12月9日-3-から12月10日-1
あと少しで家に着くと言うのに、ハカナは恋愛話の余韻を未だ引きずっていて、僕が何を話しかけても上の空だ。
最近は特に恋愛話に飢えているのか、そう言う話を耳にするだけで妄想の世界へ飛んで行く事が多くなった気がする。あげくスーパーでの買い物で、卵を買い忘れる等の失態を犯し、ハカナの妄想は現実をも浸食し始めている。まぁ、いずれにしても経験者のリアルな恋愛話は凄まじい破壊力だったようだ。
と、僕が昨日犯した失態を思い返す。
恋愛話も良いのだが、今日買ってきたと言うあの本の存在が気にかかる。折角、試験勉強を頑張ろうと思ってみた矢先で、まぁ、僕達は兄姉なのだ。僕の過ちをハカナが犯さないという保証は何処にも無い。それは、試験勉強が全く進んで居ない僕にとっては死活問題で、浮き足立ったハカナが果たして、どれほど自制してくれる物なのか……
そんな事を考えながら、そろそろ家が見えるかと言う所で、遠くから僕達を呼ぶ声が聞こえた。あの声はロースケだ。息も絶え絶えになりながら、ロースケは僕達を必死になって呼び止める。
「はぁはぁはぁ……っ……や……やーっと追いついた……」
「あれ? どうしたの? 今日は僕の家に来るとか言ってなかったし……」
ロースケは大きく深呼吸したが、それでも息切れがおさまらず、しかし、言わずには居られないのか、膝に手をつきながら話し始めた。
「ふ……冬華先輩が……たっ……倒れて……はぁはぁ……」
途端にハカナの顔が夢見心地から現実へ引き戻される。
「えっ!ふーちゃんどうしたの? ねぇ!ろー君!」
「まっ!まぁ……落ちツケって……はぁはぁ……っ……スーハー」
そう言って再び深呼吸する。ようやく落ち着いたように白い息を吐きながら言った。
「なんつーかよ、今日、一緒に帰る途中、急に具合悪くなったみたいでさ、そのまま総合病院に連れて行ったら体がスゲー衰弱してるって言われて……でさ、チョット前に目が覚めてハカナにどうしてもこの本渡してくれって。行けなくてゴメンだってよ。まぁそんだけなんだが」
「ええ? ふーちゃんのお母さんには連絡入れたの? 」
「ああ、遅くなるけど必ず行くからって言ってた。だから俺さ、それまで付いていようと思うから。まぁ、今から戻るわ」
ロースケにしては珍しく落ち着かない様子で、話ながらもそわそわしている。僕達は僕達で、事がまだ良く飲み込めていないので、状況をより詳しく聞き出そうとするが、その説明の時間すら惜しんでいるかの様だ。
「っていうかさ、何で衰弱してんの? 」
「しらねーよ」
「ろー君のお家の人は? 遅くなるの知ってるの? 」
「かんけーねーよ。セツナ、もしかしたら今日、お前んちにやっかいになるかも知れねーわ。つーか、なるわ。一応さ、冬華さんの母さんきたら連絡入れるからよ。ってかケータイ位もてよなぁ……ったくよ」
「ケータイは必要ない限り持たない事にしてるんだって。何回も言ったじゃないか……僕達そんな余裕あんまりないんだし……」
「まぁいいや……ハカナ、俺、卵かけご飯でいいから……」
「えっ? ろー君の分も作るのぉ? 」
「頼むよ……」
「うーん……分かったよ……分かったから早く行ってあげて」
ロースケはその言葉を聞くより早くこの場から走り去っていった。
ハカナは先程までの夢見心地の表情から一転、ロースケが来る事と、冬華さんが倒れた事、二つの悪い事が重なり、あまり浮かない表情をして居た。
「はぁ……ろー君が来るってなったらご飯沢山炊かなきゃ……」
言葉尻から、うんざりした様子が伺える。
気持ちは良く分かるが……
「まぁ……さ、そんな顔しないで、こう言う時くらいは協力してあげようよ。冬華さんを心配な気持ちはハカナもロースケも同じだって」
「そうだね。でもふーちゃん大丈夫かなぁ……」
「そうだね……心配だね……」
居間ではペンの走る音だけが響いていた。
ハカナは時々時計を見ては、軽い溜め息をつき、その度にコーヒーをチビリチビリと口に含む。冬華さんの事が心配なのだろう。それでも僕が勉強の事を聞く時は努めて冷静だった。流石だ。おかげで、この数時間だけで随分遅れを取り戻せた気がする。
ロースケが僕達の家に来たのは夜の二十三時を少し過ぎた辺りだった。
テスト勉強に疲れを覚え始めていた僕は、ようやく息抜きが出来る事を期待して、ロースケを迎えたのだが、当のロースケは、話は取り敢えずさておき、兎に角食事と言った感じでキッチンへ飛び込んだ。
食器棚からラーメンドンブリをとりだし、冷蔵庫の中から迷うことなく食材を取り出していく。手際の良さで言ったら、ハカナには言うべくも無く及ばない所だが、僕よりはずっと良い。
取り敢えず、ラーメンどんぶりにご飯を山盛りに盛る。ボールへ卵を3個割り、醤油と細切れにした柴漬け、そして刻んだ万能ネギを入れて泡立て器でかき混ぜた卵汁を無造作にかけて食らいつく。食べる……と言うよりも流し込むと言った方が正しいだろう。
いずれにしても、もの凄い勢いで食べ終わると、盛大にゲップをし、ハカナに嫌そうな顔をされても全く悪びれず、ふてぶてしい顔でもう一度ゲップを放った。
「もー!ろー君そう言うの行儀悪いよ!」
「うるせーよ。それよりもう一杯行っとくか……」
「ええ? さっきのでもう卵切れちゃったよ……」
「げ……まじで? 卵くらい用意しとけよな……ったくよ」
「ろー君の為に準備してるわけじゃないもん。それにろー君少し食べすぎだよ……」
ロースケはそんなハカナの愚痴を物ともせず、コンロの上の鍋を物色し始める。何か思いついたのか、再びどんぶりにご飯を盛ると、おもむろにありったけの味噌汁をご飯にかける。カウンターの下の棚からカツ節を取り出すと、ご飯が隠れる程に振りかけた。まぁ、要するに猫まんまである。
相変わらずの豪快な食べっぷりに、僕は唯々関心するばかりだ。
「凄いな……どうやったらああいう風に食べれるんだろ……」
「もぅ!せっちゃんは真似しなくて良いの!」
「いや、でもさ、凄いよね。僕もロースケの半分でも食べれたら、もうチョット背も大きくなれたのかなって」
「背がおっきくなるかも知れないけど、もしかしたら横にもおっきくなるかも知れないんだよ? 」
「うーん、流石にそれは嫌かも……」
ロースケは食べ終わるとほうじ茶をズズズっとすすりながら、ようやく冬華さんの事について話し始め、お茶を啜る音に、ハカナは再び嫌そうな顔をした。
「なんつーか、飯は食ってるみたいなんだよな……ちゃんと寝てるみたいだし、医者が言うには精密検査してみねーとわからねーって言ってた」
「そうか……で、今はどうなの? 」
「今は大丈夫みたいでさ、冬華さんのかーちゃんが来た時二言三言何か話してた。それよかさ、冬華先輩のかーちゃん、スゲー美人だぜ!? なんつーか、大人の魅力ってやつか? ハカナ、おめーも少し勉強させて貰うと良いぞ」
「はいはい……それよりも、ろー君、お風呂どうするの? 」
「ああ、入っていいか? 」
「いいよ。私もせっちゃんも入った後だから、ぬるかったらお湯足して入ってね。あ、せっちゃんの下着貸してあげて良いかな? 」
「僕は別にかまわないよ。適当に使っていいから」
「わりぃ……取り敢えず風呂入るわ。明日一番で冬華先輩の所に行く約束しててさ」
そう言って鼻歌交じりで居間を出て行った。
「ねね、ハカナ聞いた? 」
「うん。ろー君からあんな台詞聞けると思わなかったよ」
「まったくだ……」
「……そうだ、ご飯まだ少し有るみたいだし、おにぎりでも握っておこうかな」
「あっ、僕も手伝おうか? 」
「んーん。いいよ。せっちゃんは手伝いよりも、遅れたテスト勉強やらなきゃ……ね? 」
「う……うーん……」
僕の返事を待つまでもなく、ハカナはコーヒーを飲み終わると残ったご飯でおにぎりを握り始めていた。
翌朝、ストーブの灯油臭い匂いで目が覚めた。
時計は朝の六時半。ついさっき、玄関のドアが閉まる音が聞こえた。
何時もなら……今迄なら、僕等は昼近くまで眠ってて、空腹に耐え切れなるまで眠って、それから昼食をとって、下らない話をして……そう言う事がこれからどんどん少なくなるのだろうと思うと少し寂しい気もした。
ロースケが焚いたストーブの熱気で屋根の雪が滑り落ちた。祖父の家のそれとは違う、重く、硬い音が地面を鳴らす。それから暫くして何処からか忍び込んだ冷えた空気と混ざり合い、少しずつ部屋は熱気を失っていった。
結局、僕はロースケが去った後は寝付く事が出来ず、八時には居間でハカナが作る食事を待っていた。テレビをつけると朝も早くから戦隊物の番組やら、幼児向けのアニメが流れていて、流石にそれらを見るほどテンションは高くなかったし、仮ににテンションが上がったとしても僕は迷わずチャンネルを変える。日曜日は僕の好きなコメンテーターが出ているニュース番組があるからだ。
「あっ!せっちゃん今日も的場さんなの? 」
「うん……やっぱりこの人いいなぁって。少し白髪が多くなったけど、かっこいいね……」
「でも、この前バラエティ番組で、もの凄くおこってたよ? 生放送なのに」
「それがいいんじゃない。この人って話の筋が通ってて間違った事は言わないんだけど、ぶっきらぼうっていうか、歯に衣を着せない言い方がいいね。まぁ僕の好みなんだけどさ」
「ふーん……せっちゃんはあんな感じの大人になりたいの? 」
「うん……そうだね。僕はああいう風には成れないかもしれないけど、まっすぐな所だけでも真似していきたいなぁ」
僕は他の人が好きな俳優をみるように、一コメンテーターの話を食い入るように聞き込んだ。
テーマは僕の街で起こった不可解な事件で、未だに進まない捜査と、現状何処まで分かっているのかを冒頭で説明する。一件目の事件と、テレビで見た事件の検死の結果が公表されたらしく、少し興奮気味に元検察官と紹介された男が説明をしていく。何でも、二つの事件の共通点として、新種の毒物なのか、外傷の箇所から心臓に向けて血管の中の血液が凝固していて、心臓の中の血液は石の様に固まっていたらしい。死因としては、その毒物によるショック死と考えられているのだが、毒物自体がどのような物なのか解明されていない為、事件の真相に迫る所か、謎が一つ増えてしまった形になってしまった。
取り敢えず、現状の手がかり等から考えられる事件全体の考察、そして、これからどういう風に事件は動くかについて語っていた。
CMに入るとようやく僕はハカナの作った朝げに手を述べる。
「あっ!これ美味しいね!」
僕は赤だしの味噌汁を一口飲むと、それが結構手間のかかった物だと分かった。
「ほんと? 」
ハカナは嬉しそうにそう言って一口味噌汁を飲んだ。
「うん。思ったより上手にできたかも……今日ね、おかずが少ないからその分お味噌汁と焼き魚はちょっと一手間加えたんだよ? 」
「うーん。ロースケが居なくて良かった……」
「ええ? そんな言い方酷いよ……」
「だってさ、ロースケが居たら全部食べられちゃうよ? 」
「あっ!そうかも」
CMが終わり、キャスターが言い放った『さて、それでは引き続き、昨晩の事件の続報です!』その言葉に背筋がぞっとする程の寒気と嫌な予感を感じた。
「はい!コチラ現場です!」
レポーターの声、どよめく野次馬、僕は恐る恐るテレビの画面へ視線を向ける。
「はい!ここ雄烏鈎(おうまがり)総合病院の前では……」
「えっ……!」
僕よりハカナが驚いていたようで、テレビの画面を見ることなくそのまま固まってしまっていた。僕はレポーターが読み上げる事件の状況を聞き逃さない様に耳を澄ます。カタカタとハカナの体が小刻みに震える。
「ふ……ふーちゃんの病院だ……」
僕は心配そうにしているハカナに黙って頷く。
画面越しの現場全体から、あの日、テレビで春瀬さんと目撃した現場と同じような気配が伝わる。でも、今日の気配の強さはこの前の比では無かった。暗く、禍々しく、そして刺々しい気配はまるで、怨みにも似た感情を思い起こさせ、一晩経ったとは言え、それは残した気配だけで僕をすくみ上がらせるのに十分な程だった。
そう言えば、昔、祖父から同じ様な事件の怪談を聞かされた事があった事を思い出す。
「人を喰らう禍ツヒト……か」
何気に呟く。
それと同時に茶碗の割れる音がし、僕は思い出しかけていたお伽話から日常へ強引な形で引き戻される。
「どうしたの? ハカナ……大丈夫? 」
「あ……ああ……うん。ゴメン……ちょっとチャンネル変えていいかな? 」
「うん」
そう言ってリモコンを取ろうとした手が滑り、リモコンを床に落とす。
「もーハカナさ、寝不足なんじゃないの? 」
そう言って僕はあくまで平静を装う。でも……心の中はざわついてしかたなかった。
「今日はさ、モッチーおやすみなんだよ? 」
「わ……わかってるもん……」
そう言ってリモコンでテレビの番組表を見る。
「これが見たかったんだもん」
どうやら子供向けの女の子が変身するアニメらしい。
「ええ? もっとさー、朝の連ドラのまとめだっけ? ああいうの見ようよ。僕あの女優が好きなんだけどなぁ」
「駄目だよ。せっちゃんは自分の部屋にテレビあるし、そっちで見ればいいじゃない」
「それじゃあご飯が冷めちゃうよ。それよりさ、ちょっと座ってて。僕、おかわりもってきてあげるよ」
「あっ、いいのに」
「ハカナは、きっと疲れてるんだって。いいから待っててよ」
炊飯ジャーを開き、新しい茶碗を手に取る。
止め処なく立ち上る湯気の中で、今テレビで流れた内容を反芻(はんすう)する。まさか……いや、気のせいでは無い。確実に僕達のそばに居る。たまたま僕達がそこに居なかっただけで、今見たテレビの殺気は今までと異質だ。居たら確実にやられていた……そんな気がする。ハカナの様子が変わったのも、多分、それに気付いたからなのかも知れない。
いずれにしても、今は気取られない様にしなければ……
あの気配は独特だ。注意していれば、ある程度は避けられるはず……
そうして意を決し、僕は炊飯ジャーの蓋を閉じた。
「ああっ!せっちゃん……これはちょっと……おおいかもぉ……」
「まぁ、折角だし遠慮無く食べてよ!疲れた時は沢山食べないと」
山盛り――僕とか、ましてロースケにすれば大盛りにも満たない――のご飯を前にハカナは途方に暮れる。
「大丈夫だって。間食なら僕の倍以上食べれるんだしさ」
「もー、それは違うお腹だもん。それにそんなに食べてないもん」
「それよりさ、お味噌汁もう一杯もらっていい? 」
「うん。あ、今度は私がよそってあげるよ」
「え? 大丈夫? 」
「うん。ちょっと目眩がしただけで、もう治まったし」
「じゃあ頼もうかな」
ハカナは僕のお椀を持ってキッチンへ入っていく。もう、ハカナのお味噌汁を何回飲む事ができるのだろう? 背中を見ながらそんな事を思った。出来る事ならこの生活を失いたくない。だけど、僕にはそれを守る力は無い。
どうやってその事をハカナに理解してもらって……それで、逃げて貰う事が出来るだろうか? 一刻も早くその事を考えなければ……正直、未だに体の言い良い訳が思い浮かばない。
「はいっ!おまちどーさま!」
テーブルを揺らす程、ラーメンどんぶりに並々と盛られた味噌汁が目の前に置かれる。
「ちょっと……ハカナ? これはーちょっと……ねぇ」
「まぁ、難しい顔してないで慮無く食べてよ!難しい事考える時は味噌汁が一番なんだよ? 」
「って……誰がそんな事」
「なるみが言ってたもん。味噌汁の成分が脳みそに効くんだよって。同じ味噌だからそう言う物なんだって」
「いや、無いから……流石にそれは無いんじゃないかなぁ……」
「うーん、流石に無理があったかも……」
あまりのくだらなさに僕とハカナは顔を合わせて思わず吹き出す。
表面上だけの明るさだと言う事は分かっていた。
でも今、僕達にはそれが必要だった。




