「君の代わりはいくらでもいる」と言われたので、全員連れて辞職しました
「ねえ、ルリア先輩」
受付嬢のクロエが、
死んだ魚のような目で私を見た。
手には、処理待ちの依頼書が分厚い札束のように握られている。
「あの二人の周りだけ、季節間違えてません?」
「……奇遇ね。私には春の珍獣の求愛行動に見えるわ」
ドサッ、と。
私は新しく運び込まれた書類の山をデスクに置きながら、
ため息を吐いた。
視線の先には、
王都でも最大規模を誇る我が『黄金の盾』ギルドの最高責任者、
ギルド長ザックの姿がある。
そしてその膝の上には、
先月入ったばかりの新人受付嬢ミーナが乗っていた。
「きゃあ! ザック様ぁ、このインクの瓶、重くて持てませぇん!」
「こらこらミーナ、無理しちゃダメだ。君の華奢な腕が折れてしまう。僕が開けてあげるよ」
「まぁ! ザック様ったら頼もしぃー!」
……ちなみに、そのインク瓶は羽ペン用の小型サイズである。
「ねえ先輩」
「なに」
「あのインク瓶、重さ10グラムもないですよね」
「ミーナちゃんの腕は小枝か何かで出来てるのよ、きっと」
「折っていいですか?」
「物理はダメよ、クロエ。やるなら社会的にしておきなさい」
私たち実務部隊は、
響き渡る甘ったるい嬌声をBGMに、
今日も無表情でハンコを押し続けていた。
ザックは顔だけは良いが、実務能力はスライム以下だ。
元々、前ギルド長だった彼のお父上が優秀で、
そのコネで就任しただけのただのお飾り。
実質の業務は、副ギルド長である私、ルリアが全て回している。
「あ、ルリアチーフ」
今度は経理担当のマルコが、
顔面を蒼白にして駆け寄ってきた。
「今月の冒険者への報酬支払い一覧なんですが……またギルド長の承認印がありません!」
「ああ、それね」
私は引き出しから、
紙粘土で作った自作の『ザック印』を取り出した。
「適当にこれ押しといて」
「えっ、いいんですか!? これ偽造――」
「大丈夫よ。あいつ、自分の印鑑のデザインすら覚えてないから」
「……あざっす! 助かります!」
マルコは嬉々として紙粘土製のハンコを押し始めた。
うちのギルドは、今日も平常運転である。
◆
「ルリア、ちょっといいか」
午後。
珍しくギルド長室に呼び出された私は、
腕を組んでふんぞり返るザックと対峙していた。
その隣には、彼に寄り添うようにミーナが立っている。
「はい。なんでしょうか」
「君の仕事の割り振りについてだが……少し問題がある」
ザックは芝居がかったため息を吐いた。
「ミーナが、君のパワハラで疲労困憊なんだ」
「……は?」
思わず素の声が出た。
「彼女は今日、インク瓶を開けようとして指を痛めたそうだ。そんな過酷な労働環境を放置するなんて、副ギルド長としてどうなんだ!」
「ええと……」
私は一瞬、自分が異世界の言語を聞き間違えたのかと本気で悩んだ。
「インク瓶を開けるのが過酷、ですか?」
「そうだ! 彼女のような繊細な花には、もっと相応しいポジションがある!」
ザックは机をバンッと叩き、私を指差した。
「だから、明日からミーナを副ギルド長にする! 彼女の豊かな感性が、我がギルドには必要なんだ!」
「……」
「そしてルリア、君はヒラに降格だ。裏の倉庫の整理でもしていろ。ミーナのサポートとしてな」
ああ、なるほど。
脳内で、プツンというよりは、
スッと何かが冷める音がした。
「……それは、決定事項ですか?」
「当然だ! もし不満があるなら、今すぐ辞めてもらって構わないぞ?」
ザックは勝ち誇ったような、
薄ら笑いを浮かべた。
「君は少し仕事ができるからと、調子に乗っていたようだがね。勘違いするなよ?」
「……」
「君の代わりなんて、いくらでもいるんだからな!」
どうだ、参ったか。
泣いてすがるなら、今のうちだぞ。
ザックの顔には、そう書いてあった。
隣のミーナも「ルリア先輩、かわいそー」とニヤニヤしている。
私は、小さく息を吸い込み――、
「わかりました。じゃあ、辞めますね」
「……え?」
即答した。
「本日付で退職します。では、お疲れ様でしたー」
踵を返し、ドアノブに手をかける。
「ま、待て! お前、本気で言ってるのか!?」
「本気ですが?」
振り返ると、
ザックが鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。
「お、俺は引き留めないぞ!? 明日から路頭に迷うのはお前なんだぞ!」
「大丈夫です。有給が5年分くらい貯まってるんで。しばらく温泉にでも行ってきます」
私は笑顔で一礼し、ギルド長室を後にした。
扉が閉まる瞬間、
「ふ、ふん! 強がりやがって!」というザックの震え声が聞こえた。
◆
「――って言われたから、私、今日で辞めるわ」
実務室に戻り、帰り支度をしながら皆に報告した。
「は?」
クロエが持っていた羽ペンを落とした。
マルコが計算機を叩く手を止めた。
周囲にいたスタッフ全員が、一斉に私を振り返る。
「え……ルリア先輩、辞めるんですか?」
「うん。私の代わりはいくらでもいるらしいから」
私が段ボールに、私物のマグカップとクッションを詰め込んでいると、
クロエがスッと立ち上がった。
「じゃあ、私も辞めます」
「えっ?」
今度は私が驚く番だった。
「いやいやクロエ、早まらないで」
「早まってません。私、実家の酒場継ごうってずっと前から思ってたんで。ルリア先輩がいないこの泥舟に残る理由、1ミリもありませんし」
クロエは秒で自分のロッカーを片付け始めた。
「あ、じゃあ俺も辞めまーす」
マルコが勢いよく手を挙げた。
「他ギルドからずっとヘッドハンティングされてたんすよね。給料も今より出してくれるって」
「え? ちょっと待って」
「あー、ルリアちゃん辞めるの?」
声の主は、たまたま報告に来ていたSランク冒険者のガルドだった。
彼が率いるパーティは、うちのギルドの稼ぎ頭だ。
「ルリアちゃんが依頼の調整してくれないと、俺たち危なくて迷宮潜れないんだよねぇ。じゃあ、俺たちも別のギルドに移籍するわ」
「ガルドさんまで!?」
そこからはもう、ドミノ倒しだった。
「私も辞めます!」
「俺も!」
「実家帰ります!」
「隣町に引っ越します!」
「ちょ、ちょっとみんな!? フットワーク軽すぎない!?」
私が止める間もなく、
実務室のスタッフたちは次々と荷物をまとめ始めた。
まるで、ずっと前からこの時を待っていたかのような見事な手際だった。
「ルリア先輩!」
荷造りを終えたクロエが、
晴れやかな笑顔で振り返る。
「退職祝いに、うちの酒場でパーッと飲みましょう! 奢りますよ!」
「……もう、どうなっても知らないわよ?」
私は苦笑しながら、
空っぽになった自分のデスクに別れを告げた。
◆
翌朝。
王都最大の『黄金の盾』ギルドは、
前代未聞のパニックに陥っていた。
「だ、誰もいない!? なぜだ!!」
誰も出勤してこないガランとした実務室で、ザックの悲鳴が響き渡る。
「ザ、ザック様ぁ……! クレームの列が、ギルドの外まで並んでますぅ……!」
ミーナが半泣きで駆け込んできた。
その日の午後、『黄金の盾』ギルドは業務停止に追い込まれたのだった。
「――ふふっ」
同じ頃。
私は隣町の温泉宿で、クロエたちと一緒に昼間から冷えたエールを呷っていた。
「どうしました、先輩? ニヤニヤして」
「ううん。温泉、最高だなって思って」
晴れ渡る青空の下。
私の有給休暇は、まだ始まったばかりである。
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