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ⅩⅢ 使命

ⅩⅢ 使命


「ねえ、このハンカチ、ここに王家の紋章が刺繍されてるよね。ほら、そしてここにアリシア・M・レゼーヌって、君の名前も」

「あっ……わ、わたし……」

 アリシアのスカートに付いた血痕を落とす為、デジージェイが使っていたのは、彼女から渡された上等な白いレースのハンカチだった。それをアモスにも見える様、アリシアの目の前に掲げる。

「お、お嬢さん……ひ、姫様だったのかっ!」

「……ごめんなさい」

 威圧感をもろに出すディージェイと、仰天するアモスに畏縮するアリシア。対してディージェイは、不思議そうに首を傾ける。

「どうして君が謝るの? 君は、成すべき事をしに、神殿へ向かっているんでしょう?」

「成すべき、事?」

 如何にも何か理解しているように話す彼を、アリシアはきょとんとした顔で見つめ返す。

「だから、君は印を持って生まれた、よね?」

「印……。痣のことかしら」

 アリシアには生まれつき、右肩の辺りに紋章の様な痣がある。それは、一部の人間からは縁起の良い“印”と呼ばれていた。

「そう。それで、フローズンティアラは?」

「お姉様が持っていらっしゃるわ」

「じゃあ一緒に、神殿に向かっているんだね?」

「いいえ、お姉様を探しているの」

「はぐれたの?」

「逃げてしまわれたわ」

「逃げた? って、フローズンティアラがなきゃ儀式は……」

「あの、儀式って—−−−成すべき事って、何かしら?」

 アリシアの問いかけに唖然とするディージェイ。

「もしかして君、何も知らないの?」

「何もって……。何を?」

「儀式だよ! 君はその為の生贄だろう?!」

「馬鹿もんがっ!」

 珍しく興奮した様子で口調を荒らげるディージェイの頭を、アモスが思い切りひっぱたく。

「さっきから黙って聞いてりゃあ、何だ? 迷える子羊がお姫さんだってぇ判った瞬間質問攻め、その上いきなり生贄だぁ? お前には礼儀もしくはデカリシー(、、、、、)というものが無いのか! 大体、神殿の儀式に生贄を使うなんて聞いた事無いぞ俺は!」

 激しくいきりたつアモスに、ディージェイは頭を抱えて涙をこらえる。それを言うならデリカシー(、、、、、)だろ、と思ったが、口にしない。

「あ、あの……」

「ごめんな、お嬢—−−−お姫さん。兄の教育がなっとらんかったみたいで」

 お嬢、との呼びかけに、アリシアはびくりとする。しかしすぐに頭から振り払い、叱りつけられて首を竦めるディージェイに再び問うた。

「儀式について、ちゃんと、教えてほしいの」

「お姫さん……」

 アモス怒号が過ぎ去ったのを見て、ディージェイはアリシアに向き合う。

「君が何も知らずにここまで来れたっていうことは、この先も知らないままで良いかもしれない。もしかしたら君は、知りたくなかったと後悔するかもしれない。でもきっと、ここで君が僕らと出会ったのは、女神様のご意志。……あまり気乗りしないけど」

 気乗りがしないと言いつつ、その碧い瞳は、アリシアの心中をそのまま見透かすかのように鋭かった。

 十近く年の離れたアモスも、ディージェイの放つ強い気に、唾を飲む。いつも気まぐれに見えるこの少年は、出会ったときから他とは違う『雰囲気』を纏っていたことを思い出した。

「僕らは見ての通り、神殿の神官候補生。だから国籍は島(、)に入る時に捨ててある。けど、僕は元々リラン帝国の人間だった。これは、帝国に古くから伝わる神話で—−−−といっても、神殿の古い書物にも度々記されている歴とした事実なんだ」

 三国の間に浮ぶ、神殿と呼ばれる島は『聖域』といって、神のみに仕える者達だけが集い住まう、独立した島である。そして身分も国籍も捨て去り、神唯一への信仰を認められた者達だけが、この二人のように神官候補生として、各地に布教の旅へと出る事が許されるのだった。

「太古、三国がまだ、一つの大陸だった頃の話。大いなる神の膝元で、人間達は争いを繰り返していた。その争いは静まる事なく、何年も何十年も何百年にも渡って、とうとう、大いなる神はしびれを切らし、人間を滅ぼす事にしたんだ……—−−−」

 権力のあるもの達はこぞって、生残ろうと神に媚を売った。けれど神の怒りは収まらず、断固として彼らの言葉に耳を傾ける事はなかった。

 しかしその時、ある若い娘が神の御前に進み出た。大陸でもっとも有力な豪族のひとり娘は、震える声で、なんと神に交渉を持ちかけたのだ。

『私の命、私に捧げられる全てを、創世主様に献上致します。どうか、私達人間共に、平和をお与えください』

 彼女が放ったその言葉に、神は大いに喜んだ。これまでに、神の御前で平和を願った人間は、誰一人としていなかったからである。

 そして神は彼女の魂を、光り輝く美しいティアラに封じ込めた。そのティアラを礎にして初めて、世界に平和が生まれたのだった。

「ええ、その伝説はレゼーヌにもあるわ。その女の子が、世界を救った女神様で、レゼーヌ王家のご先祖様なのよね?」

「確かに、レゼーヌ王国ではその女性が崇拝されているね。けれど、リラン帝国や神殿に伝わるものは、少し違うし、続きがあるんだ」

 彼女は“平和な世界”、を願った。神は、“争いの無い世界”を創る事にした。

「大いなる神はそれぞれの権力者に『鍵』を与えたんだ。彼女の息の根を止め、その鍵で彼女の魂をティアラに封じた人間に、ティアラに宿った力(、)を与えることにした。世界を統一する力をね」

 アリシアは驚き、しかしどこか腑に落ちた様な顔つきで、いつも首から下げて隠してある美しい鍵に、服の上から触れた。各国の宗教の基盤となって唯一、完全なる中立を保つ神殿の書物に記されてあったという事は、例え敵国の神話だとしても、邪教の教えと切り捨てる事はできなかった。

「といっても、彼女一人だけでは、永くは続かない。それから、千年毎くらいの大きな戦が起こる時ティアラは、前回、儀式を成し遂げ力を得た一族から、印付きの子供を生ませて、他の部族の鍵を持った者に魂を封じさせる。新たな支配者をつくり、ティアラはそうやって世界の滅亡を防いできたんだ」

「ずっと、繰り返されてきたのね……」

 争い、祈り、犠牲、統一。学ぶ事を知らない愚かな人間はまたも、多くの血を流そうとするのか。それを防ぐ為に、アリシアが生まれてきたのなら−−−−

「うさんくせえ」

 アモスの一言に、その場に漂っていた空気が一瞬にして霧散した。

 神官の候補生であるにも関わらず、神話を一蹴してのけたアモスに、アリシアもディージェイも言葉を失くす。

「こんな胡散臭え話が現実にあったなんて、信じられねえなあ」

 そういって、人差し指で頬をかくアモス。

「な、何言ってるんだよアモス。神殿でちゃんと教わったじゃないか」

「いや、現代にまで続いてたなんて知るかってんだ」

「あ、あの……」

「じゃあ何なのさ、この姫は印を持ってる」

「いや、痣なんて珍しくもなんともないだろ」

 とぼけたように正論を言うアモスに、ディージェイは必死になって反論する。流れる険悪な雰囲気に、アリシアは思わず二人の間に割って入った。

「私、夢をみたの。その中で、生贄になりなさいって、はっきり言われたわ……。何の事かよくわからなかったけれど、今わかった。平和の礎は、私にしかできない重要な事、なのよね?」

「……だったら、さ。お姫さんは、どうしたいんだ?」

 今度はとぼけた様子もなく、真剣な顔をして尋ねる。

「私、は—−−−」

 アモスのその予想外の切り返しに、アリシアは戸惑った。

 恐らく、十年間続いてきたこの緊迫した休戦状態は、そろそろ終わりに向かっている。

 千年程前までは、この大陸はレゼーヌ王国の先祖が支配していた一つの国だった。それが二つに分かれた後も、日増しに勢力を上げてゆくリラン帝国の侵攻を防ぎ、大きな戦にならず済んできたのが、ティアラの力によるものだとしたら、“彼女”が代替わりを求めている今、レゼーヌにとって厳しい戦いになるに違いない。しかし十年前の戦いで、多くの兵を消耗したのは帝国側も同じだろう。長い戦に今度は、軍隊だけでは兵力が足りなくなるかもしれない。

 あるいは、神の怒りをも買うかもしれない。

「私は……」


 急に、アリシアは暗闇の中一人きりになった。そうして闇はまた、“あの夢”の光景を見せ始める。赤黒く穢れた大地。そこに伏す人々の中には、敵の軍服に身を包んだ幼い少年の姿もあった。懐に仕舞った恋人の写真や、手作りの手袋に込められた祈り。再会を夢見たまま散ってゆく。

 闇は空を飛び、今度は工場で弾丸を作る少女を映した。すっかりやつれた少女は、紛れも無くあの少年兵が死してまで握っていた、写真の中の人物だった。ろくに休む暇も与えられず倒れた少女は路上に放り出される。煤けた頬から黒い涙が零れ、戦場と繋がる灰色の空で、彼女は愛する人を想った。

 それは今からそう遠くはない、未来の出来事だった。三国間の大戦争が幕を切った、そんな時代。

 少女が瞼を閉じる間際、闇はまたも映す場面を変える。見慣れたその場所は、レゼーヌ城の大聖堂のようだ。高い位置から、ステンドグラスを通して柔らかい光が差し込む。祭壇に置かれたのは、ガラスの蓋を閉じた真っ白な棺だった。

『フェル、ディナンド……』

 真っ白なユリの花の中で、眠ったように目を閉じた青年は、晴れの軍服を着込み、棺に横たわる。喪服に身を包んだ騎士団長アレックスは、震える声で彼の名を呼んだ。

『フェル……ディナンド。お、おい、目を覚ませフェルディナンド! 貴様、それでも軍人か! 寝ている場合ではないぞ……。っ起きろ! 起きろと言っているだろうこの下衆がっ!!』

 ガラスに触れた手は、すり抜ける事は無い。アレックスは、誰もいない大聖堂でひとり、答えない相手に怒鳴り続けた。

『出世して、貴族になるのだろう? おい、あれは嘘だったなんて……言わせないぞ。私を……ひ、独りに、しないでくれ……頼む』

 棺の横で、立っていられないといったようにしゃがみ込み、額を押し付ける。

 柱の陰で一部始終を聞いていたアリアナ女史も、静かに涙を流した。そしてアリアナは、天上へ銃口を向ける。弔銃が二発、三発と蒼い空に響いた。

 次々と場面は変わり、目眩く情景は残酷な未来を映しだしてゆく。

 泣きながら、遠い海の向こうへと旅立つ船に乗船するマリア。見送る青年に向かって何かを叫ぶが、彼は穏やかに笑って首を横に振る。出航した船の甲板でいつまでも港の方角を見つめる彼女をいたわるように、リンがそっと寄り添った。

 戦場では、シャールの民族衣装に身を包んだ黒髪の青年と、リランの軍服を着た金髪の青年が馬上で激しく競り合う。あの金髪の青年は、どこかで—−−−。

 そして最後に、闇がアリシアに見せたもの、それは闇の中に鎮座する玉座と、もう一人のアリシアだった。傍らにはモラン。今より少し大人びたアリシアは、将軍の訃報に動じた様子も無く、ただ王の側で座っているだけ。


「……っ!」

「ねえ、大丈夫?」

 せせらぎが聞こえる。木々の匂いがする。

 闇は消え、さっきまでと変わらず、アリシアは川辺の岩に腰掛けていた。

「私は……世界を救いたい。私にできること、私にしかできないことを、やり遂げたいの」

 気付かぬうちに、アリシアの白い頬は涙でぬれていた。二、三回、続けて瞬きをし、フリルの付いた袖口でぐい、と拭う。

「神殿に、行きます。お姉様もきっと、そこで待っているはずよ。……あんな顔、もうさせないわ」

 強い決心を宿らせた瞳は、まるで青く凍るようだった。その双眸に軽く身震いを感じながら、アモスはディージェイと顔を見合わせる。

「そろそろお付きの人のところ、戻った方がいいんじゃない?」

「あっそうだわ! お、怒られるかも……」

「ははは、お転婆お姫さんにはお付きの奴らも敵わんだろうなあ」

 盗賊との乱闘が甦る。それでもアリシアは、笑顔を崩さなかった。


 もう、泣き言は言わない。強くなると、決心したのだった。






「ほう……。あれが、聖寺か」

 港を出て四日、葵はいち早く神殿へとたどり着いた。

 シャールの城は、他の国と比べて格段に聖寺に近い。ティアラも生贄もまだ手にしていない彼だが、一足先に忍び込む事で状況は有利にになると見ていた。

「母上……待っていて下さい。氷冠の力は、必ず私が手に入れます」






「はあ、ティアラを売りさばいた様子はないわね……」

「おっかしいなあ……。ティアラなんか彼らにとって、眺めて楽しいものじゃないとおもうんだけどねえ」

「流石に、こんな兵隊さんたくさんいたら、売れないと思う……」

 ようやくカルスへと戻って来た三人は、ティアラと盗賊の行方を追っていた。

「誰か見てた人とかいないかしら。目撃情報みたいな」

「あー、じゃああそこの人とかどうかな。ずっとあそこに座ってる可能性大。何か知ってる可能性大だよ」

 そう言ってアクアは、ぼろを纏った人らしきものを指差す。男か女かの区別がつかない程年老いたその人物は、ぼんやりと宙を見つめていた。

「すみません、体格のいい男性を連れた、十四歳くらいの女の子見ませんでした? 褐色の肌で、あまり身なりは良くないんですけど……」

 老人は背の高いマリアを仰ぐように顔を上げ、ゆらゆらとぐらつく手で、タプ港への道を指差した。

「え、本当に? こっちで合ってる? 大丈夫?」

「にひひひひ」

 そういって老婆は、黄金に光る前歯をカチカチと鳴らし、それは楽しそうに笑ったのだった。


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