12月2日-1
十二月に入ると町は一層慌ただしさを増し、特に用事があるわけでも無いのに、何故か急き立てられるように日々が過ぎ去っていく。
年末セールの看板が、町中でぽつぽつと目につき始め、緑と赤のイルミネーションが、一層、密度を上げる。コンビニではクリスマスケーキの予約受付中の張り紙がより目に付くようになり、おせち料理の予約まで受け付ける所が目に付きだしていた。
最後にカイを見てから二日経つ。が、未だ、予告された事態は起こる事無く、僕達の日常は、静かに、平穏に変化して行った。
冬華さんは随分雰囲気が変わった。ロースケに薦められた本を何故か保健室に持って行って読みふけっていたり、昨日は図書館で鉢合わせした時なんて、驚きのあまり声を上げて叱られた程だ。
ロースケは、何故かあれほど嫌っていた店主が居る古本屋へ、頻繁に足を運ぶようになっていた。探りを入れてみると、その古本屋が実は冬華さんがバイトを始めたと言っていた当にその店らしく、まぁ、ロースケの事だし、入り浸っている理由がそう言う事なら納得も行く。
カノは相変わらず忙しくしているようだったが、それも今日迄らしく、明日は日曜日だから夜にでもハカナに手芸を教わりに行くと言っていたっけ……家に来るのか……
ハカナは事件のあった次の日辺りから、様子がおかしかった――時々、ボーッとする癖がある――けど、今日は何時も通り振る舞っていた。相変わらず剣道の稽古と、お茶を遅くまでしていて、多分疲れているのだろう。おかげで……と言ってはハカナに悪いけど、待つ時間もアルバイトに充てていた僕は、この三日間で随分稼ぐ事が出来た。
マスターはアイラさんの具合が悪いらしく、酷く心配をしていて、珍しく営業中に自宅へ電話を掛けているのを何度か見かけた。クリスマスケーキのアイディアも思う様に浮かばないらしく、困った困ったと言いながら人の居ない店内をゾンビの様にウロウロしたりで、それを見た客が引いたのか、客足が更に遠のいた様に思えた。
まぁ、この店が暇な事だけが唯一変わらない所だ。
「やぁ……どうしようねぇ……セツナ君。いやぁ……困った……」
そして今日も店内を彷徨いていた。
「マスター、そんなに怪しく彷徨いてたらお客さん逃げちゃいますよ……結局アイディア、浮かんでなかったじゃないですか……」
僕の言葉は全くマスターに届いていないらしく、時々壁に飾ってある『人よけ』の結界のナイフをカチャカチャと抜き差ししては、少し立ち止まり、落ち着いたかと思うと再び店内を歩き回る。割と詰んでいる状態だった。
僕はそんなマスターを無視してカウンターへ入ると、厨房の入り口を通りすぎ、奥で着替える。今朝、導入されたロッカーには『虚神 世綱』と書かれたプレートが入れられていて、それを見ただけで何となく、僕は社会人に近づいた気持ちになった。ふと厨房を覗くと、今日に限っては、余程心に余裕がなかったのか、器具は散乱していて、珍しく取り乱していた事が伺える。ノートは書きかけの図が、線でグシャグシャに塗りつぶされ、作りかけのケーキが何個かそのままにされていた。取り敢えずは生クリームが付いたまま、散らかっている器具等をあらかた洗い終えると、マスターがうろついている所へわざとモップをかけに行った。
「マスター……少し座ってテレビでも見てたらどうですか? 僕、モップかけ終わったらコーヒー入れますから。ホラホラ」
マスターを追い立てるようにモップを押していく。
「あ……ああ、そうだね。うん……そうしよう……そうしよう……」
うなされるように呟きながらカウンターの席へ座り、レジの横に忘れ去られたように置かれているリモコンを手に取る。コンポの横に置かれた、電源を切られて久しい十四インチのテレビが、時間をかけて徐々に光を取り戻していった。マスターは頬杖を付きながら、虚ろな目でチャンネルを変えていくと、やがて僕達の町が中継で放送されているところに出くわし、リモコンを置く。僕も時々目にした事のあるローカル番組で、今日は僕達の町でのクリスマス・オススメスポットや、美味しいお店等が紹介されていた。見慣れた風景が一瞬でもテレビに映ると、何故かそこを知っている事が誇らしくなるのは何故だろう。
「はあああ……僕のお店も紹介してもらいたいなぁ……」
駄目だ……こんな時、僕がこんな事を言っても良いかは分からないが、取り敢えず気合いを入れて貰わないと……
正直、他人に強く当たるのは余り好きでは無いのだけど、意を決して口を開く。
「マスター。そんな事言ってないで……」
言葉が口を突く寸前に、喉元の空気が逆流する。突如、テレビの中に強烈な違和感を感じた。レポーターを含めて上から町の様子を写しているカメラが、後方からざわめきが伝播してくる様を映し出す。
カメラマンがそれに気付いたのか、おもむろに人だかりの後方へカメラを向けた。
「あっ!マスター!あれっ!」
「んーなんだい……っっっ!」
驚きにマスターの目が見開かれた。
僕が指さした場所には、マスターより少し年上と思われるサラリーマンが白目を剥いて口から血の泡を吐き、倒れている。
「一体何が……」
直感的にではあったが、彼が死んだという確信が強く頭をよぎった。
マスターはテレビに目と耳が釘付けになっていて、黙って事の成り行きを見守っている。それから数十秒程して、ようやく人だかりの、恐らくカメラマンの後方と思われるそこから、「おい!救急車!なにやってるんだ!早く救急車をよべ!」と言う声が聞こえ、ざわめきはより一層大きな物となる。既にレポーターの声はまともに聞けない状況になっていた。
「こっ、これ……大丈夫なのかな? 」
テレビから聞こえる、救急車を急かす声に、ようやく気を取り戻したマスターが僕に聞いた。
「もう……手遅れ……かもしれないですね……いえ、手遅れです」
マスターは僕の言葉に納得したのか言葉を失う。
テレビを通して不吉な気配が伝わってくる。自然死ではない、初めて感じる死の気配に、これが人が殺された時に放つ物だと、漠然とではあるけれど、そう感じた。が、それも直ぐさま、何かに上書きされるようにかき消されていく。これが僕達の命を狙う者の仕業ではないかと思い始めていた。何故そう感じたかは分からない。しかし、直感が僕に強く囁く。この前の事件と同種ではあるが、異質の殺しである……と。
前の事件は、何というか気配というか雰囲気が、そして現場の空気が穏やかで、変な話だがまるで最初からそうだったかのように殺意が全く残って無かった。でもこれは違う。テレビを通してでも殺意が襲いかかってくるかの様に、強く濃く気配を残す。そう……鳥肌が立つほどに……
空気は墨を垂らしたようにどす黒く、重く、そして負の感情で満ちていた。ついに来たのか? そう思った。
ショッキングな映像を前にして僕達は暫く沈黙し、固まっていた。テレビの向こうではレポーターが中継を一端取りやめ、スタジオへと返す。
当然の事なのだが、むしろこれだけ長い間こういう映像を垂れ流している事に、不自然ささえ感じる。
「あっ!」
画面が切り替わる瞬間、人だかりの奥の電話ボックスから、誰かが出て行った様に見えた。そこだけ光が届いていないかのようにシルエットだけ残し、人混みの中へと文字通り溶けてて消えた。
アナウンサーが先程のレポーターから何か連絡を受けているのか、何度か頷き現場の状況を改めて伝える。やはり倒れた男性を救急車には乗せられなかったらしい。
マスターが深くため息をついた。
「ゴメン。やっぱりテレビ消すよ……」
「そうですね……なんか……」
人が死ぬ瞬間を始めて目の当たりにして、僕達は何とも言えない気持ちになっていた。嫌な余韻が店の中に広がり、何か別の話題を切り出し空気を変えようにも、言葉を口にした瞬間に全てが雰囲気の中に飲まれていくのでは無いのかと思う程、重く沈痛な空気だった。
結局、余韻から逃れる事もままならないまま、閉店迄に二組の客が訪れ、僕は接客にあたる。そのいずれもが事件の現場を見に行った帰りだった。あまりいい気がしなかった僕は、それでも努めていつもの様に振る舞うが、テーブルに着いた興奮冷めやらぬ客の会話は嫌でも耳に入り、その度に気持ちは動揺した。
死因は心臓麻痺と言う事らしいのだが、嘘の情報が流されている事に何か釈然としない僕は、バイトを終えると、『死んだ彼』の影は彼処にまだ居るはずだと思い、現場へ向かう。出来れば死人の顔など見たくは無かった。だが、何が起こったのか、それを知る事で、これから降りかかるであろう災いの、何か解決策を見いだそうとしたい自分も居て、二つの気持ちの間で揺れながら雪の中を一人、現場へと重い足を運ぶ。
現場にはパトカーが二台止まっており、四人の警官が地面を這うようにして何かを探しているのを見るに、やはり、殺人と断定したのだろう。殺害現場の、ある程度そばまでは行く事ができたので、まばらになった人垣の中から、取り敢えず倒れた男性の辺りを注意深く見てみる事にした。しかし、居るはずの『死んだ彼』の影は見あたらなかった。辺りを何度か見回してみるが、やはりそれらしい影は無い。場の気配は、姿こそ見えない物の、死に群がる者達をそこかしこに感じる。嫌な空気だ。
直ぐにでもここを立ち去りたい気分を押さえ、尚も辺りを見回す。
それにしてもおかしい……死んだばかりなら、影がまだ残ってるはずなのに……
影が残って無いなんて、魂毎持って行かれたのか? 又は、喰われたか……
テレビの中で電話ボックスから何者かの気配を感じた事を思い出し、現場の更にその奥の方へと視線を向ける。やはり、あそこから感じる気配だけが違う。更に目を凝らして見てみると、電話ボックスの床に、ガラスの破片に似た赤い影が数枚、落ちている事に気付いた。煙を上げながら一つ、又一つと溶けるように消えて行く。それが何かを確かめてみようと足を踏み出した物の、時既に遅く、現場に着いた時には既に何も無い状態だった。もう少し早ければ、あの赤色の影から何かを読み取る事が出来たかも知れなかったのだが……それを考えると、自分が行動を起こす遅さに、少々腹が立った。
あれは……でも一体誰が何の為に?
不意にカイの事が頭をよぎる。もし、僕が原因で呼び寄せてしまった者だとしたら、一刻も早くあの気配の持ち主を捜さないと……もしかして、自分のせいであの男性が犠牲になったとしたら……そう思うとやりきれない気持ちになる。でも、気配の主を捜して……探し出してどうすればいいんだろう……
僕は為す術を持ち得ない事を改めて悟り、トボトボと現場を後にした。
冷たい風に吹かれ続け、ようやく冷静さを取り戻した時には、住宅街に足を踏み入れていた。
よくよく考えて見れば、彼が死んだのは果たして僕のせいなのだろうか? 気配だけで言ったら、確かに尋常では無い物を感じたのは間違い無い。しかし、果たしてそれが本当に自分に向けられていた物なのか? 考えれば考える程、あの事件の原因から自分と言う要因が遠ざかっていくような気がしていた。
カイに煽られたせいか? それとも数日前のショッキングな事件の記憶からか? 認めたくは無いが、多分、どちらもその通りだろう。ついさっきまでの思考は九割方、先入観に支配された物だったのではないかと思い返す。
残りの一割は直感……か?
いずれにしても変に神経をすり減らすだけ、無駄だと自分に言い聞かせる。冷静さを失ったら、目は曇り、手は滑るのだ。これから僕が起こす行動に失敗や間違いは許されない。
しっかりと期を待ち、ハカナを逃がさなければいけないのだ。こんな事でどうすると自分を奮い立たせる。
それにしても……
やはり、あの、テレビから伝わる、始めて感じた強烈な感覚を思い出す度、得体の知れない怖さが体の芯から湧き出てくる。
アレが敵だったとしたら……
考えるまでもなく、死へ直結する事になるだろう。『戦い』と言う物を全く知らない僕ですらそう思うのだ。知っている人なら尚更、ああいう類の者には近づきたがらないだろうと言う事は想像に容易い。
そう。しくじったら死へ直結なんだよなぁ、多分……
これ……ハカナに言えないよなぁ……言ったら言ったで、すんなり逃げてくれるとも思えないし……下手したら、いざその時にハカナが横に立っている事だってあり得るんだ、最低でもそれだけは阻止しないと。それにまだ、あの気配が僕を襲いに来たって証拠なんか何処にも無いんだ。
心底、あの気配の持ち主が敵でない事を祈った。
僕にはあの気配の持ち主が敵である前提で物事を考える余裕など、今の所、持ち合わせてはいない。
ふと、思い出す。あの一瞬の出来事。テレビが最後に映し出したシルエット……
何処かで見覚えがあった。が、今の僕は完全に恐怖に飲まれ、それが誰であったか、何であったか深く考えもせず、取り敢えず今はあの不吉な影から逃れるように、家路への足を早めた。




