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Ⅳ 幸せのきれはし


Ⅳ 回想—幸せのきれはしー


 混乱を極めるレゼーヌ城から脱出し、マリアの用意していた馬車で半日、日暮れ頃この宿場に着いた。

 窓辺から漏れる月光が、リンの黒髪を照らす。

 海を挟んだ二つの国、王と王妃の許されざる恋の証がリンだった。

 王妃が産み落としたリラン帝国の第二子は、忌むべき敵国、シャールを象徴する黒髪を持った少女。呪われた姫君は間もなくして、後継者を求めていた妃国の王室へ養女に出された。

 しかし彼らにとって憎きかつての交戦国、リランの民の特徴的な紫色の瞳をもつリンを心より歓迎する者はいなかった。実の父親、シャール王さえも、国の最高権力者である妃の前では無力で。

 俯くリンに、差し伸べられたのは二つの柔らかな白い手。

『案内するわ』と大きな手。

『一緒に遊びません?』と小さな手。

 ある時訪問したレゼーヌ王国の王女姉妹、彼女らはまるで本当の姉妹であるかのようにリンを受け入れた。


 幸せの脆さ、それを知るには幼すぎる時期に起こった戦争。

 丁度レゼーヌを訪れていたリンは、何も分からないまま牢に入れられた。

 以来、十年。

「リン、起きているの?」

「ええ。……ねえマリア」

「何?」

 マリアは追手を警戒してか、ベッドには入らず剣を構えながら椅子に座っていた。

「どうして――」

 階段を駆け上る複数の足音。リンをベッドの下に隠れさせ、自分もクローゼットに隠れるマリア。

「ドアを開けろ!」

 ドアが何度も強く叩かれる。かちゃり、という音がクローゼットの中から聞こえた。

「蹴破れ!」

 大きな音をたてて部屋になだれ込んでくる兵士が四人。

 ランプの光が、一見無人の室内を照らす。

「この部屋にいる、間違いない」

 一人が不用意に、クローゼットの扉に手を掛けた。

「っつアアァァ!」

「っなに?!」

 喉を突かれ倒れる兵士。同胞の返り血を浴びた残りの三人が、一斉に剣を構える。

 その中の一人の兵士が、血溜まりの中に臥す友人の名を叫ぶ。

 若い兵士の焼けつくような激情がそのまま、その場にいた者らの鼓膜を激しく震わせた。

 そして支給の剣を頭上に掲げ、沸き起こる憎しみそのままマリアを見据えた彼が一歩踏み込んだ、刹那。

 若い兵士の肢体数か所で、真赤な血潮の花弁が散る。

 断末魔とシンクロして、盛大に軋む宿屋の床。

 友人の隣で尽きた彼の傍らに立つのは、いきなり飛び込んできた乱入者。予想外の事態と、あまりに悲惨な光景に呆然とする兵士達。

 その隙を見、すかさずマリアは突きを入れる。しかし咄嗟に避けられ、舌打ち。

 残っている兵士は、二人。

 一方が、正体不明の乱入者に剣を向ける。

 もう一方はマリアと対峙し、彼女が右手に構えたレイピアと間合いをとる。

 そしてマリアは、向き合う兵士へと向けたレイピアはそのまま、空いた左手でサーベルを抜きその得体の知れない乱入者へと彼女もまた、剣を向ける。

 一対二対一、というおかしな構造ができたのも束の間、マリアの右手を隙ありと攻め込む兵士。左のサーベルでそれを流し、反撃にでるマリア。

 金属を叩きつけ合う音が、空間を斬るように鳴り響く。

 彼らの足元で息を殺し潜むリンは、一言も発さずに軽やかなステップを踏む乱入者の靴に魅入った。その靴底が奏でる音から、彼の興奮が伝わってくるようだった。

 狭い室内では彼らの息使いが間近に聞こえ、次第に兵士達の劣勢を物語り始める。

「ひぃっ」

 喉を絞められたような声を発し、人間が最期を覚悟する瞬間をリンは耳にした。

 鈍い音と共に、そのまま倒れる兵士。

 一人、残された兵士の浅い息は、泣いているかのように震えていた。対するマリアの息も荒い。

――目で追うな。感じるんだ。ほら、

(そこだ)

 確かな手ごたえを剣の柄を握る右手に感じ、ゆっくりと瞼を開くマリア。とどめをさす必要はなさそうだ、と力を抜き、少し息を整える。

 マリアの背後で空気が揺れた。しまった、と体が硬直する。乱入者の存在をすっかり忘れていた事を思い出し、首筋を冷水が流れるような感覚を味わう。

「えーえと」

 間抜けな声。マリアは思いっきり怪訝そうな顔で振り向いた。

「えーと、君は誰?」

「は?」

 頬に乾きかけた血をつけた優男(乱入者)が、困ったようにあははと場を繕う。それは意味もなく空中を漂っただけだったが。

「アクア……?」

 窮屈なベッド下からリンが這い出す。

「殿下!」

 その優男、アクアは商人の様な風体をしていた。柔和な顔には少し不釣り合いな、血に染まる両手剣を床に突き立てひざまずき、リンに忠誠を示す。

「従者なの? リン」

 形の良い眉を最大限に顰め、妙に胡散臭い彼を見下ろすマリア。

「うん、そう……多分。前、牢に来てくれたわ。でも……」

 アクアは十八年前、他国へ養女に出されたリンのお目付け役、兼スパイとして陰からリンを見守っていたらしい。

 実際に顔を合わせたのは、リンがレゼーヌ城に投獄されてからだった――。


『殿下、お迎えにあがりました』

 かつて約三年間続いた戦が、ようやく終結を迎えたころ、突然現れた救いの手。大国リランの皇帝と、リンの実の母である皇后の訃報を携えやってきた彼は、いたわるように優しく、包み込むように温かく手を差し伸べた。

『お兄様は今どこにいらっしゃるの?』

 リンの兄が継ぐはずの皇帝の座に腰を置いたのは、前皇帝の弟であった。兄弟の不仲から、王室を離れたはずの弟が、舞い戻ってきたのだ。

 いや、もしかすると……。

『ウィリアム陛下……兄上様は、叔父上様の暗殺から逃れ、レゼーヌに亡命されました。行方は……分かっておりません』

 あんさつ、とオウム返しに呟くリン。もしかすると、前皇帝皇后も彼に暗殺されたのでは、と考えが踊る。兄は無事なのだろうか。あまり話す機会は無かったが、数少ない身内の一人、優しい優しい兄だった。

 それと、とつなぐアクアの声に、悔しさがこもる。

『……シャール妃国は現在、シャール王国へと変わり始めております』

 代々女性が王位を継ぐ、という古い慣習を捨てた、ということ。つまりそれは、養女であり後継者であったリンを捨てた、という事だった。

(道理で……)

 なかなか誰も助けに来なかったのね、と自嘲気味に目を伏せ笑う。

 なかなか助けに来れなかったアクアは悔しげに俯く。リンが牢に入れられてから三年間、始まった戦争の戦力確保の為リラン帝国へ呼び戻され、救出に来る事が出来なかったのだ。

 その三年間で、シャール妃国はリン姫を見捨て、シャール王国となった。

『リラン帝国前皇帝亡き今、私の守るべき方は、殿下だけにございます。どうぞ、お命じください。どこへでもお連れいたします』

 行く先がどこであっても、私は貴女を見捨てない。アクアはそう言った。

『……』

 浮かぶのは、兄の事。

(いる。レゼーヌに。私の、お兄様が)

 叔父に裏切られ、祖国を追われた、ひとりぼっちの兄上が。ならば……

 そしてリンは、アクアの開けた牢の扉を内側から閉めた。

『殿下?!』

 どこに行く事ができただろう。捨てられた自分に。そう、卑屈になっていたのかもしれない。

『行って、守るべきものを見つけて。私に貴方は必要ないわ』

 リラン帝国前皇帝亡き今、貴方は自由なのだから。といって小さく微笑むリンを、アクアは呆然と見詰めていた、が、

『っ動くな!』

 見回りの衛兵がやってくる。鋭い空を裂く音と、突き刺さる短剣。声もなく倒れる衛兵を、物音をたてぬよう、そっと支えるアクア。しかしそれも空しく、牢への階段を駆け降りる複数の足音が迫ってきていた。

『殿下!』

『早く!』

 固い意志の籠った紫の瞳から、与えられた答えは一つ。

 そしてアクアは牢を後にした――。


 リンの兄、ウィリアムが動き出した。

『ここから出て、生きるのよ』

 差し出されたマリアの、王女だった頃の儚い優美さは消えた、固く、力強いその手を取り、脱獄したリン。

 千年に一度、レゼーヌ王国、リラン帝国、シャール妃国の間の海に浮かぶ島の神殿で、儀式が行われる。そこでフローズンティアラと、一人の生贄、印を戴く者を差し出した者が、代わりに願いを一つ、叶えられるのだという。

 それに食いついたウィリアム。

『ウィリアムは、皇帝の座に返り咲くつもりよ』

 皇帝になりたい彼と手を組んだ、安住の地を求めるマリアは、フローズンティアラをリンと共に盗み出した。

 向かう先は、神殿。

『どこへでもお連れいたします』

 こちらを見るアクアの目が、前と変わらずそう言っているのをリンは感じた。

「神殿に、行きたいの」

「え、リン……」

 マリアが訝しげにアクアを見やり、目配せをする。どうも胡散臭いこの優男が信用ならない、といった様子だ。

「かしこまりました」

 その不信感をかき消すためか、彼は“あはは”と無意味に笑った。後、

「で、神殿ってどこだっけ?」

「、は?」

 そしてまたも“あはは”が宙に漂う。

「“あはは”じゃないでしょうが」

「ドゥイッヒー!」

「はぁ?」

 ただの挨拶だよ、とにこやかに片手を顔の位置まで上げるアクアに、わけわからん、と突っ込むマリア。

「そして、えーと、君は誰だっけ」

「マリアだけど」

「マリア、ドゥイッヒー?」

「は? え、ドゥイッ――って何で私がこんなことっ」

「マリア、耳が真っ赤よ」

「あーあもう! 何なのよあなた! そしてリン! 何にやにやしてんの」

「え、マリア可愛い」

 リンの言葉に、うんうんと賛同するアクア。

「こんな、牛乳温めた時にでる膜みたいに薄っぺらそうな男、信用できないわリン!」

「私の原料って牛乳?」

「タンパク質じゃない? アクア」

「話聞けよお前ら」

 くすくす、と笑うリンとアクアにつられ、マリアも思わず笑みをこぼす。

 幸せ。その存在を知ったら、失うのが怖くなることなんてわかっていた。

 けれど手を伸ばす。放さぬようにしっかりと握りしめ、呑まれないように強く引き寄せる。

 温かくて脆い、幸せのきれはしを。


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