濃い赤で石の様にも見え、噴出される妖気も又赤く霧の様に禍ツヒトを覆い、鎧となり、或いは武器となって禍ツヒトを守ると言う。
要は、それさえ壊してしまえば良いのだ……でも、僕に出来るだろうか……
那須与一がそれを成した時の話を思い出す。僕が唯一覚えている話だ。誤って虚神家の人間を撃ち殺した与一が、その血を飲み込み、一時的に力を宿す……と言うくだりが、当時の僕には刺激が強くて、忘れるに忘れる事が出来なかった。
後に言う『翁の的』の事で、扇に描かれた金の日輪とは禍ツヒトの核を表す物だと言うことらしい。翁の的を射抜いた那須与一が、その後、歴史の表舞台に顔を出さないのは、虚神の者ではない与一が禍ツヒトを倒した反動で云々という話は聞いた記憶が微かに有るのだが、今になって、当時、しっかり話を聞いておけば良かったと、後悔をしていた。核を壊された人が、その後どうなったのかも、聞いた記憶はあるのだが、内容を思い出せない。
魔力さえ切り離せば……きっと元に戻るに違いない……そう思い今まで行動してきた。しかし、頭が冷静になっている今、僕には何となく分かる。多分、それは希望的観測だ。核を破壊したとしても全てが元通りになる事は無い。そんな気がする。
だけど僕は、他の事を考える事はしなかった。少しでも躊躇したなら、恐らく失敗するからだ。
核が現れたら動き出す前に、この手で……やらなければ……
鉄橋の下を走り抜け、冬華さんのアパートがようやく視界に入ってくる。住宅街と言えども、そこら中の住宅に飾り付けられた自家製のイルミネーションに光が灯り始め、随分と賑やかな様相を呈していた。
日は地平線にもうすぐかかる程まで低く、僕はそれを見て更に足を早める。アパートに着くと勢いをそのままに階段を駆け上がり、ドアを叩いた。
「冬華さん!居ますか? 冬華さん!」
中に人が居る気配はする物の返事は無い。ドアの取っ手を回してみると鍵はかかっていなく、そのまま躊躇いもなしにドアを開けた。
薄暗い室内の右手にはキッチン、少し奥には小さなテーブルがあり、うっすらと埃が被っている。暫く誰も使っていなかった為か生活感が失われていた。更にその奥の部屋のコタツでマフラーを編んでいる途中の冬華さんが、テーブルに倒れ込むように突っ伏しているのを見つける。
「冬華さん!」
僕は居ても立ってもいられず、勝手に上がり込み、冬華さんの肩を揺らす。
「冬華さん!起きて下さい!」
部屋の中にはガーベラの香水の香りがむせ返る程に強く、時々息が詰まりそうになりながらも冬華さんの名前を呼んだ。
「冬華さん!冬華さん!」
「ん……んん……あれ? セツナ? 」
「そうです。僕です。セツナです!冬華さん大丈夫ですか? 」
冬華さんの頬には涙の後がかすかに残っていた。声はあの時より更に枯れて、殆ど聞き取れない程になってしまっている。
「ああ……ねぇ……セツナ……タノミがあるんだけど……」
「なんですか? 」
「いやぁ……ね……アタシをころしてくんないかな……アタシ……もう……だめだわ……」
そう言って力なく笑った。僕は覚悟を決めていたはずなのに、それなのに、その笑い顔があまりに悲しくて、胸が締め付けられて涙があふれそうになる。
「セツナ……ねぇ……たのむよ……もうアタシ……あんなこといやなんだ……」
「冬華さん……」
「それに、もう……露庵君にも会えないよ……からだだけじゃなくって魂も汚れちゃった……こんなアタシ……みられたくないよ……」
「まってよ!何か!何かあるはずなんだ!」
「何があるの? もう駄目なんだって……アタシ、甘いの食べちゃったから……甘くて、とっても甘くて……胸が痛くなる程苦くて……食べたらいけない事、分かってる。でも、食べないと乾くの。我慢すると頭がおかしくなる位、乾くの……」
「そんな……」
本当は……僕は分かっていた。そこから目を反らしていた。もう、どうしようもなく彼女は救われない事を分かっていた。目を背ける事が出来ない程の現実を目の前にして、ただただ呆然とするより他になかった。取り繕う言葉も、救う言葉も見つからず、僕は涙を流してしまっていた。
「はっ……アンタやっぱ弱いわ……弱すぎ……マジで。じゃあさ、これもって今すぐ逃げなよ。露庵君に作りかけで悪いけど……って、届けてよ」
そう言って力なく僕に編みかけのマフラーを差し出そうとした時、開け放たれたドアから夕日が差し込み、その光に当てられた冬華さんが目を見開く。マフラーが手を離れ、床に落ちる。僕がそれを追いかけて拾おうとした時、冬華さんが口を開いた。
「セツナ……アタシ……アタシ……怖い……本当は怖い……消えたくない……」
冬華さんは何かを恐れているかの様に体を震わせ、それを抑えるかの様に両手で肩を押さえた。
「いやっ!怖い!怖い!いやだ!死にたくない!やめて!アタシを食べるのをやめて!」
コタツを飛び出し、叫びながらドアへと向かう。何かから逃れようと階段を駆け下り、堤防を駆け上がった。僕は、一人にしてはまずいと感じ、その直ぐ後を追いかける。
堤防を上りきり、眼下へ広がる公園へと駆け下りる。勢いを殺しきれない冬華さんは足をよろめかせ、スピードを落としたその隙に僕は彼女を捕まえる事が出来たものの、姿勢を崩した彼女に引っ張られ、前のめりに倒れ込み、そのまま組拉(くみひし)ぎながら堤防を転がり落ちた。ようやく勢いが治まると、僕は気を取り直し、頭を抱えながら震える彼女の肩を掴み、声をかける。
「冬華さん!冬華さん!しっかりしてください!」
「怖いよぅ……助けて……露庵君……助けて……」
消え入りそうになる声と、震える虚ろな瞳。
こうなってしまったのは僕のせいだ……僕が黙ってこの世界を去っていれば、冬華さんはこんなにならなくて、多分ロースケと上手くいっていたはずだった。明日はクリスマスイブで、ロースケと何処かで待ち合わせをしたりして、そして、その先もずっと楽しい日々が待っているはずだった。そうなるはずだったのに……
「露庵君……ろあん……く……ん……」
先程は遙か向こうにあったビルの影が僕達を覆う程伸びてきて、空は青空と雲が、それと分からなくなる程に赤く染まり、白かった地面までもが赤く染まる。大禍時が始まった。
不意に冬華さんが止まる。体の震えが大きくなり、冬華さんの中の禍ツヒトが少しずつ気配を現した。寄生している者が、宿主を完全に乗っ取る瞬間だった。
彼女の足下に広がる禍々しい妖気が辺りに一瞬拡散されたかと思うと、呼吸をするように再びその体へと吸い込まれていく。ほんの一瞬の静寂が訪れた後、彼女はガクンと頭を後方へ落とす。と、不意に天を仰ぐ右目から噴水の様に鮮血がほとばしった。
彼女の血が、僕の手を、顔を、地面を染める。僕はゆっくりとナイフを取り出す。
出血が勢いを衰え始めると同時に、真っ赤に染まった右目に核がせり出し、せり出した核からは勢い良く妖気が吹き出し、花びらの様な形を取っていく。
「ごめんね……冬華さん。僕……もう、これしか思い浮かばなかったんだ……」
そう言って目の中心部に現れた妖気の核に狙いを定め、切っ先を向けながらナイフを振り上げる。
が、この期に及んで一瞬僕は考えてしまう。このやり方で正解なのか……と、確信は無かった。
だが、この状況から例えそれが間違いだとしても、振り下ろしたナイフは脳へ達し、冬華さんが死に至る事は間違いないだろう。あくまで禍ツヒトは寄生しているだけで、宿主が死ねばそれに寄生している者も死ぬはずだ。どの道、禍ツヒトを倒す事が出来る事には代わり無い。
躊躇いは許されない……
今一度、心に楔を打ち込む。
そして、僕は目を反らす事無く、冬華さんを見つめたまま一直線にナイフを振り下ろした。




