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「君の代わりはいくらでもいる」と言われたので、全員連れて辞職しました

作者: 古沢樹
掲載日:2026/07/31

「ねえ、ルリア先輩」


 受付嬢のクロエが、

 死んだ魚のような目で私を見た。

 手には、処理待ちの依頼書が分厚い札束のように握られている。


「あの二人の周りだけ、季節間違えてません?」


「……奇遇ね。私には春の珍獣の求愛行動に見えるわ」


 ドサッ、と。


 私は新しく運び込まれた書類の山をデスクに置きながら、

 ため息を吐いた。


 視線の先には、

 王都でも最大規模を誇る我が『黄金の盾』ギルドの最高責任者、

 ギルド長ザックの姿がある。


 そしてその膝の上には、

 先月入ったばかりの新人受付嬢ミーナが乗っていた。


「きゃあ! ザック様ぁ、このインクの瓶、重くて持てませぇん!」


「こらこらミーナ、無理しちゃダメだ。君の華奢な腕が折れてしまう。僕が開けてあげるよ」


「まぁ! ザック様ったら頼もしぃー!」


 ……ちなみに、そのインク瓶は羽ペン用の小型サイズである。


「ねえ先輩」


「なに」


「あのインク瓶、重さ10グラムもないですよね」


「ミーナちゃんの腕は小枝か何かで出来てるのよ、きっと」


「折っていいですか?」


「物理はダメよ、クロエ。やるなら社会的にしておきなさい」


 私たち実務部隊は、

 響き渡る甘ったるい嬌声をBGMに、

 今日も無表情でハンコを押し続けていた。


 ザックは顔だけは良いが、実務能力はスライム以下だ。


 元々、前ギルド長だった彼のお父上が優秀で、

 そのコネで就任しただけのただのお飾り。


 実質の業務は、副ギルド長である私、ルリアが全て回している。


「あ、ルリアチーフ」


 今度は経理担当のマルコが、

 顔面を蒼白にして駆け寄ってきた。


「今月の冒険者への報酬支払い一覧なんですが……またギルド長の承認印がありません!」


「ああ、それね」


 私は引き出しから、

 紙粘土で作った自作の『ザック印』を取り出した。


「適当にこれ押しといて」


「えっ、いいんですか!? これ偽造――」


「大丈夫よ。あいつ、自分の印鑑のデザインすら覚えてないから」


「……あざっす! 助かります!」


 マルコは嬉々として紙粘土製のハンコを押し始めた。


 うちのギルドは、今日も平常運転である。



「ルリア、ちょっといいか」


 午後。


 珍しくギルド長室に呼び出された私は、

 腕を組んでふんぞり返るザックと対峙していた。


 その隣には、彼に寄り添うようにミーナが立っている。


「はい。なんでしょうか」


「君の仕事の割り振りについてだが……少し問題がある」


 ザックは芝居がかったため息を吐いた。


「ミーナが、君のパワハラで疲労困憊なんだ」


「……は?」


 思わず素の声が出た。


「彼女は今日、インク瓶を開けようとして指を痛めたそうだ。そんな過酷な労働環境を放置するなんて、副ギルド長としてどうなんだ!」


「ええと……」


 私は一瞬、自分が異世界の言語を聞き間違えたのかと本気で悩んだ。


「インク瓶を開けるのが過酷、ですか?」


「そうだ! 彼女のような繊細な花には、もっと相応しいポジションがある!」


 ザックは机をバンッと叩き、私を指差した。


「だから、明日からミーナを副ギルド長にする! 彼女の豊かな感性が、我がギルドには必要なんだ!」


「……」


「そしてルリア、君はヒラに降格だ。裏の倉庫の整理でもしていろ。ミーナのサポートとしてな」


 ああ、なるほど。


 脳内で、プツンというよりは、

 スッと何かが冷める音がした。


「……それは、決定事項ですか?」


「当然だ! もし不満があるなら、今すぐ辞めてもらって構わないぞ?」


 ザックは勝ち誇ったような、

 薄ら笑いを浮かべた。


「君は少し仕事ができるからと、調子に乗っていたようだがね。勘違いするなよ?」


「……」


「君の代わりなんて、いくらでもいるんだからな!」


 どうだ、参ったか。


 泣いてすがるなら、今のうちだぞ。


 ザックの顔には、そう書いてあった。


 隣のミーナも「ルリア先輩、かわいそー」とニヤニヤしている。


 私は、小さく息を吸い込み――、


「わかりました。じゃあ、辞めますね」


「……え?」


 即答した。


「本日付で退職します。では、お疲れ様でしたー」


 踵を返し、ドアノブに手をかける。


「ま、待て! お前、本気で言ってるのか!?」


「本気ですが?」


 振り返ると、

 ザックが鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。


「お、俺は引き留めないぞ!? 明日から路頭に迷うのはお前なんだぞ!」


「大丈夫です。有給が5年分くらい貯まってるんで。しばらく温泉にでも行ってきます」


 私は笑顔で一礼し、ギルド長室を後にした。


 扉が閉まる瞬間、

 「ふ、ふん! 強がりやがって!」というザックの震え声が聞こえた。



「――って言われたから、私、今日で辞めるわ」


 実務室に戻り、帰り支度をしながら皆に報告した。


「は?」


 クロエが持っていた羽ペンを落とした。


 マルコが計算機を叩く手を止めた。


 周囲にいたスタッフ全員が、一斉に私を振り返る。


「え……ルリア先輩、辞めるんですか?」


「うん。私の代わりはいくらでもいるらしいから」


 私が段ボールに、私物のマグカップとクッションを詰め込んでいると、

 クロエがスッと立ち上がった。


「じゃあ、私も辞めます」


「えっ?」


 今度は私が驚く番だった。


「いやいやクロエ、早まらないで」


「早まってません。私、実家の酒場継ごうってずっと前から思ってたんで。ルリア先輩がいないこの泥舟に残る理由、1ミリもありませんし」


 クロエは秒で自分のロッカーを片付け始めた。


「あ、じゃあ俺も辞めまーす」


 マルコが勢いよく手を挙げた。


「他ギルドからずっとヘッドハンティングされてたんすよね。給料も今より出してくれるって」


「え? ちょっと待って」


「あー、ルリアちゃん辞めるの?」


 声の主は、たまたま報告に来ていたSランク冒険者のガルドだった。


 彼が率いるパーティは、うちのギルドの稼ぎ頭だ。


「ルリアちゃんが依頼の調整してくれないと、俺たち危なくて迷宮潜れないんだよねぇ。じゃあ、俺たちも別のギルドに移籍するわ」


「ガルドさんまで!?」


 そこからはもう、ドミノ倒しだった。


「私も辞めます!」


「俺も!」


「実家帰ります!」


「隣町に引っ越します!」


「ちょ、ちょっとみんな!? フットワーク軽すぎない!?」


 私が止める間もなく、

 実務室のスタッフたちは次々と荷物をまとめ始めた。


 まるで、ずっと前からこの時を待っていたかのような見事な手際だった。


「ルリア先輩!」


 荷造りを終えたクロエが、

 晴れやかな笑顔で振り返る。


「退職祝いに、うちの酒場でパーッと飲みましょう! 奢りますよ!」


「……もう、どうなっても知らないわよ?」


 私は苦笑しながら、

 空っぽになった自分のデスクに別れを告げた。



 翌朝。


 王都最大の『黄金の盾』ギルドは、

 前代未聞のパニックに陥っていた。


「だ、誰もいない!? なぜだ!!」


 誰も出勤してこないガランとした実務室で、ザックの悲鳴が響き渡る。


「ザ、ザック様ぁ……! クレームの列が、ギルドの外まで並んでますぅ……!」


 ミーナが半泣きで駆け込んできた。


 その日の午後、『黄金の盾』ギルドは業務停止に追い込まれたのだった。


「――ふふっ」


 同じ頃。


 私は隣町の温泉宿で、クロエたちと一緒に昼間から冷えたエールを呷っていた。


「どうしました、先輩? ニヤニヤして」


「ううん。温泉、最高だなって思って」


 晴れ渡る青空の下。


 私の有給休暇は、まだ始まったばかりである。

ご覧くださりありがとうございます!


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