12月7日
「ふぅ……セツナ君。いやはや……事件の謎は深いね……はぁ……」
そう言いながらマスターは奥の書庫から分厚い資料を重そうに抱えながら出て来る。週明けから約四日間程、コンテストのケーキ作りから離れ、あの日見た事件の事について色々考察していたらしい。手に持っているのは、ケーキ作りの為の資料ではなく、その時の事をまとめた物なのだろう。
全く……コンテストがあるからと言う理由で僕を雇っていると言うのに、この人は一体何をやっているのだろう……と半ばあきれかけていた。
「春瀬さん……いや、マスター。事件も良いですけど、コンテストどうするんですか? 」
マスターは一瞬困ったような、嫌そうな、微妙な顔をして言った。
「こっ……コンテストはコンテストでちゃんとやってるさ、うん。やっているんだ……昨日さ、アイラにも散々いわれてさ……いや、僕が確かに悪いのは分かってるけどさ……」
僕が聞いていない事までぶつぶつ一人で言い始める。どうやら昨日は喧嘩をしたらしい……しかも、長ったらしく言っている所からみて、言い負かされたのは明らかだった。
まぁ、当然と言えば当然か……マスターの本文は他の所にあるのだから。
「分かりました。分かりましたから……それよりもコーヒー淹れましょうか? 」
「お、いいね。濃い奴を頼むよ」
ぶつぶつ愚痴をこぼしていたマスターの表情が不意に明るくなる。曰く、人が入れたコーヒーの方が、美味しいらしい。その意見には賛成だが、僕はまだまだマスターに、かないっこない。
僕自身、家でコーヒーを淹れる事もあったので、簡単そうに見えたのだが、本格的に始めてみると、これが結構難しく、奥が深い。マスターは簡単なやり方は教えてくれたけど、それ以上は教えてくれなかった。この先は自分で考え、試行錯誤してみたらいいと言っていた。僕もこの考え方には賛成で、何故美味しいのか? まずいのか? それを考えるだけでも、このバイトの時間は有意義で楽しい。
取り敢えず、僕はコンロに置いたヤカンに火をかける。見よう見まねではあるけれど、少なくともバイトを始める前よりは、美味しいコーヒーを淹れる事が出来るようにはなっていた。
「んーいいね。丁度良い。セツナ君もそろそろこういうアルバイトが板に付いてきたね。何て言うか分かってきたって言うか」
「いやぁ、なんか恥ずかしい限りですね」
褒めて貰う事にあまり馴れていない僕は、妙に嬉しさと恥ずかしさを覚え、その気持ちを隠しきず表情に出ていたのが自分でも分かった。
「うん……丁度いい加減だ……流石に僕の弟子だけあるね、筋がいい」
マスターはそう言ってハァと満足そうに息をつく。
まだまだだと言う事は僕自身が良く知っている。だけど、その言葉を僕は素直に受け取った。多分、こういう一言を貰う為に、僕達は頑張っているのだ……とマスターは教えているのだろう。
「あっ!いらっしゃいませ!」
スプリング・ベルのドアが珍しくベルを鳴らした。
「おっ!セツナじゃん。何してんの? こんな所で。つーか、にあわねぇ……」
会った側から、冬華さんは挨拶代わりに会話のジャブを放つ。
相変わらずキツイ……
「……冬華さんに言いませんでしたっけ? 僕、この店でバイト始めたんですよ」
「へぇ、なるほど。うん、労働はすばらしいよねぇ」
「冬華さんは? 今日は本屋のバイトはどうしたんですか? 」
「ああ、今日は店長が本を仕入れに行っててさ……それより注文、良いかな? 」
そう言いながら手袋とマフラーを外すと、カウンターへ座る。数日前と比べマフラーやコートの雰囲気が変わり、可愛い感じから少し大人っぽいイメージになった。言葉も仕草も角が取れて丸くなって、まぁ、相変わらず言葉に刺を仕込んでいる事が多かったりするだけど……いや、この人のは毒針だろう。
「はい、いいですよ」
「あれ? 何か良い匂いがするね……」
「ええ、さっきコーヒーを淹れてみたんですけど、どうですか? 冬華さんも」
「へぇ……セツナが入れたコーヒーね……うん、じゃあそれと、ショートケーキ貰おうかな」
「はい、少々お待ち下さい」
冬華さんは心なしか少し疲れた様な顔をしていた。数日前に見た時より若干痩せたからだろうか、前よりも綺麗になったように見えた。これが恋の力という奴なのだろうか?
僕はコーヒーを淹れながら、ちらりと冬華さんをのぞき見る。
頬杖を付きながら、時々思い詰めた表情をしてはハァと深いため息をつく……その様もまた絵になった。
「少し、痩せましたね」
コーヒーを出しながら伺いを立ててみた。
マスターは冬華さんの表情を見て何かを察したのか、こっそりと厨房へと戻っていく。
「そうかな? なんだろ……ここの所さ、なんか……いや、いいや……セツナなんかに言っても分かんないだろうし……」
「ええ? そんなに僕、頼りないですかねぇ? 」
「そうじゃなくてさ……もぅ……アタシん中でもどうしたら良いか、分かんないんだよ」
そう言ってがばっと顔を伏せた。髪から僅かに覗く耳が遠目からも分かる程、赤くなっていた。
「あーもー、どうしたんだろ……アタシ……」
「ロースケ……の事ですか? 」
冬華さんは返事の代わりに唸る様な奇声を発しながら頭を抱え込み、それから暫く沈黙した後、ようやく口を開いた。
「うん……」
僕はマスターがコッソリ持ってきたショートケーキを差し出す。
このままでは話にならないと思った僕は、敢えて話題を変えてみる。それに、折角のケーキなのだ。味も何も分からない状態で食べるのは、余りに勿体ない。
「冬華さん、ショートケーキ好きなんですか? 」
「うん……ちょー好き。好きすぎて可笑しくなるくらい好き……生クリームの海に溺れて死ねたらどんなにいいことか……」
自分がアルバイトをしている店の生クリームを、これだけ評価してくれる事が何となく嬉しかった僕は、元気を出して欲しい意味合いも含めて、ご馳走させて貰う事にした。
「そうですか。じゃあ、今日は僕からのおごりです」
「ホントに? 」
「はい」
ようやく冬華さんは顔を上げた。まだ顔は真っ赤で、少し目が潤んでいるようにみえる。
「あ……あのさ……露庵君……さ、カッ……カノジョとか居るのかな……? 」
「いえ、居ないみたいですけどね」
「好きな人とかさ……居るのかな……」
「さぁ……でも、手芸が得意……みたいな、そういう家庭的な人が好きだって言ってましたね……」
「そうなんだ……」
「先月マフラー落として、無くしてしまったって言ってましたね……そういえば……」
「そうなんだ……って、セツナ……アンタ勘違いしてないだろうね? 」
「はい? なんですか? 」
「いや、いいんだ……ってか、会いてぇ……露庵君にちょー会いてぇ……」
そう言ってまたパタッと突っ伏してしまった。
何時もやり込められている僕は、少しでも弄ってやろうかと思ったのだけど、ここまで素直に言われると逆に此方が戸惑ってしまう。
「呼んだらいいじゃないですか」
「むり!無理だって!恥ずかしいんだって!それにさ、断られたらアタシ、立ち直れないよマジで……」
「明日、会えるじゃないですか……」
「そうだけどさぁ、最近毎日本屋に来て顔合わせてたんだよ? あり得ないって……店が休みなんて、あり得ないって……」
「……いいですね……そういう風に想われるのって、僕からしたら、ロースケが凄いうらやましいです」
「アンタはパッとしないからねぇ……」
「くっ!……ま……まぁ、コーヒー冷めちゃいますんで、取り敢えず一口飲んだら落ち着きますよ? 」
「うん……」
一口飲んで、意外そうな顔をした。
「へぇ、今、アンタ……パッとしたかもねぇ。こういう才能もあるんだねぇ、見た目の割りに……」
「一言余計ですよ……それより落ち着きましたか? 」
「うん。少し落ち着いた気がするよ……アタシさ、こんな経験っていうか、気持ち初めてでさ、持て余してたんだよね……どう処理したらいいか分からないし……」
「そうですか……」
「でもさ、マフラーってアタシが作ってプレゼントしたとして、重たく感じないかな? 嫌がられたりしないかな? 」
冬華さんが珍しく切羽詰まったような、泣きそうな表情をしていて、どれだけそれが切実なのかがよく分かった。
冬華さん……ロースケはそんな繊細な人間じゃないから……
と言いたいのを押さえつつ、真摯に答える。
「ああ、ロースケに関しては大丈夫ですよ。深く考えないし……あいつ……」
「そうか……マフラーか……」
以前から冬華さんがロースケへ想いを寄せているのは何となく分かっていたのだが、正直言って、これ程まで気持ちを持て余しているとは想像していなかった。何というか、子供が初めてする恋に戸惑うような、そんな感じだ。
しかし、そうかと思えば、やたら大人びた顔で黄昏れたりと、見ていても飽きない程、忙しなく表情を変える。そんな冬華さんは、以前よりとても魅力的に見えた。
「ねぇ……セツナさ、アンタ好きな子いるんでしょ? 」
「どうしたんですか? 唐突に……」
「なんかさ、アタシがこんな風になっちゃって分かったんだよね。自分ではそうじゃないって思っててもさ、実は好きな子がいたーみたいな、いや、違うか、でも、アンタ見てると何だろ、コッチが不安定な気分になるっつーか……うーん、上手く言えないんだけどさ、雰囲気……かな」
「ええ? なんですかそれ……んー何とも言えないですよ……こればっかりは。僕、そう言うの考えた事無いですし。でも冬華さん見てて、そう言うのもいいなって思いますね」
「はっ……まぁいいさ。今にアンタも分かる日が来るといいね……」
そう言って二杯目のコーヒーは、砂糖を驚く程沢山入れて飲み干した。
「ああ……やっぱこうすると美味しいね……言ってた通りだったわ……」
「ちょっと……砂糖入れすぎじゃないですか? 」
「この位濃いコーヒーは砂糖も多めのが美味しいってさ露庵君が言ってたんだ……」
「ああ、あいつメッチャ甘党ですからね……それと、ケーキとか食べる時は気を付けた方が良いですよ。ロースケそういうの手が早いんですよ……」
冬華さんは苦笑いをしながら「分かったよ」とだけ言って、結局手を付けなかったケーキをテイクアウトした。店に来る時よりも心なしか足取りは軽そうで、目も虚ろだったのが、今はしっかり冴えているようだ。
「じゃっ、また来るよ」
そう言って冬華さんは何時もと違う香りを残して店を出て行く。きつい香りではなかった。いつもの様に華やかではなかったが爽やかでフルーティで甘い、ガーベラの香りだった。
「へぇ、随分良い雰囲気の娘だったね……」
ドアから出て行く冬華さんの背中を見送りながらマスターが厨房から出てきた。話を聞きながら色々想像していたのか、その表情には映画かドラマを見た後の様な余韻がまだ残っている様にも見えた。
「マスター見てたんですか? 」
「ああ、すまないとは思ったけどね、なんかさ、自分の昔の頃を思い出したんだ……」
「昔って言いますと? 」
「アイラと始めて出会った時の事さ……っと……何かアイディアが浮かんで来そうな気がしてきた!セツナ君、悪いけどさ、もうチョット頼んで良いかな? 」
「ええ、僕はかまいませんよ」
「サンキュー!あ、ハカナちゃんが来たら好きなケーキ食べて良いから」
そんな事を言って貰ったのだが、結局ハカナがスプリング・ベルに来たのはもう閉店間近だった。なんでも、前回よりも大規模な検問の渋滞に巻き込まれ、随分と長い間待たされていたそうだ。
聞いた話しでは、テレビの前で殺された男性も身元不明だったと言う事らしい。事件の雰囲気こそ違えど、身元不明と言う共通点が、妙に胸の奥をざわつかせ、上向き掛けた気分に再び影を落とした。
「そうだったんだ……大変だったね。おつかれ」
僕はハカナに動揺を気付かれない様に、努めていつもの様に振る舞う。
結局、マスターは閉店まで厨房から一歩も出ることは無かった。
店を片付け終え、挨拶をしに厨房を覗くと、傍らに何か色々混ぜたクリームやらの試作品と、ノートにかじりつき、デザインに苦悩しているマスターの背中が見えた。アイディアが浮かばない時の苦悩ではなく、今はアイディアを形にする事に頭を悩ませているのだろう。心なしか楽しそうにしているようにも見える。
「おつかれさまでした」
その言葉にマスターは、「ん」とだけ言って、振り返らずに右手だけをヒラヒラさせた。余程乗っているのか、振り返る時間も惜しむように黙々とケーキのデザインを練っている。
僕は邪魔をしてはけないと思いつつも、『職人』の背中をもう一度だけ目に焼き付けた。




