12月15日から12月17日-1
――期末試験まであと僅か……ハカナのおかげで国語はどうにか赤点を免れる程度にはなったはずだ。香那女先生にもああ言った手前、無様な醜態をさらすのだけはどうしても避けたかった。今までの事とか、保健室での会話とか、勿論、そう言った要素も頑張る切っ掛けとして少なからずは有ったが、何より自分の事を気にしてくれる人に対しては誠実でいようと思った。
もしかしたらこれが最後なのかも知れないのだから……
補習上等のロースケは相変わらずふらふらしていたが、それでも行き先が分かるだけ、今の所はましに感じる。冬華さんは精密検査の結果が出たらしいのだが、衰弱している原因が相変わらず不明で、引き続き入院するはめになったらしい。ハカナも道場の帰りなどに時間があれば良く顔を出しに行っているようで、入院は継続させられている物の冬華さんの元気な姿を見ては安心していた。
そして……相変わらずスプリング・ベルは客が来ない……人避けの呪いになってしまっているあのナイフの事をマスターに話すべきかどうか……
今の所、期末試験が近い為、僕は空いた時間を暗記カードを覗く為に使ったりと、その呪いを有効活用させて貰っては居るのだが……流石に現状がこれから先もずっと続くとなると流石にまずい。まぁ、そのうちマスターに教えてあげよう。
「ふー……セツナ君、少し休憩しないかい? 」
カウンターで暗記カードを覗いていた僕の背後から不意にマスターが声をかけてくる。手にはそれぞれ模様違いのコーヒーカップをもっていて、最近はそれが閉店の合図になっていた。マスターが、カイが置いていったカップに合わせて、コレクションの中からそれっぽいデザインの物をチョイスして僕にプレゼントしてくれた物だ。正直言って、敵であるカイの所有物だった物と合わせられる事にあまり良い気分では無かったのだけど、それをマスターに言った所でどうにかなる訳でも無いし、今はマスターの所有物になったカップに合わせてくれた事に好意を感じ、その事に対しては悪い気はしなかった。
それにしても、なかなかどうして、この人は無駄にセンスが良いのか……いや、僕好みのセンスなのかもしれない。多分、そうなのだろう。
「あ、僕はいいですよ。それより僕がコーヒーいれましょうか? 」
「おっ!頼むよ、ん? おお!懐かしいなー暗記カード」
「ああ、いや……これは……その、スイマセン……仕事中に」
「良いよ。時間を有効活用する事は言い事さ。でもこれってさ、書いてる内に覚えちゃうって言う弱点があるよね。何か知らないけどノートに書くより覚えるって言うか……」
そう言ってマスターは苦笑いをする。
「いやぁ、でも、僕、何かしてないと不安で……」
「んー……もしさ、大変そうなら来週はアルバイト休みにしようか? 」
マスターはコンテストに出品するケーキのアイディアがまとまり、後は材料の選別と細かい所の装飾のデザインを考える所まで来ていたみたいで、完成まで後一歩という所らしかった。その為、時間にある程度の余裕が見込まれたみたいで、僕に休みを提案してきたと言う訳だ。
「いえ、僕は大丈夫です。やらせて下さい」
「君が良いならいいんだけどね……まぁ、あんまり無理しないで、休みが必要なら何時でも言ってくれればいいよ。それにしても……くどいようだけど本当に大丈夫? 」
珍しく余裕のある大人の表情に、改めてこの人は大人だったんだなと思い出す。
失礼な言い方なのは重々承知なのだけど、この人はどうしても子供の部分が強すぎて、まぁ、それが僕にしたら親しみやすさに繋がっているわけだけど、だけど、その分、こうして締める所を締められると、この人の言葉は僕に取って、もの凄い説得力を発揮する。
「はい……今年はクリスマスを盛大にやるって約束しちゃったんで……もう少し頑張りたいんですよ。マスター、お願いします」
「うん……まぁそこまで言うんなら良いけどね。でも、ホント、勉強がおろそかになるようなら駄目だからね? 」
そう……僕はお金が欲しかった。
逃走資金として……
今月に入ってからお小遣いには殆ど手をつけなかった。バイトも始めた。ゲームも売った。あとは少しの貯金……大金には成り得ないが、一人位なら暫く暮らすに足りる分は確保できたはずだ。もう時間が無い。その事実が僕の中で確実に焦りとなって、心の中で燻り始めている。昨日より今日、今日より明日は多分、その思いが更に強まっているに違いない。正直、あのカイと、僕を狙う何者かに最初から勝てる気はしなかった……だから僕が出した結論。ハカナを逃がす……それを確実に遂行する事。何時それを決行するかは決まった。バイトの給料が出た後、テストの最終日だ。後はそれを誰にも気付かれずに居る事が重要だ。
ハカナはああ見えて中々頑固だから、少しでも情報を与えて心の準備をさせてしまうと、間違い無く僕の言う事を聞いてはくれないはずだ。事が事なだけに、勢いで押し流してしまうしかない。
その後の計画もちゃんと練ってある。
そして最後に、僕の覚悟……か。
「どうしたんだい? そんな思い詰めた顔して……」
「いえ……それよりも最近アイラさんはどうなんですか? 」
「うん、おかげさまで調子を取り戻しつつあるよ。それでさ、セツナ君には迷惑をかけたから、お正月はお節をごちそうしたいって、アイラが言うんだけど……どうかな? 三が日の空いてる日でいいからさ、僕の家でハカナちゃんも呼んでお食事会でもしないかい? 」
「いいんですか? 折角の正月なのに、二人っきりでゆっくりとかって、そう言うの大事だと思うんですけどね」
「だから、アイラからのお誘いだって。それに二人でゆっくりって、結婚すれば嫌でもそう言う時間は増える物さ。僕としても賑やかな正月を久しぶりに味わいたいし……どう、かな? 」
お食事会か……
そうだな……僕が生き残れたら……
いや。何か、生き残る理由が一つでもあれば、生き残る可能性は少しでも高まるかも知れない。と言っても、可能性が増えたとして、そんな物は微々たる物でしか無く、相変わらず絶望的危機なのには間違いないのだが、それでも無いよりマシだ。
「いいですね。実は僕達、ここ数年と二人だけの年越しだったんで、そう言ってもらえるの、凄く嬉しいです」
「うん。じゃあ決まりだね!僕達もさ、アイラの実家がおせちを手配してくれるのは良いんだけど、食べきれなくて毎年困ってたんだよね」
「へぇ……アイラさんの実家って料亭とか? 」
「うん。まぁそんな所だよ」
「ああ……だから和服を着ていたんだ? 」
「いやまぁ、そんな事は無いけどね、でも、小さい頃から和服に親しんできたから、洋服よりも楽だって言ってたよ。でも、確かに……本当の所はアイラ、そこの女将さんになる予定ではあったんだけどね……」
「で、マスターが颯爽と奪っていってしまったと……」
「うーん……まぁ、そんな感じだった……のかな。本当はさ、アイラだけでもみんなに祝福されて一緒になりたかったなぁって、そう思うんだけどね」
恥ずかしい様な苦いような表情を見せながら、マスターは当時の事を思い出した様だった。僕は会話をしながらも入れたコーヒーを口に含む。今日は少し苦めになってしまったかもしれない。
不意にドアのベルが『カラン』と勢いよく鳴った。僕達は少し驚き、ドアの方へ目を向ける。
「こんばんわぁ……」
閉店前の、気付けの一杯をマスターと楽しんで居ると、ハカナが頭に雪を乗せたまま店へ入ってくる。店に入ってから気付いたのか、ハカナは再び入り口まで戻ると、外でコートと頭につもった雪を軽く払い、再び店内へ入ると小さなため息を付いた。疲れている様だ。閉まりかかるドアの隙間からは雪が本降りになりかけている様が伺えた。
「やぁ……また降ってきたね……この調子だと積もるかなぁ。ハカナちゃんもどうだい? コーヒーの一杯でも」
カウンターの椅子に腰掛けながらハカナは軽く首を振った。
「今日はふーちゃんの……友人の所でちょっとごちそうになりましたので、流石にこれ以上はちょっと……すいません」
「いやいや、いいさ」
「あれ? 冬華さんの所に行ってきたんだ? 」
「うん。チョット聞きたい事があって……」
「冬華さんどうしてた? 」
「相変わらずだったよ。いい加減暇だから退院したいー!って言ってた」
ハカナが困ったような顔をして笑った所を見るに、その時の様子が手に取るように頭に浮かぶ。
「そっか……元気そうなら良いんだけど」
僕はそう言ってカップの底にまだ残っていたコーヒーを飲み込み、手早くカップを洗う。考えてみればつい数ヶ月前、僕がこんな事をしているなんて全く想像が出来なかった。今やっている閉店処理だって、あの日、夏音と一緒にこの店に来なきゃ知る事の無い事だ。
その場合、僕は多分、今は一人で家でハカナが来るのを待ちながら晩ご飯の支度をしているか、それとも、ゲームをやっているか。
今になって何でこんな事を考えるんだろう……
それに、ハカナは前よりも僕の事を見る目が変わった気がする。背後に感じる視線が、子供を見る雰囲気の物から、ようやく少し成長して、少しまともになった気がする。
「あっ、それはいいよ。後は僕がするからさ」
マスターが明かりを消そうとした僕を引き留め、カウンターに顔を向けて目配せをする。見ると、珍しくハカナがうつらうつらとしていて、今にも寝てしまいそうな雰囲気だった。
「ささ、早く帰って。試験勉強もあることだし……ね? 」
「すいません……ハカナ? 大丈夫? 」
「……ふぇ……ん……うん」
辛うじて首を縦に振ったが、どうやらそれが精一杯の様で、大きくため息を付き、両手で頬を擦った。僕は、ハカナがどうにか気を保っている間にロッカーへ行き、素早く荷物とコートを手に取ると、カウンターを足早に通り抜ける。
「じゃあ、また頼むね」
「あっ!お疲れ様でした」
マスターが笑いながら僕達を見送る。僕は一つ、軽く頭を下げるとスプリング・ベルを後にした。
外は今日も変わらず寒い。年末が近づくに従って、冷気は少しずつ鋭さを増して行く様に感じられる。僕は手に持ったコートを急いで羽織ると、ハカナの方を振り向いた。
この寒さで目が覚めたようだ……
「おまたせ、大丈夫? 」
僕が言うと、ハカナは笑って頷いた。
何時もと同じ風景、何時もと変わらない帰路、僕達は後どれ位こうしていられるだろう……そんなことを考えて、俯いていた僕の顔を、ハカナが覗き込む。少し不思議そうな顔をして、そして寂しそうな顔で笑った。
――それから二日後、その日は止むことなく雪が降り続いた。
冬華さんが失踪した。
何故失踪したのか……理由は全く想像が付かない。
ロースケが病室へ行ったのが正午過ぎで、その時は既に居なくなっていたとの事だ。窓は開け放たれ、一瞬、嫌な考えが頭をよぎり、窓から辺りを覗いて見たが、全くそれらしい痕跡は無くて、外へ出る為に必ず通るナースステーションの受付の人も、冬華さんが出て行った所を見ておらず、まさに『忽然』と消えてしまった。看護婦達は熱心に病棟の彼方此方を探し回っては見た物の、全く見つかる気配は無く、五階と言う高さからは非常に考えにくいのだが、病室の状況からして窓から外へ出たのでは無いかと、誰もが次第に思い始めていた。
でも何故、どうやって……
足がかかる場所なんて何処にも無いはずだし、そもそも、外出がしたいだけなら別に禁止されている訳でも無かったのに……
いずれにしても僕がロースケから連絡を受けた時は、既に警察沙汰になるほど大事になっていたようだった。
ハカナは随分心配していたけど、今の所、僕達に出来ることは殆ど無かった。なんせ、ハカナが助けて貰う前の冬華さんの事なんて、僕達は殆ど知らない。僕達が知って居るのは、『裁縫が好きで、かなり毒舌な、人の好い先輩』の部分でしか無いのだから。
ハカナが時計を見る度、ロースケから何か連絡が無いか、しきりに電話の方に視線を向ける。期末試験の勉強は、ノートを見ても解る通り、全く進んでいなかった。
随分夜遅くになってからの事だ。ようやくロースケが僕達の家にやって来た。こんな事もあろうかと、ハカナが余分に作っておいた夕食のおかずと、ご飯を食べながら、ロースケがその後の状況をかいつまんで僕達に説明する。が、事態は悪化も好転もせず、足踏み状態が続くばかりの様だった。
そんな状況に嫌気をさして、ロースケも独自に動いていたらしく、知っている限り、思いつく限りの場所を当たって今に至るというわけだが、こちらも全く何も掴めずにいた。
「後は……ホテル街くらいか……」
ロースケはうんざりしたような表情で思わずこぼし、そして、目つきが少し緊張感を帯びた。正直、ロースケ一人で行かせて良い物なのか分からなかったが、ロースケの雰囲気が付いてくるなと言わんばかりにピリピリしている。
冬華さんの交友関係も正直言って大人達が眉をひそめるような感じの人が多く、トラブルもしょっちゅうあったみたいで、そこにロースケがドカドカと上がり込もうとしているのだ。まぁ、危険極まりない事は考えなくても明らかだ……
危険なだけならまだいい。
ロースケは僕が危険な所に付いて来る事を今まで止めた事は無かったし、それが原因で怪我を負うことはあっても、『男ならそう言う事もあるだろう』で済ましてきたし、済んできた。
だが、今日のは何か違う。
あくまで、一人で、何か誰にも触れられたくない物、僕にすら見せたくない物がそこにあって、僕を拒絶している原因はそこに有る……と言うことだけは、長年の付き合いからか、何となく解った。だから、僕が出来る事、言える事はこれだけだ。
「鍵、開けとくからさ、泊まりに来るんだったら、家に入ったら鍵しめといてね」
一応そう声をかけてはおいたのだが……それ以上の言葉が見あたらなかった。
ロースケは一言「おう」とだけ言って、そそくさと出て行く。僕はその背中をみて、何かしら気の利いた言葉の一つでもかけてやる事が出来なかった事を少し、歯がゆく思った。
「あっ!せっちゃんテレビ!ほらほらっ!」
深夜のニュース番組を見ていたハカナが不意に声を上げ、僕は急いで玄関から居間へ戻った。
長針が十二を指した瞬間、見覚えのある風景がテレビに映し出される。この後にキャスターが口にする言葉は容易に想像がつき、何が起こったのか……そんな事は言われる前から分かっていた。映し出された場所は、ハカナが冬華さんに助けて貰ったホテル街、そこの廃墟になったホテルの一室で再び事件が起こったらしい。
手口こそ若干違う物の、今回の犠牲者も身分証は直ぐに見つかったが、身元不明で、もしかしたら犯罪組織の犯行か? と噂され始めているらしい。こうも身元不明の殺人が起こると、犯行を行ったのが身分証も本物と見紛う程、精巧に作れる犯罪組織の仕業だったとしたら……それはそれで凄く説得力を持つ。
いずれにしても、同一人物か、同一組織か解らないが、今回の事件も同一の『者』の犯行だと、警察では断定したようだ。
犠牲者同士の共通した特徴と言えば、最初の被害者以外、全員が男と言うことだけで、他の繋がりは全く無いらしく、更なる調査が求められる……とか何とか言っていた。
ただ、同じ街でこれ程事件が多発するとなると、いよいよ持ってこの町だけの問題では収まりそうに無くなってきた。自警団も設立され、こうしてテレビで見ると、僕達の街はずいぶんと物騒な趣きになってしまった様に思える。
ホテル街か……冬華さんにもしもの事が無ければいいのだが……
そんな事を思いながらふとハカナに目を向けると、殊更不安そうな表情でテレビを見つめている。よりにもよって冬華さんが失踪したその日に事件があったのだ……無理も無い。
「大丈夫……冬華さんならきっと何処かで鬱憤晴らしでもしてるんだよ……きっと。死ぬ程退屈してたし、ストレスが解消されたらきっと戻ってくるよ」
ハカナは何も言わず頷いた。
いや、きっと今の言葉は多分、僕が僕自身に言った物だった……テレビから流れ込んでくるイメージと気配は、相変わらず酷く胸騒ぎを感じる物だ。直感的に冬華さんはこの現場を見た……か、もしくは近くに居た……そんな気がした。だったら、もしかしたら何かを冬華さんが知ってしまって、それが原因で……考え出したらドンドン悪い方向へ進んで行ってしまう。僕の表情を気にしてハカナは言った。
「大丈夫……ふーちゃんなら、もうここに来ないって言ってたもん。大丈夫。大丈夫……」
僕と同じようにハカナは二言目の大丈夫を多分、自分にその言葉を言い聞かせていた。
開いたノートはまだ真っ白なままだった。




