表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最果てのセカイ  作者: 喪須田 範太
巻ノ壱 鈍銀(にびぎん)の杖を抱える者
16/38

11月26日(JST) 彼の名を聞く事は無かった。聞けなかった……

 大地と空の境界に雄々しく連なる入道雲が、視界の端から端までそそり立ち、汚れのない雲の白さが、尚更空の青を引き立てる。気がつくと靴に草が覆い被さっていた。フカフカの大地は一歩踏み出す毎に、むせ返る程の土の香りが足下から立ち上り、草が日に焼けた匂いは、湿気を帯びて鼻腔を通り抜ける。熱と湿気を帯びた空気はそれと分かる程、喉を通り肺の奥へと消えていった。時折微かに吹き抜ける風が、体からにじみ出た汗を頼りに、熱を奪い、何処へともなく去っていく。視線を上げると、ずっと先の方に、緑の海のなかにポツンと、朽ち果て所々崩れ落ちた建物が、残された白い壁と、骨組みだけの屋根につり下がる鐘のおかげで、辛うじてそれが元々は教会だったことを伝え、強い日差しの元、足下に影を隠してしまったその姿は、殊更、孤独を強調した。


 日本なら雪が降っているのに……


 ずいぶんと遠い所へ来てしまったと思った。

 せっちゃんには内緒で、おじいさんの手伝いをしているのだけど、それもそろそろ限界だってお父さんが言っていた。

 でも、お父さんの言う限界は、私にとって大切な物を切り捨てろって、そう言う意味なのだと言う事は小さい頃の記憶に何となく残っている。


 少し大変だけど、大丈夫……


 私はまだ、大丈夫……


 全然大丈夫だよ。


 せっちゃんとこれからも一緒に楽しく暮らして、暮らして……これから私は、どうなってしまうのだろう。贖罪と言う名の代償を払い続け、私の記憶は、お母さんが死ぬ以前の事は、もう殆ど残ってない。覚えている記憶はせっちゃんとの思い出しか無く、それに紐付けされているはずの記憶はもう、紐をたぐり寄せてもその先には何も繋がっていない事が殆どだった。


「どうだい? 見事に何もないだろう? ここら辺は昔、チョットした集落だったんだよ。内戦で跡形もなく焼けちゃったけどね……」


 そう言って碧い瞳と赤みを帯びた髪、浅黒い肌の、私より二つ下の男の子が流暢な日本語で説明してくれた。言われればなるほど、目を凝らすと草の影から時々建物の痕跡らしい土台を見る事が出来る。場所によっては、そこそこ高い壁(と言っても私の背丈に届くか届かないか)らしき物もあった。


「僕の姉さん、あの教会で殺されたんだ。死に場所を選べる様な立場じゃない事は承知している。でも、死ぬならあそこがいい」


 そう言ってさっき私が目を惹かれたあの建物に、彼も目をやった。せっちゃんに良く似て、遠くを見る眼差しがとても寂しそうに見える。私はその眼差しを見る度、心がえぐれる思いで彼を見つめる。

 いままでこんな事、無かったのに……


「酷い物だったよ。教会だけは攻撃されないはずだったのにさ、お年寄りや子供、女性に衛生兵の人ばかりだったのにさ」

「えっ? 」


 私は思わず聞き返した。彼の声はうわずり、少し震えていた。


「火を放ってさ、出てきた人を周りで囲んだ兵隊が一人ずつ撃ち殺すんだ。僕はそれを遠くから見ているしかなくて……」


 彼は悲痛な表情を私に見せまいと俯き、それでも尚、聞いて欲しいのか語り続ける。


「だから……だから僕、その兵隊達も含めて敵も味方もみんな治療する為に、医者になろうって。医者になって、治療された馬鹿兵士とかが命のありがたみを知って、それで、自分がやった事を死ぬまで後悔させてやるって……僕、力弱いしさ、人を傷つけるのとかそう言うの嫌だったし、でも、僕の手が知らない内に血で染まって行くんだ。こんなはずじゃなかったのに。誰も傷つけたく無いのに……」


 私は、彼を切りに来た。

 せっちゃんに似た彼を……殺しに来た。


 禍ツヒト……二つの魂の不均衡から反作用を起こし、この世の者では無くなった人、バケモノ……私達、虚神家の教えでは、人はその人格を形成する主立った魂と、それに寄り添う形で、個性を司る魂(俗に言う前世)の二つが、本来なら均衡を保ちつつ共存するのだけど、何らかの原因で、この二つの魂の均衡が取れなくなった時、この世界で矛盾した存在となってしまう。そう言う風に聞かされていた。


 私達の家系はそう言う輪廻や因果のしがらみ等にとらわれる事をやめ、神の加護(精霊の力や超常的な現象を指すらしい)と縁を切った一族で、世間では……というか、コッチの業界では『神に見捨てられた者』とも呼ばれている。だから虚神の姓が与えられたのだとか。狩人とか呼ばれる事があるけれど、本当の所、コッチの業界での呼び方が正しいみたい……だって、それを聞く度に祖父は苦い顔をして何も言い返せないのを何度も見ているから。


「ねぇ……マガツヒトって、何の為に生まれるのかな? 」


 私はその問いに答える解を持ち合わせては居ない。私どころか、祖父もそれに答える事は出来ないと思う。

 何しろ、虚神家が興る平安時代中期(おおよそ九百年代前半辺り)の頃からそれについての文献がある程なのだから、もしかしたらもっと昔からいるのかも知れない。それなのに、存在理由について一切、触れられて居ない所を見ると、私のご先祖様も多分、分からないのかもしれない。


「僕が死んだら、ハカナは僕の記憶を引き継いでくれるんだよね? それって、僕のやりたかった事も引き継いでくれるって事なの? 」


 彼の願いは聞き届けられない事に、そうとは言えず、返す言葉を幾ら探しても見つからない。言葉を選ぼうにも、本当は気休め程度の言葉すら無い事を知って居て、私はそれでも何を言おうとしてるのか。


「ねぇ、僕ばかり言ってるよ。ハカナも何か言ってよ? 」

「……な……何て言えば良いのかな……何て言うか……」


 知らない間に、言葉に詰まった時、せっちゃんが良く取り繕う為に口にする言葉が、私の口からもこぼれ落ちる。


「あっ、ごめん。日本人は基本的に無口なんだよね」

「そんなんじゃ……ない。ないよ」

「じゃあ、何か言ってよ。そうだ!ハカナの住んでいる所って、平和? みんな死んだりしない? 」

「うん。平和だよ」

「そう。いいね、平和はいい。きっとみんな毎日が楽しいんだろうね」

「そうでも……ないかも……」

「そりゃーないよ……平和は素晴らしいものさ。だって、みんな明日の事を考えることが出来るじゃないか。それってさ、特別なんだよ? 」

「もうやめてよ!」


 彼は、突然声を上げた私の顔を見て面食らっていた。私は、私は……これから殺す人と平気で話を出来るほど、強くも無いし……怖い……そう。私は怖い。何時も怖い。今だって、これからだって、きっとずっと怖い。だから声を上げる。言わなければいけない。言って心に楔を打ち込まなければ、私はどうにかなってしまいそうだ。


「私は貴方をっ!」


 彼は真っ直ぐな瞳で私を見返す。

 せっちゃんに良く似た眼差しで私を見返す。

 私は居たたまれなくなり、彼の視線から目を逃した。


「わ……私は……貴方を殺しに来たんだもの……」

「うん」


彼は覚悟を決めた目で静かに頷く。


「そんな……まだ私より若いのに……怖くないの? おかしいよ……こんなの。普通じゃないよ……」

「へ? 若いって言っても僕もう一五だよ? この国で言ったらもう成人を過ぎて立派な大人さ。っていうか、私より若いとか言ってさ、冗談でしょ? どう見ても僕より年下だって。ハカナは」

「え? 」

「大丈夫、初潮が来たらお嫁さんにもなれるって!」


 私は頭に血が上り、顔が真っ赤になっていくのを自分でも感じていた。


「しょ……しょちょーなんて、もうとっくに来てるもん!わたし!こどもじゃないもん!」


 こういう話にとても弱い私は、言ってしまった後でどれだけ恥ずかしい事を口走ったかと思い返し、赤い顔を更に赤める。文字通り顔から火が出る程恥ずかしい。

 そんな私の反応を見て彼は笑った。屈託の無い笑顔で、辺りに響く様な大きな声で大声で笑った。私も釣られて笑った。


「うん。やっぱり思った通りだ。ハカナは笑うと可愛い。お嫁さんにするならハカナみたいな娘を貰いたいものだね」


 彼の死に対する恐怖感の少なさは、多分、信仰から来る物なのだろう。この地域では、生まれ変わりの信仰が今だに強く根付いている。だからと言って命を粗末にして良い道理は無い。そう考える自分と、命を奪いに来た自分の矛盾に気付き再び言葉を失う。


「じゃあ、行こうか……」


 数歩、歩いて彼が再び振り返る。


「それと、今から歩く道、ちゃんと覚えておいてね? ここから外れると地雷が沢山埋まってるから」


 そう言って直ぐの事だった。

 遠くから殺意の視線を感じ、それから一瞬とも経たない内に発砲音が青空に響き渡る。彼の右胸は打ち抜かれ、そのままゆっくり前のめりに倒れ込んだ。草と瓦礫の影から五人、屈強な兵隊が身を現し、私の方へ銃口を向けながら彼の元へ集まった。恐らくは彼に殺された兵士の仲間なのだろう。

 彼が倒れているのを確認すると、私でも分かる英語の汚い言葉で彼をののしりながら足蹴にする。私は居ても立っても居られなくなり、彼らの元へ割って入った。


「ハカナ、駄目……逃げて。僕は大丈夫だから……」


 息も絶え絶えの彼に逃げろと言われ、ますます持って逃げる訳にはいかなかった。

 両手を広げ、兵士の前に立ちふさがり、睨み付けるが、兵士達はへらへら笑いながら何かを言い合うだけで、そうかと思ったら、その中の一人が、いきなり私に殴りかかってきた。容易く受け流し、軽く背中を押し出すと、前のめりに地面を舐める。


「このガキ……」

「なにやってんだ? 雌ガキ相手にだらしねぇなぁ、オイ」


 そう言って後ろに居た兵士が、せせら笑いながら、蹲(うずくま)っていた彼の胸を強烈に蹴り上げた。弾き飛ばされた体は、頭を岩にしたたかに打ち付け、がっくりと体から力が抜ける。


「っと、やりすぎちまったかぁ? 」


 目の前で立っている兵士もその様を見て、下品な笑いを浮かべていた。が、この状況は危険だ。禍ツヒトが宿主を守る為に防衛反応を起こすのも時間の問題、私は、禍ツヒトの気配が次第に高まるのを感じ、警戒を強める。

 息も絶え絶えに、膝を着き蹲る彼に向けて兵士の一人が銃を向け、近づく。銃口が頭を突いた時だった。禍ツヒトの気配が急激に高まり、彼の背中から吹き出した血の様に真っ赤な妖気が体を包み、それだけに留まらず、木の根の様にうねりながら、辺り一帯を覆い始める。突きつけられた銃は吹き出す妖気に弾き飛ばされ、兵士は何事が起こったのかと、戸惑いの表情を隠せずに居た。


「何だこりゃあ!? 」


 それは普通の人が目視出来る程強く、濃い妖気だった。

 彼の側に居た兵士が声を上げた瞬間、首から上が火に包まれ爆(は)ぜる。


「来た!来やがったぞ」


 言いながらそれを見た兵士達が銃を構える。彼はそれを見つけると右手を空に掲げ、開いた掌を握りしめた。と、その途端に銃が暴発する。両手が千切れ、爆発した破片が体中に刺さった兵士が叫び声をあげながら、のたうち回る。


「は……かな……ハカナ……」


 辛うじて言葉をはき出すと、余程呼吸が苦しいのか、顔をしかめ、頭を垂れた。


「くそがぁ!」


 後ろで見ていた一際体格の良い兵士が銃を捨て、ナイフを構えると声を上げながら彼に襲いかかる。ユラリと立ち上がった彼は、指を立てた手のひらを上に向け、突き上げた。その瞬間、爆発音と共に、地面から吹き上げた業火に兵士が包まれ、一瞬にして消し炭になってしまう。

 残された兵士は、ただ事ならない雰囲気を感じ、バラバラに逃げようとするが、彼が手をかざす度に一人、又一人と炎に焼き尽くされ、後には彼と私だけが残された。

 禍ツヒトが降りて来てから事が済むまで、あっという間の出来事だった。


 地面に転がった五つ死体の上に、赤い妖気が覆い被さり、激しくうねる。禍ツヒトはこうして死者の魂を喰らい、成長していく。

 魂を食べられた人は、セカイの矛盾に捕らわれ、その存在は無かった事にされる。後に残された死体は、人の形をした、何の歴史も存在理由も価値も無い、只の肉の固まり。故に、誰も殺された事にはならない。禍ツヒトが表だって騒がれないのはそう言う理由からだ。


「は……かな……僕を……教会に……姉さんの元に……」


 そこまで言葉を言うのが精一杯だった様だ。

 そのまま彼はその場に倒れ込む。身動き出来なくなってしまってはいたけど、呼吸はまだあった。

 彼に向けられた敵意が無くなった事を禍ツヒトが感じ取ったのか、辺りを覆っていた赤い妖気が溶けるように消えていく。

 夕暮れ時にはまだ時間があるにも関わらず、力が漏れ出た事はけして珍しい事では無いけど、それが意識を保ちながら、と言うのは初めてだった。彼の意志の強さか、禍ツヒトに浸食されていない部分があるのか、何れにしても、暴走しなかっただけ良かったのかも知れない。体中の傷が、既に治癒を始めている。場所によっては既に傷跡すら残っていない。それを見て前者だと確信する。

 取り敢えず、このままこの場所に留まるのは余り良くないと考えた私は彼を背負い、教会への道案内を求めた。




「傷、大丈夫? 」

「うん。まだ胸の傷は痛むけど、さっき鉛玉が出て行ったみたい。そろそろ下ろしてよ」

「ホントに大丈夫? 」

「大丈夫さ。歩く位ならもう全然平気だし、なんか恥ずかしいよ……こう言うの」


 私は彼をゆっくり下ろす。教会まで後少しの所まで来ていた。


「ふぅ……やっぱり女の子の背中に背負われてるのって、あまり良い気分じゃないね」


 そう言って彼は笑って見せたが、まだ傷が痛むのか上手く顔を作れていない。こうやって無理して笑うのも、せっちゃんに似ている。私はその顔を見て、又、胸が痛くなる。

 正直言って、逃げ出したい気分だよ……


「駄目だよ、ハカナ。それは駄目」

「えっ? 」

「今、逃げ出したいって顔してた」

「そんな事ないもん……」


 私は堪らず目を反らす。と、教会の周りの風景が目に入ってくる。遠くからは分からなかったけど、火で焼かれた大地は草木が生えていなくて、遠目で見るよりも村の形跡はよく分かった。彼は家の土台に腰を下ろし、土に埋もれている割れた食器の欠片を拾い上げる。


「お願いだ。ハカナだけなんだ……僕を止める事が出来るのは」


 そう言って欠片を放り投げた。


「ここさ、僕の家だったんだ。僕が今腰掛けて居る所が台所、ハカナが今立っている所が寝床。父さんはもう七年前に戦争で死んで、でも、僕を合わせたら兄弟が八人も居るからさ、僕と姉さんも仕事の手伝いをして」

「お父さん亡くなったの? 」

「ここじゃ、そんな珍しい事じゃないよ、良くある事さ。でも、もうみんな死んでしまった。僕だけだ……生きているのは」


 彼はおもむろに立ち上がると、教会の方へ歩き出す。傷はもう良いのか、足取りはしっかりとしている。直線距離を真っ直ぐ教会へと向かわず、蛇行しながら教会へと向かう。

 初めはふざけているのかと思ったけど、よく見ると彼は建物の土台を避けていた。昔の町並みを思い出しながら歩いているのだろう。私は彼に並ぶと、それとなく聞いてみる。


「あの建物は何? 」

「あれはこの村で一つだけの雑貨屋さ、店主がケチでさ、まけてくれって言っても中々安くしてくれないんだ。良く喧嘩したよ」

「あの通りは? 」

「あそこに市場が並ぶんだ。って言っても、あくまで村の中だけの需要に対応する程度だけど、それでも村で一番賑やかだった」


 そんな会話をしながら、教会の前の広場へとたどり着く。

 建物が村の中でも特に頑丈な造りだったらしく、遠くで見た時よりも、改めてこうして近くで見ると、建物上部の破損は酷かったが、私達の目線からは、まだそれと分かる程に体を成している。鉄の頑丈な扉や煉瓦の壁には、今でも弾痕が残り、当時の生々しい様子が良く分かる程だ。屋根は落ち、骨組みだけが空に架かっている。聖母の彫像が起立している聖堂は、傾き掛けた太陽が割れたステンドグラスを通して神秘的な色合いを醸し出していた。長椅子は辛うじて形を残している物が幾つかあったけど、そのどれもに焦げ付いた跡が生々しく残っている。

 彼は聖母の像の足下に腰を下ろし、私はそれに向かい合うように、長椅子に腰を下ろす。強い日差しを浴び続けていたせいか、聖母が作る影に、ようやく一息つけた気がした。


「疲れた? 」

「うううん。大丈夫だよ。それより、その彫像って? 」

「これかい? これは最後の神子(みこ)と、腕に抱かれているのが、最初に火を灯す者なんだそうだよ」

「んー、なんか難しそうだね」

「簡単さ。生まれ変わりを意味しているんだよ。抱いている方も、抱かれている方も、どっちも同じ人なんだ」

「あっ、そう言うの聞いた事あるかも」

「日本では輪廻転生?  って言われているらしいね」

「そうそう、そうかも」

「僕の姉さんも、きっと何処かで生まれ変わっているんだろうな」

「うん」

「……本当はさ、僕、怖いんだ」


 私はそれに対して、黙って頷く。

 いい加減、とりつく言葉が無い事を私も悟った。

 だから、彼の言葉を聞き、それに対して、ただ頷く。

 私にはもう、それしかできない。


「死んだら、考えていた事とか、僕が僕だった事とか、全部無くなって、もっと言ったら、生まれ変わりなんて無いんじゃないかって、そう考えると怖くて」


 ずっと昔、私がせっちゃんに問い掛けた事を、彼は一句違わず私に問う。


「……一つ、教えてあげる。産まれる前の記憶ってある? 」

「ないっていうか、そんなの無理だって。無いに決まってるよ」

「うん。私達は記憶って物が無い頃に、産まれる前に戻るだけ。そう言う者なんだって、せっちゃんが教えてくれたの。死ぬ、は、私もよく分からないけど違うんだって」


 私の言葉を聞いて、彼は何か考え込んでいた。私も始め、それを聞いて頭の中を整理するのに随分時間を費やした事を覚えている。


「なるほど」


 不意に彼が呟き、頷く。


「死ぬ……ではなくて、戻る、か。だから僕達は生まれ変わる、ってことかも知れないね」

「うん。そうかも知れないね」


 それきり私達二人は交わす言葉も無く、ただ沈黙の中で時が来るのを待った。私はそれとなく、お母さんが良く聞かせてくれた子守歌の鼻歌を歌う。それを聞いてか、彼は疲れていたのか、時々うたた寝をしては目を覚ます。そんな事を繰り返していて、まるでせっちゃんが目の前に居るような錯覚を覚えた。

 しかし、太陽が地平線に近づくに従って、彼の中の禍ツヒトの気配が少しずつ高まってくる。膝を抱えたまま、彼は顔を上げる事をしなくなった。


「ねぇ、ハカナ」

「うん? 」


彼は顔を伏せたまま、涙声で最後に言った。


「サヨナラ……」




 ガラスが軋む様な不快な音を立てながら禍ツヒトの本体が姿を現す。

 背骨の上に魔力の核が浮き上がり、彼の体を赤い妖気が包む。と同時に、空気が急激に熱を帯びる。瓦礫の木材には火がつく物まである程だった。さっきまで穏やかだった彼の顔は、自分の家族や村の人達を殺された憎しみと悲しみで歪み、怒りの形相で此方を睨んだ。

 私は刀を取り、白鞘を鞘袋から取り出す。それを見て禍ツヒトは戦慄(わなな)き、地の底から響くような声で、獣(けだもの)の様に吠えた。

 私は様子を伺う為に刀を脇に構え、何時でも抜ける姿勢を取る。


 背後で、骨組みが崩れる音がした。


 それと同時に禍ツヒトは跳躍する。一瞬の内に、屋根の骨組みに触れる程の上空から、頭蓋骨大の炎の固まりを右手に構え、急降下を仕掛ける。

 容易くそれを避けると、地面にぶつかった炎の固まりが弾け、辺りを円形に焼き尽くす。燃える物は全てが火に包まれた。


 魔力の火はしかし、私の体に触れる事は出来ない。

 隙を晒した背中へ走り込む。

 勝負は早い方が良い。


 気力の充実に呼応するように、刀身が鞘を通してもひりつく程に強烈な気を帯びる。鞘から刀身を少しだけ抜くと、ほとばしる冷気が、体を包んだ。赤く透明な刀身が妖しく輝く。

 刀身を仕舞うと、鯉口の金具が音を立ててかみ合う。その瞬間を隔てて、空気が重みを増し、全ての動きがスローモーションになった。足に溜めていた力を解放し、間合いを詰めて腰を捻る。しかし、刃が鞘を走る寸での所で禍ツヒトは身を翻し、距離を取った。


 思ったよりも早い。


 いや、感が良いのだろう。

 壊滅させられた村の唯一の生き残り、そして、生身の状態で、これ程治安の悪い地域で、軍に属せず、武器も持たず生き延びたのだ。危険察知能力はかなりの物のはず。

 何故か禍ツヒトは私に近づこうとせず、壁から壁を、まるで地面を走り回るかのように飛び回り、遠距離からの牽制に徹する。私に魔力の火が届かないと気付いたか、或いは何かを狙っているのか、下手に動くより、此方も様子見に徹する。


「あつっ」


 気がつくと魔力の火の熱で、熱せられた木が燃え始める。なるほど、魔力が届かないのなら、間接的に付けた火で私を焼こうと言う算段なのだろう。狙いが分かったら躊躇する事は無い、もう少し力を解放して一気にカタを付けてしまおう。

 さっきよりも長めに刀を抜き、勢いを付けて鯉口を鳴らす。足下には氷が張り、熱せられた氷は水蒸気となり胸元まで覆う。

 業火となった炎の向こうに、禍ツヒトが身を躱す姿勢を見せた。


 逃がさない。


 腰を落とし、足に力を溜める。

 禍ツヒトが一瞬背中を見せた。


 今だ!


 踏み込み、斬りかかろうとした瞬間、違和感を感じたが、そのまま刃を走らせる。が、手応えがない。


 おかしい……


 辺りを見回す。

 禍ツヒトが居ない。

 気配を探る。


 上!


 私は寸での所で身を躱すが、足に力が入りきらず、姿勢を崩す。また違和感を感じる。体に力が入らない。

 と、そこで息苦しさに気がつく。禍ツヒトはそれを狙っていたのだ。酸欠で意識が少しずつ削られていく。

 既に崩れかけ廃墟になっているとは言え、教会の壁は煉瓦が積み上げられ、まだまだそれと分かる程に形を成しているのだ。これだけの火が焚かれたのなら、数分で中の酸素を消費し尽くしてしまうだろう。


 後、どれくらいか。


 燃え移った火は、背を低くし、炭になった木は煌々と赤く輝く。思ったよりも早く酸素が無くなりそうだ。火が消えたら恐らく、私は一瞬で気を失ってしまうかも知れない。

 いや、もう既に思考すらままならなくなってきた。背後に禍ツヒトの気配を感じると同時に、足蹴にされ、地面を転がる。

 膝を着き、取り敢えず新鮮な空気を……辺りを見回すが、出口は禍ツヒトに阻まれ、何より、狭い視界と目眩が、立ち上がろうとした私の足をもつれさせる。


 油断をした。


 彼が幾ら心を許していてくれたとは言え、私が戦うのは、この禍ツヒトなのだ。見た目は彼の面影を残しても全くの別物なのだ。そう言い聞かせても、禍ツヒトの中に彼がまだ居るようで、何処かに躊躇いを残していたのかも知れない。


 だったら、尚更、彼の魂を、思いを救い上げなければ……


 聖母の彫像を見上げる。彫像の顔は熱で溶け、目を瞑っているかのように変形していた。大気の温度は刀が無ければ、私は既に消し炭になっている程にまで熱せられている。


 私は……私は、まだ戻る訳には行かない。せっちゃんの元に、帰る。帰るんだ。


 呼吸を止め、立ち上がる。

 この状態で呼吸をするのは自殺行為だ。足に、腕に、体中に、最後の力が行き渡るのを待つ。

 禍ツヒトはゆっくりと此方へ歩を詰める。

 最後に鯉口を高らかに鳴らす。それを合図に禍ツヒトは飛びかかってきた。


 まだだ……まだ。

 ギリギリまで引き付けて、彼の手が私の頬を触れる瞬間まで、引き付け、そして……


 禍ツヒトが振り上げた腕の脇を通り抜け、すれ違い様に体を反転させる。背中からその表情は分からなかったが、禍ツヒトの中にいる彼が、『来て』と言った気がした。体を反転させた勢いをそのままに、鞘の中で刃を走らせる。

 空を切り裂く鋭い音が辺りに響く。手応えはあった。鞘に刃を収め、背中で彼が倒れた音を聞く。それと共に、魔力の火は消え、後に残ったのは赤く火が燻る木材が幾つかあるだけだった。


 最後にもう一度、刀身を少しだけ鞘から引き抜き、すっかり高くなった月に翳(かざ)す。足下から辺り一面に、霜が降り、大気中の水分は凍え、月光を受けてキラキラと輝いた様に見えた。冷気によって残りの火は鎮火し、濃い蒸気が辺りを包み、私の頬に氷が落ちた。




 どれ位こうしていただろう。

 聖母に向き合って、台座の下に、彼の面影を未だに思い浮かべている。明かりが消えて久しいこの村から見上げる夜空は、とても星が近い。今から帰るとしても、月明かりを頼りに地雷が埋まった土地を歩くのは無茶も良い所だ。私は、膝を抱えて、夜が明けるまで、繰り返し、お母さんに聞かせて貰った子守歌の鼻歌を歌った。


 空が白む頃、皇(スメラギ)さんがわざわざ心配して村まで向かえに来てくれた。街の人の話を聞いていただけに、地雷地帯を歩く時は気が気でなかったらしい。それは何時も冷静に振る舞う彼女のゲッソリとした表情を見てもよく分かった。

 疲れては居たけど、彼女が持ってきてくれたミネラルウォーターで一息つくと、直ぐにこの村を去った。彼がそうしろと言っていた気がしたからだ。この村は既に終わって、死者の村となった。だから私達生者は早くここから立ち去った方がいい……と。

 地雷地帯を抜け、小高い丘までたどり着くと、最後に一度振り返り、あの教会に一瞥する。彼が再び生まれ変われる事を祈り、私はその場を後にした。




――私が家に着いたのは、もう夜も遅くだった。

せっちゃんの部屋の電気は煌々と輝いていて、ようやく私がいるべき場所、いたい場所に戻ってきたのだと実感する。お父さんは今日もまだ帰って来ていない。

 せっちゃんの部屋をノックする。気のない返事が返ってくる。そして私は何となく幸せだなって感じる。


「ただいま」


そう言いながら寝間着姿の私は、せっちゃんの隣に座って、ゲームの画面を一緒に見る。


「んー。おかえりぃー」


せっちゃんはゲームに夢中だ。

ようやく帰って来た。

眠気が瞼を閉ざし、せっちゃんの肩で私は眠りにつく。

せっちゃんは何時もの様に何も言わず、ずっと私に肩をかしてくれていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ