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最果てのセカイ  作者: 喪須田 範太
巻ノ壱 鈍銀(にびぎん)の杖を抱える者
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-7-

「それじゃあ、えーっと……先ず自己紹介を。僕はスプリング・ベルのマスターの鬼頭 春瀬(キズ ハルセ)です」


 マスターの春瀬さんは、白いコックユニフォームは上着だけで、ズボンは茶色い厚手のタイパンツと、随分ラフな出で立ちで僕を迎えた。

 軽くパーマがかかった紙を指で上げると、銀縁の眼鏡をクイと直す。三角巾を丸めてテーブルに置き、胸元のポケットから名刺を差し出した。


 スプリング・ベルは昨日と同様に、がらんとしている。ケーキの味やデザインの話題は少なくとも僕の周りでは良く聞くし、名前を出せば先ず知らない人は居ないくらいだ。それなのに不思議と客は少なく、それどころか、入り口から外をみると、まるでこの店に誰も気付いていないかのように通り過ぎていく。


「あ……僕は虚神 世綱(ウロガミ セツナ)と言います。よろしくお願いします」


 そう言うと、春瀬さんはクスクスと笑った。


「えっと……どうしたんでしょうか? 」

「あっ、ゴメンゴメン。いやね、お互い名前も知らないのにアルバイトに誘う僕も僕だけど、セツナ君も変わっているかも知れないって、そう思ってね」

「うーん……言われて見ればそうかも。でも、僕としては誘っていただいて嬉しかったですよ」

「そう言ってくれて僕も嬉しいよ。じゃあ、早速だけどお客さんが居ない内に手伝って貰う内容を簡単に説明させてもらうね」


 そう言って春瀬さんは一通り仕事の内容を教えてくれた。洗ったコーヒーカップの置き場所、逆さにして水を切るタイプのグラスと、タオルで水を拭き取っても良いグラスの置き場所、コーヒーを沸かす為の器具が置いてある場所、取り敢えずは言葉通り手伝う為に必要な事を分かりやすく、丁寧に教えてもらう。

 次に厨房へと通されると、厨房での動き方を大体教えて貰う。と言っても僕がケーキを作るわけではなく、そこでも何処に何があるだの、食材の管理に関しての大まかな説明だけに終わった。

 僕が興味を引かれたのは、やはり厨房だろう。スプリング・ベルのケーキ職人はここで無限のアイディアに基づき、想像を絶する造形美のデザート、いや、既にデザートの域を超え、芸術作品を作り上げるのだ。と言うのも、学校でスプリング・ベルの事を聞いて回った時、写メで見せて貰った去年のコンテスト受賞作品、正直、こんな風体の人――悪気は無い――が作ったと思えない程繊細で、鮮烈な色合い、絵画から飛び出したような飴の細工は、全く持って僕の想像すらした事のない世界観で、目を離す事が出来ない程だった。その人の厨房、いや、工房と言っても良い神聖な場所なのだ。否が応にも厳かな気持ちになる。


「それにしても……虚神って、この町で随分古くから伝わる名家だと思ったんだけど、やっぱりお小遣いは自分で稼ぎなさい!とか言われちゃうの? 」

「いえ……そんな事無いですよ。名家とか言ってくれる人も居ますけど、昔はどうか知りませんけど、今は普通の家庭ですよ。さっきも言いましたけど、誘っていただいたのが切っ掛けですし、ついでに少しでもお金貯めれたらいいなって」

「なるほどね。呪(まじな)いの元祖と言われる名家、虚神家……か。なつかしいなぁ」

「知ってたんですか? 」

「知ってるも何も……虚神家の開祖である虚神 燦河(ウロガミ サンガ)は僕としても尊敬する人物の一人でね。大学の卒論で彼をテーマにした論文を作成したほどだよ」

「うーん……面白いネタとかあったんですか? 」

「面白いっていうか、僕が学びたかったのは生き様かな。まじないや独自に編み出した武術系統も魅力的だったけど、それ以上に彼の生き様が素晴らしいと感じたよ」


 不意にドアのベルが鳴った。


「あれぇ? ハル? 誰か来てるの? 」


 入り口の方から女性の声が聞こえ、口調から春瀬さんの知り合いだと言う事が伺える。鈴の音の様に良く響く声は少し僕達に近い年齢を思わせたが、ゆっくりと、しかし、歯切れの良い言葉尻は、例えば電話口での案内役を行う女性の様な大人っぽい雰囲気を持っていた。


「うーん……やっぱり私はあのナイフの飾り、あまり好きじゃないなぁ……」


 そう言いながら厨房へと入ってくる和服の女性を見て、僕は始めて美しいという事がどういう事かを理解した気がした。背中まで伸び、まとまりのある絹の様な髪は黒く輝き、照明を写して水が流れるように光が滑り落ち、肌は白くて、ミルクがそのまま人の形になってしまったのでは無いのかと思うほどに白くて、キメが細かかった。ナイフの飾りを嫌だと言って恨めしそうに春瀬さんを見つめる目の瞳は、日本人にしては珍しく青く、いや、青と言うより藍色と言った方がいいのだろうか……それをたたえる睫毛は宝塚ほどでは無いけど嫌みの無い長さで、ほんのり薄く紅をさした唇は言葉を言う度に桜の花びらが踊っているかのようだ。

 何というか、僕の表現力ではこれ以上、上手い事言えないのだが、とにかく僕にとっては、理想がそのまま形になったような美人だった。絶句した。


「あら? この可愛い子、だれ? 昨日言ってたバイトの子? 」

「ああ、セツナ君って言うんだ。今日から僕の手伝いをしてくれる事になってさ、それよりアイラはこんな所、彷徨(うろつ)いてて大丈夫なのかい? 」

「うん。病院の予約の時間までまだ少し余裕があったから、町に出たついでに頼まれた物をハルに渡そうと思って……そうそう!今日は体の調子が良くて……それで、お昼頃に施設で読み聞かせもしてきたんだよ」

「うん。そっか……どう? おじいちゃん達、喜んでた? 」

「どうだろ……久しぶりだったからあまり自信なかったよぉ……でもそうだと嬉しいかも……」


 そういってアイラさんはクスクスと笑った。


「あ、セツナ君こっちが僕の妻で愛桜(アイラ)って言うんだ。よろしく頼むよ」

「あ……ハイ!よろしくお願いします」

「はい。此方こそ、ご迷惑をおかけします」


 そう言って深々と頭を下げた。出で立ちといい、何処かのお嬢様の様だった、いや、現役でお嬢様だといっても差し支えないほどだと思った。ぱっと見で、この人が人妻だと分かる人はまずいないだろう。まぁ、ロースケは見破るかもしれないけど……


「あっ……と、いえいえ、此方こそ」


 僕も負けじと頭を下げた。アイラさんは屈託無く、良く笑う。その声を聞いている僕も何だかそれだけで幸せな気分になってくる。

 僕がハカナに求める笑い顔はこういう顔だ。小さい頃のハカナは少なくとも、僕はその顔を見るだけで嬉しかった記憶があった。春瀬さん……いや、マスターは、きっとこの笑顔に惹かれたに違いない。


「あー、え……と、セツナ君? 」


 頭を下げたままの僕の顔をのぞき込んだ。


「いつまでそうしているのかな? いい加減、頭を上げてくれないと私も疲れちゃうよ」

「は……はい」


 まるで心の中まで見通してしまうほどに青くて大きい瞳が僕の目を見る。無邪気なそう言う仕草がとても大人に思えなくて、かわいらしくて、世の中にはこういう人も居る物なんだなと、ただただ感心するばかりだった。

 碧い瞳と言うと、忌々しいカイの事を思い出しそうになるのだが、それがこの人の目を見ると何だかどうでも良い気分になってくる。忘れてはいけない事柄ではあるのだけど、この人の目は幸せしか見ていないのか、そういう辛気臭い物を全て払ってしまう力を持っているのかも知れない。


「あっ。そうだ、これタイゾウおじさんからハルに……って預かって来たの」


 そう言って袂から折りたたまれた小さなメモ用紙を取り出し、マスターへ渡す。


「え? 僕に? 」

「うん。クリスマスケーキの注文だって、今年はいつもより多く入ったみたい」

「うん……なるほど……分かったよ」

「あっ!それじゃあゴメン、病院の予約の時間そろそろだから」

「うん、わかった。気を付けて行ってくるんだよ」

「セツナ君、面倒押しつけて申し訳ないけど……よろしくお願いしますね」


 そう言って厨房から出るとマフラーを巻いた。


「おいおい、面倒って僕の事かい? 」

「ふふふ……どうかしら? 」


 悪戯っぽい微笑みを浮かべながら、それが図星だったのか、マスターから目を反らして肩をすくめる。


「だって、ハル、子供みたいなんだもん……」

「ええ? 僕だってもう三十路過ぎのいい大人さ。そんな言い方酷いよ」


 そんな事を言いながらドアの前までマスターはアイラさんを送る。恋愛経験も無いし、まして、二人が積み上げて来た物なんて知るよしも無いが、こうしてやりとりを見ていると、ハカナの気持ちも分からないでもない。

 アイラさんがドアを開けると冷たい風が店内へ、そっと滑り込む。髪が乱れないように手で押さえ、外へでると此方へ振り向き、軽く手を振ると足早に町の中へと消えていく。その姿をマスターは完全に見えなくなるまで見送っていた。


「そう、そう言えばお店の中のナイフって……」


 僕は、アイラさんが言っていた言葉を思い出し、気になっていたナイフの事を切り出してみる。意図は分からないが、少なくともそれについて触れられたのが嬉しかったのか、マスターはフッと顔をほころばせると、一つ頷く。


「ああ、あれはね魔除けみたいな物だよ。西洋で悪夢から逃れるためにフォークをベッドの足にそれぞれ一本ずつくくりつけるっていうおまじないがあるんだけど、僕のは自分流にアレンジっていうのかな? 悪夢じゃなくて貧乏神から逃れるためにフォークよりも強いナイフをくくりつけてるわけさ」


 そう言って入り口の近くにあるナイフを、摘むように鞘から少し引き抜く。錆が浮いた柄や、くすんでボロボロになった鞘とは裏腹に、刃は鋭く輝く銀色で、それをみて満足したのか、マスターは指を離す。カチリと鉄がかみ合う音が辺りに響いた。


「なるほど」

「でもまぁ、貧乏神どころか、人間すら寄ってこない気もするんだけどね……」


 それは僕も思っていただけに、マスターがそれを言うと微妙な空気が辺りを包む。


「や……やぁ……それにしても今日は凄い夕焼けだね……夕暮れ時は大禍時(おおまがどき)……か」


 耐えきれなくなって先に口を開いたのはマスターだった。


「なんですか? それ」

「や、誰かが言ってたんだけどね、夕暮れ時、空がこんなに真っ赤な時は良くない事が起こるそうなんだ。大禍(おおまが)って言うのは降魔(おうま)にも通じていて、逢う魔が時とも呼ばれるこの時間帯は魑魅魍魎が現れるって言われているらしいね」

「魑魅魍魎……ですか……? 」

「うん。月と太陽の支配を逃れる僅かな時間をついて長く伸びた影に異界の入り口が開くんだってさ。まぁセツナ君のご先祖様が書き残した書物で見たんだけど、実際の所見た事無いんだよねぇ……魔物ってやつ? 」


 そう言ってマスターは苦笑いをした。


「まぁ、見た事があったら、それはそれで大変な事だと思いますけどね……」


 魔物みたいなのなら昨日の夜に見た……果たしてそれを言ってマスターは信じてくれるのだろうか? いや、恐らくは又、苦笑いをしながらやっぱり僕は変わった子供だと思われるのだろうか。


「それにしても、今日は何時にもましてお客さんが来ないね……いやぁ、まいったまいった」


 あまり参ってないふうに頭をポンポンと叩きながら苦笑いをする。写メで見せて貰った、芸術品と言っても言い過ぎでは無いケーキを作る人は、想像とは裏腹に随分と暢気な物だ。もっとストイックな性格かと思ったのだが……まぁ、こういう性格だから、ストレスを溜めずに好きな仕事に没頭出来ると言う所もあるのだろうか。

 しかし、バイトを始めたばかりなのに、店の経営を僕に心配させるマスターもどうかとは思う。


「笑い事じゃないんじゃないですか? 僕、初日から既に心配かも」

「いや、きっとこれは大禍時のせいだね。日が沈んだらきっとお客さんも来るさ。大丈夫、セツナ君にあげるバイト代位、僕がしっかり稼ぐからさ、まぁ、そうだね、取り敢えず奥の部屋から何かCDをチョイスしてきてくれないかな? これが初仕事という事で!」

「まぁ、僕は良いんですけど……分かりました。えっと……あの部屋ですね? 」


 そう言って厨房の端にある『倉庫』と書かれたプレートが貼られたドアに目をやる。


「うん。クラシックとかジャズくらいしかないけど、まぁ、分からなければ直感で選んでかまわないよ」

「分かりました」


 早速部屋のドアを開けると冷えた空気が僕を包む。喫茶店内の雰囲気とは異なり、まず目に入ったのは、幾重にも並ぶ、ぎっしりと本が詰められた書庫だった。CDはその書庫の森の奥の方にあって、どこから持ってきたのかレンタルショップの棚に所狭しと並べられている。

 CDとCDの間には五十音順にラベルが挟まれており、これもまたレンタルショップでよく見かける物で、僕はその中からカノが前に聞かせてくれたドビュッシーの『月の光』が収録されたCDを探した。


「あった……えーっと、これは……ベートーベンも似た曲名の物があるのか……」


 それにしても……この資料の数は圧倒されるばかりだ。CDを抱えながら軽く書庫の間を通り抜けながらそこに置かれている本のタイトルを見て回る。時々、本の中に混ざってバインダーに挟まれた資料が置かれていて、多くはタイトルすら書かれていなかったのだが、建築物の本の間に置かれていたバインダーには、『建築学に学ぶケーキの設計』と描かれた物があり、これらのバインダーは、それぞれのジャンルからインスピレーションを得たケーキの事についてまとめられた資料なのだと思った。


「セツナ君? CDのある場所分かった? 」


 余程遅かったのか、心配してそうにマスターが倉庫の入り口から顔を出す。


「あ!はい。一応2枚チョイスしてみたんですけど、それにしても凄い量の資料ですね……スイマセン。ちょっと見とれてしまって……」

「ああ……僕、調べるのだけは好きなんだよね」

「いえ、でも、建築学に学ぶケーキの設計とかってチョット興味があるかも」

「ああ……それは後で暇な時にでも見て良いよ。いいけど、タイトルが付いてない奴は開かないでくれるかな? あれは、ちょっと……ね」

「あ、分かりました。企業秘密ってやつですね」

「いや……」


 マスターは一瞬、神妙な面持ちになると眼鏡をクイと人差し指で押し上げ、低く静かに語った。


「セツナ君はネクロノミコンを知っているかい? 」

「ねくろ? さぁ……ちょっと知りませんね」

「ふむ……ネクロノミコンとは読んだ者を狂気に誘う、呪われた書物なんだ……空想上の物でしか無かったと思われたその書物が最近、その存在を確認されてね……」

「ええ……ホントですか? もしかしてタイトルの付いてないやつって……」

「ふふっ……その書物の切れ端だったとしたらどうだい? 」


 マスターの眼鏡がきらりと光る。


「ま……まさか……」

「と、言ってみた物の、冗談だけどね。実は僕は趣味で呪い(まじない)の研究もしててね、アイラなんか胡散臭いから止めなさいって言っててさ、まぁ、その研究の成果を記したものなんだけど、まぁ、見たかったら見ても良いけど面白くないと思うよ」

「まじない……ですか」

「そう。君のご先祖様を調べていた時に何か惹かれる物があってね、論文を書き終わった後でもこうして調べて居るんだ」

「呪いとかって効果あるか僕には全然わからないんですよね……」

「効果……かい? まぁ、ある物もあるね。でも事象に対して劇的な変化をもたらす物は今のところ表だって見つかっては居ないよ。何か凄い資料とかセツナ君の家には無いのかい? 」

「そう言う書物はあるかも知れないですけど、祖父が厳しく管理していますから……うーん。僕はちょっと何とも言えないですね」

「まぁ、しょうがないね。歴史的価値のある資産だからさ……っと、お客さんが来たみたいだ。セツナ君でてくれるかな? 接客第一号だ」


 そう言ってマスターは僕の肩を叩いた。

 胸が高鳴る、こう言うのは久しぶりだけど、悪くない。良い緊張感だ。僕はエプロンの紐を締め、カウンターへと向かった。


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